第四章 集結


「GG……元気ないよね」


 翔子は母の文枝に聞かれないように、声を低めて純に話しかける。


「ミイマの元彼VS GG。なにかぼくは男だからGGのこころの動揺がわかる。GGはミイマを愛しているからな。50年も……ずっと一緒だった。片時も離れたことがなかった。それがここにきて、ふたりの間に、みぞが出来た。どうなるのだろうな。あの性格だから、娘さんや息子さんたちにはなにも知らせてないだろう」

「そうよ。母も何も知らないもん」


 翔子の母の文枝はGGの長女だ。


「わたしだって胸がキュン。どうなるの、あのふたり……」

「おれだったら、翔子の元彼があらわれても、翔子を離さない」

「わたしが幾つだと思っているの。花の女子高校よ!!  元彼なんているわけないじゃん」

「ごめん、失言だった」

「初恋なんだからね。このまま――ずっと、ミイマとGGのように純と一緒にいたいもの……」

「でも、信じられない。千年も前の元彼なんて初めて聞いた。吸血鬼というのは、ほんとに死なないんだ。おれたちにない属性があり。その属性の中にはまだまだ未知の能力が秘められている」

「あのひとたちが、もとは堕天使。神の庭園の園丁だったというのは本当のことかも。ミイマのようにマインドバンパイアと血を啜る捕食系……の凶悪なバンパイア。二系列にわけられるのよ」

「おれたちが関わってきた、敵の正体がはっきりした。彼らは日本古来の鬼。捕食系のバンパイア。人狼をパートナーとして彼らは集結してきている」

「いよいよ聖戦ね」 



 電子音が鳴っていた。翔子は携帯を開いた。

 表示窓には非通知という文字がならんでいた。翔子はいつもだったら、出ない。友だちからの着信でないと出ないことにしている。なにか胸騒ぎがしていた。


「センパイ、たすけて!! ストーカーに狙われている」

「誰なの?」

「一年アカシア組の友近菜々美です。書道部でご一緒してます。センパイが得体のしれない魔性のものと校門前で戦ったの、見ました」


 書道部には属しているが、ほとんど欠席している。


「そう、あれが見えたの」

「こわい、友だちが一人いなくなった」

「いまどこ? どの辺にいるの」

「駅に向かってます」

「駅前の交番に逃げこめないの」

「やってみます」

「すぐいくから」


 菜々美は歩道に面した校門をでた。ワイワイおしゃべりをしていていた。にぎやかだ。いつもの時間、それぞれの電車や都バスに乗るまでの楽しいひと時。ほかのクラスの気の合った友だちと話し合える時間。話に熱が入りチョッと立ち止まった。菜々美は背後に視線を感じた。


「ね、だれかに見られていない」

「やだよ。こわいこといわないで」


 おなじ書道部のカレンが応えた。中国人だ。


「そうね、ゴメン」


 歩きだしてすぐ員数がひとり足りないのに気づいた。

 カレンの後ろにいたはずの信子がいない。宇都宮から東北新幹線で1:30分かけて通学している子だ。


「ヤッパおかしいよ。いままでここにいたのよ」


 全員が青くなった。



「信子のことだから、彼氏がお出迎えかも……」

「えぇ、信子に彼氏いたの」と菜々美。

「いま思い出したの。そんなこといってたシ」とカレン。


 だったら……わたしたちに挨拶してから行くはずだ。とは、菜々美はいわなかった。せっかくカレンの発言で、みんないくらか安心したのだ。不安をかきたてるようなことは、いわないほうがいい。


 まだ――視線が彼女たちをとらえている。はやく交番にかけこまなければ……!! 駅が近づいたので人の群れが増えた。気をつけていたのにニアミス。すれちがった老人と右腕がクラッシュした。書道の用具箱が歩道にとばされた。箱から筆がころがりでた。九段の平安堂で買った『青海』の四号の筆だ。


 菜々美があわてて伸ばした手の先で――筆はまさに踏まれそうになった。踏まれなかった。

「どうぞ」

 筆を拾ってくれたのは、そこにはだれもいない。

 老人が消えた。老人がたしかにそこにいたと思ったのに――。


「どうなっているの!? だれがひろってくれたの」

 こんどはカレンしかのこっていない。みんな消えてしまった。


「こわいよ。菜々美」

「交番はすぐそこよ。走るわよ」


 人々の群れが割れた。

 ロケと思われたのか。


 疑念を抱きながらも道を開けてくれた。その狭い隙間にとびこだ。

 

