Dive!!

エビテン

第1話 修司と友香とエルナルド

『あのエルナルドが全面監修、思考スキャンシステム搭載オンラインゲーム』

『もう一つの世界【SYNUST】が、君を待つ。挑め、世界の頂点へ!』

2021年7月20日。

明日は、ゲーム史上に名を残すビッグタイトルの発売日だ。


◇◆◇


チャイムが鳴った。

気だるい夏の日差しが、飽きることなく大地を照り焼いている。若々しい木々の青臭さと、きつく照り返す大気が焼ける匂い。穏やかな南風が、歓迎するようにふわりとカーテンを揺らす。

――真夏の始まりだ。

生徒達は一斉に歓声を上げると、我先にと多くの生徒にとっては忌々しい通知表を鞄に突っ込み、まだかまだかと担任教師の「帰って良いぞ」の声を待っている。その担任が書類を取りに職員室に行っているため、このクラスは無法地帯だった。

そんな中、夏風に乗って、少年たちがやんややんやと騒いでいた。

都立東国分寺高校、2年3組の教室だ。スマホでテレビを見始めるものが出て、それを肩口に覗き込む者が出て――どこの高校も似たようなものだろう。スマホの小さい画面に映し出されたCMに、一瞬ざわめくのも。

「なあ修司、買うよな、これ! 『SYNUST《サイナスト》』!」

「当然。チェックしないわけにはいかないだろ。予約したから、今日帰ったらソッコーでやるさ!」

クラスメイトと談笑する、一人の少年がいた。机の中から乱雑に文具を取り出して鞄に突っ込みながら、得意げだ。

名は、川名修司。 淡い栗色の髪に、西洋系か東洋系かつかめないものの、はっきりした目鼻立ち。目は切れ長だが、そこに尖った雰囲気はかけらも無い。むしろ、寝こける動物のような感があった。背は高めで、身体は細身だが引き締まっている。美形でスタイルの良いひょうきん者と揃っている為、当たり前のように人気は高い。女子生徒だけでなく男子生徒からも、付き合いやすい学校のマスコット扱いされている少年だった。着崩した学ランの内側には、校則に挑戦するかのようなボーダーのシャツと銀のドッグタグつきのネックレスが覗く。

「やっぱなー。すごいよな、エルナルドってさ」

しみじみと言うクラスメイトに、修司は頷いた。

「同じ人間とは思えないよな」

「しかも俺達と歳、変わらないんだろ?」

「だよなぁ。神様って不公平だ」

「修司もあとは頭の性能があれば並べるんだけどな」

はあ、とわざとらしくクラスメイトはため息をついて見せた。修司は苦笑して、肩をすくめて見せた。

「無理言うなよ。そもそもさ、普通の『頭の良い子』じゃ太刀打ちできないだろ、エルナルドには。有川さんくらいじゃないと」

ははは、と笑って、川名修司は隣の女子の方を見た。

冷ややかな視線に冷ややかな瞳。流れる、瞳と同じ黒の髪。理知的な美貌といえる外見どおり、彼女の性格はいたってクールだ。成績も学年トップを一年のときから独走している。

「そういえば、有川さんって、夏休み何をするの? 受験はまだ来年だし」

「のんきな人ね」

鞄に学用品一式を詰めながら、彼女は修司の方を見向きもしないで返事をする。修司は気を悪くしたそぶりも見せず、友香の顔を覗き込んだ。

「勉強よ。私はこの夏から英会話のレッスンがあるの」

はあ、と生返事を返す修司とクラスメイト。友香はもともと、日本語はもちろん英語も自在に操っている。父親がどこかの大学の教授で、英才教育を受けてきたというのは有名な話だ。なのに、さらにレッスンとは。

「……勉強熱心だよね、有川さん。すげえや」

そう感心したように言う修司の顔を、クラスメイトはじっと覗き込んでいる。

人付き合いにおいては最悪といえる有川友香と、人付き合いにおいては最高といえる川名修司。この二人は、席が近いこともあってよく話しているようだった……と言うより、一方的に修司が話しかけている。

