first chapter.救命制度
「救命制度」1
「え?どうして僕が」
「選ばれたんだから仕方ないだろ。まあ、一応断る権利は与えられているがな。立場ってもんをよく考えろよ」
朝6時。今日は目覚めが良くて、毎日悩まされている頭痛もない。
朝にバターを摂ると脳に良く仕事の効率が上がる。それがうちの父親の口癖で、我が家では毎朝必ずバタートーストを食べる。この習慣にうんざりしていたが、父親の飲むコーヒーの香りを嗅ぐと、自然と心が和む。コーヒーは飲めないんだけど。
父親はスーツ姿にネクタイを締め、コーヒー片手に渋い顔でキッチンを行ったり来たりしていた。
「他の家とは事情が違うんだ。もしおまえが断ったら、院長から何を言われるか。俺の評価はガタ落ちだ」
「だけど――。」
そこへ、野菜ジュースを持った母親が現る。ダイニングテーブルにそれを置きながら、指だけで座りなさいと合図してきた。
渋々席に着く。
「母さん、僕が死んでもいいの?」
「やあね、人聞きが悪い。あれで死人が出た事はないのよ」
「今までは、でしょ?100%安全を保証された訳じゃないって、前に父さんも言ってたじゃん」
父親は飲み終えたコーヒーカップを無造作に捨てる。飲み物を飲む時は、必ず使い捨てのカップで飲む。洗い物を減らす事が出来て、効率が良い上に清潔。それに母親の負担も減るという、微妙に納得のいかない言い分だった。資源の無駄だし、だったらいっその事、食器も全て使い捨てにしたらいいと密かに思っている。
「確かにパーセンテージで表せばそうなる。だがおまえは俺の息子だぞ?より慎重に事が進む筈だ」
父親は、この街1番の総合病院に務めている。脳神経外科の主任科長だ。
裕福で恵まれた家庭だと思う。だが改めて、医者の息子だという事に嫌悪感を抱いた。今までに何度も抱いた感情だけど。
「いいかよーく考えろ。俺はおまえが医者になりたくないという我がままを聞き入れ、名門私立校ではなく公立に通いたいという要求も呑んだ。1度くらいは、父親の役に立て」
厳しい口調でそう言い、足早にキッチンを後にした。母親は呆れるような表情で僕をちらっと見てから、父親のジャケット片手に後を追ってしまう。ため息を吐きながら背もたれにもたれ掛った。
何で?まるで僕が悪いみたいだ。
僕が医者になりなくなかった理由は色々とある。
まずその1に、血が恐い。そしてその2に、高学歴な大人がどうも苦手だということ。我が家で月1ほどで開催されるバーベキューパーティ等で、幼い頃からそんな大人達と接触しなければならない機会が多かった。特に嫌味を言われたわけでも虐められたわけでもない。何故か僕は、毎回その輪に馴染めなかった。
というか、僕は何処の輪にも馴染めない。家族の輪にさえも入れないんだ。
そう、僕はきっと、この家に生まれてくるべき人間ではなかった。
幼い頃から友達も出来ず、そしてその事を然程気にもせず生きていたら、ある日衝撃的な出逢いを果たした。
その3、イッタという存在が大きすぎた。
中学2年の時、人一倍明るく陽気な男が転校してきた。それがイッタだ。
鹿児島県の屋久島からやってきたイッタは、あの島の気温をそのまま背負ってきたかのようにテンションが高い。人懐こくて、男女関係なく接するような奴だった。
そして誰も存在を気にすることのない僕に対しても、イッタは同じように接して来た。
皆が自分と同じだと思って生きてきたのか、いつも雨の日のように暗くて陰湿な僕がどうやら不思議で堪らなかったらしい。
僕は最初の頃、気候にやられた馬鹿がやってきたのだとくらいにしか思わなかった。それか新手の虐めっ子なのかもしれないとも思っていた。何故ならば、最初に話し掛けられて答えた時、イッタにクラス中に聞こえるような大声でこう言われたからだ。
「おまえその年で自分のこと僕とか言ってんの?何それ、そんな奴に初めて会ったんだけど!」
それから僕は自然とイッタを避けるようになる。だけど追い掛け回されるのイタチごっこだった。そんな
それから色々あって、今では人生で欠かせない存在になった。
公立の高校を選んだのも、イッタと一緒の学校に通いたかったからだ。
「ハ――ル――!!」
校門を過ぎたあたりで、後ろから大声で呼び止められた。
毎朝毎朝、よくもまあそのテンションを維持できるなと感心さえする。
「昨日のラインみた?」
イッタは嬉しそうに顔を覗き込んできた。親友だけど、どうやら僕は楽しいや嬉しいを表に出すのが苦手なようだ。表情を変えずにさらっと言った。
「見てない。そもそも既読になってないから分かるでしょ」
「んなもんいちいち確認しねーよ!今見て。早く!」
渋々ブレザーのポケットからスマホを取り出す。
イッタのわくわくが溢れ出ているのが伝わってくる。
一体全体、何を伝えたかったのか。
この年齢の男子なら、彼女が出来たとかいう類が1番友人に報告したい事だろう。だけどイッタの心の成長は、小学生のまま止まっていることを僕はよく知っている。平然とラインのメッセージを読み上げた。
「“桃をひと箱もらった。しかも山梨県の” ――なに、これ」
「えー!何その反応!や・ま・な・し県のモ・モ・だぞ!山梨県の桃ってのはなぁ」
やっぱり、こんな事だと思った。
こっちが何一つリアクションをしていないのに、傍らでずっと山梨県の桃のことを熱弁し出す。暫くそのまま放っておいたが、熱を帯びるばかりで止まる様子がない。可笑しくなってきてしまった。
「え?何ツボってんのおまえ」
「バカバカしい」
「だーかーら、山梨県の桃ってのーのはよぉ、国内一の生産量で春から秋にかけて収穫されるわけ」
「だからもういいって」
朝っぱらからくだらなすぎる。イッタと話してると、自分の悩みなど吹き飛ぶほどにどうでもよくなる。こうやって笑っていると、イッタはその様子を見るのが面白いみたいで、しつこく何度も同じことを言ってきた。お陰で毎日笑わせてもらっている。
「ハルってさー、意外と笑い上戸だよなー。何がそんなに可笑しいわけ」
「イッタそのものがウケるんだ」
だから毎日が楽しかった。イッタが居るから、退屈な高校も意味があるように思える。こんなに笑える日が来るなんて、思ってもみなかったことだ。イッタには伝えたことないけど、内心凄く感謝している。
「桃よりも凄い報告を持ってるんだけど」
イッタはピタリと足を止めた。
「いやいやいや、山梨の桃より?」
「うん。てか、本当は身内や会社以外には、言ってはいけないことなんだけど」
「えええええ!?」
イッタの大声は、校庭内を響かせた。周りがいっせいにこっちに目を向ける。
人気者のイッタは、色んな人に「うるさい」だの「何してんの」だの言われて笑われていた。僕は冷静にイッタを見つめ、ため息を吐く。
「そうなるから、ここじゃなくて移動して話そう」
大きな目で固まってしまったイッタを、手招きして導いた。
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