第7話
0―4で迎える第5ゲーム。サーブ権は俺に戻ってきた。
手元のボールを見据える。
やる事は第3ゲームと同じ。『無駄に動く壁』。サービスゲームならこれが出来る。
変化があるとすれば、俺の息が弾んでいるのと愛仁の腕が温まってるってとこか。十分最悪だ。
「まだやる?」
愛仁が嫌味っぽく聞いてくる。無視無視。ここで「やらない」って答えたら、たぶんガッカリするクセに強がって生意気言ってんじゃねえよ。
俺が緩いサーブを打つモーションに入る。
「同じ方法で?」
と、愛仁。
そうだよ。
俺はサーブを打つ。
レシーブに反応。『壁』で返し、モーションと互の立ち位置から、愛仁が打つべきベストなコースを割り出す。
そして俺は、俺の走るべき方へ走り出す。
「やっぱり同じ方法じゃないか。王君、勝つ気はあるのかい!?」
「さあな!!」
もちろん勝ちたい気はある。でも答えてやらない。会話も切ってやる。勝手に期待して勝手に失望して勝手にキレてろよ。
俺は愛仁の打球を魂込めず『壁』で返す。
しっかりと地に足つけて、手首を固定して打つ!
「よし、コッチはラリーできるな」
改めてサービスゲームの優位性を認識。これは中学時代じゃ考えられなかったことだ。こんなにヘボいサーブでも有利なものは有利なのだとは知らなかった。
そして、それは突然やってきた。
「ッ……!」
来た。
そう、本当に突然なのだ。
俺にはわかる。経験者だから。
愛仁は悲痛な表情を浮かべながらも、なんとか振りぬこうとしている。
肘に、電撃でも受けたような、そんな痛みが走ったのだろう。そして、その痛み以上に痛みに対する驚きがあったに違いない。
ちょっとビクッときたに違いない。
一瞬だけ。
だが、その一瞬の『痛みと驚き』は、スイング中のフォームを崩すのに十分だったのだ。
俺も肘を壊した人間だからわかる。これは初期症状の一種だ。
違和感はなかったハズなのに、痛みだけが唐突にやってくる。
無理もないのだ。無理をしすぎたのだ。
俺に逆らおうとして、無理なコースを無理なタイミングで切り替えて打ち続ければそうなるに決まっているのだ。
途中から、俺は『予想したコース』に走るのではなく、『無理して逆らって余計に負担のかかりやすいコース』を走っていた。
でも、俺の説明を受けていた愛仁はすっかり俺の走るコースが『ベストなコース』だと思い込んでいて、まんまと騙されて逆らってくれたのだ。
肘に負担がかかるのも当然だ。
痛みが走るのも当然だ。
愛仁の崩れたフォームから、打ち損じた、死んだ球が放たれる。
ゆったりと、抜け殻の様な打球が、俺のコートの浅いところへと落ちる。
打ち損じ……、浮き球……、呼び方はいくらでもあるが、コレは俺にとって間違いなく
『絶好球』だ。右腕を壊しラケットを左手に持ち替えた俺にとって、そんな俺であっても、コレは間違いなく『絶好球』なのだ。
俺は愛仁の肘に無理をさせ、この絶好球が放たれるのを待ち続けていた。
ようやく、来てくれたのだ!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ガラにもなく俺は叫んで、欲望を吐き出すようにボールへと襲いかかる。当然だ。
ようやく実ったのだ。俺は恥を忍んで愚直に打ち続けたのだ。この時を迎える為に。
必ず決める!
未熟な技術でもがき、ようやく掴んだ攻撃のチャンス。得点のチャンス。
この絶好球を浅く鋭く打てば愛仁は追いつけない! たとえ『壁』であっても普通に考えたら追いつけない!
俺は得点が出来る! さあ、どうする?
