終歌2 虹色の玉
おかえりぺぺ……?
ペペ……
そうだ、僕は……!
白い髭をたらした黒衣の人に名を呼ばれて、僕はようやく思い出した。
自分が今は何者で、どうなってしまったのかを。
僕は人間に生まれ変わり。ハヤトの弟子になり。
危機に陥ったハヤトを助けるために、ウサギに戻って。
黒い闇の槍の前に飛び出して――。
「胸を……突かれた……」
『なんでやねん!……こんな感じでいいのか?』
僕の目の前に、ウサギの時の記憶がふわりと映る。
『どう? ハヤト。こんなんでいいの? 漫才のツッコミってむずかしいな』
『うまいうまい。えへへ。ぺぺの「なんでやねん」はさー、なんていうかさー、俺への愛に満ちあふれてるっていうかさー、ハヤトかわいい愛してるっていうかさあ、そんな感じだよなー』
『はあ?!』
『愛の告白! なーんちゃって』
『なんでやねん!』
『ふぐっ!』
さっきから現れては消える記憶。
これって要するに、人が死ぬ直前によく見るっていう……
走馬灯のように浮かぶ思い出ってやつ?
前世の記憶だってのに、こんなにはっきり出てくるなんて。
つまり僕は……
「死にかけ……てる?」
僕はおろおろと、一面に広がる広大な白雲の波を見渡した。
ここはどう見ても、ついさっきまでいた水上の都の庁舎ではなく。
白くて輝いていて、暖かいところだ。
ふわふわの白い雲間。
雲の上に黒衣の人が座っている。
その人が、うろたえる僕に深くうなずいてくる。
「そうじゃよ。ここは天と地のはざま。死した魂が集う場所じゃ。ぺぺよ、久しぶりじゃのう。人間の人生はどうだったかね? 楽しかったかね?」
白い髭の黒衣の人はわっせわっせと白い雲を練り上げ、もこもこの丸い台座を作りあげた。
見ればふだんから雲の形を変えて、いろいろな家具を作っているようだ。
椅子やテーブル、食器のようなものまで器用に作りこまれている。
「ほれ、模様替えしてやったぞ。ここにおいで」
くいくいと手招きされたので驚きおののく僕が近づいてみると。とても暖かい手が触れてきた。
そこでようやく、僕はおのれの姿が光の玉になっていることに気づいた。
これが真の魂の様相? なんとも形容しがたい色の玉だ。赤も青も黄色も緑も混じっていて、虹色としか言い表しようがない。
丸い雲の台座にすっぽりはまった僕の向かいに、黒衣の人は自分も切り株のような形の雲の椅子を作って座った。
「さてペペよ、そろそろ、わしのところに戻るかね?」
「いやです!」
僕は反射的に答えた。そしてはっきり思い出す。
目の前の黒衣の人は、まごうことなく前世の僕を――すなわちウサギのペペを生み出した人だということを。そして僕は前にも一度確かにここに来て、この人に今と全く同じことを聞かれて、全く同じように答えたことを。
雲の上に座るその人――
僕の創造主にして前最長老カラウカス様は、ばつが悪そうに頭をかいた。
「しかしのう、心配でたまらんのじゃわ。おまえさんは我が魂を分けて練りあげた人工魂じゃからなぁ。できれば我が魂に戻してから生まれ変わりたいんじゃ。おまえさん、ほんとにわしのところに戻る気は……」
「ありません!」
「じゃろうなぁ。他のみんなも自我を持ってしまって、おまえさんと同様好き勝手しとる。となればちゃんと普通の魂と同じように輪廻転生を繰り返してくれるのかどうか見届けるのが、わしの務めのような気がしてのう。それでここにしばし腰をおろしておるわけじゃ。つまりわしはおのれの使い魔の創造主として、非常にセキニンを感じとるんじゃ」
「みんなって……」
「アルティメットギルガメッシュニルニルヴァーナや、ブーレイブーレインデードーとか、潮丸一号二号三号とかじゃ。みんなおまえさんとおなじ、わしから生まれたものたちじゃよ」
