「狂乱の渦中」5

目を開くとユミさんと目が合い、お互いの姿を見て同時に驚いた。



ユミさんは、ピンク色で腰から下がフリルの段々になっているロングドレス姿だった。長くなった髪を後ろで無造作に一つに束ねている。ウェーブがかった後れ毛と、Vに深めに空いた胸元が色っぽかった。



「これ、凄く可愛い。ハルもスーツ似合ってるよ」



そう言って胸元に触れられ、自分の姿を確認してみる。黒のスーツ姿でネクタイはしておらず、胸ポケットにはワインレッドのハンカチが顔を覗かせていた。2人で舞台の方に目をやると、黒人バンドが演奏をしている。



フロントマンの甘い声が響くゆったりとした曲調。Harry Waters Jrの「Earth Angel」という曲だ。確か映画で流れていたと思う。周囲は外国人の男女が大勢居た。皆体をくっつけて寄り添い、体を左右に揺らしながら音楽に浸っている。



会場は学校の体育館のような場所で、色取り取りのバルーンやケーキが飾られていた。広げられた長い布が幕のように天井から何個もぶら下げられていて、後ろから青いライトで照らされている。海をイメージした内装なのかもしれないと思った時、僕が思い返した映画の記憶「魅惑の深海パーティー」が脳裏を過った。



映画の中はこんなだったっけ?僕自体の記憶が曖昧なので、色んな映画で観た似たシーンが混在しているのかもしれない。考え込んでいると、ユミさんが距離を詰め体をくっつけてきた。



「何考えてるの?今は私の卒業前パーティーだから、何も考えず楽しもう?」



そう言って僕の首に手を回す。周りの人達がしているように、僕もユミさんの腰に手を当ててみたけど、恥ずかしくて直ぐに離した。



「日本人だから、こういうの無理」



そう伝えても、無言で僕の手を掴み自分の腰に持っていく。いつもに増して綺麗なユミさんとの距離が近すぎて、直視することが出来ない。ひらひら揺れるドレスを俯きながら見つめた。



「ねぇハル、さっきあの見晴台に居た時、何か思い出した?」


「いや、ただ激しい頭痛がしただけ」


「そっか」



ユミさんはそっと僕の胸に顔を埋める。



「このままでいいのにな。この世界に居れば平和だし、ハルの彼女で居られる」



確かにその通りだ。僕も全く同じ気持ちだった。現実に立ち向かうよりも、こうしてずっと2人で寄り添っていけたら幸せだ。イッタも応援してくれるし、至れり尽くせりな気がする。



「ずっと此処に居られる方法って、ないのかな?」



そう呟くと、ユミさんがゆっくり顔を上げ、悲しそうな表情で首を横に振った。



「知らないの?救命制度には期限があるでしょ」



そんな説明をウサミ先生からされただろうか。そもそも初めて行った時、ろくに説明も聞いてなかったかもしれない。ただ不安だけがあって、後遺症が残らないかって事だけに重点を置いていた。



「今だって脳を使ってる。こんな事、一生続けられないじゃない?だから、救命制度に携わった人には期限が与えられるの」


「どの位?」


「三ヶ月だよ」



三ヶ月、ということは、凡そあと一ヶ月くらいしかない。残り少ないという事だ。



「じゃあ、晴れて目が覚めたら、現実でまた会おうよ」



ユミさんは悲しげな表情のまま何も言わない。



僕は無知だった。自分が関わっている事なのに、あまりにもマイ・レメディーについて知らなさ過ぎた。



「目が覚めたら、この制度に関わる前の記憶に戻される。今こうしている事も、今までこの世界で起こった事も、全て忘れ去ってしまうって事だよ」



そこでやっと思い出す。確かにウサミ先生がこう言っていた。



『要は君は、患者と医者の架け橋だよ。危険だと感じた場合、もしくは患者に目覚める傾向が出た場合、マイ・レメディーを初めて使用する前の状態に脳を戻すから。その影響で、お互いの記憶も消えてしまうだろう』



あの言葉の重要さに気付いてなかった。ユミさんと気持ちが通じ合えて、ただ単純に喜んでいた。だけどこの恋は、思っていたよりも儚いものなのだと気付いた。



堪らずユミさんを抱き締める。



「この記憶を残しておくには、どうしたらいいんだろう?」


「方法は、ない。だから、せめて今を楽しもう?実際の記憶とは違う思い出をたくさん作って、楽しく過ごすの。いつか消えてしまう今を―― 大事に胸に抱いて」


「なんかそれって、酷だよね」



現実できちんとユミさんに告白をしていれば、2人が目を覚ました時の状況が違かっただろう。再会を心から喜び合う恋人達になれたかもしれない。だけど現実では―― 僕は想いを告げなかった。両想いだったって事も知らず、ユミさんとの記憶を全て無くしていた。ということは、目が覚めた時、僕はまたユミさんの記憶を無くしているという事になる。



