第6話

 ゲームが切り替わり、ポイントがリセットされ、サーブ権を交換するチェンジサービスも行われた。

 今度は俺にとってのレシーブゲームだ。


 しかし、この『ゲーム』の切り替わり、という制度はいいなあ。気持ちが切り替わる。

 さっきまでのグダグダした空気が悪い夢だったように、もう忘れかけている。

 実力差は何も縮まっていないのに、なんとかなりそうと自分を盛り上げてくれる。最強だった頃は

「4×6=24で24ポイント連続でやらせろよ! 適当にサーブは交代して! メンドくせえなあ!」

と息巻いていたが、とんでもないことだった。劣勢の身としては有難いことこの上ない。


 現在、ゲームカウントは0―3。俺が0で、愛仁が3。

 このゲームカウントが6になった方が勝者になる。てことで愛仁はあと3ゲーム取れば勝ちで、俺は6ゲームとらないと勝てない


 うん。想定通りだ。

 グダグダした空気が怖いが、今まで通り『無駄に動く壁』でもってラリーに挑戦しよう。やる事は変わらない。やる事を見失ってはいけない。

 俺に「あきらめるな」と言ってくれた人もいるんだ。大丈夫。出来る。


「王ちゃん、王ちゃん」

「ん?」


 蛭女がこっそり話しかけてくる。なにやら、真剣だ。真剣な蛭女、可愛い。

 こっそりとした声にも強さを感じる。でも、あんまりアドバイス的なことはよしてくれよ。審判ブチ切れるからな。


「旧日本軍がなんで負けたのかはね、航空主兵の時代に移りつつあるのに、いつまでも大型巨砲に依存した艦隊決戦思想から抜け出せなかったからだよ。

 グダグダと。

 同じことずっと繰り返してたの。あ、もちろん一説にすぎないけど」


 いやなこと言うなあ~。暗示か? でも、


「へん、アレは日露戦争で予想以上の成果を出してしまったから抜け出せなかったんだ。

 俺の『無駄に動く壁』は一度も成功していない。だからその例には当てはまらない!」


 聞いた蛭女は、苦虫を噛み潰したような顔になり、喉の奥から声を捻り出して、


「うぐ~。……は? てか、あんなのに、そんな技名つけてたの? ダッサ」


 完・全・論・破! 蛭女はまともな反論が出来ない。どうしようもなくて、とうとう俺の人格を攻撃しだした。

 さあ、無視無視。俺が今やってんのは、テニス。


 今から俺はレシーブをしなければならないんだ。でも、ラリー中にやることは変わらない。

 出来ること、つまり『無駄に動く壁』をするだけ。ああ、固執してやるよ。

 レシーブゲームだからと戦術を変えるやつもいるが、俺の場合、そもそもあんなヘボサーブしか打てないから、サービスゲームでも優位性なんてのはなかった。

 つまり、さっきまでのサービスゲームは十分最低で、今の状況もそんなに変わることなく、ただ単に最低なだけなのだ。


 覚悟を決め愛仁を見据える。

 静かな構え。コート全体も、息を飲んで静かに見守る。

 このまま打たないで欲しいという感情と、さっさと打って殺して欲しいという感情が俺の中でせわしない。

 焦る。これだから受身はイヤなのだ。


「すぅ……」


 愛仁から聞こえる静かな空気を吸い込む音。

 目を見開き、トスを上げる。同時に全体重を、コートにめり込むんじゃないかってぐらいに後ろ脚に乗せ、


「があああああ!」


 蹴り上げるように斜め上方向へと伸び上がった。かけていた全体重の反動が凄まじい。

 今度はその勢いをボールに乗せて、俺のコートへ叩き込む。教科書通りの、教科書をそのまま再現した理想のサーブだ!


