シーン10 昔々

「だああああっ」


 朝っぱらから。疲れ倍増。


 設計事務所の事務員の求人があったんよね。ぜいたく言ってられへんから朝一に面接に行ったら、ちゃんと電話連絡してあったのにそんなん聞いてへん言われて、会ってもくれへんかった。門前払い以前やん。くっそー。電車代返せ、ぼけー!


 どっちらけのぐだぐだ状態でガッコに行く。デザインルームで涼んでこ。


「おー、でんでん」


 その前に、廊下で野崎センセに捕まる。


「なあんすかー」

「ぐだぐだやな」

「しゃあないっすよー。面接に行ったんやけど、電話連絡してあったのにそんなん受けてへんやて。人ばかにしてるわ、まったくぅ」

「うがあ。ご苦労さん。まあそんなええ加減なとこ、採用されたってどうせ使い潰されるだけやろ」

「ううー、確かにそうかもぉ」

「デザイン系か?」

「いや、設計事務所の事務です」

「なんや、事務かい。えらいハードル下げたんやな」

「だってぇ、ぜいたく言ってる場合ちゃいますもん。仕事の中身はともかく、クウキだけでんそれっぽいとこがいいかなあと思ったんやけど」

「撃沈、か」

「はいー」

「まあ、数こなすしかないわなあ。でんでんがハードル下げるんやったら、俺もいくつかあたり付けといたるわ」


 わお。そら助かるわー。


「ありがと。センセ」

「まあ、それも俺の給料のうちやからな。理事長も、ガクセイの就職率上げんとようけ給料出してくれへん」


 ぐわあ。そっかあ。


「教えるだけじゃダメなんすか?」

「ははは。俺らは何でも屋やからなあ」


 うちらの専門の校長は結構若い人やったと思うけど、理事長は知らんなあ。


「センセ、理事長って、そんないけずなんすか?」

「いけずって……。まあ、うちみたいなとこは、生徒呼んでなんぼやろ? あんま就職率低いと生徒来ぃひんから、経営者としちゃあ気にするやろ」


 ふうん。そういうもんなんかー。


「理事長って見たことないなー」

「そっか? たぶんでんでんも毎日見かけてると思うで」

「え?」

「しわいからなあ。きったない服着たじいちゃんさ。掃除のおっちゃんと見分けつかへんやろ」


 ぐわあ。えっらい変わりもんやん。あんま、関わりたないなー。


「スケベやけど、おもろいじいちゃんや。話しかけてみ」

「やあだあ」

「はっはっは。あ、おまえ卒制どうすんの?」


 ひぃ。やっぱチェック入るよなあ。


「ううー」

「まあ、急かすわけやないけどな。おまえの性格やと、駆け込みでばたばたやっつけんのは性に合わへんやろ?」

「そうなんすよねー」

「休み明けからやとスケジュールがしんどくなるでぇ。仮置きでいいから、なんか出しといたらええやん」

「うむむー」

「おまえも、みょーなとこがまじめやなあ」


 野崎センセが、わたしをぐるっと見回して苦笑した。


「おっと。それじゃな」

「はいー」


 時間を確認したセンセが廊下を走ってく。ふう……。デザインルームでくたろう思たんやけど、なあんとなくキブンちゃう。エントランスでジュースでも飲んでこ。


◇ ◇ ◇


 自販機に寄りかかって、溜息をつく。うー。がっつり夏やと言うのに、こんなぐだぐだな感じはヤやなあ。さっさとカタつけて、ぱあっと遊びたいなあ。遊ぼう思たら、時間はいっぱいあるねん。でも、今は気合い入れて遊びきれへん。そんなら、時間とおカネがもったないもん。やっぱ、宙ぶらりんはしんどいわ。


 わたしは手帳を出して、今日の午前の予定に赤ペンでぎっぎっとばってんを書いた。なーにが明るく、働きがいのある設計事務所や!


「くそったれ! えらっそうに!」


 ばりむっかつくぅ! 自販機が悪もんやないけど、思わずどつきたくなる。手をぐーにして振り回そうとしたら。真横で、ごっつい声がした。


「どけ」


 うおっ! びっくりしたあ! 百円玉を指でちんちんと跳ね上げながら、マギーが冷ややかにわたしを見下ろしてる。


「ったく。立ち位置考えろよな。あほが」


 悪意はないんだろうと思うけど。マギーに今そう言われると、自分の立場をわきまえろってバカにされてるみたいで、べーっこりへこむ。


「あいあい」


 どいたわたしのスペースにごりごり手を突っ込むようにして、マギーが百円玉を二枚落としこんだ。がこん。出て来たコーラの口を切って、その場で一気飲みしよった。


「おま……ようそんな炭酸のきっついの、一気にいけるなー」

「楽勝や」


 にこりともしないでぼそっと言い捨てたマギーが、空のペットボトルを回収ボックスに無理やりねじ込んで、無表情に外に出て行った。せやけどなー。あいつも、どーっか抜けとるわ。


「お釣り取り忘れとるで、あほー。もろとこ」


◇ ◇ ◇


 ジュース買いにエントランス行ったのに、買うの忘れてた。もう、ええわ。昼ご飯どうしよーかなー。面接に出る前に朝しっかり食べたし、暑いからあんま食欲あらへん。少し遅らせようっと。


 そういや、さっき野崎センセが理事長の話してたよね。どんなおっさんやろ? 専門の校舎のいっちゃん上の階に理事長室があったはずや。こっそり覗いてこよ。こんなことでもないと、行くことあらへんし。


