シーン42 整理

 昨日。店長は、わたしが誰かにフラれたと思とったらしい。それくらい、わたしの機嫌は悪かった。違う。わたしは機嫌が悪かったんやない。ぴんぴんに張り詰めてたんや。


 わたしがリプリーズの写真を撮って、ひょいと入った小さな空間。何の変哲もない隙間。そこで起きた小さな異変にわたしが気ぃ付かへんかったら、誰も、何も、変わらんかったはずや。せやけど、わたしはそれに気ぃ付いてしまった。わたしは、それに少しずつ引きずられて動き始めた。それは、渦のようにわたしの周りを巻き込んでいく。わたしだけやなくて、いろんな人の生き方を巻き込んでいく。アッコ、クリ、野崎センセ。おかしくなってしまったシンヤもそうや。

 それはわたしのせいやないと思う。思うけど……動き出してしまった流れはわたしにはもう止められへん。それは、今度はしげのさんを巻き込むんやろう。ほんまにそれでええんやろか? 答えは出えへん。


 わたしは少しずつ暑くなりはじめた空気に少しのぼせながら、ガッコの入り口んとこにぼんやり立って、溜息をついてた。


「はよー。でんでん」

「あ、クリ、おはよ。アッコは来るって?」

「行く言うとったよ? そらあ、来るやろ。野崎センセのことでチャンスあるかもしれへんのやし」

「どゆこと?」

「野崎センセがしげのさんとのことでケリつけはったら、ほんまにフリーになるやん」

「あ、なるほどね」

「逆もありうるけど……」

「せやなー」


 二人して、にがーい顔で地面を見下ろしてた。どっちにしたって、野崎センセとアッコが両方はっぴーにはなりえへんやろなあと……予想できたから。


 マギーは来ないんかなーと思った。元々ほっとんど他人に興味示さんやつや。野次馬的な話にはまーず乗ってきぃひん。昨日はたまたまセンセの部屋に居合わせただけや。そんなん俺は知らん言いそうやもん。でも。アッコよりも先にマギーが来た。


「うす」

「来たん?」

「見りゃ分かるやろが」

「せやね」


 クリも、なんや珍しい、雨降るんちゃうかって顔で見てる。


 センセの車が着くと同じくらいに、とぼとぼとアッコがやって来た。センセとのことも卒制のことも、まだアッコにはずしっと重いんやろなあ。なんとか浮上するきっかけを掴んでもらいたいんやけど。どないなるか、全然わからへん。


「うーす。結局みんな来たんやな。行くか」


 センセのことやから、車にもめっちゃこだわるんかと思ったんやけど、地味ぃなセダンやった。


「せんせー、なんかこのクルマ。センセのイメージとちゃいますね?」


 突っ込んでみる。


「ん? 俺はクルマなんか持ってへんよ。そんな、ほとんど使いもせんもん持っとってもしゃあない。これはレンタや」


 うわ。昔はぼんぼんやったってこと、それが信じられへんくらいセンセは地に足が着いてる。人が人を変える。出会いが人を変える。わたしはどうなんやろ? センセのように変われるんやろか?