ほとんどの人間は友香を敬遠しているのだが、修司は全く意に介していない様子なのだ。

「あなたも少し、努力すれば?」

つっけんどんな彼女の言葉に、修司は肩をすくめた。

「できたら苦労しないよ。だって今日は『SYNUST』の発売なんだぜ?」

うきうきとした気分を全身で表しながら、修司は友香にチラシを見せる。自分で作ったわけでもなかろうに、嫌に得意げである。

「……あのエルナルドが全面監修……思考スキャンシステム搭載オンラインゲーム……? ああ、さっきCMしていたゲーム?」

説明を流し読みして、友香はそれをそのまま口に出した。単語の意味はもちろんわかるが、それがどうゲームに活かされているのかはわからない。

「な、すごいだろ!?」

「あなたが創ったわけではないでしょうに」

冷ややかな一蹴を食らって、修司はしゅんとなる。友香は呆れたように、手にしていた本をぱたんと閉じた。

「全く、高校2年にもなってゲームだけで夏を過ごすつもり? あなた、来年の夏のこと考えてないでしょう」

「え? ああ――進路か。そうだなぁ……なるようになるんじゃないかな」

「ならないときの為に、先に打てる手は打っておくのよ」

さも当然と言わんばかりの友香の様子に、修司は口をつぐんだ。

頭が上がらない――もとい、相手にならない。そもそも有川友香は、川名修司のような「能天気な阿呆」が嫌いなのだ。それは重々承知で、いつもは近くにいるからといって話しかけても、邪険に扱われるだけなのだが……。

「あのさ。有川さん。今日、何か変なもの食べた? 今日やけに相手してくれるじゃん。ひょっとしてあれか、明日からしばらく会えないから寂しい?」

ニヤリと笑って修司がこちらの机に頬杖をつく。顔が近い。

しかし残念なことに、川名修司が美形だからといって、ときめく有川友香ではなかった。

「暑いわ、川名くん」

「ええっ、クールビューティーも暑いって思うんだ? 雪女的な感じだと思ってた」

「……失礼ね……」

彼女がそう言ったとき、長々と待たされたクラスに女神が微笑んだ。夏の風に乗った友香の小さな言葉を、修司はもちろん聞いてすらいない。

「センセ、早く解散解散!」

大きく手を振ってヤジを飛ばす修司の横顔に、友香は軽くため息をつく。ようやく担任に解散の号令を出されて、川名修司と有川友香の1学期は終わりを告げた。


◇◆◇


「お帰り、修司」

修司を出迎えたのは、中年の女性だった。小柄で、わずかに白髪交じりの髪。実年齢よりもだいぶ老いて見える彼女は、修司の親、正恵だった。

「ただいま、かあさん」

どさっと机に鞄を投げて、修司はベッドに転がる。ぼんやりと天井の模様を見上げていると、正恵が入ってきた。

「修司、通知表は?」

言われてしぶしぶ修司が差し出すと、母は苦笑しながらそれを受け取った。「見せたくない気持ちはよくわかるんだけどね」と言いながらの彼女に、ますます修司は憮然とする。差し出した通知表には、面白いくらいに小さな数字が並んでいた。

「あらあら。いつもどおり、体育だけはできているのね」

『3』のオンパレードだった修司の通知表に、体育の所だけ『5』の文字。学問はめっぽうできない、と言うより何もしない修司だが、こと体育に関してはずば抜けたものを持っているのだった。

