(3)

 俺は、座っていた回転椅子から降りて、ゆっくり永井さんの方に歩を進めた。


「どうなさいますか? この件、この前の痴漢騒動とは全く性質が違います。おそらくですが、もっともっと複雑でデリケート。姪御さんが真相を隠そうとなさっていますから、単純な犯罪という形には収斂しないでしょう。ですから、桁違いに厄介です」

「はい。分かります」

「人の心の中に直接踏み込まないとならない。調査を引き受ける私だけでなく、依頼人である永井さんにもその覚悟が必要になります。出てきた事実が白でも黒でも、それをこなす覚悟が要ります。どうなさいますか?」


 俺は急かさなかった。永井さんは、俺と話をしている間に、姪御さんのストーカー

事件にどうにもおかしな点がいっぱいあることを改めて認識したんだろう。調査に当たる俺だけじゃなく、永井さんもまた違和感がどこから発しているのかを常に考え、それに対処しながら解決を目指さないとならない。俺に依頼して、あとはお願いねってぶん投げるわけには行かないんだよ。


 五分ほどの沈黙のあと。きっぱりした口調で永井さんが、ゴーサインを出した。


「素行調査を……お願いします」

「分かりました。料金設定はこの前説明させていただいたので省略しますが、痴漢事件よりははるかにお金も時間もかかります。それだけはご承知おきください」

「はい」


 急がないとならないのに、急げない。慎重かつ迅速に、か。相反する要素を並行でこなす必要がある、極めて難しい案件だ。これまでの暇ネタとは、次元が全く違う。沖竹では絶対に承けないであろう難題にどう取り組むか。俺の持っている全能力をぶち込む事案になるだろう。


「ふうううっ!」


 ぱん! 両手で腿を力一杯叩いて気合いを入れた。


「永井さん!」

「はい」

「この案件、通常行う素行調査とは全く別のやり方が必要になります。普通は、調査にある程度の見通しがついた時点で依頼者にそれを伝え、その後の進行調整をするんです」

「ええ」

「ですが、今回は調査の中間報告の間隔がうんと短くなると思います。お仕事に差し障らないよう連絡はメールでいたしますが、それを出来るだけまめにチェックしていただけますか?」

「そんなに……差し迫ってるんですか?」

「はい。私は永井さんと同時にここを出て、すぐに動きます。そんなに猶予はないと思います」

「な、なぜ!?」

「姪御さんが強い気配を感じていながら、相手が特定出来ない。その理由が……」

「はい!」

「つけてるやつが一人じゃないから、かもしれないんです」

「あ!!」


 ざあっと永井さんの顔が青ざめ、がくがくと膝を震わせて、その場に崩れ落ちそうになった。


「相手が一人の場合は、姪御さん一人になるという状況さえ作らなければそれほど危険はありません。姪御さんがもう用心されていますし」

「そう……か」

「でも、先日最後に捕まった痴漢連中と同じ、集団で囲まれた場合には、危険を避けようがなくなるんですよ」

「う……」

「私は調査員であって、ガードマンではありません。最初に申しましたように、私が姪御さんの危機を肩代わりすることは出来ないんです。ですから、姪御さんが抱えているであろうトラブルの中身を、一刻も早く明らかにすることだけに集中します」

「はい!」

「もし、永井さんが姪御さんの身を本当に案じておられるのなら、私が動いている数日間だけでもいいので、姪御さんに護衛をつけてください」

「そうですね。検討します」


 見附麻矢という女性の素行調査を正式に引き受けた俺は、永井さんが知っている限りの彼女の情報を聞き出して、手帳にびっしり書き付けていった。


 人見知りで、無口。あまり感情表現が豊かではない、いわゆるネクラな子。小学生の時には、ごく限られた友達としか付き合いがなかった。そして、ずっと続いてる仲良しの子というのが出来ない。永井さんの心配は、その頃からもう始まっていたらしい。

 中学に上がってすぐに、ある男の子の積極アプローチがあっておっかなびっくり付き合い始めたものの、周囲の冷やかしに男の子がぷっつんして麻矢さんをこんなブス呼ばわりしてしまい、深く傷付いて破局。それ以来ますます交友関係が狭くなって、ぼっちまっしぐら。

 しかし、麻矢さんは成績優秀で、特にひがみっぽいところもないので、みんなにひどく嫌われるいじめられっ子タイプということでもなかった。おとなしくて目立たない女の子という評価になるんだろう。いじめられることがなかったから、楽天的なご両親は娘の消極的な性格をあまり深刻に捉えなかったらしい。

 聖ルテア女子高に進学後は、学生時代唯一の部活に没頭している。漫研だ。だが彼女は描く方は全くやらず、シナリオやネームを担当して、同人誌の編集を手伝っていたようだ。


 高校を卒業した後は、中堅レベルの理工学系大学に進学。高校の在籍クラスは文系で、進路は絶対そっち方面ではないと思っていた両親は、ものすごく驚いたらしい。しかし、大学進学後の生活は高校の時よりもずっと地味で、サークルには所属せず、クラスや所属講座の飲み会にも付き合わず、講義が終わればさっさと家に帰って部屋にこもるというパターンだったそうだ。

