(4)

 翌日、彼女の履歴を少し遡って、彼女が在籍していた大学の指導教官を訪ねた。


 義務教育である小中学校の先生には、生徒に読み書きや計算を教えるという以外にも、社会生活に必要な倫理観や規律を指導する役目がある。義務教育ほどではないにせよ、高校でも人間教育を放棄してはいない。永井校長の姿勢を見れば、よく分かるよね?

 だが、大学は違う。大学になると、学生が十分な自主性、社会性、人間性を満たしていることは、当然の資質であるとみなす。大学生にもなって手取り足取りの指導を期待する幼稚園児みたいなやつは、そもそも論外なんだよ。誰でも入れるアホ大学ならともかく、見附さんが学んでいたレベルの大学の場合、自分のことは自分で始末を付けろという原則は徹底されている。だからそういう大学の先生って、学生に対する姿勢が概してドライなんだよね。その分、調査もビジネスライクに出来る。


 卒業後にOBが大学関係者に連絡を取ることは、その講座の先生や在学生とよほど昵懇じっこんにならない限りはない。当然、その逆方向のアクションもまず起こらないだろう。大学経由で、俺の訪問が彼女に漏れる心配はしなくていいってことだ。なので。俺は教授に彼女が今遭遇しているトラブルをダイレクトに説明し、対策が必要なので在籍時に他学生との間でトラブルがなかったかどうかを確認したいと、直球で行った。


 初老の実直そうな教授は、俺の突っ込みに首を傾げた。


「うーん、見附さんにそういうのが絡みそうな人物がいたとは、とても思えないんですよね」

「あまり人付き合いが良くないと伺ってますが、そのせいですか?」

「はい。課題への取り組みはまじめでしたが、ゼミではお地蔵さまになってましたし、コンパ等にも顔を出さない子でしたから」


 教授は、彼女の先輩にあたる田辺さんという大学院生を呼んで、彼にも聞いてくれた。


「ああ、彼女ね。確かに地味な子でしたけど、カレシはいましたよ。小川くん」

「えっ?」


 それは、教授にとって初耳だったらしい。俺も仰天した。


「本当ですかっ!?」

「ええ。でも付き合ってたのは、四年の数ヶ月間だけだったですけど」

「別れたんですか?」

「結局、互いにしっくりこなかった感じですね」

「別れたのはいつ頃ですか?」

「それぞれの就職が決まった頃じゃないかなあ。小川くんは地方出身だったので、国に帰って就職。見附さんは、それには付いて行かない、遠距離なんか全然無理ーって感じで」

「なるほど。どろどろにもつれて別れたわけじゃないんだ」

「最初から、おいおいってくらい二人とも乾いてましたよ。そこが良くて、そこが限界だったんじゃないかなあ。だから先生も気付かなかったんじゃないかと」

「まあ……な。でも、そういうプライベートは指導範囲外さ。私があえて突っ込むようなことじゃないよ」


 教授は、ふうっと溜息をこぼしてから俺に向き直った。


「同じ時空間を共有していても、知らないことはいっぱいありますね」

「本当にそうですね。今まさに、それで苦労してるんです」

「は?」

「見附さんにしか分からない事実がいっぱいあるんです。でも見附さんは、そういうのを近しい人にすら出さないんですよ。彼女にはアンノウンの部分があまりに多過ぎるんです」

「ああ、なるほど」

「隠してると言うより、自己表現するのが苦手なんだと思いますけどね。でも、私どもの方でストーキング対策を立てるなら、事実関係の確認がどうしても必要なんです」

「そうか。それで……」

「はい。遠回りなんですけど、こうして調査をして、本人から聞き出す以外の方法で事実を探らないとならないんです」

「あの、なぜ彼女に直接聞けないんですか?」


 田辺さんが、直に俺に尋ねた。俺は、慎重に答える。


「もし巻き込まれているトラブルに本当に心当たりがないのなら、彼女はご両親や関係者にこれまでの経緯と現状をもっと詳しく話すでしょう。でも彼女は、『付けられているという事実』しか訴えないんです」

