風編みの歌2 理想の家庭

『空よ わたしは飛んでいく

 綿虫になって飛んでいく 』


 あれ? この声は……。

 懐かしい……。この声をまた聞けるなんて。


『十の年のお迎えに

 お船にのって飛んでいく』


 パッと目に浮かんできたのは。

 白装束の自分の姿。綿虫みたいな自分の姿。

 すぐ目の前には、黒い衣の人。

 ああ、この歌。もしかしたら、僕らのこと?

 きっとそうだ。十の年のお迎えって、きっとそうだ。

 テレイス。テレイス。

 会いたい……。



 心地よい朝日に頬をくすぐられ、まぶたが開いた。

 寝台がいくつも並ぶ共同部屋には、もうほとんど弟子の姿がない。あわてて起き上がり、蒼き衣に袖を通す。まさか、寝坊するなんて。

 跳ね起きて顔を洗おうと手洗い場に走ったら。黒肌のラウが鼻歌を歌いながら、ヤシ油で髪を固めていた。彼女はいつも身だしなみに非常に気を使っている。サトウブナのシロップをひそかに唇につけてるぐらい。口づけが甘くなるとかなんとかいわれてる媚薬だ。実家の家族からこっそり送ってもらってるらしい。

 でもこの寺院では、誰かに心ときめかせても、抱きしめあうことさえ……。

――「ラウまだか? そんなに熱心に身繕いしたって、無駄だぞ?」

 そばで待っている金髪のレストが、まさに僕が今思ったことを言ってからかう。するとラウは真面目な顔で答えた。

「無駄じゃないわ。プレーミーはいつも私のそばにいる。この心の中に」

「プレーミー?」

「恋人って意味。私にはマンゲタラがいたって、前に話したでしょ?」

「マ……?」

「ああ、婚約者って意味」

 たちまちレストはふくれっ面。ラウの婚約者に嫉妬してるのがありあり。素直じゃないんだよな。レストは口では言いたい放題だけど、ラウのことはずっとつるんでるだけあって、まんざらじゃないっぽい。

