フレディとの出会い編 第二話 アンノウン
(1)
聖ルテア女子高校長の永井先生から承けた、痴漢退治の案件。俺はアイデアを出して江畑さんに取り次いだだけだから、基本料金プラス日当二日分で、三万の上がり。効率は良かったけど、足で稼いだっていう充足感がなかったから、俺的には不完全燃焼な感じだ。でも、拘束時間がほとんどなかったからな。それを前向きに考えよう。
永井さんに報告書を手渡し、事務処理を済ませて一件落着のはずだったんだが。俺に調査料を支払った永井さんは、少し考え込むような素振りをしてから、いきなり別件を切り出してきた。
「あの……」
「なんでしょう?」
「今回の件で、中村さんの洞察力がとても優れていることを、強く実感いたしました」
「あはは。沖竹で働いていた時の経験がありますから」
「そのお力を見込んで、もう一つお願いがあるんです」
「は?」
「それは学校のことではなく、私のプライベート。いや、私のじゃないですね。私の妹の子、姪のことで……」
「姪御さん、ですか」
「はい。未成年ではありません。もう就職して働いています」
「ふむ」
「その子がつきまとい被害に悩んでいるんですよ」
「ストーキングですね?」
「はい」
「警察には?」
「通報済みなんですが……」
「対応してもらえないんですか?」
「つきまとっている人物を特定出来てないんです」
「はあっ?」
「心当たりがないんですって」
アンノウン……か。
「姪御さんがご存知ない人物だってことですか」
「はい」
「で、どんなタイプの人かは分かってるわけですね?」
「いいえ」
あえ? それはおかしいぞ。どう考えてもおかしいじゃないか。
「ちょっと……ちょっと待ってください。それはどうにも不可解です。誰かにつけられているなら、正体が分からないにしろ、その人物の身長、体格、容姿のだいたいのあたりはつくはずですよね?」
「そうなんですけど……」
「それを特定しないでただつけられているというだけじゃ、警察もまともに相手してくれませんよ。相談者の被害妄想ってことにされてしまいます」
「ええ、確かに。警察の担当の方には、まともに相手をしていただけませんでした」
「でしょう?」
実は、それ以上に厄介なことがあるんだ。確かめておこう。
「ええと、永井さん。姪御さんに付きまとっている人物を特定するだけなら、別に難しくないんですよ。せいぜい一、二日で済んでしまいます」
「そうなんですか」
「ええ。調査者の私は相手を観察できますが、向こうは私に気付かない。そういう状態さえキープ出来れば、調査はたやすいです」
「なるほど」
「姪御さんにそう伝えて、もし正式依頼ということであれば姪御さんをこちらに寄越してください」
永井さんは、急に黙り込んでしまった。しばらく逡巡していたようだったが、慎重に探りを入れて来た。
「私が依頼人では……だめなんでしょうか?」
「承けかねます」
ぴしっ! 強い口調で跳ね除けた。
「永井さんに二心がないということは今回の案件でよく分かりましたが、公人としての永井さんと、私人としての永井さんとでは立場が違います」
「う……」
「ご家族、ご親族の間で何かトラブルを抱えていて、その鍵が姪御さんになっている。もしそういう状況が背後にあったら、調査をする私はいつの間にか当事者の片棒を担ぐ形になってしまいます」
人差し指二本で、ばってんを作って前に突き出す。
「依頼人と面談を行って、調査内容がどのように利用されるのかを確認する。それは、私どもの調査が犯罪行為に流用されるのを防ぐ上で欠かせない、自衛措置なんです」
「ええ。それは以前伺いました」
「ですから、姪御さんご本人から事情や状況を直接聞き取り出来ない形では、私は調査を承けられないんです。それをご理解ください」
「それは……中村さん以外の探偵さんでも同じ、ということですね?」
「もちろんです。代理人による依頼は、よほど深刻な事情がない限りどこでも承けないでしょう。代理人という立場は、いくらでも捏造出来ますから」
もちろん。俺が釘を刺していることはあくまでも原則論だ。例えば俺と相談者との付き合いが長くて、俺がそいつの事情をよーく知っているなら、代理依頼であっても調査を引き受けることがあるかも知れない。だが、俺は永井さんをよく知らないんだよ。校長という肩書きだけを信用して、そのイメージを無警戒に人物像に当てはめてしまうと、どんな落とし穴があるか分からない。
