(5)

「真実……かあ」


 スプリングがぎしぎし姦しく軋む安物のベッドの上に、ごろんと転がって。俺はぼんやり天井を見つめていた。


 自分自身のことすらよく分からないのに、人様が隠してることなんかどうやっても分かりそうにない。俺のそういう感覚は、他の人達とそんなにズレてないと思う。だが、その見えないはずの真実を引っ張り出さなければならないのが調査員という仕事だ。

 真実は誰にも見えないんだから、全体のほんの一部から類推して、真実はこうでございますと適当なのをでっち上げるのは容易い。写真を撮ろうが行為をビデオで記録しようが、そこに残るのは行為の事実だけ。写真や動画に、そいつの心が映るわけじゃない。だから、行為だけを見て後付けの解釈を付けるのは誰にでも出来る。その誰にでも出来ることを、調査員だけはやっちゃいけない。ブンさんが俺に言いたかったのは、そういうことだと思う。


 俺もブンさんも神様や仏様ではない。悪いことをするやつ。人を踏み付けにするやつ。平気で嘘を吐いて騙そうとするやつ。そういう連中の首根っこを掴んで、罰したり改悛させたりは出来ない。てか、そもそも俺たちの商売はそういうのが目的じゃない。

 でも。だからこそ俺たちは、しょうもない連中の真意と真実をきっちり見通さなければならない。それは連中の悪事を暴くためじゃなく、真っ当に暮らしている俺たちや俺たちの関係者が、そいつらの巻き添えを食わないようにするためだ。


 闇の向こうを見ろ。そこに何があるかを面倒がらずにきちんと確かめろ! そうしないと次に活かせねえぞ! 善悪で割り切れないところに真実があり、それを探り出すのが調査だ。犯人逮捕で終わるデカとは違う。依頼完遂でハイ終わりじゃねえんだ! それが、調査員ていう仕事なんだよ!


 隠されているのは悪意だけじゃない。時には善意や愛情が潜んでいることもある。真っ黒けの向こう側にそれがあることを見逃せば、俺らの性根は犯罪者と同じように黒くなる。俺らの心の目が塞がり、矢をつがえて人に向けるようになる。絶対にそうなるな!


 それは。ブンさんの激烈な……ど突きだった。


 でも。ブンさんのど突きは、大きな矛盾を孕んでいた。そういうブンさんは、あのじいさんにも、じいさんが関わった店にも何もしていないじゃないか。ただ言いっ放しで放置したじゃないか。


「……」


 いや、それは調査業という職の限界なんだろう。調査業は慈善事業ではない。依頼を受けて調査し、報酬を受け取る商売だ。俺の行きつけのスーパーでのブンさんの判断。じいさんに説教だけで済ませたこと。そして、店への助言。あれは……ブンさんの精一杯のサービスだったと思う。立場上、責任を負いようがないから。


 俺は上体を起こして、激しく首を振った。割り切れない。ああ、割り切れない。全てが正義という天秤で真っ二つに振り分けられるのなら。どんなに楽だろう? どんなに安心出来るだろう? でも、世の中はそんなに単純には出来ていない。ブンさんが目に浮かべていた涙は、何かを悲しんでいるからじゃない。悔しいから……だ。真実を知っても何も出来ないことが。そして、それでも調査員という仕事を遂行しなければならないってことが。


「矢を折れ……か」


 俺にはとても出来そうにないよ。俺の持ってる矢を無闇に人に向けたくはないけど、でも折って捨てることも出来ない。そして矢は、ブンさんの中にもまだあるんだろう。刑事の時には、犯人を憎む気持ちで真っ直ぐに放つことが出来たブンさんの矢。でもブンさんは矢を折らずに、それを放つための弓を……刑事という職を折った。ブンさんが流した涙。あれは、自分の持っていた矢を不甲斐ない自分に突き立てた痛みの現れ。


「俺は、ブンさんみたいにはやれないな」


 人にも自分にも使えない、役立たずの矢を一本持って。途方に暮れた俺は、でかい溜息を連発した。


「はあああっ」



【第二話 矢 了】

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