シーン05 確認

 クッキーの重ったい警告と、昨日のカラオケ絶唱の後遺症。ダブルパンチで、わたしはべっこりヘコんだ。今日は、あとはパスしよ。とは言っても灼熱地獄のアパートに昼間っから戻るのもいややし。さっきセンセにほとんど構ってもらえんかったアッコの、嫌みたらたらを聞きながらマクドすんのもうっとーしー。本屋でも覗いて、時間ずらしてマクド行こ。


 専門のエントランスを出たら、外はぎんぎらぎんだ。昨日よりもっと暑い。げひー。うんざりするわあ。暑すぎてもやもやすら蒸発しそう……ってなことはないな。暑い時には、やっぱ怪談やね。わたしは、半分焼けくそになってリプリーズの方に歩っていった。


 行き過ぎる人たちの足音だけが響くところ。しんと静まり返った店。うん。昨日となーんも変わってへん。ちと確認してみよう。あれきりやったんかもしれへんし、わたしの勘違いだったかもしれへんし。


 店の前で自分の腕時計とスマホの時間を確認する。十一時過ぎやね。銀行の電光掲示の時刻も同じだ。よーし。スマホの画面を日陰で確認するようなポーズで、昨日行った建物の隙間に潜り込む。入った途端、ひやっとした空気がわたしを包む。ふう。極楽やなあ。

 入ってすぐに腕時計で時間を確認する。それからスマホの画面でメールを流し見しながら、五分間過ぎるのをじっと待った。


 よーし、五分経過。隙間を出て、真っ先に銀行の電光掲示を確認する。あ、あれえ? 慌てて、自分の腕時計を見て、比べる。


「時間……経っとらへんやん」


 さっきわたしが隙間に入る前と、ほとんど時間が変わってへん。うがあ! 昨日と逆だあ。今度は、わたしんとこだけ時間が過ぎてもた。昨日は三十分の損。今日は五分のもうけってか。そういうこっちゃないやろーっ!


 明らかにここはおかしい。時間が狂ってまう。進むだけやなくって遅れることもあるってことなん? 確かめよう。銀行の時計と比べればいいから、長時間隙間にいる必要はないよね。時間を合わせやすい腕時計の方を合わせて、隙間に何回か出入りしてみた。


 うーん……。それで分かったこと。わたしが隙間に入った時に、そこの時間が進むか遅れるか。そのどっちかは最初からは分からへん。でも、必ずずれる。ずれるスピードは一定してへん。五倍から五分の一の間くらいで、いろいろ。それと隙間を出たところで、時間への影響はもうなくなる。


 わたしは試している間、ただひたすら時計とスマホの画面を見てた。で、ふっとあることに気付いた。


「わたしは。隙間にいるわたしは、外からどんなふうに見えてんのやろ?」


 わたしがどう見えるかはともかく、わたしが隙間から外を見た時にどうなってるかは、今すぐ確認できることやね。わたしはスマホをバッグに放り込み、ポケットに手を突っ込んで隙間に入り込んだ。そして、そこから通りを眺めた。


 げげーっ! な、なんだあ!?


 行き交う人が、まるでジェット機のように通りをすっ飛んで行く。とろっとろ歩ってるはずのばあちゃんが、陸上の百メートル全力疾走みたいな速さ。自動車はほとんど溶けた筋みたいになってて、形が全く見えへん。これって、まんま早回しのフィルムやんか。


 ぞっとする。口の中がからからになった。つばを飲み込みたいけど、そのつばが出てきぃひん。慌てて、通りに飛び出た。暑さを感じたことで、逆にほっとする。体なんかほとんど動かしてへんのに、息がめっちゃ荒くなってる。


 はあはあ。はあはあはあはあ。


 どないしよう。気持ち悪い。でも……もう一度確かめたい。さっきのは、中の時間が遅くなるパターンやね。その逆の場合は? 意を決して、また隙間に入り込む。振り返ると……今度は人も車も止まってた。いや、違うな。動いてる。動いてるけど、かたつむりみたいにのろのろと。


 わたしは……ものっすごくでっかい溜息をいくつかついて。それから隙間を出た。


◇ ◇ ◇


 本屋でファッション雑誌をいくつか立ち読みして。それから、ふっと思い付いて。前から欲しかったダリの画集を買った。あの有名な絵。そう、時計がぐにゃりと歪んで垂れ下がってる絵。それがわたしの目に焼き付いたからかもしれへん。この絵は空想の世界よね。でもわたしがさっき体験したのは、間違いなくほんまのことや。時間が狂ったままの腕時計とスマホの時刻表示。それが、わたしに逃げ道を与えてくれへん。ふう。


 わたしは、トモダチと出くわしそうなマクドに行くのを諦めた。そいでなくても、もやもや状態をいろんな人に覚られてる。こんなん、わたしらしない。見られたないねん。でも、バイトまではまだだーいぶ時間があるなあ。


 おっと、そうや。日本橋まで行って、どっかで扇風機見てこうか。今のはほんとにいらいらするねん。あそこなら、どの店も中ぁ涼しいやろ。安いメシ屋もいろいろあるしぃ。たまにはおっさんモードもいいよな。


 走る必要はないんやけど。わたしは、ぱたぱたと走り出していた。


 ……何かから逃げ出すように。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る