「ふふん。もっと褒めて良いぜ」

「もう少し勉強しなさいね。せめて私、一度で良いから4が見てみたいわ」

「じゃあ希望を持って待っててよ。数学だけは希望があるんだ。ただし、古典があるかぎり国語は勘弁してください。才能の限界だ」

茶化すように言う修司に、彼女は口を曲げて彼の頭を小突いた。

「体育だけじゃどうにもならない瞬間があるの――って、聞いてるの?」

「聞いてるよ。とりあえず、このゲームに俺はしばらく夢中になるから! 勉強はそのうちやるよ、俺の本気を信じていて!」

そう言っている人間のほとんどは本気にはならないものなのだが、本人にその自覚はないらしい。正恵は苦笑しながら、息子にふと、

「そうだ、修司。手紙が来てるわよ。台所のテーブルの上に置いておいたから」

思い出した手紙の存在を告げた。


その頃。

「ああ、これね」

家に帰ってポストを見、有川友香は眉を寄せていた。その手には、フルカラーで印刷された『SYNUST』のチラシがある。

「川名君も、何がそんなに楽しいのかしら――あら」

チラシの他に入っていた手紙は、彼女の父宛ばかりだった。彼女の父・有川康三は、某国立大学の教授である。国際情勢学および経済学の専門家で、世界的にも名が知られている著名人である。多忙で、めったに家には帰ってこない。母は友香が幼い頃に死去しているため、実質一人暮らしだ。父が元気かどうかは、テレビを見ればだいたいわかる。一週間に一度は、情報番組でコメンテーターをしているからだ。きっちりと秘書だかマネージャーだかを雇っているようで、やつれた印象はないなと彼女は観察していた。

彼女に手紙が来るとすれば年賀状くらいのものなので、郵便物は目を通すだけだ。彼女宛の年賀状は、海外からのものばかりなのである。父の仕事柄外国を回った経験が豊富な彼女は、外国の方が性に合っているらしい。そもそも、人に合わせたりみんなと同じだったりといった、協調性というものが欠けているからかもしれないが。

ともあれ、まずは家の掃除をして、次に夕飯の買出しだ。明日からは早速英会話のレッスンが詰まっているので、買出しは入念に行わねばならない。こういう時、一人暮らしは不便なのである。メイドでも雇おうかしら、などと考えて、費用対効果を計算してみる。

郵便物を抱え、家に入る。夏特有のモワッとした熱気が彼女を出迎え、反射的にエアコンのリモコンに手を伸ばした。昼間、川名修司に言われた「雪女」を思い出して苦笑する。怒りではないことに少しだけ驚きながら、彼女はテレビをつけた。

ニュースでも見よう――この時間、どうしてもワイドショーになってしまうが――を眺めながら、彼女はぼんやりと呟いた。

「まったく、そんなにすごいの? このゲーム?」

どこのチャンネルに合わせても、『SYNUST』の話題ばかりだ。あのエルナルドが監修、システム開発を請け負ったと書かれているのだが、どこまで本当だか信用ならないものである。あの多忙な青年が、こんなゲームひとつに時間を割くものだろうか。売名目的で、彼の名を出しているのではないだろうか。

と、そこで番組が慌しくなってきた。

「?」

何が起こったのだろうか。移しているカメラが画面に入ってしまったり、アナウンサーが混乱したり、なにやらただ事ではない雰囲気である。しかも速報まで出た。

『エルナルド=フォン=ハウゼン緊急来日!』

との事だ。いちいちこんなことを報道するなど、日本は相当暇なのだな――と、友香は皮肉に思っているのだが。

「ねえ。エルナルド。インタビューだけってことはないでしょう?」

どこか寂しそうに呟いて、友香は少しだけテレビのボリュームを上げた。

あの世界的VIPが、何をしに日本に? まさか本当にゲームを作って、それの宣伝にやってきたのだろうか。

もっと情報はないのかと思いながら、友香は他のチャンネルに回す。そこでも、速報が出ていた。こちらのチャンネルではもう少し詳しく、7ヶ所での開発者インタビューに出席するために来日したようだった。そこでは、今回のVIP来日について、他の開発者達がコメントを述べていた。

『まさか、本当に彼が参加してくれるとは思っていませんでしたよ!』

『うちの上も、参加してくれないのを前提で、ダメで元々で頼んだそうですが……。そのおかげで、プログラムは捗るし斬新なアイディアは出してくれるし。サイナストのつながりが終わっても、わが社のメンターになっていただきたいものですね』