「あなたから?」
あ。ああ、そうだ。
ウサギだった僕の体は、ホムンクルス法で作られた。
そしてその魂は――
「しかしカメは万年生きるでな、いまだここには来ておらん。カナリアだったやつはここに来て渡り鳥に生まれ変わったが、ついこの前またやってきて、今度はペンギンになったわ。小魚どももやってきてな、極地でクジラの仔になっとる。みんな、しごく順調じゃ」
兄弟子様のカメも。カナリアも。みんな、僕と同じ方法で作られた。
体は、瓶の中で培養され。
そしてその魂は――
「なあぺぺよ、人間になって楽しかったかね?」
にっこり顔のカラウカス様が、きらきら虹色に輝く。
僕と同じ色合いだ。
なぜならその魂は、僕と同じもの。
僕は。カメは。カナリアは。この人から、魂を分けられた存在――
「は、はい。楽しかったというか、ちゃんとハヤトに会えました。それはよかったと思います」
「転生先を自分で決めることは不可能と思っとったが。おまえさんを見てると、相当強く念じれば、望みのものになれるのかもしれんなぁ。おまえさんはちゃんと人間になれたし、カナリアも鳥が好きらしくて、鳥類にばっかり生まれかわっとる。ペペよ、おぬしは今度は何に生まれ変わるのかのう。楽しみじゃ」
「こ、今度はって……僕はここに来るなんて、全然思ってなくて……」
「しかしここに来たということは、そういうことじゃよ。今生は終わり。次にいく時が来たのじゃ」
僕は動揺した。冗談じゃない。
僕はハヤトを救えたんだろうか? トルはどうなった? 影を放ってきたシドニウス様は退けられたのか?
何も分からない。何も、解決していない。
それに僕が死んだら、我が師は……。
「僕は、今すぐ戻らないと! ハヤトのもとに戻らないと!」
「おやおや。そんなにあの子のそばにいたいとは」
「だってあの人、まだひとりで靴紐結べないんですよ?!」
もうあれはいい大人じゃよ、と僕の創造主が言った。もう親がいなくても大丈夫だと。
十年間、面倒を見る人がいなくてもいけたのだから、そんなに心配する必要はないと。
「ごらん、輪廻の流れがちょうど見えとるぞ」
僕の創造主が天を指さす。雲の合間に漆黒の天が見える。
藍色の空のまんなかに、とても太い光の大河が流れている。よく見ればそれは、おびただしい数の光の玉のようなものが集まってできている。
なんて美しいんだろう……。
あれは、魂の流れ。光の玉ひとつひとつが魂で、天のきわみに寄り集まっている。
輝く魂たちは自然にできている光の流れに乗って、ゆったりと運ばれていくのだ。
次に生まれるところへ。
「いやだ……」
僕は首を振った。
「いやです。まだ行けません。僕はハヤトのところへ戻りたいんです」
「どうしてそんなにこだわるのかね?」
「だ、だってあの人は……その……」
生まれたばかりの。
ウサギの僕がいちばん初めに見たものは。
黒い髪の、男の子――。
「ぺぺよ、どんな理由があろうが輪廻の流れには抗えんぞ?」
気恥ずかしくて口ごもる僕を、創造主は優しい同情のまなざしで見つめてきた。
「わしみたいに雲に錨を打って、ここに居残ることすらできんだろう。素のままの姿で、人の形をとることもできぬのだから。ほれ、お迎えがきたぞ」
「あっ……!?」
雲がさっと開けて、漆黒の天が頭上いっぱいに広がってきた。
とたんに光の玉の僕は、雲の台座からふわりと浮きあがった。
「か、カラウカス様! た、助けてください」
「すまんのうペペ。わしの力では、おまえさんを大地へ戻すことはできん」
