third chapter.疑心暗鬼
「疑心暗鬼」1
「うーん、でも、マイ・レメディーの相手がそのユミちゃんとは限らないわけだしぃ?実らなかったその恋が、君には酷く印象に残っていて、救命すべき相手とそれを重ね合わせているだけじゃないかなぁ」
「ウサミ先生、いつになったらその眼鏡外すの?カルテ取り辛くない?」
「いいじゃないの。何でも事がスムーズにいかないのが人生なんだから」
「はぁ」
僕は現実に戻ってから、白い部屋でカウンセリングを受けていた。ユミさんに恋心を抱いていた事実を勇気を振り絞って伝えたのに、ウサミ先生はあっけらかんかつ、淡々と意見を述べている。
「若い君にはその恋があまりにも辛くて、記憶の奥底に隠してしまっていたんじゃないかな。それが何故か掘り起こされてしまったとか」
「記憶の奥底に隠すって可能?」
「
確かに辛かったと思う。あの感情は、ずっと長い間抱いていた気がする。だけど生きていく事が困難なほどではないと思う。失恋を、というよりも、ユミさんを記憶の奥底に沈めてしまっていたみたいだ。
ズキンと頭痛が走る。思わず頭を抱えた。
「ウサミ先生、悪いけど、もう帰って休みたい」
「あまりにも辛かったら、他の部屋に仮眠室があるから寝ていくかい?」
「そこまでじゃないので、大丈夫です」
「じゃあこれ飲んで」
そう言いながら、カップに入ったコーヒーを差し出される。断ったけど、飲まないと帰さないと言われた。
「薬だと思って。黒糖と蜂蜜たっぷりで脳に良いよ」
一口飲んでみて、あまりの甘さに吐き出しそうになる。飲み干さないなら
帰り道、ふらふらと歩きながら帰宅していた。
最寄り駅に到着した時、ふと、ガラス張りのファストフード店に目をやる。外から見える窓際のカウンター席に、私服姿でヘッドホンをしながらハンバーガーを頬張るユウダイが居た。
腕時計に目をやると、もうすぐ21時を回ろうとしている。この時間にファストフード店に1人とは、金色の髪のせいもあり、他人の目には不良少年に映るだろう。ため息交じりに店内に入り、先程のコーヒーの味を飛ばすべくオレンジジュースを注文した。
そしてカウンター席まで行き、ユウダイの隣に腰掛ける。チラッと僕を見た後、驚いたように目を丸くした。そしてヘッドフォンを首から下げた。
「お、ハル。何してんの」
「えーっと、ああ、あれあれ。例の、塾の帰り」
「ああ。おまえ大変だな」
「ユウダイこそ何やってんの。外からユウダイを見掛けて、何処の不良少年かと思ったよ」
「ふっ、あっそ」
ユウダイは飲み物を口に運び、遠くに視線を置いている。いつもそうだ。大勢でいる時ははしゃいで調子に乗るけど、こうやって2人で会うと大人しくて何考えてるのか分からない。何処か哀愁が漂っていて、それでいて孤独感を抱えてるように僕には映る。
ユウダイは居るだけで存在感がある。背が高くて髪が金色のせいかもしれないけど、人目を引くパワーを持っている気がしていた。実際女子にモテているし、男子も憧れてるのかユウダイの言う事を聞く奴ばかりだ。
じっと見ていたら、ウェーブがかった髪の隙間から、鋭い目がこちらに向けられる。ついドキッとした。この目が恐くて、皆言う事を聞くのかもしれない。
「あ?なんだよじっと見て。気持ちわりぃな」
「だ、だから、こんな時間に何してんのかなって」
「ダッセーから言いたくねぇんだよ」
「どれだけダサイか聞いて判断するよ」
ユウダイは飲み物を吹き出しそうになり、笑いながら咳込んだ。
「おまえって、本当皮肉な奴だよな。誰にも言うなよ?言ったら殺すぞ」
「うん」
「家帰ったら、玄関に男の靴があった。また知らねぇおっさんがうちのリビングで寛いでやがったんだよ。だから時間潰してんの」
「それって――。」
「ああ、また彼氏が出来たようだ」