『すごい人ですよねぇ、やはり。天才は違います』

などなど、よく見かける企業のお歴々が好き勝手に賞賛している。そこで、空港に到着したエルナルド本人へと、取材陣が殺到しているところが大写しにされた。

柔らかそうな栗色の髪に色白の頬、灰青色の瞳の青年が、丁寧に取材に応じていた。黒いジャケットにカーキのスラックスをラフに決めて、彼はシルバーの腕時計をちらりとのぞく。分刻みのスケジュールなのだろう、彼は流暢な日本語で、『今は忙しいので、後日場を設けますね』と言った。後に『「SYNUST」、一生懸命作りました。ぜひやってみて下さい』とスマイルを追加するのも忘れない。商売上手だ。

この後は、もちろん延々と握手のできた幸運なファンへのインタビューやら、日本語をいつのまに覚えたのか、などというコーナーが続くわけだ。

無料体験コーナーもある『SYNUST』公式ホームページの宣伝が終わって、友香は苦笑を浮かべた。

「本当に、夢を見ていたのね。彼は」

無関心だった友香の心に、小さな興味が湧き出していた。世紀の天才、世界の頭脳とまで呼ばれる青年が作り出したものは、はたしてどんなものなのだろう。

友香の視線の中で、エルナルドが語った開発段階のエピソードが特集されていた。

「『SYNUST』最大の売りは、やはり思考スキャンシステムを搭載していることですね。両手を放して、バーチャルとリアルの行き来ができる。夢があると思いませんか? 自分で作っておいて、自画自賛みたいですけど」

テレビ画面の中で、エルナルドが照れくさそうに微笑む。

「思考スキャンシステムとは、具体的にはどのような?」

取材班の問いかけに、彼は身振りも交えて説明を始めていた。

「耳に、こういう『リーダー』と呼ばれるパーツを付けてもらいます。ここは脳に近い部分ですから、神経系を流れる小さな電流を、ダイレクトにキャッチできるんです。その電流については説明を省かせて頂きますが、この電流によって、人の感情と状態を読み取ることが可能なんですよ」

「エルナルドさんは、脳神経学の博士号も持っていらっしゃいましたね。その称号を最大限利用された、と。また、アメリカ黒魔術や西洋の白魔術の造詣が深いと聞いていますが、それも?」

「ええ。こんなところで役に立つとは思いませんでしたが」

笑うエルナルドには、天才ゆえの皮肉さなど無かった。ただ、ほんの少し珍しい宝物を自慢する少年ような顔をしている。

「それを、スマホの――これ、『イーター』というパーツでデータを受信し、画面の中で展開しているキャラクターのステータスに反映させるんです。使っているシステムはBluetoothです。『リーダー』には音声収集の機能もついているので、音声でキャラクターの台詞を生み出すこともできるんです。今のところ、国連公用5ヶ国語と日本語、ドイツ語、韓国語に対応していますよ」

「エルナルドさんご本人は、何ヶ国語をお使いに?」

その質問に、エルナルドは肩をすくめて指折り数え始めた。聞いたほうが、「そんなに多いのですか?」と青くなっている。

「そうですね。母国ドイツ語、お隣のフランス語とスペイン語、もちろん英語は必要なので学びましたが……後は中国語と、ロシア語と……そうそう、ロシア語はかなり大変でしたが、日本語ほどではないですね。日本語はとても難しかったんです」

「しかし、すごいですね。そんなに学ばれて」

「確かに大変でした。でも、そのおかげで通訳無しでファンの方達や地元の販売員の方と直接意見交換ができる。言葉の力って、素晴らしいと思います」

話ができすぎている、と友香は思う。出来すぎて、格好が良すぎて気に喰わない。

「他に、『SYNUST』だけの! という一押し部分はありますか?」

「たくさんありますよ。そうですね……エグゼクティブ・ヒストリアン社という、歴史関連の雑誌やゲームを手がけている会社が参入してくれたおかげで、とても濃厚な世界観が生まれたことでしょうか。他にも、映像は日本とイギリスの共同出資で有名なブリリアントメディア社に参入していただいて、映像クオリティには自信があります。まさかロケ隊を世界一周させるわけにも行かないので、中近東や東南アジアを含め、40ヶ国以上もの協力を頂きました。期待を裏切らない作品だと自負しています」