「うあああああああああ!」
全神経を集中し、周りの空間を巻き込んだようなえげつないスイングをぶつけてやる! 大丈夫。
ボールは俺側コートのネット際。一メートル先に投げつけるように打つだけ。スイングしてもミスはしない。
「ふふ……」
愛仁だ。俺がボールへと向かうこの瞬間、愛仁は確かに微笑んだのだ。そして、
「なるほど……。これが、王君の狙いだったのだね。この一点の為に、何点も犠牲にしたというのだね」
無視。俺は真剣だ。集中せねば。
「でもね」
まだ何か言いたいのか?
あるのだろうな。
「そのフライングダッシュはワタクシやるからこそ効果が表れるのだよ!」
と言って、愛仁は、走り出した!
俺のように、打球コースを予測して! この土壇場で!
さっきまで俺がやっていたように!
相手の俺が打つ前に、走り出す!
「王君がようやくたどり着いたこのチャンス!
これは絶対に決めなければならない!
しかし今の君の技量では、このチャンスを活かすコースはかなり限定されえる!
予測は簡単!
先に走って獲って君に一点も与えない!」
興奮しつつも冷静だ。
愛仁の走り出した先は、俺から見た右でしかもネット際。
正解だ。俺はそこに打とうとしている。
馬鹿め。
俺が頭の中でそうつぶやいて、そのほんの少し後に愛仁は顔をしかめた。
気づいたようだ。
でももう遅い。
勢い余った愛仁の身体は言うことを聞かない。
必死でブレーキをかけるが止まらない。
確かに俺は速球が使えない。
速球が使えないから、こんなに追い詰められているのだ。
愛仁もそれを理解しているから、俺がどう処理するかを考えたのだろう。
その予測は浅く鋭くだ。
浅く緩い球をこの左腕で処理するにはそれがベストだ。
だから愛仁は自分のコートのネット際まで走ってきた。俺が打つ前の段階で。
俺が処理する球を打ち返すために。
今、俺と愛仁は互いにコートの中央へ走ってきていることになる。
互いの距離はこれまでにない程接近している。
この距離はネットを挟んで闘うスポーツとしては限界ギリギリだ。
さて、俺は確かに速球が使えない。
では、『速球が使えない』とはどういう意味か。
もちろん、これはかつて全国で猛威を振るった右腕の故障に依拠しているのであるが、これではまだ具体的な説明にはなっていない。
新たにラケットを持つことになった、左手。左腕のスイングでは何故速球が使えないのか。
力が足りないから?
ハズレ。そうではない。
球の速さは腕力で決まるのではない。
第一、俺の左腕がいくら右腕に比べ非力であっても、その辺の小学生よりかは強い。
だから現在の俺が小学生レベルの速球すら打てないことの説明にはならない。
では、速球を生み出すものは何か。
それは、重さと速さだ。
この『重さ』とは全身の筋肉を利用した体重移動のことだ。そして『速さ』とはラケットのスイングスピードのことである。
スイングスピードというと腕力と思うかもしれないが、そうではない。スイングスピードはむしろ力を抜いた時の方がよく出る。スイングスピードを伸ばすには、これまた器用な体重移動が必要になってくる。
このように、速球を速球たらしめているのは身体全身なのだ。
では、どうして俺は左腕で速球が使えないのか。
ここまでくれば、もうわかるだろう。
打てないのではなく、使えない。
さんざん腕力の不要論を披露したが、腕そのものはもちろん速球を生み出す為の重要なファクターだ。
どのような点で必要なのか。
それは回転だ。
全身の力を使い、重さと速さをぶつけられたボールはどこまでも飛んでいってしまうだろう。
そんな打球の制御、飛距離の制御に必要なのが回転だ。
そしてその回転をかけるには器用なラケットコントロール、つまり、腕の感覚が必要になってくる。
現状、俺の左腕はそれが出来ない。
だからこそ俺は、いっそ手首を固定する『壁』であったり、体重を逃がしながら遅い腑抜けた球を打つのである。
そう、つまり俺は速球が打てないのではなく、入れられないのだ。
だが、俺は今、最高速度の速球を打つ!
