まい_すぺーす

水円 岳

シーン01 もやもや

 かったるぅ。暑いからじゃなくして。自分がどこにいてん、もやもやしてるような気がして。


 好きなことはいっぱいあるんよ。おいしいもん食べたいしぃ、おしゃれもしたいしぃ、カレシも欲しい。行きたいとこ、見たいもの、したいこと、いっぱいある。だからぎっちりバイトしてるし、情報もしっかり集めてる。休日のスケジュールは空けたない。暑いからってだらーっとしてるわけやない。せやけど。わたしはずーっともやもやしてる。


 高校の時は、なんかばたばたしてるうちに過ぎたあいう感じで、このもやもやはほっぽってあったんよ。そういう年頃だったんやないんかなーって。周りもそう言うし、自分でもそうやと思い込んでたみたい。

 高校出て。今のアート系専門学校に入って。毎日課題に追いまくられてるけど、すっごい充実してる。新しい友達もいっぱい出来たしぃ。就活はしんどいけど、焦ってハズレ引くのはいややから決まるまではバイトで乗り切ればええよなって。自分ではちゃんと納得してる。


 そうなんよね。何も。なーんにも、足らんもんなんかない。わたしは欲しがってて、それに見合ったもんがちゃんと当たってる。今手元にないもんだって、きっとそのうち手に入ると思う。でも。それでも、このもやもやがずーっと取れへん。なんなんやろ? 人に聞かれても説明できるようなことやないから困ってしまう。


 悩みがあってん、わたしは全部しゃべって晴らすタイプ。隠し事にしないで、全部オープンにして、そいでみんなに言ってもらう。


「そんなん、大したことないやん」


 うん。そう言ってもらえるもんは大したこっちゃない。そいで終わり。おっけー。でもなー。もやもやは形にならへんからもやもやなんであって。言葉にも、映像にも、態度にもうまく出来ひん。ごっつうっとうしい。


 それにしてん暑いなあ。


 照り返しのきついビル街のいっちゃん底に立って、くきくき鋭角に切り取られた青空を見上げる。雲一つないどぴーかんで、無情なくらいまっつぁおだ。眩しい通り越して焦げそう。リーマンのおっちゃんたちは、ばりエアコンの効いたオフィスで快適に仕事してるんやろなあ……。

 課題材料でぱんぱんに膨れ上がったトートバッグが、脇汗でくたってきた。あかん。せっかくマクドで涼んできたのが台無しや。さっさと行こ。


◇ ◇ ◇


 ガッコのラウンジで卒制どうしようかなーと考えていたら、アッコに捕まった。相変わらず攻めた格好してるのう。夏やし遊び盛りやから、女子の肌露出は全体に多めやけど、こいつ以上に攻めてるのんはそうそうおらへん。ざっくり空いた胸元の谷間を強調しながら、アッコがどすんと隣に座った。


「ちゃーす、でんでん」

「うーす、アッコぉ。このクソ暑いのに無駄に元気やね」

「何ゆうん。暑いからこそ、無駄に元気を絞り出すぅ」

「節電せなあかんのやろ? たまにはスイッチ切らんかい」

「どこがスイッチやったかなあ」


 他の子もおるのに、自分の胸をまさぐるアッコ。思わずどつく。


「止めんかぃ! 恥ずいやっちゃ!」

「ええやん。自分の持ち物なんやし」


 かなん。くらくらするわ。


「なんやしけった顔してなあ、でんでん」

「あのねえ。太鼓じゃあるまいし、でっかい声ででんでんゆうんは止してって」

「って、あたしが止したことあるぅ?」

「ないなあ」

「でっしょー?」


 去年製作課題のペーパークラフトで、わたしは凝ったかたつむりを作ったんよ。それが、講師の野崎センセに講評でむっちゃほめられてん。


「ええぞー、ごっつええセンスや!」


 そこまではばっちりええねん。その後がどうにも。


「このでんでんは最高や!」


 全員大爆笑。わたしには穂村ほむら理乃りのっていう立派な名前があるっちゅうのに、すっかり『でんでん』って呼ばれるようになってもた。くすん。

 で、それをしつっこくつつき回すのが、こいつ。浜本はまもと篤子あつこ。専門で知り合ったんやけど、アッコの軽さ、ぶっ飛び加減は、他の子とまるっきりレベルが違う。こらあかん付いてけんと思う子も多いらしい。そう思ってまう気持ちはよー分かる。口は軽いわ、ちょーケバいわ、キモエロいわ、行動読めへんわ。

 けど。わたしはなんでかアッコと気が合った。なんでやろ? 分からへん。分からんけど、アッコにはまるっきりもやもやがないように見える。それがうらやましかったんかも知れへん。


「あ。あたしコンビニ寄ってくわ。あとでねい。でんでん!」

「でかい声ででんでんゆうなあ!」


 能天気なアッコにいじられて、暑さともやもやがもっと絡まっちった。人の気も知らんと。くっそー。わたしがじたばたもだえてたら、背中にからっとした声が当たった。


「ちーす、でんでん」


 お、クリか。口ぃもぐもぐさせて、何くわえてるん? タバコ? いや、クーピーペンシルやん。おいおい。


「だああー、暑いなー、クリ」

「暑いゆうなあ、暑いー」

「ゆーとるやん」

「ひゃひゃ」

「何食ってんの?」

「食ってるように見える?」

「ほんまに食うなよ。きしょいで」

「ほっとけ」


 真っ赤なリップに青いクーピーやで。原色対比だけでん十分きしょい。


 クリこと、栗田くりた美知みち。クリはじっくりくりっと考える慎重派なん。アッコと違って服装もメークも地味。がんがん自分推しするタイプじゃないけど、意思の強さははんぱない。一度決めて動き出したら誰にも止められへん。邪魔者ぜーんぶ踏み潰して進むブルドーザーや。オトコ連中には『ブル』って呼ばれて恐れられてる。決して顔がごついからやないで。ぶっちゃけ美人やし。だから、本人もそのあだ名を気にしてない。