 フォームに見とれている場合じゃない。

 反応した時には、もう目の前まで来ている。

 体勢を崩して、なんとか追いつき捉えた。


 この、体勢が崩れるのはもう、右腕の不調とは関係のないレベルでの実力差だ。

 構えて、しっかり打つ、なんて出来ない。それぐらい強烈で、どうしようもないのだ。


 中学時代の俺は、それでも振り抜き、攻めに転じることも出来た。

 今日の第二ゲーム目の俺は、かつての様に振り抜くことをしようとして、失敗した。左腕でそれは不可能だったのだ。

 そして、今の俺。今の俺は安易に『壁』を使うことへの躊躇はない。

 俺は『壁』を使う! 低い難易度で、そこそこの返球ができるハズだ。

 ラリーは振り抜く時に比べて厳しいものになるかもしれない。そもそもラリーでまともに勝てるワケでもない。

 でも、ラリーができなければ始まらない。間違った判断ではないハズだ。

 俺は『壁』を使う! 俺はラケットを当てにいった!


「むお!?」


 ……改めて、真剣にサーブを攻略しようとして、真剣に愛仁のサーブと向き合ってみて気づいたことがある。

 愛仁のサーブ、普通に強い。いや、もちろん知ってたけど、俺がやろうとしていることをやらせてくれないぐらいに強い。

 具体的に言うと、この愛仁が打ったサーブのバウンド、『跳ねる』ってより、『昇る』って感じだ。

 グイグイと昇って、俺に迫り来る。一瞬で。

 肩の高さを超える。打点が身体に近いのもあって力はさらに入らない。

 それでも俺は精一杯『壁』を打つつもりで当てた。


 でも、俺の打球は山なりになって、愛仁側のコート真ん中にゆったりと落ちていった。

 これを一言で表すなら『絶好球』だ。これ以上ない程の絶好球を愛仁に与えてしまった。


 こうなってしまっては、愛仁はもう、どこでも好きな所へ打てる。自由に打てる。

 一方、俺は今いる位置からある程度離れた所に打たれた場合、追いつくことが出来ない。もちろんコート内であってもだ。


 でも、愛仁は好きな所に打てる。

 詰だ。少なくとも、このポイントは。

 俺の打球が、絶好球が、愛仁のコートでぽい~んと跳ね音を立てた。


「カッ!」


 容赦ない掛け声を上げ、俺を一瞬イラつかせ、普通に強い球を放った。コートの左最奥。当然俺から遠い位置に。

 ズッシャアっと滑るように。キレイな打球だった。


「ふん!」


 走るまでもない。わかる。コレは追いつけない。もしこの場に『先生』がいたら、走らないと怒られてしまうが、いないので走らない。失点。


 15―0。


 ああ、マズイな。グダグダしかけている。

 次。愛仁は同じようにサーブを打ってきた。『壁』をするつもりで精一杯当てた。体勢も崩れて。打球は山なりになった。俺は悟った。


 結論。

 この愛仁のサーブを相手には、『壁』すら使えない。

 迫り来る、伸び上がる打球に崩れた体勢で『壁』を使うことは不可能だったのだ。

 そして、この事実は、つまり現状の技術ではこのサーブに対応する術がないことを意味する。


 何が、サービスゲームでも十分最低な状況、だ。

 アホか。

 全然、今のレシーブゲームの方が最低だ。どうしようもないわ。簡単に諦めがつく。どうしようもない。


 さて、どうする?

 ここまで、どうしようもないなら、いっそ足掻いてみようか。

 俺は走ってみた。

 例にならって、なんとなく愛仁の打つ方向を予測してだ。

 ただ、現状、俺は絶好球を与えているワケで、愛仁はどこにでも打てる。


 だから予測の精度もかなり落ちるだろう。


 しかし、こうして偏ったポジションにつくことによって、万が一、俺の動きを愛仁が見ていなかった場合、さらにそれが、この俺が走っている隅っこの方へ飛んできた場合、俺は『壁』を使って、再びラリーに持ち込むことが出来る。


