静謐に映える月

千里亭希遊

第1話

 極寒の氷壁の中で、紫姓しかばねは狂喜に呑み込まれていた。

 この世界で最も憎い存在が、目の前で───自分の手で絶望に犯されていく。

 二つの絶望に苛まれて、いつまでも絶叫をやめない者。

 その声は彼にとって最高に心地よかった。このままずっと聞いていたい。ああ、なんて甘美な響きなのだろう。

 そして、彼の手の中にある者は、既に声すら上げなくなっていた。少しつまらないが、見開かれた瞳に浮かぶあるありとあらゆる負の感情と、溢れて止まらない涙がたまらなく愛おしい。

 そうだ、もっと苦しめ。

 すぐに楽になどしてやらない。

 ああ、なんて自分は幸せなんだろう。

『そんなに楽しいか?』

 何重にも重なったような奇妙な声がする。その声音にも楽しんでいるような色を感じて、紫姓はますます燃え上がった。

「最高でございます! このような機会をお与えくださった我が主には必ずや……!」

 彼は目の前の氷壁に向かって叫んだ。

 その氷壁の反対側にもたれながら、シンは冷めた目でその光景を見ていた。

 なんて幼稚な仕返しで、なんて陳腐な科白せりふだろう。

 しかしきっとその凄惨な復讐は、『主』の『時』が満ちるまで続くのだろう。

 特にそれを眺めている必要性を感じなかったので、彼は主に一礼してその場をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る