大抵の場合、2.5次元と現実はかけ離れている。
涼月タカイ
プロローグ
0.5次元格差。
ただでさえ蒸し暑い、30℃近い外気温の中、その会場内は異様な湿度に見舞われていた。
ここは横浜の某アニメショップ。人気女性声優、金元梨紗のニューシングルCDのお渡しイベント会場。
冷房が効いているはずのこのイベントスペースは、来ている参加者の9割方が男である。もちろん俺、加藤
そんな俺たちの目指す前方で、キラキラした笑顔を見せ、金元梨紗は次の列に並ぶ客を呼び込む。
「こんにちはー、ご来店ありがとうございます!」
「あ、握手してもらってもいいですか?!」
「はい、もちろんです!いつも応援して下さってありがとうございます!」
そういって金元梨紗は、小太りの男が差し出した右手に両手を重ね握手を交わす。後ろから見ていても、いかにもその男の手は汗ばんで、熱を持っているのが分かった。
しかし、金元梨紗は嫌がるそぶりを見せることも無く、笑顔で男の右手に重ねた両手を上下に揺する。その男は興奮しているのを隠すかのように、独特の鼻息交じりの声で会話を続ける。
「こ、今回の曲、ロック調ですっごくかっこ良かったです!」
「本当ですかー?喜んでもらえて良かったー!新曲を発表するときは、いつもドキドキなんですよー。何回経験しても慣れなくて」
「例えどんな曲だったとしても、僕は絶対に買うから安心してください!」
「ふふふっ、ありがとうございます。ではこちら、CDでーす」
そう言って、金元梨紗は握手したその手をさりげなく解き、テーブルの上に並んでいたCDを一枚手に取って、その男に差し出した。さりげないこの一連の流れ、これこそプロの仕事である。
「は、はいっ!ありがとうございます、『俺すか』も応援していますので頑張ってください!」
「ありがとー!頑張ります!またねー、バイバーイ♪」
「ま、またねーっ!!!バイバーイっ!!!」
金元梨紗に手を振って見送られながら、男はお店のスタッフらしき人に案内され、男も手を振りながらその場を離れていく。パンパンになった背中のリュックサックから伸びている2本のポスターが、何とも言えぬアニオタ特有の風格というか悲哀を醸し出していた。
「次の方どうぞー!」
男が去ったことにより、待機列の最前線となった俺をスタッフが呼び込む。
さっきまであった緊張は、より一層激しさを増す。右手で喉元あたりを抑え、一度呼吸を整えながら俺は前に進む。
金元梨紗が目の前にいる。実際に本人を目の前にすると、テレビや雑誌で見る印象よりも小柄に見えた。髪型も昨日ブログでチェックした写真とは少し違っていて、今日はダークブラウンにウェーブがかかったようなスタイリングだった。
しかし、表情は俺の知っている金元梨紗のそれだった。その屈託のない笑顔は、明るさを前面に出した独特のハリのある声とピッタリだった。この笑顔から、前季の中で最も話題となったアニメ『俺が兄で本当に絶対にいいんですか?(反語)』のメインヒロインである高垣千秋のキャラボイスが出ているのだと思うと、抑えきれないような気持ちになる。
彼女は両手を振りながら、軽くお辞儀をして俺を迎え入れ、声をかけてくれた。その大きな瞳と俺の視線が2人のちょうど中間でぶつかる。
「いらっしゃいませ!こんにちは!」
「ここここんにちは」
息を飲み、声を上擦らせながら、俺は金元梨紗と会話をする。もうそれだけで、とてつもない緊張感と幸福感が入り交じり、浮世離れした気分になる。
一度下に目を逸らし、周囲にバレない程度のボリュームで咳払いをして、平然を装いながら再度金元梨紗の目を見る。
「金元さんのことずっと前から大ファンで、いつも見てます!あの、『へいおん!』のときから応援してました!」
「本当ですかー!?すっごく嬉しいです!私も『へいおん!』には思い入れがあるので、そう言ってもらえるととっても嬉しいですっ!」
口元を押さえて、嬉しそうに喜ぶ金元梨紗。やっぱり昔から知ってもらえているというのは、嬉しいものなのだろう。こういうのは古参の特権である。見たか、周りのにわかども。
そんな金元梨紗の嬉しそうな表情を見てほっとした俺は、ここぞとばかりに持っていた紙袋から箱を取り出す。
「あの……これ差し入れです」
「えっ?!本当ですか!ありがとー、嬉しいです!なんだろー?」
金元梨紗は手渡した箱を目の位置まで掲げ、四方八方から眺める。
「金元さんの好きなチョコレートです」
「わー!本当ですか?こんな素敵な箱に入ってるなんて、絶対絶対美味しいですよね!?わー食べるの楽しみー!」
「喜んでもらえて僕も嬉しいです」
「うん、とっても嬉しいです!本当にありがとうございます」
緊張で引きつった笑顔を見せる俺に、金元梨紗は深々とお辞儀をする。俺もそれに応えるように、軽く頭を下げる。大好きなチョコレートを受け取ったことにより、そのテンションが一層高くなっているのが分かる。
さて、緊張しているとはいえ、ここまではほぼ予定通りだ。
一度深呼吸をして、自分なりに精一杯の凛々しい表情を作る。人が覚悟を決める時というのはこういうことだ。意を決し、右手を差し出す。
「ずっと大好きでした。僕とお付き合いしてください!!」
告白した。男が覚悟を決めるというのは、こんな時しかない。誰かに自分の好意を届けるとき、真剣にならない男はいない。
手を差し出したまま、俺はじっと金元梨紗の目を見つめる。吸い込まれそうなその大きな瞳に、心の中でお願いしますと返事を祈る。
数秒の静寂の後、金元梨紗は差し出した俺の手を両手で包み込むように、ギュッと握る。
……え?これってもしかして……もしかする?
俺は金元梨紗の目を見つめながら、そのままパチパチと瞬きをする。彼女はニコニコとした笑顔のまま、動揺した様子を微塵も見せることなく、握手したその手を静かに揺する。
「うふふー、ありがとうございます。でも、ごめんなさい……。次の方もいらっしゃるので!またお会いしましょうねっ!」
「えっ?」
さっとCDを渡され、あまりの手際の良さに、俺は思わず受け取ってしまう。
もう一度顔を見上げると、金元梨紗が両手を振っていた。
「バイバーイっ☆」
「あ、あのっ!」
手を振る金元梨紗に近寄ろうとした瞬間、後ろから右肩がグンと引っ張られる。その衝撃に驚きながらも振り返ると、アニメショップに似つかないような、わりと強面なお兄さんが立っていた。そのお兄さんに、さっきまでチョコレートを入れていた紙袋の中へ、イベント特典のポスターを無理やりねじ込まれる。
「はい、次の方前にお進みくださーい」
「あっ!ちょっと待ってください!……ちょっ、あーっ!!!!」
剥がしと呼ばれるその強面スタッフに首根っこを引っ張られ、俺は強制的に会場から退去させられることとなった。
こうして、俺の記念すべき10回目の告白はあっけなく幕を閉じた。強面スタッフからの厳重注意と、金元梨紗の特典ポスターを添えて。
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