 走った。

 走った。

 走った。


 恐怖が菜々美の神経を逆なでしていた。泡立つ恐怖にプッシュされた。

 夢中で走った。

 パッと交番に飛びこんだ。お巡りさんがいない。

 パトロールにでも、みんな、出ているの?? ふり返る。

 いままで後ろからついてきていたのに。

 いない。

 声をかけようとしたカレンも消えてしまった。

 それどころか!!! ここは交番でもない。

 交番の中に飛びこんだのは錯覚だったのか。

 菜々美は駅前のロータリーに独りだった。

 カレンも消えている。

 

 誰もいない。

 

 周りに人がいない。

 

 あれほどの群衆がどこかに消えてしまった。

 

 いやちがう。

 わたしが異界にとばされたのだ。

 異界にまぎれこんでしまったのだ。

 どうしょう。



「閉じ込められてしまった」


 周囲の沈黙が怖かった。どこにも逃げられないような息苦しさ。


「ダイジョウブですか」


 遠くで声が……。翔子センパイ。翔子センパイが助に来てくれた。


「ちがうのよ。わたしは百子。翔子さんを待っていたの。翔子さんに会いに来て、校門のところにいたの」


 そこで……ゆっくりと菜々美は現実にもどった。文鎮や墨、筆が路上に投げ出されていた。翔子によく似た女の子が散らばった用具をかき集めていた。老人ではなかった。


「よかった。危ないところだった。害意をボッテリと含んだ靄を吸いこんだのよ。人の目には見えないけど」


 校門を出たときに何か確かにわたしは感じた。

 さっと顔をなでられたように感じた。


「信子は。カレンは……」

 百子からは応えはもどってこない。

「へたに動かないほうがいい。まだ危険は去ったわけではないから」


 ふたりは校門までもどった。そうだ、翔子センパイに携帯しなければ。

「おまたせ」

 携帯を開き耳にあてた。声は携帯の外から聞こえてきた。

 翔子がほほえんでいた。

「百子さんが、助けてくれたのね」

「百子でいいわよ。それより狙われているわよ。あなたの学校!!!」



 百子にいわれて感じた。

 池袋の街の風が吹き寄せている。

 校門めがけて、凶悪な風が吹いている。

 彼女たちに狂気を運んできている。

 池袋だけではない。

 

 新宿も、原宿だって若者が集う街には禍々しい風が吹いている。

「消えたお友だちは何人なの」

 翔子は一息ついてから菜々美に聴いた。

「信子とカレン」

「携帯打ってみた」


 菜々美が悲しそうに首を横に振った。つながらないということだろう。

「現実と虚構が交じり合っている。虚構の中に住んでいると思われてきた吸血鬼がこちら側に雪崩れこんできている。映画やテレビの3Dがあまりにリアルになったので、わたしたちには虚構と現実を見分けることができない。それをいいことにして、吸血鬼がこちら側に生存権を得てしまったのよ」

「わたしもそう思う」

 と百子が応じた。周りの人が動きだしている。だが宵の霧が彼らの動きをゆったりみせている。時間の流れが遅くなっている。


「わたしたちまだ閉じこめられている」

「でも百子、なにか頭が冴えてくる」

「それは翔子、妖閉空間に閉じこめられていたほうが……ヤッラの感覚とリンクできるからよ」

「まって……」

 翔子は額に手をあててなにか思いだそうとしている。

「わたしたちが……戦った……あそこ……、ほら雑司ヶ谷霊園、あのときは、そうか――百子と知り合っていなかったわね……あそこ、霊園に人を監禁して置くような小部屋がいくつもあった」

「それだわ、そこに連れて行かれたのよ。ここから、あまり離れてないもの。直ぐ助けに行こう」


 翔子は弱々しく首をふった。あのとき受けた噛み傷はまだ痛む。さらにこころのダメージからまだ回復していない。

「敵が多すぎる」



 敵が多すぎる。

 そういってしまった。翔子は焦った。じぶんが、すごく惨めだった。悲しかった。いま助けを求めている菜々美の友だちがいる。助けを求めて泣き叫んでいるかもしれない。命が危うい。血を吸われている。かもしれないのだ。


