アースウインドアンドフロッグ

枕目

#1 かえるくん東京を救わない

 「ほら、そっち逃げたよっ」

 サチコがモリをふりかざして叫ぶ。

 「やれやれ」

 僕はタモを振り下ろす。

 僕らはカエルを捕まえていた。

 責任をとる必要があったから。

 「いけっ。そこだっ」

 タモのフレームが日光にきらめき、田んぼのあぜに振り下ろされる。ウシガエルの頭部を直撃、泥がはねる。僕はそのままカエルを押さえつけた。

 「よくやったっ」

 サチコがかけ寄ってくる。

 彼女の目はキラキラ輝いていた。よく言えば子供のように純真だし、悪く言えばちょっと頭が悪そうな目だった。

 じっさいサチコは頭が良くない。

 頭の回転は速いのだが、その回転の方向がぜんぶ間違ってるタイプのやつ。


 小学生だったころ、納屋にスズメバチが巣をつくったことがある。

 サチコはビニールの米袋でよろいみたいなものを作り、僕に着せてスズメバチと戦わせようとした。僕は頭に米袋をかぶったのだが、空気穴があいていなかったので窒息した。大人が事態に気づいたときには、僕は酸欠でぐったりしていて、周囲にはスズメバチがぶんぶん飛びかっていた。

 サチコはラジオ体操でもらった花火セットに火をつけてふりまわし、ハチを追い払いながら、僕を引きずって助けた。ハチにはけっきょく刺された。

 大人たちはサチコの英雄的行動をたたえ、米袋をかぶった僕のおろかさを責めた。ちょうどお盆で親戚一同が集まっていたので、僕は一族みんなにバカ扱いされることになった。

 となりの県で土建屋をやっているおじさんは、僕を仏間に座らせて、小一時間説教した。スズメバチと戦おうとするまではいい、そのあとのぶざまな様子は何だ。それでも男か、剣道をやれ、剣道を、と。

 僕は説教を聞きながしつつ、剣道は一生やらないぞと心に決めた。

 大人は信用できないと僕は学んだ。

 それで本をよく読むようになった。大人より本のほうがあてになる。本は選べるけどまわりの大人は選べないから。そのおかげもあって、僕はのちに東京のそこそこな大学に合格した。親戚たちは手のひらを返し、僕をほめたたえた。親戚なんかそんなものだ。なにも期待してはいけない。


 「どうしたの?」

 ほかにも色々と理不尽なことをされた。

 「ねえねえ」

 だいたい許しているが、僕が大事に集めてたキラカードを仏壇にベタベタ張ったことだけは、まだ多少恨んでいる。

 「どうしたのって」

 サチコが僕の顔をのぞきこむ。

 「いや、なんでもない」ぼくは首をふる。

 「ちょっとイヤな記憶がフラッシュバックしただけ」

 「フラッシュバックってなに?」

 「思い出した」

 「ふーん。ぼく、そういうのってないな」

 「マジで?」

 「うん」

 サチコは笑う。

 「イヤなこと思い出すのって、ぼく、やったことないな」

 彼女の一人称はぼくだ。ボクっ子である。

 「ぜんぜんないの? 嫌なこと思い出すの」

 「ないよ。なんでわざわざ、そんなことするの?」

 サチコは首をかしげる。

 「ボーッとしてないで、カエル」

 下を見る。つかまえたカエルが網から逃げようとしていた。

 「ったくもう」

 サチコはかがんで、カエルの頭をわしづかみにする。

 「ナカタくんはなんでそう、ボーッとしてるのかな」

 「いろいろ考えてるんだよ」

 「いろいろって?」

 「昔のこととかさ」

 「考えなきゃいいのに」

 「考えちゃうんだ」

 「ほら、タモどけてよ」

 彼女がカエルをひろいあげると、カエルは後ろ足をびよんとのばして、干物のようなかっこうになる。15センチ。でかい。ウシガエルは日本最大のカエルである。

 「ハサミだっ」

 サチコが言うときには、僕はすでにハサミを手渡していた。ちゃんと刃をもって渡すのが僕のえらいところだ。

 彼女はその業務用キッチンバサミをカエルの股にあてがい、太い脚をばつんばつんと切断した。まったくためらいがないのがこの女のやばいところだ。

 風が吹いて、緑色の稲がざわめく。

 「よしよし、ノルマ達成も近いねっ」

 サチコは切り取った脚を拾い上げ、持ち歩いているピンクのバケツに入れた。中には氷水が張ってあり、カエルの脚がぷかぷか浮かんでいる。

 ウシガエル本体のほうは、彼女の手のなかで背をよじっていた。サチコはその丸顔に笑みを浮かべながら、カエルをモリで串刺しにした。

 彼女はあぜに立ち、モリを肩にかける。太陽を背にして、彼女の姿がシルエットになる。モリの切っ先でカエルがもがく。槍玉にあげる、というやつだ。

 「せー、の」

 少しためを入れて、モリを振る。

 「いっけえええ! サチコカタパルトっ!」

 「なにがカタパルトだ」

 僕は言う。

 「なにがカタパルトなんだよ……」

 脚のないカエルはモリの尖端からすっぽ抜け、星のように吹っ飛んでいく。あぜから、田んぼ、別の田んぼとその水路、納屋とまた別の田んぼ、それらを飛び越えて飛んでいく。そして一瞬、太陽をさえぎる。そして落ちる。

 強い風が吹いて、田んぼの緑が波打つ。

 「今日はそろそろ引き上げようか」

 サチコがふりかえって、モリを振る。

 「うち、くるかい」

 モリの尖端が指し示すのは、サチコの家だ。

 「ああ、うん、どっちでもいいけど」

 「じゃあ、きたまえ!」

 サチコが歩くと、持ったバケツの中で、カエルの足がたぽたぽ揺れる。

 風でサチコの髪が持ち上がり、うなじが見えた。だぼだぼのウインドブレーカーが、星条旗みたいにはためく。

 一瞬かわいく見える。

 ああ、錯覚だ。目の錯覚だ。食用ガエルの脚を大量に持った幼なじみが、一瞬かわいく見えてしまうのは、ぜんぶこの田舎の夏が悪い。

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