「あ……」

「それは、彼女に『言えない理由』があるから。それを明らかにするために心を無理にこじ開けようとすると、彼女しか知らない事実は永遠に隠されてしまう。違いますか?」

「ああ、確かにそうだね」


 机の上に置かれたでかいディスプレイ。教授は、そこに映っていた表のセルを一つ、指差した。


「結果の数値があって、それを導くための数式が決まっている。それなら、結果から逆算すれば初期値が分かる」

「はい」

「だが、式だけあってもどうにもならないんだ。初期値か、結果の数値か、どちらかが分からないとね。そういうことでしょう?」


 さすが、大学の先生だな。俺のイメージしていることにぴったり合う。


「まさにそうです。で、結果の数値がまだ出ていない以上、私は全力で初期値を探すしかないんですよ」

「もっともだ。この後どうされるんですか?」

「もう一つ遡ります」

「というと、高校だな」

「はい。そして、おそらくそこにカギがあるんじゃないかなあと」

「ほう、どうしてだい?」

「積極性の極めて乏しい見附さんが、そこでだけ何かに熱中した時間を持ってたから、です」

「カレシ系ですか?」

「いえ、それはありえません。見附さんの伯母様が校長を務められている名門女子高は規律がとても厳しくて、男女交際が禁止されているんですよ」

「うーん、そうかあ」

「じゃあ、部活、か」

「はい。彼女は漫研にいたそうです」

「あえ?」


 田辺さんが素っ頓狂な声を出した。


「信じられないなあ」

「どうしてだい?」

「いえ、僕も腐ってますし、そっち系の話は友達や後輩にもよくするんですけど、彼女がそれに反応したことなんか一度もありませんでしたよ?」

「ははははは! 腐ってるかあ」


 年配の教授に『腐っている』の本当の意味が分かっているかどうかは疑問だけど、マンガやアニメが単純に好きというレベル以上に突っ込んでるってことはイメージしてると思う。


「それじゃあ、高校出てからマンガ以外に何か熱中出来ることを見つけたってことですかね?」


 俺がそう振ると、田辺さんがしきりに首を傾げた。


「うーん、そんな風には見えなかったけどなあ……」

「まあ、彼女は自分の熱を人に見せるのが苦手なんだろ。好き嫌いやこだわりがあっても、それを人に主張するのがしんどいんだろうよ」


 うん。その見立ては俺と同じだ。先生も、見附さんの性格のおおまかな把握はしてたってことだな。


「じゃあ、今でもこっそり腐ってるんですかね?」


 まだ首をひねっている田辺さんが、教授に問いかけた。教授はそれをさらっと躱した。


「さあな。趣味っていうのは所詮自己満足だよ。そこに他者を入れるかどうかは、個々人の選択さ。私たちがとやかく詮索することじゃない」

「うーん……」

「君だって、私の趣味は知らんだろ?」

「えー? 先生に呑む以外の趣味があるんですかあ?」


 ぴきぴきぴきっ! 額に青筋を浮かべた教授は、厳かな声で学生に宣告した。


「田辺くん。次のゼミ。覚悟しとけよ」

「ぎょえええええっ!?」


 藪蛇っすね。御愁傷様です。はいー。


◇ ◇ ◇


 最後が与太っぽく終わってしまったけど、大学で俺が聞き取れたことはとても重要なことばかりだった。大学では短期間ながらカレシがいたということ。それが、決してラブラブなものではなかったということ。高校時代の趣味の世界を、大学にまでは持ち込んでいなさそうだということ。そして、女子比率が極めて低い理工系の大学でも、彼女の地味さが全く変わっていないということ。

 ちやほやもされていなければ、疎外もされていない。それは単に容姿や性格が地味というだけでなく、態度がとても乾いているからだろう。引っ込み思案の人にありがちな、好悪の感情が言葉ではなく表情や態度に滲み出てしまうという難点。それが、彼女にはないと見た。


 だから今勤めている会社でも、かつて在籍していた大学でも、誰からも好意や敵意を示されることがない。誰かが彼女に対して一方的に好意を寄せたり敵意を抱いたりするきっかけが、生まれようがないんだ。ただそれは同時に、彼女の深刻なぼっち体質が全く改善していないことを意味している。改善どころか、むしろ悪化しているんだ。

 学生時代は、いやでも他者と関わらざるを得ない。でも彼女を取り囲んでいる人物群が極端に限定されている今、他者との交流がぎりぎりまで細ってしまっている。実質、親や伯母さんとの間にしかパイプが通っていない。就職してまじめに働いているといっても、実質はぼっちのひっきーなんだよな。こもる場所が、家と職場の二か所になっているだけ。いくら対人関係の調整が苦手だと言っても、そこまで自分を蛸壺に追い込んでしまうと、外からのアクセスに過剰反応を示すようになる。だから親や警察が、彼女の被害妄想じゃないのかと疑うのも無理はないんだよね。


 でも。でも、だ。高校の時に一度緩んだ極端な自己保身の姿勢が、大学で復活してそのまま今に至ってる。いや、それがひどくなってる。当然、そうなるきっかけがあったはずなんだよね。

 大学から先のぶれはほとんどない。ずっと見ている永井さんも、そういう性格なんだという前提て俺に説明をしたし、外見的にはそれで固定してるということなんだろう。大学時代から先、現在に至るまでは大きなアクシデントや破綻がないとすれば。永井さんの視点が麻矢さん個人に落ちにくい高校の時に、何か浮上と沈下をもたらすきっかけがあったと思わざるを得ないんだ。俺に依頼してきた永井さん自身が、自分で気付いてるかどうか分からないけど、それを暗に匂わせてる。


 『女子校にはいろいろございます。それは必ずしも喜ばしいことばかりではありません』


 そう。俺は、どうしてもそこにしかトラブルの起点が思い浮かばなかったんだよな。


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