カタスミ喫茶

水星 佑香

零人目、透明人間。

今日は記念すべき日である。

明日も記念すべき日である。

毎日誰かにとって良い日であり、また、悪い日でもある。


今日は、あなたに良い日でしたか?

悪い日だと嘆いても、命はあるのだから、いいと思って下さい。私は本当の『悪い日』を知っています。

 では、私の『悪い日』の話をしましょう。

あの日の朝も、いつもの様に職場へ向かっていました。「おはようございます。」と、不意に声をかけられ振り向くと、その声の主は、いつも通り過ぎている喫茶店の店主、マスターと呼びましょう。私と彼はいつもそこで挨拶を交わしているだけの、顔見知り。彼はいつも開店前に掃除をしていました。

 私は、彼に恋をしていました。平均的な背丈ですがスタイルも良く見え、人柄も柔らかい雰囲気、優しい声をしていて。まあ、私には釣り合わない人だと思っていたので、憧れて見ているだけで精一杯でした。

 その日の帰りに、私は彼の喫茶店に足を運んだのです。

それが、私の終わりでした。

それが、私の『悪い日』でした。

「いらっしゃいませ、来てくださったんですね。」

明日は休日だからたまにゆっくりするのも良いかと思い、初めて喫茶店に入りました。

店内は数人の客がいるだけで、とても静かな印象でした、内装は和モダンというのでしょうか、明治から大正の雰囲気。カウンター席の近くの本棚には古い本も並べられていました。

店員は彼と、もう1人若い男性。その男性は右頬に傷痕があったのを覚えています。

「あなたが来てくれるとは、今日は早く仕事が終わったんですか?」

カウンター席に案内され、そこで彼と色々話したのを覚えています。

幸せでした。とても、幸せな時間でした。


 でも、そこで注文した料理も飲み物も、何も思い出せないんです。

気づいたら私はどこかの薄暗い部屋にいて、動けなかった。その部屋に彼が入ってきた。

 怖かった。必死だった。何を聞いたか覚えてないけれど、 ひと通り私の質問を聞いた彼は、あの私の恋した笑顔で言った。

「君が飲んだのは『透明な恋』だったかな、ちゃんと休んでくださいね」

微笑む彼を見つめたのが本当に最期、私はこの世界から消えました。

 存在を、無いものにされたのです。

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