「GGに――携帯するから……」

 GGとミイマがいる。いままでとはちがう。純もいる。仲間は増えている。

『BB刀エクササイズ』に携帯した。

「GG? 純もいる??」

 純はfloorで打ち込みの形をおしえているところ。という返事がもどってきた。翔子は事件のあらましを話した。


「わたしたちが駈けつけるまで霊園には入らないで」

 菜々美はついてこないようにした。これからの戦いの場には連れていけない。あまりに危険だ。菜々美は駅の明るい雑踏の中に消えていく。JRの池袋駅に向かって歩み去った。

 翔子と百子だけになった。百子が背後をガードしてくれている。うれしい気配りだ。翔子と百子は霊園の方角に歩きだした。


 かすかに荒川線の電車の響きが聞こえてきた。


「ね、さっきから気になってる」

「わたしもよ」

 と翔子がほとんど同時に応える。

「匂う」

「そう。匂うのよね」

 こんどは、百子が応える。

「さすがクノイチ」

「百地三太夫の系譜につながる者は、世の中の役に立つ側について戦いなさい。チョウ古いこといわれて育っているのよね」


 これから二人して吸血鬼に戦いを挑む。

 その心意気を翔子に伝えたかったのだろう。

 歩道に墨がポッンポッンと垂れている。墨が残ったときに、高い墨なので、もったいないと、捨てずにとっておく。プラスチックの墨汁のあき瓶に詰めておくことがある。それをそっと垂らしたのだろう。黒く墨が歩道の敷石に滲んでいる。いい香りがしている。


 いままでだって墨は歩道に垂れていた。シミが出来ていた。でも人が多すぎる。靴底で消されてしまったのだ。鋭敏な嗅覚のあるふたりの剣道ガールズだからこそ。やっと嗅ぎとることのできたものだ。


「この方向はやはり霊園」

「翔子たちの霊園での戦い後から……わたしたち影守りをしていたの……」

 ありがとう。まったく、気づかなかった。と感謝しながら聞いていた翔子は「えっ」と疑問に思った。走るようなスピードで歩行していたが、肩を並べていた。わたし、たち、といった百子のことばを聞き逃さなかった。

「仲間に連絡した。わたしだけでは荷が重すぎるもの」

「みんなで戦えば怖くない」


 百子には仲間がいるのだ。クノイチガールズがいる。

 翔子もGGや純の合流を待ち望んでいた。わたしたち同じように考えている。行動のパタンもすごくよく似てる。頼もしい味方が出来た。それに同世代だからなおさらうれしい。

 わたしみたいに古風な少女がいた。うれしい。もつべきものは友だ。


「匂い強くなっていく。霊園には向かっていない」



 都電荒川線の通過するレトロな音がしている。雑司ヶ谷駅が近いのだろう。踏切をわたった。墨の匂いは途切れがちだ。時々立ち止まって……体をひくくして、かすかな匂いをたどらなければならない。匂いが消える。


 この匂いだけが頼りなのだ。匂いを追いかけることができなくなったら。どうしょう。不安にさいなまれる。


 追跡する足元がもつれる。歩みがとどこおりがちだ。

 誘いこまれたような、これまたレトロな商店街。――をぬけると――。廃ビルがニョキッと夜空に立っている。墨の匂いはそこで途切れていた。家々に灯がともり、なんの変哲もない、いつもの夜を過ごしている。


 その一隅に、荒れ果てた廃ビルがあった。


「このビル知っているよ。テレビで見た。霊園にある小泉八雲の霊がでる。琵琶の音が聞こえる。夏の特番で『怪談を体験できるスポット』として紹介されていた」


 ビルの外壁に、『く』の字に見える赤さびた非常階段がある。錆のふき出した建造物なので外壁はくずれて内部までスケルトン――透けてみえる。ヒトの隠れられる部屋などない。せっかくここまでたどりついたというのに。翔子はあせった。


「これでアノ階段を上らなくてすむわ。わたし高イトコ苦手なの」

 翔子が緊張した顔でいう。これでもうだめなのか。追跡がとぎれてしまうのか。

そうだ。


 翔子はいま別れてきたばかりの菜々美にメールを送った。


「信子に携帯してみて」すると、どこかでかすかに携帯の着メロが鳴っている。菜々美が信子を呼びだしてくれている。百子と翔子はかすかな着メロの発信音をたよりに走りだした。