2人がマイ・レメディーから目を覚ましたその時、僕達はきっと他人という状態だ。



「私が前に伝えたこと、覚えてる?」


「なんだっけ?」


「殺して欲しいって、言ったでしょ?」



抱き締めていた力を緩め、体を離した。



「あの時はね、まさか両想いだとは思わなかったから、私とよく似た、理解者で親友のハルに、殺してもらいたいと思ってた」


「気持ちは変わった?」


「変わらない。強いて言うなら、恋人に殺してもらいたいに変わっただけ」



切なさで胸がぎゅっと締めつけられる。僕と付き合えた所で、生きたいという気持ちにはならなかったという事だ。



何も言葉が出なくなっていると、ユミさんの瞳に影が掛かり、無表情で呟いた。



「この記憶を無くしてしまうくらいなら、死んだ方がマシだと思わない?」


「え?」


「現実には、辛い事しかないでしょ?」



イッタみたいにそんな事ないと言えるほど、僕は熱くも真っ直ぐな性格でもない。何処かで納得してしまっている自分が居る。



「僕が殺したら、楽になれるの?」


「楽なんてものじゃない。ハルに殺してもらえたら、幸せだよ」



その言葉を聞いた時、何かがプッツリと切れたような感覚に陥った。ライトに照らされた布に目を移し、ユミさんの手を引いて歩く。布の中に入って、人から見えない場所に来た。そこで再びユミさんと向き合い、距離を詰める。



いつもより綺麗なユミさんが、逸らさず真っ直ぐに僕だけを見つめていた。そっと両手でユミさんの首を包み込むと、少しだけ目を泳がせる。だけど、何かを覚悟したかのように目を閉じた。絞める手に少しずつ力を加えていく。



そんなに望むのなら、殺してあげた方がいい。大人になったらきっと、もっと辛い事がある。明るい未来なんてあるわけがない。ただ老いていくだけだ。だったら望み通り、若くて美しいまま死んだほうがマシなんじゃないか?



最期に付き合った男が僕で、その僕がユミさんの最期を看取るんだ。この僕の手によって。



ユミさんは苦しそうに少しだけ体を動かした。だけど抵抗せずに耐えている。鼓動が早まり、絞める手が震えてきた。僕は愛する人を殺せるのだろうか?そこまで非道になれるのだろうか?本当にこれでいいのだろうか?そんな気持ちも入り混じってきて、頭の中が混乱してきた。



耐え切れなくなり、手を解きユミさんの顔を包み込む。そしてそのままキスをした。ユミさんの息は荒い。



「苦しい」



思わず出たであろうその言葉を無視し、無理にキスをし続けた。



僕はイカれてしまったのかもしれない。苦しそうなユミさんを強引に押さえつけ、ひたすら唇を重ね舌を絡めた。



色々な感情が爆発してしまったのだ。怒り、悲しみ、切なさ、愛しさ、それらが交ざり合っている。首元にキスを落とすと次第に力を緩め、まるで慰めるようにして優しく包み込んできた。



再び唇に触れると、涙を流しながらキスに応え身を委ねてくる。色んな意味で興奮状態になっていて、そのまま色んな事をしてしまった。貪るようにユミさんの身体を触り、噛みつき、吸いつく。密かに抱いだ欲望、考えないようにしていた妄想が、今この時に破裂してしまった。



ふわふわとまるで夢の中に居るみたいだった。何処から何処までが現実で夢なのか分からない状況だ。酷く感情が高ぶっているのに、緊急措置の光の玉は現れない。今日はウサミ先生じゃないお陰かもしれないと思った。



暫く経ってから、やっとハッとして我に返る。



乱れたドレスにあられもない姿のユミさんを見て、慌ててドレスを本来の正しい位置へと戻した。自分も服装を正す傍ら、ユミさんはぐったりとしている。手を引っ張って起き上がらせ、心の底から言った。



