「捨て去った想い」2
一通り早口で話した。イッタは食べる手を止め、ずっと口を開けたまま聞いていた。そして少し間を開けてから、突然目を輝かせる。
「すっげぇー!!」
突然大声を上げたので、慌てて人差し指を立て「シー!」と注意した。
イッタは少しだけ声のトーンを下げる。
「すげぇ楽しそう!俺もやりたいんだけど」
「だけど頭に鈍痛が残るし、昨日は吐き気も少しあったよ」
「いいないいなー!なんでおまえだけー!」
そう言いながら、肩を掴んで揺すられた。
「つうかさ、何で俺が出てきたわけ?」
「それが―― 分からないんだ。相手の子、実は僕のちょっとした知り合いだったんだけど、多分イッタは知らないと思う」
「その子の名前なに?」
「いや―― そこまで話すのはさすがにマズイ気がする」
「えー、いいじゃんここまできたら。だって俺も知ってるかもしんねーじゃん」
「まあ、そうだね。イッタ、絶対に誰も言っちゃ駄目だから。約束できる?」
「おう、まかせとけよ!だってバレたら、おまえがマズイことになるだろ?だから絶対言わない」
イッタは内緒話が出来ないし、秘密を持つとそわそわして分かり易い態度を取る所がある。だけど信用が出来る親友だ。僕の細かい家庭の事情など、いっさい誰かに話さない。
前にたまたま、イッタがクラスメイト達に質問されている場に出くわした事がある。とっさに隠れて会話を聞いていたら、僕の家庭のことを根掘り葉掘り聞かれていて、それに対し「知らねぇ」を突き通していた。
目を輝かせ、ニコニコと僕の返答を待つイッタを見つめ、何もかもを告げる覚悟を決めた。
「不思議なことに、その子との思い出があまり出てこないんだ。何処かで出逢って、何回か一緒に映画を観たことは覚えてる――。名前は、ユミさん」
するとイッタは突然、何の感情もないような真顔に変わった。
驚いて顔を覗き込むも、イッタは何処か一点を見つめ固まっている。
「イッタ?もしかして僕、この話前にしたっけ?」
そう聞いても反応がなかった。
「その反応―― 何か、知ってる?」
すると、ハッとしたような顔を見せて僕を見る。まるで今まで時間が止まっていたみたいに、え?とでも言う様な疑問を持った表情をしていた。
「いやだから、ユミさんって人なんだけど」
「ユミ?知らねぇよ。つうかさ、さっきハルが言ってたじゃん?脳波を融合するとか何とか。だとしたらさ、おまえの記憶だって混ざってんじゃねぇの?」
そう言って、再びむしゃむしゃとパンを食べ始める。反応が凄く気になったけど、知らないといった言葉に嘘くささも感じられなかった。
それと、意表を突かれていた。確かに融合して混ざっているのだとしたら、僕の方の記憶かもしれない。盲点だった。
「今日も放課後行くんだろ?その―― なんだっけ、パンのミミみたいな名前の先生んとこ」
「全然違うから。ウサミ先生ね」
「そうそう。だから、その先生に直接聞いた方が早いだろ」
「確かにね」
「これからも何があったか教ろよ。俺が出てくるなんて気になるしさ、何よりも――。」
そう言いながら、真顔で両肩をガシッと掴まれた。
何事かと思い驚いていると、そのまま前後に揺すられる。
「おまえばっか楽しそうでズリーじゃーん!俺にも分けろよその楽しさー!」
「分かった分かった!だから勘弁して」
***
放課後、指定された時間の10分前に、昨日も来た白い部屋に通される。
今日は1人な事にホッとしている。椅子に腰掛け、窓も何もないこの部屋でぼうっと過ごした。テーブルと椅子以外目につかないこの空間は、普通の人なら落ち着かないのかもしれない。僕は妙に此処が好きだ。何も考えなくて済む。
何分ぼけっと過ごしていたのか分からない。自動ドアが開くような音が聞こえ、ハッとして顔を上げた。昨日と同じく壁が二つに分かれ、重厚な窓ガラスが現れる。中からウサミ先生が出てきた。
「ああ、今日は全くをもって忙しいよね。まあ365日フル稼働って感じだけど。僕は定年退職が待ち遠しいよ本当に」
ブツブツ文句を言いながら、平然と僕の向かいに腰掛ける。呆気に取られて、つい口を開けたままウサミ先生を凝視してしまった。
「やあハル君、調子はどうだい?僕は若干のスランプ状態だよ」
ウサミ先生って本当に変わった人だ。昨日もそう思ったけど、今日は更に意味不明だ。
「ハル君?僕の顔に何かついてる?」
「そうです。えっと、それは、ウサミ先生なりのギャグか何か?」
「え?」
ウサミ先生は、2000というデザインの真っ赤で愉快なメガネを掛けていた。顔からはみ出す大きさだし、掛けてる本人が気付かないのは可笑しい。だけどウサミ先生は「ああ!」と思い出したような声を出し、そのメガネを指さす。
「これね、気にしないで。こういう