ユウダイの家は父親が居なく、母親は居るが派手でいつも遊び歩いている。ユウダイが悪い事をしても無関心だ。何度かこんな風に夜出歩いて補導されたが、迎えにも来なかった。おまけに彼氏も代わる代わるで家に住まわせる。お陰でユウダイはよく行き場を無くしている。それを酷く気の毒に思った。うちの両親も勘弁してほしいけど、ユウダイの家も大変だ。
「僕ん
「その誘いに俺が乗ったことある?」
「ないね」
「おまえんとこの親嫌いなんだって。それに、金持ちぼっちゃんに助けられたくねーよ」
「金持ちぼっちゃんじゃないよ。僕は優秀じゃないから、あの家で肩身狭いんだ」
「ふーん。じゃあさ、朝まで俺に付き合えよ。肩身狭いならいいじゃん」
「え」
「ああそうか、俺に同情して言ってみただけか」
ユウダイは呆れたような物言いをし、再び遠くに視線を戻す。
同情で言ったとは思われたくないし、情緒不安定のユウダイを放っておくことが出来ない。何となくだけど、今付き合わないければ一生後悔することになる気がする。
「分かった。朝まで何処かで時間潰そう」
ユウダイは一瞬笑顔になりかけたけど、それを隠すように眉間にしわを寄せ「おう」とぶっきら棒に言った。
22時を回る頃、僕の電話に着信やラインメッセージが引っ切り無しに来る。このままでは母親がヒステリーを起こし、捜索願いでも出すのではないかと思えてきたので、マイ・レメディーのせいにすることにした。
【今日あれに入ったせいで吐き気と眩暈が酷いんだ。今病院で寝てる。このまま泊まるから】
買い物をするユウダイを外で待ちながら、コンビニの前でそうメッセージを送信する。僕が制服姿だから、一緒に買い物をしたくないと言われたのだ。コンビニの店員が警察に通報するかもとか、そういう理由かもしれない。だけど道行く人達は、制服姿の僕になんか目も向けない。
大人達はきっと、未成年が夜に出歩いていても何とも思わないのだろう。自分達にもそういう時代があったからと、暗黙の了解みたいなものだと思う。そんな事を考えていたら、ユウダイが戻ってきた。
「行くぞ」
手からコンビニの袋を下げ、颯爽と歩き出す。
「行くって何処へ?」
「まあ、テキトーに」
「いつもは何処で時間潰してんの」
「テキトーに」
偉く不安になってきた。イッタに言われて止めたらしいけど、ついこの間までユウダイは、悪い上級生達とつるんでいた。その上級生達が居る巣窟にでも連れていかれるのではないかと不安になる。ユウダイの後ろを付いて歩きながら、もしもの為にとイッタにラインを送った。
【今、ふらついてるユウダイと一緒に居る。危なかしいからほっとけない。朝まで一緒に居ることにする】
歩き続けていたら、風が少し冷たくなってきた。顔を上げると、すぐ側に土手がある事に気付いた。ユウダイは振り返り、顔だけでこっちだと合図してくる。
そして、土手の上で
「ビールじゃん!」
「おまえも飲む?」
「いらない。そもそも美味しくないし」
「ガキ」
小学生の頃に、興味本位で父親の飲みかけのビールを飲んでみたことがある。
不味くて吐くかと思った。
「ユウダイさ、ストレスでも抱えてんの?」
「はあ?」
「ビールって苦いだろ?苦みを美味しいと感じる要素の1つがストレス」
「ハルのそういう所ウゼェ。そもそも生きてるイコール、ストレスみたいなもんだろ」
「ああ、そうか」
「納得してるし」
そう言いながら笑っている。ユウダイが笑ってると、少しホッとする。大勢の前で調子に乗ってる時ではなく、こんな風に自然に出る笑顔が良い。いま僕の前に居るユウダイは大人しくて優しい。だけどたまに、感情をコントロール出来なくなる時がある。以前、何がきっかけかは分からないけど、クラスメイトと取っ組み合いの喧嘩をしていた事があった。
その時のユウダイを、今でも忘れられない。