 ラウは時折、故郷の南方語を混ぜ込んで話す。それは大抵、言葉にすると恥ずかしいことや、誰かに悪口を言う時だ。

「ヨー・キー・タラフ」

 さて、今のはどういう意味なんだか。ラウとレストが手洗い場を出て行くのとほぼ入れ替わりに。

「アスワド、急がないと魚獲りに遅れるよ」 

 寝坊した僕を心配して、赤毛のトルが呼びに来た。

「君がなかなか起きないなんてめずらしいね」

 差し出されたのは顔拭き用の木綿布。

「ごめん、ありがと」

 トルはもと王子とは思えないほどよく気がつく。もしかすると、父親が王位を奪われたあと、かなり苦労したのかもしれない。

「我が師を起こしてくる!」

「ああ、アスパシオン様なら」

 トルは焦って回廊を駆けだそうとする僕を呼び止めた。

「さっき回廊をお通りになっていったよ。弟子はまだ寝てるのかって文句いってたけどね」

 うわ。あとですねられて怒られそう。でもひとりで起きてくれて助かった。

 トルと連れ立って船着場で魚獲りをして、それからいつものように鐘の音を聞きながら、師の出迎えをしにいくと。

 風編みの歌が唄い終わっていっとう始めに最長老様が降りてこられ、僕の方へまっすぐ接近。

 え。まさか。今日は遅刻してないよね? 今日の風編みの歌もひとりだけ枝葉が分かれて、もう一本の幹になりかけてたはいたけど。

「アスパシオンの。今宵、そなたの師を討論会に召還する」

 最長老さまは深いため息混じり。

「絶対に欠席せぬよう、そして時間に遅れぬよう、師を討論室によこすように」

 最近は最長老さまも解ってきて、のらりくらり馬耳東風の我が師に直接言うのはきっぱりあきらめたらしい。

「分かりました。必ず師を出席させます。それで、今宵の討論会のお題はなんですか?」

「うむ。今宵議題とするのは『俗世間一般の家庭』についてだ。夜までたっぷり時間がある。きちんと勉強させて、討論室によこすのだぞ」

「はい、わかりました」





 岩をくりぬいて作られた部屋の奥にある、簡素な寝台。その上で、黒き衣をまとった我が師がごーろごろ。昼下がりということで惰眠をむさぼりたいご様子。

 午後は瞑想の時間のはずだけど、本日もいつものごとくサボることに決めたらしい。当番仕事で回廊掃除をし終えてきた僕は、ため息とともに師の部屋に進入した。

 午前中いっぱい我が師に警戒され、なんやかんやと話を反らされごまかされてきたけれど。そろそろ、覚悟を決めてもらわなければ。

「お師匠様、『家庭』なんて、そんなに難しい主題じゃないでしょう?」

 寝転がったままウヘァと顔をひきつらせる我が師。

「それ無理だって。およそ俺らには縁のない話だろ」

 ですよねえ……。

 ここは人里はなれたド辺境の寺院。年に一度、夏至の日に五、六人捧げ子が寺院にやってくる。男女ともいるけど、炎の聖印でがっちり貞操が守られてる。しかも男八割女二割。頭のてっぺんが円はげなお兄さんとか、髭のむさーいおじさんとか、よぼよぼ白髪のおじいさんとか、男密度が異様に高い。

 「一生寺院にこもって、およそ家庭なんて持てない奴ばっかりなんだから、そのお題、マジで無理。討論中ブドウ酒おかわり自由とか言われても、無理。つうか、こっわい最長老の前で討論とか、なにそれどんな拷問なの? 出たくねえええ! 呪い殺されるううう」

 我が師、頭を抱えて悶絶。

 さもあらん。

 寺院の討論会は、最長老さま主催で週末に一度開かれるもの。 導師様方が序列順に順繰りに、七人ずつ出席することになってる。出席者は己の持てる知識を総動員して、主題について議論を戦わせなければならないらしい。夕餉の後の七の刻から、日付が変わるまで。えんえんと。

「でも出席しないと面倒ですよ。最長老様は怖い方ですからね。怒られるだけじゃ済みません」

「先週のお題の『服飾』だったら、なんとかなったのに」

「なぜですか?」

「『大陸ファッション誌』、盗み読みしたからさぁ」

「ちょ……盗み読み? なんですかそれ」

「デブのデクリオンがかわやに置き忘れていったのをちろっと見たんだ。厠で雑誌読むのってなんか不思議とリラックスできるよなあ」

「はあ、まあ、そうですね」

「その雑誌にさ、美少女特集載ってたんだよ。めっさおもしろかった」

「はあ。びしょーじょですかー」

 僕が棒読みで返すと、我が師は寝台から半身を起こし、頬をほんのり赤らめて、うっとりしながらのたもうた。

「各国の太陽神殿少女合唱団の制服の比較記事だったんだけどさ、地元のエティア王国のが一番ださいんだよな。スメルニアは雅で着物の柄もすごく繊細でいい感じ。でも一番よかったのは南王国のだな。ヘソ見えてて、ミニスカートで、露出度超高くってさー。弟子に着せたいこれ! って俺思っちゃったよ。あれ着たら、絶対かわいいぞ!」

「なんで僕が着ないといけないんですか」

「弟子、かわいい顔してるじゃん。歌もうまいし、俗世にいたら絶対少女合唱団に入れるわ」

 僕、もう声変わりしてるんだけど。お師匠様。

「デブのデクリオンに感謝だな。超眼福だったわぁ」

 このクソオヤジ……毎度のことながら、本当に救いようがない。人様のものを盗み見るなんて。しかも大衆誌とか。やばいってそれは。

 黒き衣のデクリオン様は、とかく俗世のことを研究するのがお好きな方。ひがな一日「大陸ファッション誌」とか「帝国騎士日報」とか「流行歌手名鑑」などという雑誌を読みふけっておられる。研究目的であると真顔で主張なさるので、長老様方はデクリオン様が大衆紙を定期購読することを、しぶしぶお認めになっている。