「さあ、乗った乗った。はよ出んと間に合わへん」


 弾かれたように、わたしたちはばたばたクルマに乗り込んだ。


◇ ◇ ◇


 クルマの中では、ほとんど会話がなかった。


 助手席に乗ったマギーは、ずっと前をにらみつけていた。まるで目の前に宿敵がいるみたいに。

 アッコはずっと俯いている。これからのことは、自分に止めを刺すんやろ。そう思い込んでるみたいに。

 センセは、会ってどうするか決めかねてるみたいに見える。みけんにしわを寄せてずっと考え込んでる。


 わたしは……。


「ねえ、でんでん」


 重いクウキがしんどかったんか、クリがわたしに話し掛けてきた。


「なに?」

「卒制のことなんやけど、でんでんのテーマってなに?」


 あ、そういや固めたら話すゆーて、そのままやったな。


「まい_すぺーす、言うねん」

「は?」

「わたしの場所、ゆう感じかなあ」

「へー」


 クリが首を傾げる。


「なんか、でんでんにしては地味なテーマやねえ」

「ははは、そうやね。棚倉さんにも野崎センセにも内向きや言うて突っ込まれてん。確かにわたしらしないかもしれへん」

「ふふ」

「せやけど」

「うん」


 わたしは、運転席のセンセに話しかける。


「センセ、わたしね。ずーっともやもやしてたんです。センセにもクリたちにも悩んでるように見えたかもしれへん。でも、それは悩みとはちょっとちゃう」

「なんや、欲求不満か?」


 ごん! センセの突っ込みをげんこで返す。


「ちゃいますっ!」

「いてて、ははは。なんや?」

「わたしはどこにいるんやろ。どこに行くんやろ。そりゃあ未来視ることなんか誰にもできひん。当たり前です。でも、いつも自分がふわふわわけわからんところに浮いてる、そんなへーんな感じが気持ち悪くて」

「ふむ」

「それは専門に来る前の高校の頃からずうっと変わってへん。高校ん時は、思春期に付きもんの不安感やろって自分でそう思い込んで、周りからもそう言われて」

「なるほど」

「でも、ちゃいますね。もう専門卒業して就職しようゆう時になっても、まあだもやもやが取れへん」


 わたしはクリの方に向き直る。


「わたしは今までクリやアッコに何でもゆうてきたつもりやけど、このもやもやの話はできひんかったんよ。説明のしようがないし、クリたちも答えようがないやろ?」


 クリがすぐにうなずいた。


「うん、そうやね……」

「だから。就職してからもこんなわけ分からんもん抱えてうだうだすんのはイヤや。そう思て、わざとくっさいテーマにしたんよ」

「そっか。そういう意味やったんやな」


 センセがふっと息をつく。


「はい。でもね」


 わたしはアッコの方を向く。アッコは何も言わないで、じっとうつむいてる。


「わたしの場所っていう特別な場所は。たぶんどっこにもないんやと思います」

「ほお?」


 センセがぐるっとお振り返る。


「センセ! まじヤバいって! 前向いてください!」

「お、済まん」

「わたしのいるところは、どこでんわたしの場所や。せやのにどっかにわたしの場所を作ろうとした途端に、わたしはそこに閉じこもる。そこは牢屋になってまう」

「うん」

「棚倉さんやセンセにどやされたんは、そういうことやと思います。棚倉さんのど突きは激烈でした」

「あいつ、何言うたんや?」

「部屋の隅っこでへらへらマスかくやつは要らへんて」


 ずごん! クリがぶっこけた。センセが苦笑いしてる。


「ったあ、あいつも大概やな」

「ははは。でも、棚倉さんが言おうとしてたこと。よく分かります。センセも言うたやないですか。棚倉さん、必ず上を求めて来よるって」

「おう」

「最初きっついなあ思たけど、考えてみれば当たり前のことやった。自分イコール部屋やとしたら、それぇ必死に壊していかな、いつかはその中に閉じ込められる。そういうことやないかと。単純に向上心とか、そういうのとはちゃうんやないかなあと思います」

「ああ、なるほどな」

「部屋には窓も扉もあらへん。それは自力でこじ開けなあかん。内向きになってるヒマなんてあらへんねやで? 棚倉さんはそう言ってくれたんやと思ってます」

「そっか……」


 ハンドルをぽんぽん叩きながら、センセがわたしに確かめる。


「でんでんのもやもやは、それでなんとかなりそうなんか?」

「分かりません。せやけど卒制のテーマ立ててから、自分の抱えてたもん、だいぶ心の中で整理できたような気はしてます。整理しきれてへんのが……」

「そうか。しげののことか」

「はい」


 センセは。またむっつりと黙り込んだ。刻一刻と。その時が近付いて来た。


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