「そ、そんな! 助けてください! ハヤトのところに戻して下さいっ」
「無理じゃというに。わしは万能じゃないんじゃ。分身のおまえさんらを、見守ることしかできん」
「いやです!」
「達者でのうー」
「いやですってばー!」
僕の創造主が手をひらひら振ってくる。
僕はどんどんどんどん、光の流れの中へと押し上げられていった。
なすすべもなく。
見えない何かの力によって、僕はあっという間に光の大河へ引き寄せられた。
すでに白い雲間ははるか眼下。手を振るカラウカス様は豆粒のよう。
あたりを見渡すと、僕だけではなく実にたくさんの光の玉が雲間から浮かび上がっている。
紅いもの。蒼いもの。銀色のもの。色はそれぞれ様々。みんなこの数時間のうちに亡くなった生き物たちの魂なんだろう。
なんとおびただしい数なのか。
動物だけではない。きっと植物のものもあるはずだ。
魂たちは星空よりも密度の濃い光の渦をなし、大きな流れへと一斉に向かっている。
まずい。
空の高みのあの魂の流れに乗ってしまったら、僕は完全に「人間のペペ」ではなくなってしまう――!
僕は必死に抗った。なんとかして下へいこうとした。
しかしおのが意志に反して、漆黒の天を流れる光の大河は、どんどんどんどん目の前に近づいてくるばかり。
その時フッと。
抗う僕のそばを、とてつもなく冥い玉がかすめていった。
それはとても熱くて、おどろおどろろしい怒りと驚きに満ち満ちていた。
『なんだあれは――なんだあれは――』
この思念は……
『信じられぬ――なんだあれは!!』
二位のシドニウスさま!?
『たすけて!』
『ああ、俺は死んだのか……馬鹿な……!』
『光が……光が!』
哀しい叫びや泣き声が複数聞こえてくる。冥い玉を追っていくように、いくつかの光の玉――だれかの魂がついていく。
シドニウス様が、倒された?!
驚いて見下ろせば。白い雲間の隙間から、はるか下界が見えた。
かいま見えるのは、水上の都の光景。
まばゆい光が、庁舎前の広場に満ち満ちている。
なんてまぶしい……この光は一体?
もしかして、だれかが魔力を爆発させた?
これだけの威力を秘めている人といえば。兄弟子さまか。それとも……
「ハヤト?!」
まさか、暴走してる?
その原因は、もしかして。もしかして……
「僕のせいか?! だ……だめだ! また先立ったら、ハヤトはもう絶対笑わなくなる! だめだ、そんなの!」
光の玉の僕にはもう涙は流せない。でももしまだ目があったなら、僕はすすり泣いて涙をぼろぼろこぼしただろう。
「いやだハヤト! ハヤト! ハヤト! ごめん!」
せっかく人間に生まれ変わって、あの人のところに戻ったのに!
このままではあの人をまた、ひどく悲しませることに……
いや、きっともう悲しませてるんだ。
「ハヤト! ハヤト!」
我が身がついに光の大河に呑まれるというその瞬間――。
雲の上にいるカラウカス様が、驚いて飛びのくのが見えた。
僕も驚いた。
はるか下界の庁舎から、光の玉がぎゅんと飛びだしてきて。
ものすごい勢いで雲を割ってきた。
流星のごとくまっすぐこちらに向かってくる。
赤色のような、緑のような、青のような黄色のような、なんとも形容しがたい色の玉。
虹色の、だれかの魂だ。うっすら人の形をとっていて、髪の長い人なのだとわかる。
銀色の髪。輝く紫の瞳。
虹色の光の中で、その美しい女神のような姿が、みるみる変わった。
黒い髪の。
よく知っている人の姿に。
『ぺぺ!!!!』
僕はその人に突撃され、がっちりと抱きしめられた。
『ぺぺ! 見つけた!! まにあった!!』
まさか。
まさか。
まさか――。
「ハヤト!!」
うそ……
我が師が、飛んできた?!
