(3)

 所長は、そういう男の背景を最初から知っていた? いや、知っていたらそもそも所長は依頼を受けないだろう。本当の目的を明かさない依頼者は、俺たちが調査した結果をどう悪用するか分からないからだ。


 もし所長が、俺やブンさんをだまくらかして囮に使おうとしているのなら、もっと早くから周到に準備していただろう。でも、今回のオーダーは所長らしくない。やっつけ感全開で、どうにもばたばた慌ただしいんだ。名古屋出張の話もいきなりだったし、ブンさんや俺への説明もどこか中途半端だった。前々から男の行動を把握していて、それに合わせて尾行させたっていう感じじゃない。男の予想外の行動をどこかで知って、慌ててその裏取りを俺に命じたんじゃないか? そうなる要因。ブンさんが言ったことを考え合わせると、背景が見えてくる。所長の受けた依頼が、実は二重構造だったってことだ。


 最初は、金持ちのマダムがダンナの不審な行動を見張らせるという、どこにでもある浮気調査の依頼だった。所長は、裏を読まずにそのまま応諾した。でも、その依頼には実は裏目的がセットになっていた。俺への突然の名古屋出張命令は……所長がそいつに気付いたから。難題解決が売りとは言え、ヤバい依頼、クサい依頼には手を出さない用心深い所長が、まんまと裏目的の片棒を担がされてしまったってことだ。裏返せば、その依頼主は所長を嵌められるほど組織的でデカいってことになる。個人とか社のレベルじゃないな。そう考えると。所長は、本当の依頼を俺やブンさんに『隠した』んじゃない。それを『話せない』んだ。


 ダミーではない、本当の依頼主は誰か? 俺よりもずっと猜疑心の強い所長を完全に信用させるためには、そもそも依頼者に瑕があっちゃだめなんだ。だから依頼者の背後にデカい組織が居るって言っても、その影響がすぐ透けて見える暴力団とかではない。国の公的組織……司法関係だろう。警察? いや警察のスジだとすれば、いくら俺らで迂回させたとしてもおとり捜査だ。男の検挙後に万一にでも俺らの関与が割れれば、裁判に支障を来しかねない。そうじゃないな。じゃあ……。


 手にしていた箸を置いて、ふうっと息を抜く。すかさず、ブンさんのチェックが入った。


「操、分かったか?」

「男を張ってるのは、公安……すか?」


 ブンさんが、にっと笑った。


「上出来だ。所長のど阿呆が。依頼人が上玉だったから、裏を読まんかったんだろう。名探偵気取りできちんとドサ回りしねえから、そういうドジを踏むのさ。けっ!」

「ブンさんは、裏を取ったんすか?」

「当然だ。俺はなんか変だと思ったら徹底的に裏を取る。それがデカって奴の性なんだよ」


 すげえ……。


「どこで……分かったんすか?」

「依頼人の女さ」

「え?」

「あいつぁ、男の女房じゃねえよ」

「えええっ!?」


 ばしっ! 頭を張り倒される。


「うー」

「おまえもかっ! 論外だっ!」

「す、すんません……」

「それも所長の大ちょんぼだろうよ。女が持ってきた身分証明書類に『見かけ上』不備がなかったから、その裏を取らんかったんだろ。怠け者のぼけ野郎が!」


 所長をぼろっくそに罵るブンさん。俺も同調したいが、所長と同じヘマをやらかした時点でその資格はない。黙って頷くしかない。なぜ最後まで男をつけなかったのかっていうブンさんのどやしは、依頼者がダミーだってことに繋がってたんだ。俺は、ブンさんと所長と一緒に依頼主に会っている。俺が最後まで男をつけていれば、家に帰った男を出迎えた奥さんが依頼主と違うことにすぐ気付いたはず。く……男だけにしか意識が行ってなかった。大ちょんぼだ。


「でも、公安が動いてんなら、俺らの出る幕なんかないんじゃないすか?」

「あほう! だから言っただろが! 俺らは囮だって!」

「あ……」

「公安の連中は、男の裏にいる臭い奴らにメンが割れてんだよ。そいつらにすぐ悟られねえよう加減して男にプレッシャーかけんなら、そいつらが知らねえ駒を使うしかねえんだ」