 そう、いわゆる、特例。

「お師匠さま、それでは寺院に来る前の、ご自身の家庭のことを叙述なされては?」

 討論会のことに話を戻すと。煩悩の塊の人は、とたんに真っ暗どん底な顔になった。

「思い出したくない……」

 あ。もしかして地雷踏んだかも。

「俺の家はスキマ風だらけで寒くてさぁ……いっつも家族はケンカばっかり。妹は借金のかたにどっかに売られちまったし。オヤジは飲んだくれで母ちゃんは外に男作るし、弟は病気で死ぬし……あああ、無理。この寺院に来て、ペペに出会うまでほんとひどいもんだったよ」

 うわ……貧乏家庭自慢大会とかだったら、ぶっちぎりで優勝できそうな感じ。

「ペペはほんと、かわいかったんだよなぁ。冬に抱っこして寝たら、湯たんぽになったしさぁ」

 指をわきゅわきゅ動かして、ほわほわのウサギを撫で愛でる仕種をなさるお師匠様。ひい。なぜかこれ以上根掘り葉掘り聞いてはいけないような気がびんびんする。話の腰をベキッと折ろう。

「それでは!ご自分が導師ではなく俗世の人間であると仮定しまして、『もし結婚して家庭を持つとしたらこうであるのが理想である』、というお話をなさってはいかがでしょう!」

「けっこん……だと?」

「大陸の!理想の!家庭像というものをですね!カイヤールの倫理学を引用し、レニスラフの修辞学を駆使してですね、かくあるべし!とご提示なさっては?」

「結婚というものは。好きなやつとする。それがいちばんだろう」

 ですよねえ。

 僕もそう思う。……って、いきなり寝台から降りて、ずいっと目の前にせまらないで欲しいんだけど。

「ぼ、僕、男……ですよ? お師匠さま」

「相手はごっついカワイイやつ。それがいちばんだろう」

 ですよねえ。

 僕もそう思う。……って、ひしっと手を握らないで欲しいんだけど。

「だから僕、男ですってば。お師匠さま」

「つまり。好きでカワイイやつと家庭をもつ。それがいちばんだろう!」

 ですよねえ。

 僕も激しくそう思う。カワイイ女の子と結婚とか、もう最高。まさにこの世の真理。

 ……って、なぜそこで、恋しくってせつなくって口をへの字に曲げた顔をしてくるわけ?

「お師匠様、何度言っても解らないようですけど、僕は――」

「なんで……」

 あ。ちょっと待て。なんだか、ものすごくいやな予感が。

「なんで……」

 うわ。今にも泣きそう。ってことは……。

「なんで、ウサギと人間は結婚できないんだぁああ! 教えてくれえええ、弟子いいいい!」

「……」

 やっぱり。

 必ずウサギにいきつくんだ、この人……。

 変な勘違いして……めちゃくちゃバカみたいだ、僕。でもなんだか、今とってもホッとした。すごくホッとした。

「あの。それ訴えればいいんじゃないですか? 最長老さまとかが、その悩みに答えてくれるかもしれませんよ。あ、そろそろ夕の風編みのお時間ですね」

 ぐいとお師匠様の顔を両手で押し返して、僕は棚の時計を指さした。

「ほら五の刻ですよ。とっとと石舞台に行って下さい」

 風編みは、朝と夕の二回行わなければならない。半日も経つと、魔法の力が薄れてしまうからだ。

 永遠なるものなど、この世には存在しない――。





 夕の風編みに続いて夕餉を終えたあと。僕は嫌がる我が師の背をずんずん押して、なんとか討論室に押し込むことに成功。とりあえず最長老さまに命じられたことを果たせてホッとした。

 最長老さまを本気で怒らせると、実はかなり怖いことになる。恐ろしきかな、情け容赦ない呪いが飛んでくる。なにせここは、黒き衣の導師の寺院。呪殺なんぞお手のもの、恐ろしき黒の技を息をするように行使する、道師たちの暮らす場所なのだから。

 かわいい女の子と結婚して家庭をもって。子供をもつ。

 そんな普通の夢が僕にも昔あったけど。今はもう、決して叶わぬ夢。

 討論会が終わったら、我が師は場所など関係なしに愚痴りに来るだろう。我が師の部屋で帰りを待つことにするか。みんなが寝ている共同部屋でガアガアやられたら、たまったもんじゃない。でも我が師の部屋には寝台と椅子とテーブルしかないんだよね。

 本でも借りて読んでいようと、僕は図書室に入った。夜の図書室は真っ暗で不気味。カンテラを持ってくればよかったと後悔しつつ本棚の奥に進むと。

「どうも、はっきりせぬ」

 ヒソヒソと、誰かの話し声が。

「また同じ出目だ」

 あ……。トルの師匠のバルバトス様?

