(2)

「なあ、操。おまえ、例の件で今日名古屋までつけてったんだろ?」

「ええ。それも珍しいっすよ。あのドケチの所長が、銭のことを考えずにケツ追えなんてね。その男の奥さんが、すげえ金持ちなんだろなあと思ったんすけど」

「男はクロか?」

「真っ黒っすよ。尾行の必要なんかないくらい、正々堂々ですわ」

「ふむ」

「社用なんざ三十分。あとは午前、午後で女代え、ホテル代えで連チャンですから。こっそりなんてもんじゃない。当てつけか、デモンストレーションすね」

「ちゃんと男が帰るまで追ったのか?」

「もちろんす。あ、でも帰りの新幹線は乗車までは確かめましたけど、俺は報告書書くのにその後のこだまでちんたら帰りました」

「ばっけやろおっ!」


 ばきっ! いきなりドタマを張り倒された。


「ってえ……」

「おまえも、肝心なところで詰めが甘え。そんなんじゃ、まだまだだ」

「え?」


 胸ぐらを掴まれて、ぎっちりねじ込まれた。


「いいかっ! 依頼は、誰からのどんなもんであっても必ずウラを取れっ! 俺らが犯罪の片棒担がされたら、それでおしめえなんだよっ!」

「あ……」

「クソがっ! いつもの浮気調査だって思い込んだ時点で、おまえにはそれ以外のものが見えなくなる。そんなんじゃ、他のド阿呆と同じじゃねえかっ! 三年も居て、そんなことも分からんのかっ!」

「す……んません」

「すんませんじゃ、すまねえぞっ!」


 どん! 胸を突かれて、思わず咳き込んだ。


「げほっ」

「ちっ! 所長もえげつねえ真似しやがってっ!」

「は?」

「おまえをダシに使ったのさ。おまえがつけた男は、おまえの存在に気付いてる」

「えっ? 俺は絶対そんなヘマは……」

「おまえはヘマしてねえよ。所長がこっそりその男に垂れ込んでるのさ。あんた、つけられてるぜってな」

「!!」


 そ、そんな……。


「いいか、操。俺たちは民間の調査員であって、サツじゃねえんだ。捜査権も何もねえ」

「そうすね」

「権限がねえ代わりに、サツならではの制約もねえんだ。だから、サツじゃ滅多に使えねえおとりが堂々と使えるってことなんだよ!」


 な!


「で、でも。俺を囮にしてどうしようっていうんすか? 俺はただ男をつけてるだけで、そいつとは何も接点がないんすけど」

「そいつに、つけられてるっていう事実を知らすだけで十分なのさ。おまえが誰かはどうでもいいんだ」

「は?」


 浮気調査じゃない? でも所長は、俺に浮気調査だってことを明言してた。じゃあ、所長が俺に本当の依頼内容を隠したってこと?


「あの、ブンさん。そいつに俺を意識させるってのは、どういう意味があるんですか?」

「ホシがやらかしてること。それぇとっくにバレてんだぜって、ホシに意識させるためだ。わざわざ遠出するってえことは、ホシの単独行動じゃねえ。裏で糸引いてる奴が出先に居んだよ」


