偽題;魔法刑事☆神楽坂凛の逡巡
まめたろう
第1話 天から少女が舞い降りて
空から女の子が落ちてきても、ちゃっかりパンツを覗いてしまう僕なんかには物語の主人公なんて荷が重い。
狂言廻しを気取ってみてもいいけれど、それは結局この一連の騒動で僕が徹頭徹尾、第三者でしかなかったと白状するようなものだ。
魔法刑事とイチゴのパンツ、それが忌まわしいあの牛乳雑巾が如き味覚と三位一体となって、脳細胞に堅牢なシナプスを構築している。
その鮮烈なヴィジョンこそ、僕の語る彼女の物語の始まりだった。
使い古してすっかりネズミ色に変色してしまっている雑巾。
それを使って、綺麗とは言えない教室の床にこぼれた牛乳をせっせと拭き取ったとしよう。
何を血迷ったか君は、床のごみがへばりついたその雑巾をきつく絞り、そこから染み出した灰色の液体をコップに戻し一気に飲み干した。
早起きが三文の得なら、こんな気持ち悪い想像をしてしまった君はこの瞬間500円くらい損したことだと思う。損得勘定も気の持ちようだと教訓にしてもらえれば幸いだ。
なにはともあれ、そんな説明をしなければ伝わらないほどの得も言われぬ不快にして醜怪な味が口いっぱいに広がった。
朝食や昼食やらが収まっているはずの僕の胃が内容物をすべて吐き出そうと激しく収縮するものだから、僕は慌てて校舎の陰に駆け込む必要にかられた。
なぜこんなことになってしまったのか、僕には全く理解が出来なかった。だけど何か異常な事態が起こっているのは違いない。
襲いかかる激しい嘔吐感はしばらく続いた。西校舎の裏は立ち木のせいで、ひときわ視界の悪いことは把握済みだったので、他人にはとても見せられない醜態は、ここでやりすごすことにした。
吐瀉物を立木の栄養分としてリサイクルし終えた僕は、一年後、あの木だけ少しだけ成長が早いなんてことがあれば少しだけ報われる気分だとか、くだらないことを考えながら、憔悴した体を引きずって校門へと戻ろうとする。
静かだ、誰もいないようだという感想と、それと相矛盾する直感が同時に生れた。
ん、誰かいるのか?
かすかな物音がした気がする。だけど、周りを見回しても誰もいない。
「セイヤッ」
という元気のいい掛け声に誘われて、頭上を見上げると
校舎の4階。その窓から、一人の女子生徒が勢いよく飛び出したのだった。
女子生徒は勢いよく窓枠を蹴って外に飛び出すと、その軌道はスキージャンプの選手のそれのように、ぐんぐんと遠くへ伸びていき、とうとう外壁も飛び越えて学校の外へと消えて行ったのだ。
ほとんど一直線に綺麗に開かれた二本の足。
ならば、下から見上げていた僕に、その一枚の布がはっきりと見えるのは必然だ。
イチゴのパンツ。
僕は見た。確かに、イチゴのパンツを、見た。
見たはずだ。
いや、僕の視力ってそんなに良かったっけ。
あの一瞬でか?本当に見えたのか?
今できることは自分を信じること。僕は、見たはずの映像を後日の再検証に備えしっかりと脳裏に焼き付ける。瞼を閉じてゆっくりとゆっくりと記憶を辿る
集中力を高めれば今この瞬間だけでも写真記憶を身に付けることができるかもしれない。
案外、能力の開眼のきっかけはこういうところにあるのかもしれないな。
眠れる脳細胞にアクセス、アクセスしろ……
もちろん、僕が考えるべきは本当はそんなことではなかった。
普通の女子高生は4階の窓から公道に飛び出したりはしないという当たり前の事実について、僕は真剣に思考を巡らせるべきだったんだろう。
だけど、僕は英傑俊才などではなく、どこにでもいる平凡な高校2年生なのだ。
このときまだどこか、突然の非日常を楽しんでいたのかもしれない。
そして、目を開けてはじめて、僕はあの女生徒がそこにいることに気付いた。
なんでここに?答えは簡単だ。そのほんの数十秒の隙に、彼女はぐるりと校門を経由して僕のところまで走って戻ってきていたのだろう。
なぜ?
これも簡単。僕が彼女に気付いたように、彼女もまた僕に気付いたのだろう。
「貴方。見ましたね!?」
見知らぬ女子生徒は、僕を見付けるやいなや腕をぐっと掴み、開口一番問い詰めてきた。
「生れてきて16年間、色々なものを見てきました」
言い訳にもならないが、僕は決してとぼけたわけでも、ふざけているわけでもなかった。異常事態を前にして、僕はとにかくニュートラルでありたかっただけなのだ。
「こんなところで話をするのもなんですから!!」
女子生徒は怒っているのか、そうでもないのか。表情も見せず、ぐいぐいと腕をひっぱりながら校舎の中へと僕を連行していった。
ほんの数分、僕に与えられた時間。引きずられながら、どう彼女に弁明すべきかを考えさせられた。
見たの見えたのだのって自意識過剰って奴じゃない?