 地下へのボッカリト空いた階段のわきに着信の音をたてている携帯はあった。


「菜々美さん、ありがとう。どうやら敵の隠れ家がわかったみたい」


 信子の携帯を拾いあげた。翔子は菜々美に話しかけた。


「信子とカレンさんは、救いだすから……安心して」


 階段の入り口は鉄の鎖で閉鎖されていた。ふたりはジャンプして飛び越す。降りるに従って異臭が強くなる。墓地の湿った土に臭いだ。


「耳なし法一にでた平家の亡霊が出そうね」

「わたしもそう感じる。だってミイマの元彼がよみがえっているのよ。平家物語りより古い話よ。もうこうなったら……なにが起きても驚かない」


 二人は恐怖をまぎらわそうと小声で話している。でも話題はさらに恐怖をつのらせることになる。



 その恐怖は確かに平家物語より古い。

 奈良時代からの鬼に対する恐怖だ。それがなぜ怖いかというと、じぶんの命にかかわるほどの恐怖であり、痛みを伴う恐怖だからだ。その恐怖は信子とカレンも感じている。


 早く助けてあげなければ。

 どこにいるの? 

 恐怖を感じているだけならまだいい。血を吸われているかもしれないのだ。ともかく二人を拉致したのは血を吸う鬼なのだ。生臭くカビ臭い。異臭を放つ薄闇の廊下を音を立てずに走る。百子はクノイチだから走っても音を立てない。翔子は夢道流の後継者だ。そしていまだに、あらゆる術を、技を、学ぼうとする。百子の忍者走りが翔子のものになっている。


 廊下の行き止まり。大きな木製の扉がある。

 開く。

 真っ暗だ。

 奥のほうでなにか引きずっているような音がする。

 そっと扉をくぐる。

 ぱっと明かりがつく。

 人体に反応してついた。

 そしてその先は――地下の飲み屋横丁という雰囲気だ。


 濃厚赤ワイン。

 新鮮赤ワイン。

 人工でない生ワイン。

 とりたて、しぼりたての!! 

 赤ワイン。

 幟。

 置き看板。

 立て看板。

 ネオン。

 みな同じうたい文句。

 赤ワイン。

 翔子はゾクッと身震いした。


「エゲツナイ。いやなコピーね」


 百子も赤ワインということから想像するのは翔子と同じイメージだ。


「はやく、ふたりを探さなければ」

 


 ものを引きずるような音は飲み屋横丁の奥から聞こえてくる。

 いなや音だ。

 そうでなくても信子とカレンの安否を気づかって不安なのだ。身近にひとが引きずられる音ともとれる不気味な響きが木霊しては……なおさらだ。

 翔子と百子は音を頼りにさらに奥深く潜入する。

「……新宿西口の『思い出横丁』に似ているわ。うちの父が焼き鳥で飲むのが好きで……」

 百子が翔子の気をまぎらわせようとさりげなく話しかけてくる。

「見てよ。また暗くなった」

 思わずいってしまった。


「百子は夜目が利くのでしょう? 街灯がないとわたしテキにはコマルシ」

「わたしだって好きでないシ」

「大丈夫よね。ここは信じられないけど吸血鬼のアンダーワールド。なんでもアリって感じよね。怖がることはないけど、注意していないとね」

「ビジターのかたですか?」


 翔子の言葉にかぶさるように不意にかたわらで声がする。明かりがついた。カウンターがある。その奥に小窓がありニコニコ少女が笑いかけていた。


 翔子が、ちがいますというように手をひらひらふる。


「初めてのかたなんですね」 

 百子がしかたなくうなづく。

「あら、困るんですよね。ここから奥へは――常連さんでないヒトは――名前を書いてもらわないと。……そうすれば、IDカードを発行します。吸血鬼よけのお守りになります。それに真っ赤なアミュレットもさしあげますわ。加入はすべて無料です」


 そういうことではないだろう。無料とか、IDだとかアミュレットといわれてもジョークとしか思えない。この受付の少女は知らないらしい。まるでクラブのフロント嬢だ。

 翔子と百子のことは――。知られていない。


10


「あの音はなんですか……? この奥から聞こえてくる、あの音は……」

「あれはね」

 受付の少女がカウンターの下のスイッチを押した。

「ほら」

 通路の奥にアルミ製らしい光る扉。明かりがついたのでよく見える。扉にはMDZと真紅の文字。


「MOST DANGEROUS ZONEの頭文字です。おわかりでしょうが――最危険地帯です。何が起きるかわかりません。足でもひきづっている音なのでしょうね。墓石にでも脚をたたきつけたのよ。自傷願望のあるヒトしか通すわけにはいかないのですよ」