それも、コートに収まる見込みは一切ない、最高速度!
それでも点を取る!
打点へとやってくる打球に全神経を集中! 腰を落とし、左足の膝に割れんばかりの体重をかける!
「……うううぅ……!」
恐怖にまみれた愛仁の顔がゆがむ!
左膝にかけた体重を弾けるように解放!
すべてを右足へ!
コートを抉るように右足へ!
その爆発的な解放の勢いに、左腕も乗っかる!
最高のスイングスピード!
とてもじゃないがこんな不器用な左腕では制御できない勢いが乗っかる!
全中を荒らしに荒らしたあの剛速球。その剛速球を生み出す為の足腰は生きているのだ!
だから、とてもじゃないがコートに収まらない!
じゃあ、どうするか?
何かに止めてもらえばいい!
「くらえ……」
そう、この愛仁に、ノコノコと俺の目の前にやってきた愛仁に、
「うおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああ!」
当てる!
ドコォっ!
という音が手元でして、それと同時に
バキッっ!
という音が目の前、つまり愛仁の方から聞こえた。
集中力を極限まで高めたプレイヤーにありがちだが、やはり視界はスローモーションで展開している。
そして、そのスローな世界で俺はしっかりと捉えた。
しっかりと、愛仁の目の周りよりちょっと横の骨、眼窩部へと直撃していることを。
打球の勢いは収まることを知らず、ぐいぐいと突き進もうとしていることを。
コートにチマチマと留まるつもりはない、どこまででも飛んでゆけそうな、そんな球が愛仁のキレイな顔を押しつぶす。
そして俺は興奮の余り、確かにこう叫んだ。
「つらぬけええええええええええええええええ!」
……と叫んだものの、球は本当の想定通りに上空へ跳ね上がる。愛仁の顔面から。
しかし、やはり威力は凄まじく、愛仁は吹っ飛び倒れ込んだ。
俺の叫びに反して、コートは静まり返る。
「起き上がるなよ……」
俺は心の底から、苦い想いで念じる。
静かなコートで俺の願いはイヤな程響いていた。
気絶を願う。それしかないのだ。
テニスというスポーツには一発逆転というものが基本的にはない。
サーブが放たれラリーが始まった時、その時から、ラリーが終わればどちらかに一点が入ると確定している。
そしてその一点一点を積み重ねて、どちらかが決められた点数に達した時、勝利が決まる。
だからこそ一発逆転はない。常にどちらかに点が入るのだから。
秘策による得点や一生に一度しか使えない超必殺技によって得た点と、普通のラリーで普通に打ち勝った点や相手がクシャミしてくれたおかげで取った点の『重み』は全く一緒なのだ。
そう、テニスとは流れのスポーツ。
悲劇の失点も幸運の得点も、流れの前では無意味。
普通に勝とうと考えるならば、相手を追い越すしか方法がないのだ。
だが、今の俺にそんなことは不可能だ。6ゲームも取れるハズがない。
だから、気絶を狙う。漫画ではよくあること。
試合続行不可能なら……、俺の勝ちだ。大丈夫だ。テニスボールが比較的柔らかいとは言え、俺の全力のストロークなら時速150キロは余裕で超える。それを一メートルの距離で顔面にマトモに喰らえば、意識はトぶに決まってる。
やれることはやったぞ。
俺が真剣な眼差しで愛仁の動向を見守っていると、
「んごうおおおお! 貴様ああああ!」
「うわあ! 忘れてたあ!」
審判台から立ち上がり、高い位置から全体を見下ろしている執事が、俺へ銃を向ける。
上から向けられる銃口の圧力は確かに重厚だった。なんつって。
「動くな!」
俺に銃を向けている審判台の執事のすぐ後ろの壁際で、そこで試合を見ていた天さんが銃を構えている。執事に向けて。
クソ! ここは本当に日本か?
続く
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