社会的地位と人格の高潔さとは必ずしも一致しないということ。いや、それはむしろ反比例するということ。俺はブンさんに、地位や肩書きのイメージは最初から徹底的に疑え、ステータスに先入観を持つなと厳しく叩き込まれていたんだよね。相手が誰であれ、俺はその原則を絶対に曲げたくないんだよ。
厳しい表情で腕を組んだ俺の前で、永井さんは完全に意気消沈してしまった。
うーん、そうだな。切り口を変えて見よう。
「あのね、永井さん。これは単なる信用度の問題ではないんです。調査の成否にも影響することだから、なんですよ」
「あの……どういうことですか?」
「ご本人からの依頼でない限り、私どもが得られる情報には第三者を介したことにより憶測や思い込みが混じる。それは、真実を真実でなくしてしまう恐れがあるんです。姪御さんの件で言えば、被害を訴え、それに対応すべきなのは、まずご本人。そして、次にご両親」
「そうですね」
「親があてにならないとか、親がストーカーに関わっているとか、万一そういう特殊事情があった場合でも、永井さんと姪御さんとで揃ってここに来ることは可能なはずですよね?」
「ええ」
「私には、そう出来ないという事情が想像出来ないんです。ですから、疑念を最初にうんと膨らませておかないとならない。いくら永井さんが素晴らしい人格者に見えていても、ね」
「分かります」
はあっと大きく息を吐き出した永井さんは、客用の椅子に戻って深く腰を下ろした。
「私は心配なんですよ」
「心配……ですか?」
「はい。姪は、
「会社でのトラブルは?」
「ありません。そして、麻矢ちゃんは恋愛に興味がありません。中学の時に、付き合ってた男の子に手ひどく裏切られて以来、すっかり懲りてしまったみたいで」
「ええー? そんな早くにすっぱり見切りつけちゃうもんなんですか?」
「感受性……っていうか、勘が異様に鋭いんです。人の心の奥をいつも見通すようなところがあります」
なるほどな。だから、気配を感じ取ったってわけか。
「不特定の男性に見初められるような美人さん、ですか?」
「いいえ。特に優れた容姿ではありません。中学の時の彼氏の裏切りも、それが元ですから」
「なるほど」
「高校は、うちでした。コネではなく、ちゃんと入試をクリアして入学してます。ですから頭はいいんです。高校卒業後は理系の四年制大学に進み、今の会社に職を得ました」
「理系卒にしては……」
「女子大じゃないので、大学での男子学生とのやり取りに疲れたんでしょう。専門性を生かそうとすると、どうしても同年代の男性比率が高いところばかりになるので」
ああ、そういうのもあるのか。
「今の会社は、姪御さん自身で探されたんですか?」
「いいえ、麻矢ちゃんの親があてがいました」
「へ?」
「麻矢ちゃんの父方の伯父が経営している会社なので、気心が知れてるんですよ。社員は年配者ばかりですし」
「ああ、そうか。余計な気配りをしなくても済むということですね」
「はい。妹もそのご主人もおおらかな人で、どちらかと言えば放任気味。姪の微妙な変化に気付くタイプじゃないんです」
「ふむ」
「私は妹の婚家によく出入りしていて、麻矢ちゃんがまだ小さい頃から懐かれていましたし、高校では教師と生徒の関係でしたから、親よりも密接に勉強や進路の相談に乗っていたんです」
「ああ、それで、ですか」
「はい。私はこの年まで独身なので、それが母親代わりっていうのもおかしなことなんですけどね」
永井さんが、自嘲気味に笑った。おいおい、それは俺には笑えないよ。
「じゃあ、姪御さんは、ストーキングのことを親には言ってないんですか?」
「そこまでは分かりません」
それも分からない、アンノウン……か。
「でも、つけられてることをものすごく気にしてて、私に相談してきたんですよ。どうしたらいいのかって」
「繰り返しますが、姪御さんには誰かに付けられる心当たりが全くないってことなんですね?」
「ないと言ってます。自宅から通勤していますから、その経路を逸れてどこかに行くということはほとんどありません。伝書鳩、ですね」
「ふむ」
「出社先でのデスクワーク。休日や帰宅後は自宅でのんびり。外出して遊ぶということをほとんどしない子なので、異性との接点が極端に少ないんですよ」
「ちょっとひっきーっぽいような」
「近いかもしれません。あまり対人関係を上手に調整できる子ではないです。人疲れする……っていうか」
「なるほど」
「わたしが麻矢ちゃんをここに連れてくることは出来ると思いますが、ここで麻矢ちゃんが事実関係をうまく説明できるとは……」
ああ、それでか。
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