「どうしてそんなめんどくさいこと……」

「男の勤務先がそいつの行動を怪しんで監視するってとこまでは、裏の連中には許容範囲なのさ。男の出し入れを工夫すりゃあいいことだからな。だが、公安が出て来るんじゃ相手が悪すぎる。公安が動いてるってことが知れた時点で裏の連中はさっと消えちまうから、公安はそいつらまで辿り着けねえのさ」

「あっ! そうか……」

「所長は警察、検察関係のOBじゃねえ。そっち系に強いコネがねえから、公安は所長を通じて他に情報が漏れる心配をしなくていい。計算尽くだ」

「え? ブンさんは? 元警察関係っすよね?」

「あいつら、俺と所長がワレてることまで調べ上げてんだよ。胸糞悪い!」


 そうか……嗅ぎ回るってことで行けば、向こうはプロ中のプロだ。ぞっと……する。


「俺らを使って陽動ってことは、俺がつけた男は公安に泳がされてるんですか?」

「そう。あいつは営業だ。技術屋じゃねえ。あいつが、社外秘の資料を持ち出すには、どうしても社内に協力者が必要なんだよ」

「あっ!」


 そうか! 産業スパイか!それも、国外移転が禁じられている機密技術の。じゃあ、男を操っている黒幕っていうのは……。ぶるっ。背筋に冷や汗が流れた。ブンさんが、ことも無げに説明を続ける。


「男の役目は、社の重要機密を直接持ち出すことじゃねえ。それに触れる技術屋を引っ張り出すことだ。男もしょせんパシリだってことさ」

「……じゃあ、本当の目的は」

「そうだ。その技術のやつを口説いて、機密資料込みで国外に連れ出そうとするはずさ。阿呆に図面は読めんからな。計画を操ってんのは諜報員の女だろよ」

「ああああっ! じゃ、じゃあ、あの午前、午後のってのは」

「いちゃついてんじゃねえんだよ。そのどっちかで打ち合わせをしてる。ラブホってのは、情事以外の密会が疑われにくい場所なのさ」

「そうっすね。うかつだった……」

「接触時間が短い方が本命だな。そうじゃないもう一方は、そいつへの褒美だろう。滞在時間が長い方は、後腐れのない水商売の女をあてがってるはずだ」

「げ……」

「ラブホから出て来た男の表情や態度をよおく見てりゃあ、裏の連中と男との間でどういうやり取りがあったか当たりが付くんだよ。だから、男の行動を最後まで見張れって言ったんだっ!」

「う……そうか」


 所長のへまどころじゃない。俺がきちんと基本通りの素行調査をこなしていれば、ブンさんにどやされる前に、依頼がおかしいことに気付けたはず……。甘ちゃんの自分自身にがっくり来る。俺がへたったことなんか見もせずに、ブンさんはがりがり説教を続けた。


「男の行為が公安に漏れたと分かった時点で、裏の連中は男を見捨ててすぐ撤退する。連中が男に直接手を下す必要はねえんだよ。おまえが勝手にやったこと、俺たちは一切知らんと突き放されたら、たらし込まれた男はそれで破滅さ。全責任を背負わされて犯罪者だ」

「ぐ……」

「公安は、使い捨ての雑魚には興味はねえ。あいつらが俺たちを囮に使ってるのは、黒幕をあぶり出すため。そして、現場にどんぴしゃりで踏み込めねえと、一網打尽なんざ出来ねえよ」