 奇妙なのは、彼女に就活をする気が全くなかったということ。言っちゃ悪いが、親が今の会社に強制的に押し込まなければ、そのまま立派なひっきーになっていたということなんだろう。そういう消極的就職だったにも関わらず、仕事ぶりはとてもまじめで無断欠勤や怠業の気配はない。コンピューターの扱いに長けているので、会計事務を卒なくこなし、年寄りばかりの社ではとても頼りにされている。伯父である社長の覚えもいい。両親も永井さんも、彼女の口から会社の悪口や愚痴を聞かされたことは一度もないそうだ。過剰干渉がなく、マイペースで勤務できる今の職場環境には十分満足しているということなんだろう。


 ふむ……。性格的にはややネガ寄りながら安定していて、大きな変節や崩れはない。自分を積極的に表現したり、売り込んだりというアクションが極度に苦手で、それゆえ大勢の中に自分を置くことを強く忌避する。高校の部活を除いて、一貫してぼっちのポジションをキープしていることが、それを物語っている。

 自己主張が乏しいわけだから、当然周囲の人たちとの大きな感情的軋轢なんか起こりようがない。事実、永井さんは彼女が誰かと激しく言い争うような場面を一度も見たことがないそうだ。じゃあ、そういう彼女がなぜストーキングされるような事態を呼び込む? どう考えてもおかしいじゃないか!


◇ ◇ ◇


 聞き取りを終えた俺は、帰宅する永井さんと同時に事務所を出て、麻矢さんの退勤と入れ違いになるようにタイミングを調整し、彼女の勤めている会社を訪ねた。俺が社に着くまでの間に、永井さんから社長に予め連絡を入れておいてもらった。麻矢さんがストーキングの被害を受けていて、まだ加害者の特定が出来ていない。警察のアドバイスを受けるにしても、加害者のあてが付かないと動いてくれないので、調査員を向かわせる。思い当たる節がないか教えて欲しい、と。麻矢さんが調査に気付くと動揺して仕事に差し障るでしょうから、まだ内密にお願いしますと付け加えて。

 通常の素行調査であれば、絶対にこんなことは出来ない。時間をかけて、外堀を埋めるところからやらないといけない。でも、今回はストーキング被害という免罪符がある。俺は、調査目的を隠すことにものすごく気を使わなくていい分、調査をスピードアップ出来るんだ。社を訪問する目的は二つある。社内で麻矢さんを敵視している人物がいないか、それと麻矢さんが受けているつきまとい被害を社の人間がもう知っていたかを明らかにすることだ。


 麻矢さんの伯父さんに当たる社長さんは、恰幅の良いいかにもな社長さんタイプで、とても鷹揚な人に見えた。なるほど。線の細い麻矢さんに、頭越しにがんがんプレッシャーをかけるタイプではないな。


「中村操と申します。どうぞ調査にご協力ください。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ。マナカ産業の見附稔です。お疲れ様です」


 名刺を交換して、早速聞き取りに入る。その内容は、永井さんからの聞き取りとぴったり合致した。仕事ぶりはとてもまじめで、業務が立て込んでいても文句を言わずに黙々とこなしてくれる。会社内でトラブルを起こしたり、誰かのトラブルに巻き込まれたりという心当たりは全くない、と。麻矢さんは、社内では社員というよりみんなの孫のような扱いをされていた。とてもかわいがられていたんだ。控えめでまじめだから、敵視のされようがないよね。

 社員さんの年齢も、おじさんというよりじいちゃんクラスの人ばかりで、誰かが一方的に敵意や思慕を抱いてストーカーと化すことは絶対にあり得ないそうだ。まあ小人数のところでストーキングすれば、それが誰かはすぐに割れる。この社は関係ないな。そして社長である伯父さんは、麻矢さんがストーキング被害を受けてることについては薄々把握していたらしい。


「すいません、社長さん。それは麻矢さんご本人から聞かれたんですか?」

「いえ、弟がこぼしてたんですよ。どうも娘が変なのに付きまとわれて困ってるみたいだと」

「……。麻矢さんが社でその話をしたことは?」

「ないです。元々、口数が少ないので」


 そうか。かわいがられていると言っても、打ち解けて何でもしゃべると言うわけではないんだな。


「ご協力ありがとうございます。それで」

「はい」

「今日私がここに来たことは、まだ麻矢さんやその関係者には伏せておいてください。事態が好転したらオープンにしてかまいませんが、今彼女の挙動が極端に変わると犯人を刺激しかねないので」

「わ、わかりました」


 社長さんは、がっつり引きつっていた。


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