『帰れ! 地上に帰れ! 死なせない。死なせないからな!』
うっすら我が師の形をとる虹色の玉は、ゆらめく光の両腕で僕を包み込んだ。
暖かい空気で全身を覆われる感覚が襲ってくる。
しかしそれは一瞬のことで、その光の人は僕をパッと放した。
『ぺぺ、ごめんな。痛かったろ? ほんとごめんな』
「ま、待って! なにを!?」
『これからエリクの言うことをよく聞くんだぞ。わかったな』
「まって! お師匠さま! は、ハヤト! いやだハヤト! なにするつもり?!」
『心配すんな。秘技っ!
「ハヤ……!」
輝く虹色の人は優雅に一回転して、思いっきり僕を蹴り落とした。
まるで蹴鞠のボールを蹴るように。
はるか、下界へ向かって。
「ハヤトおおおお!」
僕はすさまじい速さで下へ下へと落ちていった。
おそろしい勢いでぐるぐるぐるぐる回転して、落ちていった。
目が回った。
あまりの回転の速さに気が遠のき、ただただ、落ちる感覚だけがしていた。
落ちて。落ちて。落ちて――。
永遠に落ち続けるのかと思われたとき。
すとんと、どこかに収まった。
「う……」
ずっしりした体の感覚。ずきずき痛む頭。鉛のような手足。
そして。あたりに降りている、とても濃い魔法の気配。
空気がとても煙たい。何か香のようなものを焚きしめているような。
果実のような。とても甘ったるい匂いが残っている……。
「なんてこった……」
兄弟子さまの声が、耳元で聞こえた。
うっすら、目を開けることができた。なんとなく違和感がある。
体がとても重く、自分のものではないような気がする。
ようやく開いた視界に、髭ぼうぼうの人の顔が入ってきた。
兄弟子さまが僕をのぞきこんでいる。
周囲はとても暗い。ここは……庁舎の回廊だ。
戻って……これた?
「あ、兄弟子さま……ハヤト……お、お師匠さまは?」
「なんてこった。あいつなんてことを」
兄弟子さまは目を見開いて呆然とした声をあげた。
「すげえなあいつ……ほんとにやりやがった」
「え?」
痛む頭を抱えながらゆっくり起き上がる。
すると。
さらりと、長い黒髪が肩に落ちてきた。
え……? 黒い衣を……着て……る……?
おそるおそる、自分の顔をさわって確かめてみる。
とたん。
ずきりと心臓がわなないた。
「こ、これって……!」
「いやあこの俺様も初めて見たよ、魂転移の術。すげえなあ。銀髪のねえちゃん……一体なにもんだ? ハヤトの中にいたってことは、守護精霊かなんかかね」
僕の顔は……自分の顔ではなかった。
手足は大人のものになっていて。黒い衣を着ていて。
これはまるっきり……そう、まるっきり……!
「な……なんで僕が、お師匠さまになってるんですか!!」
辺りを見渡すと。すぐそばに魔法陣のような模様が光っていて、その上にひとりの少年が横たわっていた。
胸に大きな穴が開いている、息をしていない少年。
それこそは。まごうことなく、僕の体だった。
「なんで! ど、どうして?!」
「どうしてって、そ、そりゃあ、ペペの体はもう死んでるからさ。ピンピンしてる方に入れられるのは、当然だろ?」
「入れられた?!」
言いにくそうに答える兄弟子様。
「な……なんで!! どうしてっ!!」
「そりゃあもちろん、助けたかったんだろうに?」
「そんな……そんな! こんなのって!」
信じられない事態にぶるぶる震えて、僕は僕のものではない顔を両手で覆った。
僕は蹴られて、我が師の体に突っ込まれたのだった。
我が師によって。
我が師の代わりに――。
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