 エレベーターで一番上まで上がる。講師の先生たちの部屋がずらーっと並んでて、廊下のどん詰まりに、向い合せに校長センセと理事長の部屋やったな。先生たちはみんな食事に行ったんかしらん、廊下はごっつ静かやった。理事長の部屋言うから、ごっつ広いんかなーと思ったけど、部屋の広さは講師の先生のと変わらん感じ。へえー。


 理事長の部屋の扉は開いてた。すっごい豪華な部屋かなー思たら、うわ。きったねー! 散らかってるっていうより、がらくたぜえんぶ押し込んだったーいう感じ。まんま、物置きやん。確かに、野崎センセの言ったみたいに変わりもんぽいなあ。近付かんとこ。部屋をこそっと覗き込んでたわたしが、顔を引っ込めた途端に声がした。


「誰や。来たんなら挨拶くらいしとかんかい!」


 う。見つかってたんか。理事長さんにヘソ曲げられるのはまずいやろなあ。


「あの……造形科三年の穂村ですぅ」

「なんや、デリヘルか?」


 こ、こひつわー!


「ちゃいますっ!」

「つまらんのー」


 がらくたの奥からじいちゃんがぬっと顔を出した。こ、これが理事長? 浮浪者じゃなくってー? アタマイタイ。ひりひりひり。すっごいカッコやわ。ステテコにランシャツ。それも真っ白じゃなくって、いつから着てるんやろっていう煮しまった色。ぐえー。


 わたしは、思いっきり腰が引けてたと思う。どうやって逃げるか、それしか考えられへんかった。逃げ腰のわたしを見た理事長が、にやーっと笑う。


「なんや相談かい? 授業料まけてんかーとか、そういう話には乗れへんで」


 黙って逃げるわけにもいかへんし。何か話振って、オトして帰るしかないよなー。わたしは諦めて、覚悟を決めて部屋に入った。


「失礼しまーす」


 うわ、あっつー!


「理事長、エアコンつけへんのですか?」

「経費節減や。こんだけ薄着にすりゃあしのげるで。二枚脱ぐだけですぐベッドインできるしな」


 エロじじぃ。しょうもな。それにしても電気代ケチるのにこのカッコかあ。ほんま、しわいんやねえ。部屋中にあるガラクタももったいない言うて、かき集めてきたんやろなあ。


「まあ、座りぃ」


 って、どこへ? 椅子なんかどっこにも見えへんけど。


「あ、いえ、立ったままでいいです」

「立ったままヤるのはしんどいで」


 こんの、エロじじいっ! 野崎センセ、ちと限度超えてますやん、このじいちゃん。わたしは理事長のイジリをスルーして、ちょっと思い出したことを聞いてみた。


「理事長は、この辺りのことには詳しいんですよねえ」


 にやにやしていた理事長が、きょとんとした顔に変わった。


「そらあな。もう五十年以上ここいらで商売しよるからなあ」

「ちょっとお聞きしたいことがありまして」

「なんや? どこぞの飲み屋のねえちゃんがええチチしてるとか、そういうのは任しとかんかい」


 女生徒にそれ言うてどないすねん。だあほ。


「リプリーズっていう喫茶店を知ってます?」


 理事長が、がっかりした顔をする。


「ああ、知っとるよ。辛気くさいとこやな。この前潰れよったろ」

「はい。んで、いつ頃からあったか分かりますか?」

「うーん……」


 何あほなこと聞きよるってスルーされるかと思ったけど、理事長はマジメに記憶をたどってる。確かにおもろいわ。このじいちゃん。


「そんなに昔からあったわけやないな。七、八年前やろ。うちがビジ専から今の業態に変えたちょっと後に出来たはずやから」


 え? ええっ? えええーっ? わたしは一気に血の気が引いた。昨日しげのさんからもらったコメ。しげのさんは、十年前にリプリーズに行ったって。どう考えても合わへんやん。もういっちょ、確認しよ。


「えと、えと、栄進堂っていう問屋さんがあのあたりにあったって聞いてますけど、知ってます?」


 理事長はわたしの顔をしげしげと見て、首を傾げた。


「ずいぶん昔のことを知っとるデリヘルの姉ちゃんやな」

「ちゃいますーっ!」


 にやっと笑った理事長が、腕組みしてぶつぶつ何か言いながら考え込んだ。


「うーん。この辺りが問屋街だったんは、ずーっと前やで。老舗んとこは、まだ店構え残してるとこもあるねんけどな。ほとんどビジネスビルばっかりになりよったさかい」


 栄進堂って、そんな老舗なんだろか?


「なんの店や?」

「あ、薬問屋だって聞いてますけど」

「薬問屋ぁ? あ、あれか」


 理事長が、がらくたの山を踏み越えて書棚の方に歩いて行った。それから、背表紙が焼けた小さな本を抜いて、わたしのところに持ってきた。


「わいの友達にな、郷土史やっとんのがおんねん。そいつが、この界隈の歴史を調べとるんやけどな。ほれ」


 理事長が開いて見せてくれたページに、ふるーいお屋敷みたいのの写真がででんと載ってる。


「それが栄進堂やな。わいがガキの頃からあったさかい、結構古い店やと思う」

「えと……今は?」

「とっくになくなっとるがな。わいがビジ専始めたんが二十五年前やけど、そん時にはもうあらへんかった」


 ぐ……え。気分が悪ぅなってきたわ。冷や汗が出る。


「おい、ねえちゃん。顔色悪いで、大丈夫か?」


 って、なんでムネに手ぇ伸ばしてくるんじゃ。このエロじじぃ!

 理事長の手に渡された本で蓋をして。わたしは、おじぎをしながら退却した。


「理事長、いろいろ教えてくれてありがとうございます。失礼しましたー」

「はっはっはあ。今度はもっとゆっくり来たらええ。ベッド用意しとくさかい」


 とほほ。


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