 飛んでくるわけないけど。


 愛仁は、俺の山なりレシーブに対してゆったりと構える。

 俺が何やら、ヤケクソで走っているのも、しっかり見ることが出来るぐらいの余裕はあるに決まっている。

 だから、俺の走った方向と逆にしっかりと打ってきた。


 当然だ。

 俺もそれは予想済み。

 でも追いつけない。追いつけるワケがない。

 さっきまでとは状況が全く違う。


 サービスゲームの時に俺が打ったいた『壁』の弾道は、何だかんだで低いし、速度もそこそこだった。

 そこは、さすがに愛仁の打球をベースにしているからだが。

 だから、スイングしながら俺が走るのを見て、スイングの途中で執行する打球コースの切り替えにも限界があった。

 切り替える角度の限界があった。


 でも今回は違う。俺の走りを確認した後、愛仁はスイングそのものをやり直すことが出来る。

 こんな山なりの打球が相手では。だからどこにでも打てる。

 俺は追いつけない。


 愛仁の一撃が俺のコートをズッシャァっと流れていった。俺の目線のはるか先を。


 30―0。


 バカか俺は。『壁』すらマトモに打たせてもらえない状況なんて存在するに決まってんだろ。

 『壁』の練習は一杯したんだし。練習一杯したってことは、ある程度の技量が必要ってわけで、ってことは、その技量を超える球が来た場合は打てないってことだろ。

 そんぐらい予測しとけや。ボケが。自分が腹立つぜ。


 しかし、こうなるとどうしようか。走るのヤメようか。なんか、必死に走って惨めに失点するのって恥ずかしいし。

 蛭女が見てる前でそんな醜態は晒したくない。


 あ、そうだ。そうだよ。こっちには蛭女がいるんだよ。蛭女が見てる前で、必死な様子を出したくないから、必死になれないんだよ。

 どこかカッコつけちゃってるっていうか? 全力の実力を発揮できないっていうか? ああ、そうだよ。こんなけ一方的なのは蛭女の目線を気にしてるからなんだよ。

 蛭女が居なかったら、こんな戦況にはなってなかったんだよ。


 いいなあ、愛仁は。だれからも見られてなくて。ノビノビと試合できてんだろうな。カッコつけずに。

 そうすれば実力も発揮できるし。俺なんかよりずっと楽な状況で試合しやがって。


 俺は蛭女をひと睨みする。


「え? なんで?」


 と蛭女が反応する。

 よし、走るのヤメよう。そもそも無駄に走り続けてるから、もう疲れてるし。

 よし。


 ……あ、ダメだ。一瞬、走らない自分を想像してしまった。そしたら、スゲぇダサいわ。

 なんか「俺、やる気ないから負けてるだけだし。俺、やる気ないから走らんだけだし。俺、こんな野良試合じゃ、やる気でんし」って言ってるヤツみたいでダサいわ。

 ダサいし腹立つわ。

 危ねえ。ショックすぎて、まともに思考できてなかった。見失いかけてた。

 俺はコレで勝つと決めたんだ。コレに勝つには一球も無駄にできないんだ。体力の温存とか、見栄えの為に無駄にしていい点なんて俺にはないんだ。


「ってことで、まだまだ走るぜ!」


 結論だけ叫ぶ。

 相対する愛仁がニヤリと笑った。笑ってくれた。俺の無意味な思考ルーチン感じとったのだろうか。


 愛仁は、なんの遠慮もないサーブを打つ。


 俺の『壁』は失敗し、無様にコート中央へ軽い山なりの球が飛んでいく。

 こんなベストな、打ちごろな打球は、例えばコートの四隅はどこにでも打てるし、俺は四隅のどこに打たれても打った後に走っていては追いつけない。


 だから、打つ直前に走る。その届かない四隅を一つ潰す為に。超届かない三隅にする為に。


 愛仁は当然、俺が走るのを見届けてから、打球コースの選択を変える。俺のいない方向に。

『壁』よりもずっと緩い俺のレシーブだから、コースの変更も大胆で鋭く正確にこなせる。オマケに打球は超速い。

 もうサーブ並だ。


 俺は当たり前に追いつけない。失点。


 40―0。


 同じ。さっきと全く同じだ。もう、この第4ゲームはこれで行くしかない。

 ある意味での諦め。でも、俺は走ることをやめない。


 次も同じ様に失点し、第4ゲームは終わった。




続く

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