かなり大掛かりなプランだったことだろう、と友香は他人事のように思いながら画面を見つめている。そこで、インタビュアーが感激したように、料金表などを掲げて見せた。

「最後に話すとすれば、あとは価格帯ですね! 日本円で月々500円の遊び放題。基本プレイは無料で、追加課金のみオプションとは……すごいことだと思うのですが、これは、どうしてです? もっとコアユーザーを狙えば、収益が見込めますよね?」

聞かれて、エルナルドは快活な笑みを見せる。ファンは今頃、画面の前で釘付けになっていることだろう。確かに、美男子である。

「経営者としては、収益を求めないといけない。それは重々承知ですよ。でも、いまやインターネットや携帯電話といったツールは、全世界に広がっています。幼い子供でも参加できる。だからこそ、価格を抑えて遊びやすくするべきだと僕は考えているんです。お小遣いが足りなくて遊べない、と言う子どもさんが一人でも少なくなれば良いな、と。それに、自信があるんですよ。500円でも経営破綻はしない、ってね」

少しだけ悪戯っぽい笑みを見せて、エルナルドはテレビに会釈した。言っていることは正論で、その上王道を行く理想的な青年だ。ここまで出来過ぎていると、人間ではないのではないかと思ってしまう。

さて、買い物に行こう――と、友香はテレビを消して席を立った。そのとき、タイミングよくドアベルが彼女を呼ぶ。

「はい」

何の用だろうかと、友香はインターホンで相手を確認した。宅配便が届けられたようで、彼女は印鑑を手にしてドアを開ける。

「宅急便です。取り扱い注意なんで、気をつけてくださいね」

にこりと微笑んだ宅配便のおじさんは、彼女にそれを手渡して、手馴れた様子で印鑑を押して帰っていく。意外と軽いその箱を眺めて、友香はしばし立ち尽くす。

宛て名は、彼女と父の名。そして差出人は、「トレスモルド・カンパニー・日本事務局」だった。不審に思いながら箱をあけ、まず最初に入っていた手紙を取り出す。

洒落た織り模様入りの封筒に、見慣れない金の印章が描かれた封筒は、否応無く上流階級を思わせる。裏返しても差出人は無いが、緊急の届け物だとすれば見なければならないため、彼女は封筒を開けることにした。

そもそも、差出人がトレスモルド・カンパニー・日本事務局となっている段階で――もう彼女の中で、ある程度の想像がついている。少しだけ鼓動が高鳴るのを、彼女は否応なく自覚した。

綺麗に折り畳まれた便箋には、流麗な筆致の英文が綴られていた。一番下、差出人の名前を先に読み――彼女は口の端を少しだけ、やさしくゆがめる。トレスモルド・カンパニー経営最高責任者(CEO)兼トレスモルド財団会長、エルナルド=フォン=ハウゼン。さっきのテレビの貴公子からだった。

父の仕事についていった船の上で一度だけ会ったことがあり、親交を深めた相手だ。何年かに一度は、新年の挨拶をやりとりしている程度で、最近はめっきり連絡も取っておらず、知り合いが有名人になってしまった程度に考えていた。

そんな彼から、手紙に小包。

おそらくそれは、全てこの手紙に記されている。彼女は日本語を読むのと変わらぬ速さで、英文に目を通し始めた。


――親愛なる友香へ


 拝啓。お変わりなく過ごしていらっしゃいますか? 突然のお手紙で、驚かせてしまっていたら申し訳ありません。今回は、有川康三博士のお勧めでお手紙を差し上げました。

 僕の環境は、以前貴女に会ったときから大きく変わりました。慌しくて仕方ないですが、やりがいのあるプロジェクトに参加して、形を残すことが出来ました。このプロジェクトには、貴女のお父上の助力もあったんです。とても紳士的なお父上だ。貴女のことを聞いたら、僕のことを覚えてくれていると聞きました。是非、時間さえあればまたお会いしたいですね。

 ところで、例のプロジェクトの完成品を是非遊んでもらいたく、ひとつ贈らせて頂きました。あなたにお贈りするのを、康三博士が勧めて下さったのです。もし楽しんでもらえれば最高です。だって、あの時3人で……もっとも、弟は眠っていたから、2人で話した『夢』の世界なのだから!