「わたしたち……そんな願望ないシ」


 百子があわてていうと翔子の手をひく。百子に止められなかったら。翔子は実力行使で。非常扉を開けさせかねない剣幕で。通路の奥をにらんでいた。翔子は扉の向こう側が見えていた。この通路は霊園の地下までつづいている。信子とカレンはそこにいる。はやく、はやく助けに行かないとふたりの命が危ない。


「だめよ」

「どうして」

「だめ。わたしたち忍びは敵地から生きて帰ることが大切なの。勝てない戦いは初めからしない。わかった」

「そんなのわかんない」

「それに二人があの奥、霊園の地下に拉致されていると、いいきることができるの。小泉さんが来るのを待ちましょう」


 小声で争いながら、それでもふたりは登録だけは済ませた。小泉という言葉を聞いて翔子は冷静になった。百子は翔子の手をひいて飲み屋街をもどる。翔子の耳にはまだあの物を引きずるような音が残っていた。


11


 携帯ふるえた。純からだった。


「翔子どこだ。なんども呼びだした」

「ごめん。ヤバイとこを……探っていたの」

「いまどこ。ぼくらは霊園口に来た」

「すぐいくね」


 翔子と百子は急いで地上の街に引き返した。


「あれ!! あれをみて!!?」


 純の声がとぎれた。


「もしもし。純。純???」


 携帯は切られていた。


「何かあったみたい。いそぐよ!!!」


 声をかけることはなかった。はるか先を、百子は走っている。翔子の気配でわかったのだろう。純に何か予期しないことが起きた。わたしたちを待っている純とミイマたちに何か起きた。GGもいるから心配はないだろうが。


 あわてて携帯を閉じなければならいな事態が起きた。想定外のことが起きて。それは、あわてて電話を切らなければならないほどのものだ。翔子も百子の後から走りだした。でも、距離を縮めることができない。

 二人のあいだは、どんどんひらいていく。さすが忍者走りだぁ。と……あらためて感心する翔子も、百子の走りを模していた。都電荒川線の踏切を走り抜け――見えた。


 百子の走るその先で、……影絵のようだ。

 影絵のように争う純たちのシルエット。

 百子がなにか投げた。

 投げた!!

 投げている!!! 

 手裏剣? 

 だろう。

 道端の木製のベンチにいた。

 池袋女子学園の制服。

 ふたりだ。

 信子とカレン。

 ぶじだった。

 でも、どうして。

 どうして、ね、彼女たちがあそこにいるの。

 よかった。

 よかった。


 ミイマが彼女たちをガードしている。翔子を見てうなづく。そして戦っている。 純もGGも、かけつけた百子も。

 吸血鬼はフタリ。


「直人。『道草』でミチクサくっていたから、悪いんだぞ」

「誘ったのは兄さんだよ」

「あっ、あんたら二人には、会っている。そう、あんたがお兄さんの直也、弟が直人よね」


 吸血鬼同士でもめている。もめて口論している。名前をいい当てられて、兄の直也があわてている。兄弟で顔を見合わせている。

 何もめているの? コイツラ。だが翔子には直にわかった。さきほどの飲み屋街に『道草』と看板をだした居酒屋があった。あそこで、おもわぬ獲物を捕まえたので、前景気に赤ワインでもあおっていたのだ。


