My Remedy 僕の、私の、治療法

おかし坂美

0.

~Prologue~

僕は知っている


幸運は、全ての人に平等に与えられないということを。


僕は知っている


捨てる神はいても、拾う神はいないということを。


僕は知らない


誰かと一緒に居なければ、孤独になる気持ちを。


そして誰かを信じること、愛することも。


それでもつねに、矛盾にも心の中で叫んでいた。

誰か、誰か―― と。


そのは誰でもないし、これから一生、その正体不明な誰かは現れないだろう。


生きたいけど死にたいようなこの気持ちは、一体何なんだろう?


世の中苦労してる人はたくさん居て、それぞれが違う悩みを抱えてる。自分はきっと恵まれている方なんだと思う。


それなのに


僕は全てのことに、絶望していた。








            My Remedyマイ・レメディー

            僕の、私の、治療法








空が青い。青すぎるほどに青い。

それより遥か向こう、その向こうを見たくて目を細めた。



“おまえはまだその境地に達していない”



眩い太陽の光が阻んで邪魔をするもんで、そんな風に言われた気になる。

しかめっ面を作ったまま、ぎゅっと目を閉じた。

丸い残像が残る。その度に決まって脳裏にある言葉が浮かんできた。



『逃げろ―― この世界から、逃げろ。』



顔を前に向き直すと、棒読み発音で、英語の教師が英文を訳していた。

開いたまま捲っていない教科書に目を落とすと、こんな例文が載っていた。



“Her hobby is slightly unusual(彼女の趣味は少し変わっている)”



意味もなく“unusual”の部分を何度もシャーペンでなぞって書いた。



僕の普通ではないこと。

空いているスペースに、こう書き足していった。



“たまに手の甲に冷たい滴が落ちてきたような感覚がする”

雨かと思って顔を上げると、決まって空は晴れている。



“1年前に転校した筈のクラスメイトによく街で会う”

正確には後姿だけで顔は見てないけど、あの癖っ毛に猫背は、どう考えてもあいつだ。だけど県外に越した筈だから、居るわけがないんだけど。



“残像が残った日は1日消えない”丸い物体がつねに共にある。どうしたって消えない。教師に質問したけど、あり得ない事だと言われた。



いつ頃からこんな風になってしまったのだろう。そうやって自分自身を掘り下げていく度に、頭が変になってきて頭痛がする。そしてまた、実在しない者に声を掛けてしまう。



誰か、誰か――

可笑しくなりそうな僕を、治療してくれないだろうか。



授業の終わりを告げるベルが鳴る。

昼休みになり、同級生達が慌ただしく移動し始めた。



僕は静かに鞄を手に取り席を立つ。楽しそうに会話する人達の間をすり抜け、教室を出ていった。そしてそのまま何事もなかったように学校を後にした。



よくあることだった。こんな気分になってしまうと、丸い物体が残ってしまうと、授業どころではない。僕にとっては緊急事態。



僕が居なくなった所で気にする人など居ないだろう。だって、その辺りを漂う埃と同じ存在だから。ああ―― 気にする人、居たかな。母親と担任だ。正確に言えば、僕ではなく、単位が足りなくなることを気にしている。このままだと進級は無理だときつく言われていたのだった。



正直どうでもいい。巷で騒がれるアイドルの卒業発表ほど、どうだっていい。

僕が関わっていようがいまいが、全てが他人事のように思える。



こんな時は決まって、時間を掛けてでも行く場所がある。



鎌倉にある寺院。



寺の中に天園ハイキングコースという山道があり、中間地点にある見晴台から風景を眺めると、不思議と頭痛が和らいだ。



天狗様の力かな。見晴台に行くには、山道を登って行かなければならない。その道中、翼の生えた天狗の像が数体あった。武器と思われる物を手にしていて、まるでその地を守っているかの様に、凛とした表情と佇まいで立っている。

逸らさずこちらを捉える目は、僕の心までもを読み取っている様に思えた。



後ろめたさの中に、敬う気持ちも混ざり合う。悪い者を排除するヒーローのような存在に見えたから。



だけど、誰が悪いやつ?

金で権力を握る大人?身体を売る同級生?動物を虐待する子供?

それとも―― 恵まれてる筈なのに、全てに無関心で生きる僕?



顏を上げると、昼間見た太陽が赤色に変わっていた。ハッとして辺りをゆっくり見回す。見晴台にある木のベンチにいつものように座っていた。無意識に腰掛けてぼーっとしていたようだ。気付けば暫く此処で時を過ごしていた。



手の感覚がなくなっているのを感じ、今が冬だったという事を思い出す。



手袋、今度買おう。赤くなった自分の手をじっと見つめていると、後ろからくしゃみをする人の声がした。



驚いて振り返ると、少し離れた場所に、肩ほどの長さのボブヘアーで目力の強い女の子が居た。顔が小さく、手足が長いので目を引く。



夕陽に照らされているせいもあり、その子の髪と大きな瞳が全てオレンジ色に見えた。同じ年か、それか年上かな。そんな事を考えていたら、目が合ってしまった。

慌てて前に向き直すが「ねぇねぇ」と声を掛けられてしまう。



人と会話をするのは非常に面倒で苦手なことだった。聞こえていない振りをするも、背後から近付いてくる足音が聞こえてくる。



「結構さ、頻繁に此処に来てるね」



そう言うという事は、その子も此処によく来るという事になる。

正直こっちは覚えてなかった。観光客やハイキングに来ている人など、数名集まってくる事もある。第一僕は人の顔などほとんど見ない。

振り向かずに「はい」とだけ返事をした。



「その制服は見たことないな。鎌倉の学校じゃないよね?」


「はい」


「住まいは鎌倉?」


「いえ」


「好きな映画って何?」


「――は?」



突然話が変わった事に驚き、思わず振り向いてしまった。

目が合うと、にこっと微笑んで来たが、すぐに目を逸らし前を向き直す。

人と会話してるだけで手に汗掻いてしまう。目なんて見たら震えてくる。



「だから、好きな映画は?」


「僕―― は、作られた世界には、興味ないんで」



緊張のせいもあり、初対面の人に向かって思っていた事をそのまま口に出してしまった。するとその子は、くすくす笑いながら隣に腰掛けてきた。



「だけど、今居るこの世界だって、作られたものかもしれないよ」



何を言っているのだろう。そう思い、ちらっとその子に目をやる。

奥二重の大きな目が猫のように見えた。こんな風に見ず知らずの人に話し掛けるなんて、よっぽど自分に自信があるのか、それかモテてきたのだろう。

僕は卑屈なので、こんな風に返した。



「作られているのだとしたら、作った人は相当性格が悪い。世の中不公平で溢れてんだから。性格が良い人が作っていれば、今頃全員幸せに暮らしてんじゃない」



こんな否定的に言われたら女子は引くだろう。おおいに引いてもらって、さっさと何処かに行ってもらいたい。そんな思いがあった。

だがその子はその場から動こうとせず、唇を尖らせながらうーんと首を傾げる。



「そうだね、言えてる」


「え」


「確かに不公平だよね。――君ってもしかして、何にも悲観的で卑屈?それと、人一倍何かを起こす勇気がない。当たり?」


「まあ」


「私も同じだから、なんかピンときた」



そう言うと、笑顔で見つめてきた。そして――

彼女が次の言葉を話す唇が、ゆっくりスローモーションで動いているように見えた。思わず顔を顰めながら凝視してしまう。



そしてその子は苦笑いをした後、ため息ひとつ吐いてから言った。



「とりあえず―― 映画、付き合ってくれないかな」



気付けば今朝からあった残像が、消えていた。

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