火葬船桟橋駅
伊東へいざん
第1話 十二段トンネル
過疎豪雪は老いる者に容赦なく絶望の矢を射る。女が子を産まなくなれば土地の歴史は滅びる。当たり前の話だ。民が勤勉でも無能な長が胡坐をかけば追従する者も胡坐をかき、侵略者にケツの穴まで吸い尽くされる。そんな地で生き残るには最早悟るしかない。秋田の山奥の、そのまた奥の森吉の山懐に限界集落が点在している。その中に奇跡の息を吹き返した村があった。
ここは火葬船桟橋のある村
善い人だけが暮らす村
悪い人が消える村
秋田新幹線こまちが走る。こまちは、東京~秋田間約620キロを東京から盛岡まで東北新幹線、盛岡から大曲まで田沢湖線、大曲から秋田まで奥羽本線という三線を経由して運行する特急列車の愛称である。東京から約3時間程の途中停車駅・角館から秋田内陸線が終点・鷹巣駅に伸びている。この単線列車は奥羽山脈の山間と田園の車窓を約2時間半程楽しむ事が出来る。
秋田内陸線は秋田内陸縦貫鉄道の経営による路線名であり、地元では通称「内陸線」と呼ばれている。内陸線は度重なる廃線の危機に瀕して来た。日本初の女性運転士が誕生した路線でもある。角館の町並みを過ぎて間もなく内陸線の車窓から自然が広がる。点在する木立には古い祠や鳥居が見え隠れし、歴史の片鱗を残しているが、それらを訪れる一般の観光客は皆無に等しい。
過疎の農村では若者だけでなく先祖の歴史を伝承できる老人も減少している。土地があっても耕す人がいなくなり、どこも廃村の危機にある。田園風景はそうした厳しい現実を全て包み込むように季節を映して広がっている。20分程すると最初のトンネルに差し掛かる。その後、トンネルと田園風景を繰り返し、次第に登り傾斜となって列車の唸りが増していく。奥羽の山間に差し掛かるに連れてトンネルをくぐる回数も増えて行く。列車がトンネルに吸われるたびに薄暗い車内灯が点き、がさつな揺れと気だるく反芻するガタゴト音が旅人に癒しを与える。やがて列車は戸沢駅を過ぎ、秋田県内で最長の鉄道トンネルといわれる5697メートルの十二段トンネルに入った。
このトンネルは国鉄時代の1978年に貫通した。その11年後の1989年に第三セクターに引き継がれて鷹巣-角館間が全線開通し、現在の内陸線として運行されている。このトンネルを挟んで東西には往来の難所といわれた二ヶ所の峠がある。東に十二段峠、西に
鬼ノ子川からその本流である阿仁川や米代川を往来する船が、鉱石と木材の唯一の輸送手段として重要な役割を果たしていた。その舟運に対し、阿仁街道は仙北から米や物資を運ぶ藩の重要な陸路だった。そして大覚野峠はその最大の難所であったため、やっと明治時代に入って道路整備が進み、天候に左右されるリスクの高い川船での運搬は次第にその姿を消していった。鉱山景気で戸数も激増し、バスや鉄道が走るようになった。
鉱山景気の歴史が草木に埋もれ、古の夢物語になり、その存在すら知らない世代となった現在、国道105号としてすっかり整備された歴史街道は、角館から北上し大覚野峠を越え、阿仁川沿いに鷹巣まで至る百余キロの道のりとなっている。
一方の十二段峠はトンネルの東側1キロ程の距離を仙北市の戸沢から北秋田市阿仁打当に向かって蛇行しながらではあるが、ほぼ並行に走っている。十二段トンネルは峠の名に由来し、命名にまつわる伝説も残っている。室町時代頃から発祥したとされる伝承ものや他国の情勢を語る
「ゆうべの祭文さんでねが? これからどこさ行ぐしか?」
「仙北の戸沢村に行こうかと思います」
「この峠を越えてだしか?」
「はい」
「それだば大変だしな。この険しい峠、前にも越えた事あるしか?」
「はい、何度か…」
「んだしか…オレも戸沢村に行くところなんで一緒に行ぐしか?」
「私と歩いていたら日が暮れてしまいます。どうぞ先に行って下さいな」
「んだしか…」
若者は迷ったが盲目の祭文語りの言葉どおりにも出来ず…
「したどもオレの背中におぶさてければオレも安心だがら…」
と、遠慮する祭文語りを軽々と背負い、峠に向かって獣道を歩き出した。祭文語りは途中、何度となく申し訳なさそうに「もうこの辺で…」というのを「もうすぐだから…」と言っては歩き続けた。
「こんなにして頂いても駄賃も払えません。お礼の代わりといってはなんですが、背中から一席祭文を語らせてもらっても宜しいでしょうか?」
「なんも気を使わねでけれ」
「聞いて頂ければ私も気が済みます」
「んだしか…ほんとはオレ、聞きてえんだ」
「では…」
祭文語りはほら貝を取り出した。ほら貝の響きは若者の背中から神仏の宿る峠にじんわりと滲み渡り、峠道は源平合戦の時代へと塗り変えられていった。
平氏追討の狼煙が上がり宇治川を挟んでの橋合戦に始まった戦いの終焉は長門国壇ノ浦の海戦に至り、義経の八艘飛びなどでいよいよクライマックスとなった。まだ八歳の安徳天皇は祖母にあたる
語りが終わって既に峠に辿り着いていた二人は暫く無言だった。祭文語りは我に返って…
「ありがとう…これで源平合戦十二段は終わりです。私はこんなに幸せな舞台は初めてです。本当にありがとう」