「じゃあ、所長が俺たちを呼んだのは……」

「本来なら、公安に協力して黒幕のあぶり出しを手伝えってことだろ。だが、もう意味はねえな」

「どしてすか?」

「おまえの存在を男に強く意識させた時点。つまり今日の時点で公安がもっと機敏に動かねえと、検挙は無理だ」

「そうか」

「所長も、えげつなく仕組まれた依頼に腹を立てたんだろよ。こんなやり方はねえだろってな。だから、あえておまえのことを男にタレ込んだ」

「あの……公安がそんなヘマを許すんすか?」

「ヘマじゃねえ。それも込みで公安が仕組んだんだよ」

「げえっ!! し、仕組んだ、すかっ?」

「そうさ。日本の先端工業技術を狙ってる連中なんざ、もううんざりするほど入り込んでんだよ。そこいら中にうようよいるんだよ」


 ブンさんが畳んであった経済新聞を指差した。そうか! それで、真剣に記事をチェックしてたんだ。


「そんなのを一々きいきい言って取り締まってたんじゃ、公安がいくつあったって足りゃあしねえ。産業機密よりも、軍事機密の方がはるかに重要度が高いからな」


 なるほど。


「公安としちゃあ、余所もんが余計なちょっかい出すんじゃねえって、向こうさんを国外退去させるのがいいとこよ」

「あ、それで」

「そう。男にくっ付いてる芋蔓の根っこが分かんねえと、そいつに嫌味をぶちかませねえ。黒幕あぶり出しの片棒を俺らに担がせた。それだけさ」


 強い不快感をぶちまけながら、ブンさんがまくしたてる。


「公安は、直接出て行く気なんざさらさらねえ。男に関係した人物の特定が出来ればそれでいいのさ。そして企みが漏れていることを男から聞かされれば、黒幕はすぐ撤退する。男は使い捨てだから、黒幕から見捨てられたら何も出来ん。社にはもう戻れんしな。それで一巻の終わりだ」

「じゃあ俺たちの明日の仕事って、本当は何なんすか?」

「表向きはその男の素行調査の続行だろうよ。だが……」


 ブンさんは手にしていた新聞を丸めると、ぐいっとねじった。


「その男。白か黒か」

「どう見ても真っ黒っすけど」

「まあな。でも、そういう意味じゃねえ」

「え?」

「機密情報を盗み出そうとしたっていうことで言やあ、クロだ」

「ええ」

「でも、浮気の事実はきちんと確認出来てねえ。シロ」

「あ……」

「訳の分からん女にあっさりたらし込まれてる。報酬が身体かカネかは知らんがな。その浅はかさは『クロ』うとじゃねえ、まるっきりのど『シロ』うと、だ。そして」

「はい」

「結末は、とんでもなく真っ黒になるだろうよ」


 ばさっ! ブンさんが、よれた財布から漱石さんを何枚か出してテーブルに置いた。


「おやっさん、済まんな。遅くまで」

「かまへんて」

「じゃあ、また明日」

「まいどっ!」

「操っ! 出るぞ!」

「あ、は、はいっ!」


◇ ◇ ◇


 店を出てすぐ。ブンさんにもう一度確かめた。


「ねえ、ブンさん。俺たちの明日の仕事って、本当に尾行っすか?」

「んなわけねえよ。全部失くした男の落とし前の付け方がシロかクロか。つけて、そいつを確かめろってことだろ」

「うーん、どういう意味があるのかよく分からんす」

「そいつは最悪の場合、自棄になって人混みで刃物ぉ振り回しかねん。オチが妥当なところに落ち着くか、それを監視しろってことよ」

「そっか。でも、妥当って……あるんすか?」

「まあな」


 ブンさんは、さっきねじった新聞紙をコンビニのダストボックスに放り込んだ。


「なあ、操。おまえがもしその男ならどうする?」

「う……」

「それまでの生活を全て失うんだ。職もカネも家庭も、何もかも一瞬でぱあ。しかもぶん投げたのは自分自身だ。退職も家庭放棄も自分で決めたこと。そして、その補償はどこにもねえ」

「そしたら……逃げるしかないっす」

「逃げる意味すらねえだろ。誰もそいつの悪事を責めねえんだぜ? 会社も家族もまだ何も知らねえんだ。でも、男は行動を起こしちまった。会社を辞め、家庭を捨て、そして黒幕から捨てられた」

「あ……」

「男は、どこにも戻れねえだけじゃねえ。もう行き場も逃げ場も……ねえんだよ」



 コンビニの前でぼんやり立ち尽くしていたら、突然俺の携帯が鳴った。メール? 所長からのメールだった。


『明日の早朝集合は取り止めになった。通常勤務でいい。村田さんにもそう伝えてくれ』


 それを、ブンさんに見せる。


「ふん。オチが付いたか」


 聞きたくなかった。でも、確かめざるを得なかった。


「どういうオチすか?」

「取りやめに『する』じゃなく、取りやめに『なった』って書いてあるだろ?」

「あ、はい」

「そういう、ことさ」



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