パンツは見たけど、不可抗力じゃないか!
君にとっては僕がパンツを見たかどうかが大事かもしれないけれど、僕にとっちゃあ君のあの大ジャンプの方がよっぽど不思議だったわけだが……。
連れて行かれる先が屋上と分かったとき、僕は意を決して口を開いた。
「屋上から降りるときは、今度こそきちんと階段を使った方がいいと思うよ」
僕は彼女に敵意がないことを示したかったので、せいいっぱい紳士的な態度で助言を与えたつもりだった。
だけど、残念なことに彼女は僕の弁解になんて最初から興味がなかったようだ。
彼女は僕の繊細な配慮など気にも留めず、僕を更に深い混乱に叩き落とす強力な一言を言い放ったのだ。
「驚かないで聞いてください。実は私、魔法刑事なんです」
いや、驚けって言ってるでしょ、それって。
◇
神楽坂凛は、僕の通う希望ヶ丘第参高校の制服を着ていた。首元のリボンは赤色だから、僕と同じ2年生ということか。
凛は、むしろ中学生といった方がしっくりとくるような、幼げな顔と小柄な体格をした女の子だった。
「ま……魔法刑事ですか……」
凛は、悪く言うなら未熟、未発達というか、そんな見た目をしていたので、漫画かアニメの悪い影響を受けてしまった可哀そうな子なのではないかと一瞬心配した。
「そうです。魔法刑事です。もちろん通称ですが。警視庁公安部13課捜査2係所属ということになります。もっとも、非公然の組織ですので知らなくても当然です。簡単に言うと魔法を使った犯罪を取り締まる部署ですね。目には目を、歯には歯を……ではありませんね。蛇の道は蛇かな? まーそんな感じで私も魔法を使わせてもらってます」
ふーん、そういう設定なんだ、といつまでも道化を装っていても仕方ないか。
これは非日常であっても非現実ではないのだ。
僕もしっかりと現実に向き合わないといけない。
魔法を使った犯罪を取り締まる……か。それはつまり、魔法を使うこと自体は犯罪じゃないって意味でいいのかな。
「魔法を使ったちゃいけないって法律はどこにもありませんからね。ホーチ主義ていうアレですよ。それよりなにより政府は魔法の存在を公には認めてませんからね。だからこそ魔法がらみに関しては色々と問題が生じて当たり前、闇で葬らないといけない案件も山盛りドンというわけです」
説明しなれているのか、凛の言い分はよく分かった。
不思議なのは、凛が初対面の僕に随分と親しげに話しかけてくることだ。
これがモテ期という奴なのだろうか。
一方、僕の評価はというと容姿はトリプルA。テレビ番組が安易に使う『美人』というレベルをはるかに超越している。それこそ、刑事よりもアイドルでもやっている方がお似合いだ。
引き締まった筋肉質の体つきも僕は嫌いじゃない。
正直言って彼女のいない僕は、これも一種の出会いじゃない?くらいには思っている。
『貴方が刑事じゃなきゃ口説いてましたよ』ってのは、安っぽい刑事ドラマの犯人の台詞のようかな。
あれ、そういえば僕は何でここにいるんだっけ。
「はい。そこで質問に戻ります。貴方。見ましたね!?」
見ましたねって言われても。主語を言ってよ、主語を。
いや、主語じゃなくて目的語かな? 国語は苦手だ……
まごつく僕を無視して、凛はペースを崩すことなく話を進めていく
「答えていただかなくても、貴方の反応を見ればだいたい分かりますけどねぇ。その上で魔法を使ったと考えれば、女子高生が4階の窓から飛び降りても別に不思議ではないと、そこらへんは既に納得してるようにお見受けします」
凛は挑発的な視線で僕の表情を読み取ってくる。
イチゴのパンツのことではなく、彼女が校舎から飛び降りたこと、それ自体を見たかどうか聞いていたのか。
そか、政府は魔法の存在を公には認めてないといっていたな。
『魔法』の存在を知っていれば、それ格別驚くような光景ではない。
もちろん、こんな身近に『魔法使い』がいたってことには驚いた。
そんな驚きも彼女が刑事を名乗ったことですべて納得がいった。
まあ、確かに僕は見たよ。
でも、たとえ予備知識が無くてもさ
『う、うわあぁぁぁ、一体どうなってるんだ。俺はこんな現実認めないぞぉぉぉ』
って大げさなリアクションも嘘っぽい。
『あの子は一体何者なんだ!すぐにあの子を追いかけないと!』
こっちは、たしかにお約束ぽいリアクションではある。
でも、状況も分からず無鉄砲に飛び出すほど僕は熱いタイプの人間ではない。
状況が分からず受け身に回ってきた僕だけど、相手がただの刑事だと分かれば反撃開始だ。話の主導権を握ってしまいたい。
「いやいや、僕はそんなに順応性は高くないよ。魔法刑事とか言われても全然、納得してないからね。魔法?魔法ってなんだよ、超不思議だよ。まず、そこから納得させて下さいよ。貴方は何者で、なぜここにいるんですか、1H5W、全部順番に答えてくださいよ」
物わかりがいい振りをしても、何の得にもならない。魔法刑事だか何だかわからないけど、きちんと説明をしてもらうべきだ。善良な市民として僕にはその権利がある、と意気込んでみたがこれだと、どうにも思いっきり動揺しているようにしか見えない。
「非公然組織なので、警察手帳はお見せできません。生徒手帳ならお見せできますよ。ほうら、神楽坂凛って書いてるでしょう。もちろん本名ですよ。あ、でも私戸籍はありませんので、本名ってなんなんだって話ですけどね。上司から法律上は警視庁の備品扱いとか言われてちょっとショックだったことがありますね」
凛はさらっと、えげつない真実を語ってくれた。そんな話は聞きたくないよ。
「でも、上司や同僚には恵まれていると思ってます。だから仕事は楽しいですよ。私が刑事だと信じて貰えないのなら、本部の方に連行して上司から直接事情を説明してもらう方法もありますが、もちろん、その場合は貴方の体で理解してもらうことになりますけど」
いやいや、連行って。僕が何か悪いことしましたか?僕は何も犯罪なんてしてないよ?