「本当、ごめんなさい」



ユミさんはあまり開いていない状態の目で、ゆっくりこっちを見る。



「ハル―― 一応ね、私達まだ付き合って2日目なんだけど」



酷い事をさらりとしてしまった。普通だったら考えられない。完全に頭がイカれていた。



思わず正座になって頭を下げる。



「本当にすみませんでした。感情が爆発しちゃって、それにユミさんが綺麗すぎて、つい」



乱れた髪でユミさんは、呆れるようにして笑った。



「見てよもう、せっかく綺麗だったのにボロボロにされたよ。まさかハルがあんな野獣になるなんて、信じられない」


「野獣――。」



ショックで頭を抱える。僕は恋愛なんて興味ないという振りをした、とんでもない変態野郎なのではないだろうか。



「受け入れちゃった私って、もしかして変態なのかな」



独り言のようにして呟いたその言葉に、不謹慎にも吹いて笑ってしまった。すると、顔を赤らめながら叩いてくる。



「もう、何で笑うの?」


「いや、僕も今、自分の事ヤバイ変態野郎なのかもしれないって思ってた所だったから」


「ヤバイね私達、変態カップルだよ」



儚い関係だという事も忘れ、2人で笑い合った。



ユミさんを殺すなんて事は出来る訳がなく、まさかの、更に情が湧く行動を起こしてしまった。自分にこんな面があったなんて驚きだ。暫く笑っていたら異変に気付いた。騒がしかった会場が、にシーンと静まり返っているのだ。



「何か、変じゃない?」



そう言うとユミさんも笑う事を止め、辺りを見回すように首を左右に振る。



「もしかして、誰も居ない?」



2人で立ち上がり布をどけてみると、さっきまで大勢の人が居たのに、もぬけの殻になっていた。地面にはゴミくずが落ち、テーブルとイスはほこりを被っている。まるで一瞬にして廃墟にでもなってしまったみたいだ。



その時、低い声が耳に入ってきた。



「楽しかったか?ハル」



舞台の方から聞こえ、慌てて振り返る。そこには、いつものように全身黒尽くめのユウダイが立っていた。



「その女、殺せばよかったのに。おまえって弱い奴だよな。守りたいもん増やしてどうすんの?」


「ユウダイ――。」


「おねーさん、弱っちいハルなんかにマジで惚れちまった?」



ユミさんに目を移すと、心底憎んでいるような目でユウダイを睨み付けている。ユミさんはユウダイに今、初めて会ったはずだ。だけどその表情は、初めてではない事を物語っていた。



「ユウダイの事、知ってる?」



ユミさんは何も答えてくれない。ユウダイから決して目を離さず、真剣な表情でじっとしていた。そこでユウダイが舞台から軽々と飛び降りる。そして無表情で近付いてきた。



「その男は弱いから、おねーさんいつまで経っても死ねないよ。俺がやってやろうか?」



思わずユミさんの前に立ち、守るように手を広げる。ユウダイの目は虚ろで、瞳は濁っているように見えた。表情ひとつ変えないまま、ポケットからバタフライナイフを取り出し、僕に突きつけてきた。



「ハルが先がいい?」


「何があった?ユウダイは、そんな奴じゃなかった――。」


「先が見えない不安って永遠に続くだろ?この世界は無情で、残酷で、人を崖の隅に追いやる。背中は押さないんだ。ギリギリの辛い所で耐える奴を見て、喜んでんだよ。それが人間って奴で、おまえも明日そういう人間になるかもしれない」



目を見開きながらそう言うユウダイは、完全に狂っているように見える。恐ろしくなり、ユミさんを庇いながら一歩後ろに下がった。



「背中を押された方がマシだと思わないか?俺がその役をかってやんだよ」



そこで誰かの足音が聞こえてきた。



現れたのはイッタだった。僕達の元まで走ってやってきて、両手を広げて大声を上げる。



「2人とも、早く逃げろ!」


「出た出た、正義感の強いイッタ君のお出ましだ」



ユウダイは表情を変えない。怒ることも笑うこともなかった。後ろからは、すすり泣くユミさんの声が聞こえてくる。



「イッタ―― もう止めて」


「いいから、早く逃げろって!」



次の瞬間、ユウダイが手にしたナイフでイッタを刺した。止める間もなく、あっという間の出来事だった。イッタがその場に倒れ込んだ時、ユウダイが肩を揺らして笑い出す。



「楽になれよ、イッタ」



ユミさんがイッタに駆け寄り泣き叫ぶ声、ユウダイの笑い声が、大きく響いているように聞こえる。僕はあまりの衝撃で、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。ユミさんがイッタを抱きかかえると、胸から血が流れているのが見えた。



酷い頭痛と胸の痛みで、頭が可笑しくなりそうだ。怒りで体が震えてくる。



そんな僕を見て、ユウダイがほくそ笑んだ。



「それだよハル、その顔を待ってた」


「ユウダイ――。」



この争いを終わらせる。殺してやろう、それしかない。



怒りで感情が支配されたその時、大きな光が一瞬にしてこの場を包み込んだ。

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