と涙ながらに礼を述べた。
「ええ話っこだな…」
「はい」
「ここで一休みするべ」
峠で一休みしたあと、若者は再び遠慮する祭文語りを背負い、戸沢村に向かって峠を下りた。村に着くと若者は親戚に祭文語りの宿を頼み、自分の用を足して再び峠を越えて打当村へと戻っていったという。この話は打当村の人たちに瞬く間に広がり、若者の善行を後世に伝えようと、その峠には祭文の語りからその名を取って「十二段峠」と名付けられたといわれている。
内陸線の車両がトンネルに入って数分ほどして、線路の先に一点の電球らしきあかりがポツンと浮かんだ。そのあかりはいっこうに近付く気配もなく、一箇所に留まっている。もしやと気付く頃、そのあかりは少しづつ平たいドーム形に膨らみながら、ゆっくりゆっくりと頭をもたげていった。長い闇から一気に視界が広がると眩しい山並みに囲まれた盆地が現れる。沿線には車窓からのいくつかの景観スポットがあるが、十二段トンネルを抜けて二つ先の奥阿仁駅を過ぎた辺りに架かる鬼ノ子鉄橋からの眺めが人気スポットのひとつである。観光シーズンには運転士が車両の速度を落として景観を楽しませてくれる。
眼下に阿仁川の分岐点の支流・鬼ノ子川を見下ろすと、いつの頃からか川には船が浮かぶようになっていた。今日も一艘の船が浮かんでいるが、かつてのように輸送のためのそれではないようだ。船の中央には長い煙突が立ち、薄っすらとした一筋の水煙が空に消えていく。鉄橋を過ぎると民家が徐々に増え、町並みが現れて急行「もりよし」は次の無人駅に向かって速度を落としていった。道の駅「あに」の最寄り駅、「鬼ノ子村」駅が見えて来た。
普段は閑散とした駅前だが、今日は何やら人だかりの一群があった。村人の遠巻きする中心には、地域おこしの一環でこの鬼ノ子村有志が結成した、ローカルヒーロー「
「ヒーローの名称はどういう謂れがありますか?」
「最初は “秋田内陸線隊アニアイザー”だったんです」
「多くのローカルヒーローがそうしているように、テレビ番組の戦隊ものにあやかったんですね」
「はい、ただ戦隊の戦は内陸線の線です」
「なるほど…いい名称だと思うんですがどうして “山刀霊神” に替えたんですか?」
「内陸線から “待った” が掛かったんです」
「“待った” が?」
「商標の関係で…」
「なるほど、残念でしたね、いい名称なのに…今の名称になったのは?」
「この土地のマタギの歴史です。マタギの猟師が愛用している
「アニアイザーは?」
「この阿仁地区を愛する一座ということで…」
「なるほど。メンバーはみなさん、地元の方々ですね。今ここにいる皆さんがそれぞれの役柄を受け持っているんですね」
「いえ、決まってはいません。出稼ぎや農作業があるので、一応青年団が中心になって、その都度手の空いてる者がということで…」
「今日はこれから夏祭りの稽古だそうですね」
「はい、今年からこのキャラクターを県北の農産物などのイメージにして、ブランド化を図りたいと思っています」
「キャラクターのそれぞれの名称を教えてください」
青年団・会長の松橋弘がそれぞれのメンバーを紹介すると、それまで無言だった地元記者の田中毅夫が質問してきた。
「今の五人のヒーローの中にあなたがいませんが、あなたは悪役ですか?」
「はい、私は悪の結社・ゾクギ団のリーダーです」
「ゾクギ団? ゾクギ団って族議員をもじったとか?」
「さあ、どうなんでしょう? “山刀霊神アニアイザー” は十三話完結の台本があるので、いずれ自主制作映画とかも作る予定です」
「悪役の兵隊とかは?」
「身の軽い高校生たちが受け持ってくれてますが、今の時間は授業中なもんで…」
「あなたの役名は何ですか?」
「ドケーン将軍です」
「土建屋からもじってます?」
「さあ、書いた人に聞かないと分かりませんね」
「誰が書いたんですか?」
「それが分からないんです」
「分からない?」
「匿名で送られて来ましたから…鬼ノ子村出身者としか分かりません」
「鬼ノ子村出身者なら心当たりがあるんじゃないですか?」
「まったくありませんね」
「そうですか…では、その送られてきたものを見せてもらえませんか?」
「自主制作映画の計画もありますので…申しわけありませんが…」
「映画制作のノウハウとかあるんですか?」
「高校生たちが詳しいようで、彼らが中心になって準備しています」
「制作予算とかはどうやって捻出するんですか?」
「映画制作会社とかプロの俳優さんに出演してもらうわけじゃないし、すべて村の住民で賄います。みんな手弁当で頑張ります」
弘が取り巻きの住民に大声で協力を求めると大きな拍手が沸いた。取材が済んだ。帰り支度の田中が呟いた。
「一発花火の頭しかない田舎者に何ができる…ローカルヒーローというよりチンドン屋のほうがまだマシじゃねえのか」
その田中の呟きを弘は聞き逃さなかった。
〈第2話「鬼ノ子村」につづく〉
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