「貴方。見ましたね!?」
え、そこに戻るの?
「東京都制定公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例、通称『迷惑防止条例』です。何時いかなる状況においても、女子高生のパンツを覗く行為は犯罪なんですよ」
無茶苦茶を言ってるようだけど、結構、冗談で済まない現実ってあるよね。
見せた方は悪くない、見た方が悪いんだってロジック。
駅の階段とか普通に登ってるだけで、え、見えるんじゃないのってことはよくある。でも、案外見えないんだけどさ。
まあ、見たか見てないかと聞かれたら、見たとしか答えようがないけれど、僕にだって黙秘権というものがある。だから聞かれても答えないという選択肢もあるんだ。
「冗談で言ったつもりはないですよ。まあ、私たちは非公然なので、罪状なんてなくても理由なく貴方を拘束するという方法もありますけどね」
いやいや、それはもう人権侵害ってレベルじゃないだろう。僕が何をしたって……いや、パンツのイチゴは拝見しましたよ。
それを認めた場合、僕はどう処分されるんですか。
てかてか、それってもう魔法刑事とか全然関係ないじゃん。魔法を使った犯罪というよりも、君が魔法を使ったせいで生まれた犯罪じゃないか。
言ってしまえば君が100%悪いよ? いちご100%だよ。
「まあ、今までのやりとりはほとんど冗談ですよ。冗談で言ったつもりはないといったのも含めて全部冗談ですよ。逢坂真さん。見せパン以外の目的でイチゴのパンツをはく女子はいませんよ」
笑う凛。
僕が真に受けて動揺するもんだから可哀そうに思ったのだろうか。
終始彼女の顔は笑顔で、最初から最後まで凄みなんて全くなかったけれど。
そうなんだ。正直、イチゴのパンツなんて実在するんだと感心してたんだよね。
ちょっと、あの映像は僕には衝撃的すぎたよ。
見せるためのパンツなら、見たってどうってことない。
なるほど、彼女は冗談を言うためにここでこうして僕と戯れているわけだ。
ってそんなハズがあるわけないじゃないか。
刑事がいるところには犯罪があるってこと。
「あれ?僕、名前を名乗った覚えがないけれど」
「魔法を使ったんです。魔法を使えばちょちょいのちょいですよ」
口の中にガソリンの味が広がる。
凛は嘘をついたのだ。
「本題はここからです。逢坂真さん。私だって、一般人を装っているんですよ。無闇に学校から飛び出すところを見られるわけにはいかないですから。
タブーというほどの禁則ではないにしろ、ちゃんと用心はしているんです。逢坂真さんがもしラノベとか読む方なら人払いの魔法といえば、だいたい理解してもらえますか?だから、一般人に魔法を使うところを見られちゃったよ、どうしよう大ピンチ!なんてことにはならないんです」
へー。すごいね。ラノベは読まないけど、だいたい理解はできるよ。
「でも、人払いの魔法は初歩の初歩ですからね。簡単に無効化できるんですよ。たとえば魔法を使える人間には全く効果がない……とか」
僕は昔、絵画の先生に褒められたことがあるんだ。逢坂君には人には見えないものが見えるんだねって。それってもしかして……
「……逢坂さん。刑事としてズバリ聞きます。ドリームメーカーって知ってますか。いわゆる『改造品』はご存知ですか。『赤猫』という単語に聞き覚えは?」
いや、ズバリ聞けよ。逢坂真は魔法を使えるのかって。それを聞きたいんじゃないのかよ。
「ズバリ聞いたらどう答えますか?」
今生きていること、それ自体が一つの魔法だと思うよ
「逢坂さん!」
「聞かなくても、魔法を使えば何でも分かるんだろ。ちょちょいのちょいって」
「魔法を使わなくても分かります」
だったら……どうするんだよ。
僕だって最初から魔法刑事なんてものが目の前に現れたのが偶然だなんて思ってはいない。
ちょっと
道化の化粧はさっさと落としてしまえってことかい?
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