追伸

 この作品のインタビューの関係で、しばらく日本に滞在することになりました。もしも時間があって、あなたが良いというなら、日本を案内してくださいね。


トレスモルド・カンパニー エルナルド=フォン=ハウゼン


敬具


向こうがこちらを覚えているとは思わなかった。いや、正確には――覚えてくれていることに、安心した。

「忙しいって言っても、天下のエルナルドにだって自筆の手紙を書く時間はあるのね」

悔し紛れに言ったわけでもないが、ゴーストライターかもしれないという思いは、友香の中にはなかった。勘ではあるが、当たっている自信がある。一度だけ会ったことのあるエルナルドは、そういう男だった。幼かったが、紳士だったのだ。

案内してくれというなら案内くらいはしても良いと、友香は思っている。川名修司が見れば、また「変なものでも食べたのか」と聞いてくるような微笑を浮かべながら、彼女は丁寧に手紙を封筒に戻した。

ともあれ、この手紙ではっきり分かったことがある。この小包には、「SYNUST」が入っているのだ。


◇◆◇


でんと箱を置いて、川名修司とその一味は、意気揚々とセットを取り出し始めた。

6畳の彼の部屋だ。古く、色の変わった畳の上に座っているのは、修司を含め、三人の少年少女だ。

一人は、細身で小柄な少女――細川沙姫。芸能界にもデビューを果たしている少女で、長い金色の髪に色白の肌をもち、淡い桃色のレースをあしらったロリータファッションに固めている。髪は染めているが、もともと色白ということもあって、人形のような風情だった。その横にいるのは、高校生柔道では右に出るものの居ない王者、矢木永治だ。190を超える長身に鍛え抜かれた身体を持ち、いるだけで威圧感をかもし出すような青年だった。刈り込んだ黒髪に太い眉、大雑把な作りの顔立ちなのだが、なぜか不思議な愛嬌がある。

この3人は、高校ではそこそこ名の知れた3人組だった。そのうち一人は芸能人、そのうち一人は柔道の高校生チャンプ。そして、2人を率いるのは、正体不明の優男ときた。とにかく目を引く。

修司は器用にパーツを取り出し、組み立てるべきところを組み立て、2人にアドバイスをしながら先に進めていた。2人があと少しで完成というところまで見届けて、彼は待ちきれない風情で、

「よし、お先!」

嬉しそうにスマホを付属の『SYNUST』IDカードをリンクさせた。電話の外部接続部分に一本のケーブルを繋ぎ、IDカードのデータを読み込ませると、スマホ画面に小さな魔女が映し出され、『リンク中』と吹き出しが描かれた。その間に、片側だけのヘッドホンのような部品を耳に掛ける。『リンク中』が『測定中』に切り替わり、瞬時に何かが画面に映った。文字と共に画面の色がグリーンへ。

「ほう。今の俺は『健康』だって」

言うと、同じ作業をしていた矢木も「俺は『緊張』だとさ。こういうメカ弱いからな」と答える。ようやく装着が終わった沙姫も、「私も『緊張』だって」と報告する。ともに、画面の色はオレンジだった。魔女のキャラクターが再び現れ、画面に手をついて問いかける。ちょうど、画面に触れれば、魔女の手に触れられそうな様だった。


問いかけ。すなわち、【DIVE (行くか) OR NO (帰るか)?】と。


「もちろん行くよな?」

修司が真っ先に入り、自分の分身キャラクターの作成画面に入る。二人も続いて入り込み、三人はしばらく「あーでもないこーでもない」と、キャラクターのデータ作成に没頭しはじめた。

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