「でんでんは、卒制のテーマ決めたん?」

「うー、悩み中」

「さよか。でも、そろそろ決めなあかんのやろ?」

「そ」

「学内コンペ出すん?」

「それも考え中」

「誰かと組むん?」

「どっしよっかなー」


 しげしげとわたしの顔を見るクリ。


「まだ就活継続中やし、組んで相方に迷惑かけるのもアレやなあ思ってさ」

「でんでんはマジメやのぉ」

「そう?」

「意外に義理堅いよねん」


 クリがにやっと笑った。うう。


「まあ、なんだったら声掛けて。わたしもまだ決めてへんから」

「うー、ありがとさん」


 クーピーくわえたままで、すったかすったかクリが歩ってった。だから、それは止さんかい。ったく。


◇ ◇ ◇


「うふぅ。極楽やあ……」


 講義室じゃなく、製図室に逃げ込んだ。このかんかん照りやと、グラスエリアが広い講義室はエアコン全開でも蒸し風呂やもん。課題は提出したしぃ、どうぜ井村センセのちんたら講義は全員沈没やろ。出席取ってる時だけ居れば、チェックなんかようしいひんし。


 広い製図台の上にべたーっと潰れて、半分目をつぶる。むぅ。眠いけど、さすがにここで寝てまうのはまずいやろなー。誰が来るか分からへんし。一応なんかやってるふりするか。

 フレキシブルライトをぐにぐにと曲げて、斜め上から灯りが落ちるようにする。そこに作りかけの紙模型を置いて、影を作らせる。形が作るイメージ。明るいところだけやなくて、影で薄くなるところ消えるところもその一部だよね。わたしは、ずーっと明るいとこばっか見てるんかなあ。でも楽しいことができるうちは、それに没頭したいんよね。誰もそれがおかしいとは言わへんやろ。


 スケッチブックを広げて。紙模型のラフスケッチを描く。つまらん。すぐに飽きる。一枚めくって。空の雲みたいなもくもくを描く。いや、わたしのもやもやは、こんな爽やかなイメージやないなー。雲に乗れない孫悟空みたいな格好で、わたしは腕組みしてうーうーうなってたらしい。


「なにしてんだ、でんでん」


 背後からいきなり男の声がしたんで、びっくりして飛び上がる。


「うひゃあ! ちょ、おどかさんといて」


 なんだ、マギーか。相変わらずの仏頂面。こいつの笑顔なんか一度も見たことないで。デザインデスクの上に筆記用具を放ったマギーが、ぼそっと言った。


「おどかすも何も、おまえ講義はどした」

「んなもん、イムのちょー眠ぅい講義をサウナで聞こうなんてのは、マゾだけやろ」

「は」


 ノリが悪い。ま、いつものことやけど。講義はどしたやて? あんたもサボやないか。ぼけ。


「あんたこそ、何しに来よったん?」

「俺はこれから卒制の準備や。急いで図面引かねえと」

「ほ。相変わらず仕事が早いこって」

「さっさと仕上げて、久野くのさんとこ行かなあかんからな」


 こいつ。マギーこと曲木まがりぎ隆彦たかひこは、ほとんどの子が苦手にしてる。もちろん、わたしも苦手や。メンはいいんよー、抜群に。観賞用なら満点や。けど、とにかく無口で、ぶすっとしてて、めっちゃコワい。たまあに口を開けば、言うこた激辛やし。


 それより何より、マギーは強烈な成り上がり意識を隠さない。他の子とはそこが全くちゃうねん。有名になるんや、成功者になるんやっていうごりごりの上昇志向剥き出し。成り上がるのに役立つなら何でも利用するし、役に立たへんもんは無情にばっさり切り捨てる。ちょードライや。

 マギーにとっては、この専門のアホ生徒はどいつもこいつも役立たずなんやろ。じゃあ、あんたはなんでここにいんのと聞き返したくなる子ぉ続出で、友達と言えるようなやつは一人もおらへんと思う。でも、本人もトモダチ作る気なさそーやしなあ。どうしようもなく一匹狼や。ははは。


 マギーの性格をよう知らんで、メンに惹かれてコクる子がいる。その子に向かって、しゃあしゃあとこない言うんやで?


「あんたさ。俺に何くれんの? カネ? カラダ?」


 あほー。


 十秒もしないうちに、わたしはマギーの視界からすっぱり消えたらしい。ライティングデスクの上で透視図パースを描くマギー。黙々と滑らせるそのペンの音だけが、部屋の中に響くようになった。それが、わたしのもやもやに容赦なく突き刺さってくる。めっちゃいらいらする。

 マギーが引く図面から裁ち落とされたもの。その中にわたしも入ってる。もやもやごと。そいつがどうにも気に食わへん。わたしは、わざとがさがさ乱暴に音を立てて、机の上のものをトートに放り込んだ。せっかく気持ち良く涼んでたんやけどなあ。あーあ。


「じゃね」


 一応声を掛ける。返事なし。返事くらいせえや。だあほ。

 製図室の扉を開けたら。冷房が効いてるはずの廊下から、どっと熱気が流れ込んできた。ふう。あつ。


「さっさと閉めろや」


 背中に、マギーのどすの効いた声がどすんとぶつかった。

 くのっ! ばしーん! 力いっぱい戸を閉める。あー、いらいらするったら!


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