瞳に凶器が宿っているように感じた。僕は恐怖のあまりその場に立ち尽くすだけだったけど、その喧嘩を止めたのはイッタだった。ユウダイが吹き飛ぶほどのパンチを一発浴びせたのだ。そして「目を覚ませ!」と一喝した。それに対しユウダイは、ポカンとしながら「起きてるけど」と返した。
切れたユウダイを思い出すと今でもゾッとするけど、イッタとのあの間の抜けたやり取りは今でも笑える。
「おい、何笑ってんだよ」
「いや、前にユウダイとイッタが言い合ってたやつ、また思い出しちゃってさ」
ユウダイは項垂れるように肩を落とす。
「勘弁しろよ。あれは忘れて欲しいくらいだっての。おまえ、いつまでそのネタで笑うつもりだよ」
「いや、ユウダイの起きてるけど発言もウケたけど、それを言われたイッタのアホな顔が1番笑えるんだ」
ユウダイも一緒になって笑い出す。
イッタは根が真面目で熱苦しいほどに熱い男だけど、それと同じくらいアホで間抜けという面白い奴だ。僕だけではなく、皆の笑いのツボだと思う。だからこそ人気者なんだ。
「あ、おまえこれ飲んだ事イッタにチクんなよ。あいつ実は優等生だからやっかいなんだよ。あんなにアホ全開なのにさあ」
「融通効かないからね。自分が悪いと思った事は、絶対駄目だっていう性格だから」
「どうしたらあんな真っ直ぐに育つんだろうな。こんな歪みまくった世の中でよ」
そう言ったユウダイの顔が、何処か曇った様に見えた。
「あの、さ―― もうあの上級生達とは、会ってないんだよね?」
そう問うと、うんざりしたような表情を向けられる。
「イッタの生活指導っぷりが移ったか?会ってねぇよ。優等生のダチらがうるせぇからよ」
「もし―― もしさ、助けが必要に」
「君達!そこで何してるの?」
話し切る前に、背後から男の声がした。振り返るとライトを当てられ、眩しくて思わず目を細める。誰だか確認する間もなく、ユウダイに腕を引っ張られ立ち上がらされた。
「逃げるぞ、警察だ」
ユウダイが走り出したので、慌てて一緒になって走った。
「待ちなさい!」
後ろから追ってきているのが分かる。パニックになりながらも、必死にユウダイの後を追った。逃げる事に慣れているのか、民家が立ち並ぶ道を右往左往しながら走り抜けている。
暫く走り続け、一軒の家の庭に入り身を潜めた。その場に座り込み、荒くなった呼吸を整える。2人して汗びっしょりだ。
「ハルの、せいだって。おまえが、制服なんか、着てっから」
「それもそうだけど、ビールなんか飲む、ユウダイも、悪いって」
「あっちぃ」
「これからどうす――。」
その時、スマホがバイブで震え出す。逃げているので、その音が偉く大きく聞こえる気がした。急いで取り出すと、イッタからのラインメッセージだった。
【バカうちにこい】
その短い文章に、救われたような気持ちになる。
「イッタん
「はあ?俺、説教されんの勘弁なんだけど」
「だって他に行く所ないじゃん。僕も制服を脱ぐわけにいかないし、このままじゃ他の警官に捕まるかもしれないよ」
ユウダイは手で顔を覆い、大きくため息を吐く。そのまま暫く固まってしまった。
「ユウダイ?」
「父親知らねぇけどさ、父親が恐くて怯える子供って、こんな気持ちなのかもな。めんどくせぇ」
思わず吹き出して笑ってしまう。
「何言ってんの。相手は同じ歳のイッタじゃん。それに親というより、あれは子供」
「だってあいつ切れると止められねぇからよ。おまえ、ビールの事は絶対言うなよ。あと、イッタが切れそうになったら全力で擁護しろ」
「分かった」
渋々歩き出したユウダイの猫背を見ながら、さっき言えなかった事を思い出した。
本当は、もしも助けが必要になったら、頼りないけど僕に1番に言って欲しい。そう伝えたかった。
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