(4)

 所に戻って。無事に一件落着となったことで機嫌を直すかと思ったブンさんは、余計に機嫌が悪くなった。イライラがひどい。


「ブンさん、何か気になるんですか?」

「ああ!」


 がん! デスクの足を蹴飛ばしたブンさんが、机の上に置いてあった新聞を引き裂いて、乱暴に丸めた。それを屑篭の中に叩き付ける。


「なあ、操」

「はい」

「えれえ残念なことなんだが、人間てぇのはプライドだけで生きてんだよ」

「そうなんすか?」

「誰かに死ねって言われて、おまえ死ぬか?」

「絶対ありえないっす」

「それもプライドさ。自分が自分であるために必要なもん。それはどんな形であってもプライドなんだよっ!」


 がんっ! ブンさんが蹴り飛ばした屑篭から、ばらばらっと紙くずが撒き散らかされた。


「俺はデカで長いことメシを食ってきた。今はデカでないって言っても、俺はその財産で食ってる。そいつは俺にとってのプライドだ」

「うす」

「おまえだってそうだ。どんなに自分が出来損ないだと思っていても、プライドがあるから仕事に食らい付く。俺に任せろ! ごしゃごしゃ言うなバカヤロウ! そういう気持ちがあるから、所長の無茶にも付き合ってんだろ?」

「……そうっすね。確かにそうです」

「俺やおまえのプライドは真っ当なんだよ。でも、善造のは違う。最初っから歪んでて、そいつは死ぬまで治らねえ」

「あっ!!」

「それが……とんでもなく厄介なんだよっ!」


 ブンさんの苛立ち、荒れ方ははんぱじゃなかった。最初に苛々していたのとは別のまで積み重なってしまって、出口も捌け口もない。そんな……絶望的な苛立ちのように見えた。


「ブンさん、それは、あのじいさんがまた何かやらかすってことすか?」

「当然だ。あいつは」


 ぎりぎりっ。ブンさんが、激しく歯を噛み鳴らした。


「二度と真人間には戻れねえ。あいつは……矢だ」

「……。矢……ですか」

「そうだ。あいつぁ、いつも矢を射かける相手を探してる。でも、よぼよぼのあいつにはもう引ける弓がねえんだよ」

「弓、すか」

「矢だけ手に持ってたって意味なんざねえよ。だが、あいつはまあだ弓を探してる。自分が使える弓をな」


 ブンさんが、何かを折るようなアクションをした。


「あいつぁ、さっき俺に現場ぁ押さえられて最後の弓を失った。でも、矢はまだ持ってるんだよ」

「じゃあ……」

「それぇ、また使おうとする。悪党ってのは、そういうもんなんだよ!」


 ブンさんが苛立っているのは、あのじいさんを気遣っているからだろうか? いや、俺にはとてもそうは思えなかった。悪党って言ったって、もうよぼよぼのじいさんが出来ることなんか、せいぜいさっきの止まりじゃん。捕まってしょっぴかれたって、微罪で罰金止まりだろ?


 うーん……。ブンさんは何にそんなに苛立っているんだろう? 何をそんなに気にしているんだろう? 気になって気になってしょうがなかったが、荒れ狂っているブンさんにはとても聞けなかった。俺は……顔を赤くして紙切れに当たり散らしているブンさんに触らないようにして。そっと談話室を離れた。


「矢……かあ」


◇ ◇ ◇


 所長とブンさんの不機嫌が収束しないまま、二日ほど過ぎて。俺はずっと抱えていた不安感を全く解消出来ないうちに、所長に呼ばれた。


「ああ、中村くん。話がある」

「なんすか?」

「次の案件、村田さんじゃなく、君がチーフをやってくれ」

「!!!」


 青天の霹靂だった。


「なっ! ど、どうしてすか!?」

「どうしてもこうしてもない。決定だ」


 所長が一度決定だと言ったことは、絶対にひっくり返せない。それは、俺が一番良く知っていた。


「依頼内容は明日説明する。短時間に調査を済ませる必要がある。覚悟してくれ」

「……。分かりました」


 俺は所長室を出たその足で、ブンさんのところに直行した。そうか。所長とブンさんの不機嫌。二人の間で、何か決定的な諍いが発生したからに違いない。そうでなきゃ、急ぎの案件なのにブンさんをチーフから外すなんてことが起こりうるわけがない。俺が部屋に駆け込んだ時。ブンさんは、新聞片手に目を真っ赤に泣き腫らしていた。