 わ、わけが分からん。


「おまえは沖竹が最初の職だろ?」

「はい」

「それじゃ分かんねえか……」

「どういうことすか?」

「三十分で済むような用事で、わざわざ名古屋くんだりまで出張になんざ行かせねえよ。そんなら電話かメールで済む。よほど特殊な用事じゃなければな」

「てことは。ホシがごまかそうとしてる相手は、奥さんじゃなく……」

「そう。そいつの勤め先だ」

「横領……すか?」

「違う」

「どうしてすか?」

「そいつはヒラの営業だ。動かせるカネなんざねえよ」

「あ……」

「社内の誰かをたらし込んで横領するにしても、辻褄合わねえ銭カネのことはぎりぎりまで隠すだろよ。目立つデモンストレーションなんざ絶対にしねえ」

「そうか」

「そいつは、俺たちの存在に気付いて慌てて動いてんだよ」

「でも、それなら逆に大人しくするんじゃないすか?」

「そいつ主導ならな」

「あああっ!!」

「だから、おまえは甘いって言ってんだよっ!」


 ばきっ! 容赦なく頭をど突かれる。ううう……。


「そいつの行った先は支社か?」

「そうです」

「仕事の話はしてねえな。挨拶だけだ。それなら、向こうも突然来たそいつを怪しまねえ。短時間で終わるし」

「なんの……挨拶すか?」

「退職だよ」


 ブンさんは、忌々しそうにばんばんと新聞紙をカウンターに叩きつけた。


「おまえは、そこも甘い。今回の男の行動。それが社命か、自発行動か、そいつをきちんと確かめなかっただろが」


 く……そうだ。


「そいつは出張じゃなく、休暇を取って向こうに行ってる」

「確かめた……んすか?」

「たりめえだ。本社にかけて、そいつに用があるから繋げって言うだけで、休暇なのか正規の出張なのかくらいすぐに分かるだろが」

「そ……か」

「もっとドタマ使えっ!」

「うす」


 俺は所長からのオーダーだっていう時点で、もう裏取りをパスしちまった。でも、ブンさんは、きっちり依頼の中身と男の行動を精査してる。俺とは……調査の質が全然違う。自分のプロ意識の低さにがっくり来る。でもブンさんは、あの男がなぜ不自然な行動を取っているのか、その理由わけをまだ俺に教えてくれてない。そのくらい自力で気付けよって……ことか。


 俺は、箸でコップを小さくちんと叩いて。それから、飲み残しのビールの液面をじっと見つめた。よーく考えろ。


「ん……」


 所長が俺に命じたのは、通常の浮気調査だ。そして調査対象の男の密会は俺がこの目で確認した。男の行動は、『見かけ上』は間違いなく浮気そのもの。だが、それはカムフラージュということなのだろう。

 ブンさん情報によれば。男は会社を辞めようとしている。だけど退社の挨拶なんざ、普通は自分が在籍しているところにしかしないだろう。わざわざ休暇を取り、自費で遠い支社に挨拶に行くのは確かにおかしい。それに。家族に堂々と見せつけるような浮気であればわざわざ出張を装う必要はないし、もし家族に隠れてのこっそり浮気ならばあまりにも露出度が高過ぎる。浮気だとすれば、目的と行動が矛盾するんだ。つまり、浮気の線はない。


 ブンさんに指摘されるまで男の行動の違和感に気付けなかったのは、痛恨の極みだった。いや、反省は最後にすればいい。それより、男の行動目的を特定する方が先だ。


 浮気の線がないとすれば、支社への挨拶を言い訳や口実にする相手は誰かということになる。それは、これまで自分が勤務してきた社しかない。ほんの数分で済む挨拶のために時間とカネをかけてわざわざ遠出するのは、ものすごーく馬鹿げてる。でも、男に対する監視の目があれば別だ。男は監視者から漏れた情報が自分の首を締めることを知っていて、あえて支社に行くと言うアリバイを作ったということだ。

 だけど男の行動は、アリバイ作りにしてはあまりにもお粗末。同じ足で得体の知れない女とどこかにしけこめば、それも監視者に漏れる。支社に寄ってアリバイを作った意味なんか、何もなくなる。いかに休暇中とはいえ、ね。


「む……」


 そうか。見えてきたぞ。もう退職する男が監視を恐れるとすれば、何かしでかした責任を遡って追求されるから。そしてブンさんの示唆が当たってるとすれば。男がしでかした不正は金絡みではないけど、男が逃亡しなければならないほど深刻なことなんだろう。


 出張で名古屋に行き、そこで女と遊ぶ。そのパターンは今回が初めてではなく、これまでずっと繰り返されてきた。だが、これまでは女との絡みが家や会社にバレないよう、仕事が上がってからの密会だった。仕事が優先で、女と会うのはついでだ。でも今回は逆。支社に寄るのを言い訳にして、密会自体が目的になってる。しかも白昼堂々だ。つまり監視されていることを知った男が、急いで女に会おうとしてるってこと。だから、辻褄が合うように行動を取り繕う心理的余裕が全くなくなっている。


 男が何かやらかしたことは、勤めていた社にもう知られてる? いや……まだだろう。もし、社が男の行為を咎めるべく動いているなら、男の行動はとっくに制限されているはず。でも、そうなっていない。男は、事が露呈する前に慌ててとんずらしようとしていると考えるのが妥当だ。


 推論を整理しよう。男が不自然な理由を付けて名古屋に行くのは、誰かと会うため。これまでも浮気を疑われていたのなら、会う相手は女だ。その女の差し金で、男は社に対して何らかの不正を働いていた。そして、不正は金銭絡みではない。男の不正行為はまだ社にはバレていないが、露呈寸前になっている。男はそれがバレる前に社を辞め、どこかにとんずらしようとしている。なりふり構わず名古屋に出て来たということは、黒幕の女ととんずらの打ち合わせをするためだろう。


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