「これほどやってもどちらにも振れぬとは、面妖ですね」

 冷ややかな声も聞こえる。この声の主は、ヒアキントス様か。またこの二人? そしてまた……サイコロの出目の話?

「では、別の方法を試してみられますか? 丁か半か、答えがそれしか出ぬものを」

「うむ。頼む」

「御意に」

 僕は息をひそめ、二人が暗闇の奥からすうと動いて出て行くのを待った。それから少し間を置いて、警戒しながら図書室から退出。なんだか、お二人に気づかれてはいけないような気がしたからだ。

 ドキドキして題名をよく見もせずに抜き出してきた本を抱きしめて、僕は我が師の部屋へと足早に、でも足音をしのんで行った。

 部屋の灯り壷をひとつだけ点けて、本をめくると。現れたのは、きれいな姫君の挿絵。

「あ。これ、古代童話集……?」

 挿絵の姫は十歳ぐらいの容姿。たちどころに幼馴染のテレイスを思い出してしまった。

 いまや彼女は、年頃の少女。もしかしたら、もう誰かと結婚してるかも……。

 う。なんだか胸のあたりがしくしく痛い。

 テレイス。テレイス……。

 踊る風。風に揺れる黄金の穂。降りしきる白綿蟲。

 テレイス。テレイス……。

 元気だろうか。

 会いたい……。 





――「ただいま弟子ー!」

 砂の時計が十二の刻をさした頃。

 うとうとしていた僕は、部屋に帰って来た我が師に起こされた。なんだかひどく上機嫌だなぁ。もしかして……討論会は、大成功だったとか? どすんと寝台に腰を下ろした我が師は大興奮。弾丸のように喋りだした。

「弟子、あのさ、俺がどうして人間はウサギと家庭を持てないのかってみんなに相談したらさ、もうめちゃめちゃ盛り上がっちゃって! 倫理的にはどうだとか、哲学的にはどうだとか、なんかもううんちくたらたらすごいのよ。人間と獣の掛け合わせは可能かとか、亜人族の祖先はトカゲかトリかとか、話が科学的なことにまで飛んじまってさぁ、もう議論白熱。話題提起した俺、みんなからすっごく褒められた!」

「よかったですねえ」

 僕はあくびをしながら頭をこっくりこっくり。ああ、とても眠い……





「お疲れ様でした。それじゃ僕、共同部屋に戻って寝ますね。おやすみなさい……」

 目をこすりながら師の部屋を退出。背後から師がなにか仰ってきたけど、半分寝ぼけている僕は何を言われたかよくわからず。共同部屋の自分の寝台にもぐりこんだとたん、夢に落ちた――。





 踊る風。

 風に揺れる黄金の穂を背に、年頃のかわいい少女が、にこやかに笑ってる。


『ぺぺ』

 ちょっと首をかしげ、はにかんで。

『ペペ、愛してるわ。ほら、お夕飯よ。大好きでしょう?』

 そのまっ白な両腕に。山盛りいっぱいのニンジンの籠を抱えて。

 ニンジン……ニンジン。

 ああ……。

 たしかに、大好きだったかも……?

 僕は籠に手を伸ばして、ニンジンをむしゃむしゃ。

 かわいい少女とにっこり笑い合いながら、むしゃむしゃ。

 なんだか幸せな気分でいっぱいだった。

『ぺぺ、もっと食べて』

 少女は 次から次へとニンジンを差し出してくる。

 いや、もうそんなに食べられないよ。そうことわったら……

『大好きよ』

 ぎゅう、と抱きしめられた。

 あれ?

 テレイスの髪ってこんな色、だっけ? 燃えるような紅の……

『アスワド』

 いつのまにか少女はトルになっていて。

『アスワド』

 そしてトルは、僕に囁いた。


『大好きだ』 

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