 翔子は鬼切丸を抜き放った。


「あんたらには、だまされるところだった。わたしたちの敵は日本古来の鬼だった」

 直也と直人は、翔子と純の矛先を外来種吸血鬼に向ける作戦だったのだ。あの時は、うまくだまされた。


 鬼切丸はギラリと月光を浴びて光った。


『桜田門外の変』で水戸の浪士の何人かにも使われた鹿沼の、通称稲葉鍛冶によって鍛えられた技モノだ。奈良時代からつづいている有名な刀鍛冶だ。

 門外の変で、あれほどの激闘でも刃こぼれ一つしなかったと名声をはせた刀鍛冶の鍛えた古刀だ。その始祖がきたえた鬼切丸だ。

「純、GGありがとう」


 信子とカレンの元気な姿を横目で再度たしかめた。

 涙が出た。

 よかった。生きていた。

 あれだったら、まだ噛まれたようすはない。

 よかった。翔子の目に涙がうかんだ。

 涙ははらはらとこぼれおちた。

 菜々美と約束した。

 信子とカレンはブジに助けだすから。

 その約束を果たすことができた。

 ウレシイ。


12


「なんてことするのよ。街で女子学生を拉致するなんて最低よ!!! 『道草』で飲むだけにすればいいものを……」

 翔子も鬼切丸を振りかぶって上段から斬りつけた。

「人工血液の赤ワインなんかガブガブ飲めるかチュウノ」

 直也が翔子の鬼切丸を横に体を開いて避ける。肩に百子の手裏剣が突き刺さっているのに。なんという生命力だ。


「おれたちのシンパの赤いアミュレットを巻いているのに、どうして襲ってくる?」

 鬼が増えていた。

 ふたりは、登録済みの証しとして赤いアミュレットを腕にしている。

「首をひねってもわからないぞ。トオル」

 直人が頭の鈍そうな仲間、トオルに呼びかける。


 わたしは神代薔薇園の美魔。翔子の耳にミイマの声が凛々とひびいてきた。


「わたしは、あなたたちの共鳴者なんかではない。わたし自身が、マインドバンパイァなの。吸血鬼なのよ」

「げぇ」

 直也と直人とトオルが同時に絶叫した。


「あんたの血を吸うとおれたちは消滅するのかよ」


 翔子たちは攻撃を一時中止する。ミイマの説得に耳を傾ける。


「人工の血液がまずくても、それで満足して、ひとと共存の道を選んだらどうなの。メタボからの体質改善をはかれるのよ。ひとの血を、少なくても、直接飲むことは止めてほしいの」

「なにぬかす。白い襟首に熱い息をふきかけ……怖がってふるえるのを見るのは快感だ。歯を突きだして噛みつく。おののき、ふるえるノドの動きを見ながら血を吸う快楽を止めろというのか。ひとの恐怖はわれらが逸楽なのだ」

「世界は〈転調の兆し〉を見せているのがわからないの」


 いまミイマは、何を吸血鬼に訴えようとしているのだろうか。

 翔子たちも、はじめて聞く言葉だった。


13


 ミイマの体はいま宵闇色にそまっていた。なにを想っているのだろうか。


「わたしには愛する子どももいる。孫までいるの。わたしたちには、ひとと結ばれる可能性があったの……。それに気がついてから……長いこと待った。わたしの属性を怖がらず受け入れてくれる男性が現れるまで。わたしに心を読まれても、心を操作されても、まったく気にしない、husbandとなるべき男性とめぐりあうまでに……千年が過ぎた。でも待った甲斐はあった。孫までいるのよ。あなたたちにも、その可能性は十分にある。そう、あなたたちだって変われる。他種との混血が成りたつ時代にもなっているのよ。わたしたちだけではなく――iPS 細胞の研究がさらにすすめば、人類の改造までできちゃうはずよ。残るは意識の問題なの。あなたたちは、直接人体から血を吸わないと生きていけないなんて思いこまないで」


 トオルも新たに現れたテツもキョトンとしている。

 

 翔子は吸血鬼が呆然とするさまを初めて見た。

 全然さまになっていない。吸血鬼はやはり牙をむいて、鉤爪もあらわにひとに襲いかかってこそ、吸血鬼なのだ。

 

 ミイマは必死で説得している。効果はなさそうだ。難しすぎるわよ。仲良くしましょう。

 くらいの交渉がいいのに――。

 だって、ほら、ミイマあぶない。テツがミイマを襲った。


「いいわよ。わたしの喉笛を噛みちぎったら。どうなるか、わかってるんでしょうね」

 テツがタタラを踏んだ。オットット……いうふうに踏みとどまった。

「テツ。引こう」

「トオル!! おれは逃げるのはいやだ」


 直也と直人の二人はすでに逃げだした。

 口惜しがるテツの腕をつかんでトオルが霊園にむかって後退する。


「どうして、わからないの」


 ミイマが悲しそうにバラの鞭をだらりと下げる。

 鞭の先がこきざみにふるえていた。


「いつの日か、わかりあえるときがくるから」


 GGがミイマをなぐさめている。いい関係だわ。おたがいが信頼しあっている。

いい伴侶をもてて、幸せね。と翔子はこころの中でつぶやいた。ミイマは千年に一人のGGにめぐり会えた。

 わたしには、いま純がいる。翔子はあらためて純を見た。バチッと純は鬼切丸をさやに納めたところだった。


「助っ人に駆けつけてくれて、ありがとう」

「翔子。それいうなら純にいったら」

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