もう充分気が変になっているのでは。そう言いそうになったけど、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「何で、よりによって2000年のメガネ?」
「過去の物だからって捨てるのは良くない。真実はいつだって過去にあるんだからね」
つい首を傾げてしまった。深い言葉のような、意味不明のような、どちらにしても僕には理解出来そうにない。
ウサミ先生の手にはバインダーがあった。胸ポケットからペンを取り出し、そこに何かを書き出す。
「とにかく、引き受けてくれて嬉しいよ。君のお陰で研究もより充実したものとなる。昨日はカルテを取らなかったからね、今日はそこから始めたい。ハル君が何を体験したか、それを詳しく聞かせてくれるかい?」
こくんと頷き、昨日見たものや起こった出来事を話した。ユミさんを女の子という表現を使って伝える。何となく、知り合いだったと言い辛かった。
だけど説明していく内に、隠すことが困難だという事に気付く。
「泣いた?彼女はどうして泣き出したの?」
「えっと――。」
口籠っていると、ウサミ先生は大きくため息を吐いた。
「ハル君、何か隠してない?この制度に関わった人はね、法廷と同じで真実を述べなければ罪になるんだ。知ってるかい?」
「はい。昨日も、説明受けたんで、分かってます」
「まあ、罪がどうこうは置いといて、君が後々困ると思うよ。マイ・レメディーは未知の世界だ。自分では理解出来ないことも多々起こるだろう。それに我々は、何かあった時の対策を練っておく必要がある。君の為にね」
此処に来るまで、言うべきかどうかを迷っていた。理由は自分でもよく分からないけど、ユミさんのあの悲しげな表情を思い出すと、不思議と罪悪感のようなものを抱く。だが、イッタに話してウサミ先生に話さないのも可笑しい。何か起こった時の頼みの綱は、この先生に違いないのだから。それに、イッタにも聞けと言われていたし。
深呼吸をしてから、意を決して問いかけた。
「マイ・レメディーの相手が自分の知り合いだった。というケースは、今までありませんでしたか?」
2000のメガネの向こう側にある目が、ゆっくりと大きく開く。
「ほう、そうきたか。それは非常に興味深い。だが、彼女は本当に君の知り合いなのかい?」
「え」
「2人の人間の脳波を融合しているのだから、多少は君の記憶だって影響するよ。多少だがね。それと君は、マイ・レメディーに入っていない状態の彼女に会っていないしね」
「どういう、意味ですか?」
「この制度に関わった人達のカルテを取り続けて分かったのは、互いが違う外見で認識しているというケースがあるという事だ。実際の外見とはまるで違う人物として見えている。それはおのおのが持っている印象、好むタイプ等が反映され易い。それと同時に、理想の環境を生み出す事があるのさ」
まさかの事実だった。ということは僕は、記憶の奥底でずっと眠っていたユミさんという存在を、マイ・レメディーに繋がれた女性と重ね合わせていただけかもしれない。
「だけどウサミ先生、彼女の世界は僕の世界だったんだ。僕の学校と親友が出てきた」
「あ、さっき言っていた屋上って、君の学校だったの?」
「そうです。彼女は僕の事を当たり前のように知っているみたいだったし、親友の名前も呼んでいたんです」
「うわー、本当?」
僕が困惑を隠しきれないというのに、ウサミ先生は嬉しそうな表情で身を乗り出してきた。
「それは今までに全くないケースだねぇ。やはり未成年の脳は違う影響を与えるのかなあ」
「いや、ウサミ先生が分からないなら、僕は一体どうしたら」
「申し訳ないが初めてのケースなもので、マイ・レメディーに入り続けてもらうしか他ないんだよ。危険を感じたら心を乱してくれ。そうすれば危険だとこちらが認識できるから助けられる。昨日のように光を送るから、それに飛び込むんだ」
初めてのケースという事実を知って入るのは、少しばかり恐怖心がある。だけど隠しきれない好奇心もあった。
マイ・レメディーの世界での僕と彼女の行き着く先は、一体何処なんだろう。彼女は、どういう人物なんだろう。そして、忘れてしまったユミさんの記憶を取り戻せるのだろうか。それらを知りたい。というよりも、知らなければならない気がした。
昨日と同じように上半身裸になり、カプセルの中に入って寝そべった。
「今日は30分ね。問題なければ日に日に時間を増やしていくよ」
そう言って去ろうとしたウサミ先生を、引き留めるようにして声を掛けた。
「性別しか教えられないって知ってるけど聞くよ。昏睡状態の女性って、ユミって名前じゃないよね?」
ウサミ先生はゆっくり振り返り、お馴染みの朗らかな笑顔を見せる。
「バーイ、ハル」
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