「ちょ……ブンさん! どうしたんすか!?」


 がさっ! 放り投げるようにして、その新聞が俺に押し付けられた。新聞の三面。短い事件記事を、ブンさんが赤鉛筆で丸く囲ってあった。それは、大通りに面した大型スーパーの鮮魚コーナーで発生した異物混入事件。異物は……針。俺が出くわしたのと同じ手口。そして、犯人はあのじいさんだった。


 その店は、俺が通っているようなちんけな安売り店じゃない。大型スーパーで、防犯体制もしっかりしている。客の苦情を受けて、防犯ビデオですぐ加害者のあたりを付け、現場に監視員を張り込ませていた。あのじいさんは、それでも性懲りなく同じことを堂々とやらかしたんだ。前と違っていたのは帰結だった。

 俺がやったという証拠があるのか。前のスーパーでもやった開き直りが、今度は通用しなかった。犯行の証拠を握られていたからではない。じいさんの図々しい態度に激昂した監視員に、殴り殺されてしまったからだ。


「な……」


 言葉が……出なかった。


「俺は、善造にどんなマエがあるのか知らねえ。それぇ知ったところでどうにもならねえのさ。俺だけじゃない。世間様は今しか。その場しか見ねえんだよ」

「……ええ」

「善造はいいさ。それがあいつの運命だ。報いだ。あいつは最後まで矢を使おうとした。それだけだ。最後まで矢を使えて本望だろう。だがな!」


 がんっ! 両手の拳を固く握り締め、それで机を思い切り叩いたブンさんが吠えた。


「じいさんに手を出した監視員は。あいつの毒矢で刺された監視員は、そうは行かねえんだよっ!」


 あっ!! 俺は……持っていた新聞を床に落として。その場にへたばってしまった。


「警察はな。しでかしたことを咎めることは出来る。だが、俺らの仕事はそこまでなんだよ。矢を折るってなあ、警察……いや警察だけじゃねえ、検察だって裁判所だって出来ねえのさ。人生曲げちまうやつ、それで曲げられちまったやつ。デカはそれをどうにも……出来ねえんだ。それが」

「はい」

「辛くてな。そいで、辞めたんだよ」


 ブンさんが、ごっつい拳でしきりに目を擦った。


「保護師や身請けしてくれる篤志家さんが、出所した連中の面倒見てくれるのは大事なことだと思うぜ。でも矢ぁ持ったままの連中は、どうしてもそれぇまたぶっぱなそうとしたがんのさ。俺らがその矢を折れねえ以上、俺は……矢ぁ当たんねえようにしてくれって、それしか言えねえ」


 そうか。刑事っていう商売じゃ、自分が知った事実は犯罪者を追い詰めることにしか使えない。自由に動けないんだ。

 民間の調査員なら、刑事よりはその縛りがずっと緩い。警告も情報提供も、『善意の範囲内』でもっと弾力的に出来るってことか……。でも、俺らの仕事は犯罪防止の啓蒙活動じゃない。依頼を受けて、いろいろと探りだすことだ。犯罪の片棒を担ぐことはないにしても、そこには善悪の感情は入らないと思うけど……。


 俺がじっと考え込んでると、目を赤く腫らしたブンさんが声を絞り出した。


「俺らの商売の中身はデカと対して変わらん。誰かが隠したい事実をえぐり出す。最後がタイホになるか、報告になるかの違いだけさ」

「……ええ」

「だから、俺らに求められる心構えも、デカと大して変わんねえんだよ」

「守秘義務が……ってことですか?」

「そんなくだらねえことじゃねえ!」

「う……」

「俺らの探る真実に、きれいなものなんか一つもねえよ。どこもかしこも真っ黒けだ」


 ああ……確かにそうだ。そうだよな。


「俺らは、どうしてもそっから目ぇ背けたくなるんだよ」

「あっ」

「そうすっとな。俺らも矢を持つことになる。こういう商売は、その危険性がうんとたけえんだよ!」

「ぐ……うう」

「真実は重くて真っ黒だ。だが、その重さ、黒さにおまえが耐えられそうにないなら」


 がっ! ブンさんが、俺の胸ぐらを掴んで大声でがなった。


「さっさと止めろっ!」


 ばん! 突き放されて、俺は床に転がった。


「いいかっ! 不幸の連鎖を防ぎてえなら、まずおまえの矢を折れっ! そうしねえと、人にはそう言えねえんだよっ!」



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