第2話 香山直は、漫研部に乗り込むソリューション。

「で、盗撮男の心当たりはあるのか?」

 校舎正面入口の玄関にやってきた俺たち……というか、連れられてきた俺は、高槻に問いかける。

 中庭からここまでやってくるほんの少しの間に、俺はある種『選ばれし者』になった感覚を知ることとなった。

 校内一の問題児に手を引かれ、ズカズカと通路を歩いてくるその姿は、それだけで噂の対象になるらしい。あちらこちらから、俺たちを見てひそひそと話す声が聞こえた。高槻が学校内でどれだけの有名人かということを改めて認識させられる。きっと俺はその仲間だとでも思われているんだろうな……無遅刻無欠席の真面目な生徒が、こいつのせいで見事問題児枠にジャンル区分された。俺自身は1つも問題なんて起こしてないのにね。グッバイ、俺の希望した素敵な高校生活。夢はやっぱり夢だったよ?

 そんな俺の不幸を呼び起こす根源となった当の高槻は、俺の正面で腕を組んで、眉を寄せて何かを考え込んでいる。

「心当たりはないわ!」

「…………」

 そのあまりに自信満々な表情は、どうツッコんでいいか俺を困惑させる。

「ごめん。やっぱ俺帰るわ」

「冗談よ!」

「…………」

 俺は黙秘権を利用する。権利の使い方が130%間違ってるのは言うまでもない。黙秘権は決して無視をして良いという権利ではない。つまり今俺がしたのは、単純に鬱陶しいから返事をしなかったというそれだけである。

「ああそうか、冗談だったら良かった……とはなんねーよ」

 このタイミングで冗談をぶち込んでくる意図が分からん。

「手がかりならあるわ!」

 いや、あるんならそれを最初っから言えっつーの。もったいぶる必要性がない。

 俺は面倒ながらも、ため息交じりに高槻に質問する。

「で、どんな手がかりだ?」

「私がこれまでの調査で得た情報によると、あいつは見た目が気持ち悪い」

「……それ、なんの手がかり?」

 ただの暴言でしかないんだけど。……なんか話しているこっちが混乱してきそうになる。

「外見は大事よ。だって、そのおかげで、私はあいつが文化部だってことが分かったんだから」

「は……?」

「あの気持ち悪いオタク的な見た目、言動、そしてあの独特な走り方。あれはもう間違いなく漫画研究部の人間ね」

「いや、それ分かったって言わないと思う。偏見どころか、もう断定しちゃってるじゃん」

 高槻は無茶苦茶な論理で人のことを断ずる。これで仮に犯人が分かるんなら、サスペンスドラマなんて、事件が起きた次のシーンではもう犯人捕まっちゃってるよ?2時間ドラマの帝王が『5分ドラマの皇帝』って通り名になって、なんか夕方にやってる子供向けの短編アニメみたいな扱いになっちゃうよ?

 俺はもうなんか面倒になって、この状況からどうやって逃げ出そうかとそればかり考えていた。何か上手いこと言って逃げられないだろうか。

 ひとまず手始めに、話の流れに乗って俺は高槻の断定表現に加担してみる。

「いや、合ってるかどうかは別にしても、そこまで分かってるんだったら、もうお前一人でも捕まえられるんじゃないの?俺いらなくない?」

「あんた、全然分かってないのね。だから、言ったでしょ。私一人だと目立ちすぎるの。それなりに可愛くて、学内でも有数な悪目立ち。そんな美少女が一人でオタク相手に乗り込んでいったら、それこそ学校中に噂が広まるわ。そんなのいくら私だって御免よ」

「美少女には触れないとして、悪目立ちしてるって自覚はあるんだな……」

 自覚があるなら直せよと、喉まで出かかったが、とりあえず一旦押さえておく。さっさと問題を解決して、ある意味捉えられていると言っても間違いではないこの状況から、俺も解放してもらいたい。

「じゃあとりあえず、全く確証はないけど漫研行ってみるか?ここで考えてたところで、動かないとそれ以上の情報は入ってこないだろうし」

「そうね。刑事ってのは足で捜査するって言うくらいだし。じゃ、さっさと行くわよ」

 そう言って高槻は、大きく手を振って歩き始める。

「……おい。ちょっと待て」

 俺は高槻の袖を引いて、前後に揺れる日傘が当たらないように避けながら。ズカズカと歩いていくその進行を妨げる。

「はあ?何よ?っていうか、引っ張らないでくれない?服がシワになるじゃない」

「いや、漫研の部室に行くんじゃないのか?」

「行くに決まってるじゃない。何言ってんの?あんたバカなの?」

「いや、バカはどっちだよ。文化部の部室棟はそっちじゃない。文化部は西側だ」

 俺は逆方向に進もうとする高槻に向かって、部室のある方向を指差す。

「知らないわよそんなの。あんなキモオタたちのいる場所、これまで知ろうと思ったことなんて一度もないんだから」

 ツンとした態度を見せ、高槻は方向転換し、今度こそ文化部の部室棟へ歩き出す。

 ……こいつ、本当に大丈夫なのか?高槻の気合とは裏腹に、俺は不安を抱えたまま後ろを付いていく。これまで噂でしか耳にしていなかったが、こうしてしばらく話してみて、俺も段々と高槻の無茶苦茶な面が分かってきた。これだけ周囲をトラブルに巻き込んで行く人間も珍しい。

「そう言えば、お前はどうして盗撮されていることに気が付いたんだ?そういうのって、普通なかなか気づけないものじゃないのか?」

 俺は少し早歩きをして高槻の隣に並び、質問を投げかける。

「良い質問ね。なかなか着眼点が鋭いじゃない。ふふん、いいわ、教えてあげる」

 高槻はどこぞやで聞いたようなセリフを述べ、軽く咳払いをしてから語り始めた。

「以前私は、保健室で隠れてスプラム・ランシュを食べてたことを、ある時突然生徒会の奴らから注意されたの。もちろんその場に、先生や他の生徒は誰もいなかった」

「スプラム・ランシュ……ってアンジェの一番人気のプリンのことか?」

「そうよ」

 アンジェというのは、学校帰りの道にあるケーキ店だ。正式名称はアンジェリーナ・サンジェルと長いので、俺たち学生はみんなアンジェと呼んでいる。ケーキ屋であるにも関わらず残念なことに、主役であるケーキがおいしくないという致命的な弱点を持っている、何とも切ないお店だ。

 ただし、ケーキ以外のその他の商品はかなりレベルが高く、知る人ぞ知る隠れた名店、いや迷店と呼べるだろう。そんなアンジェの看板商品とも言えるのが、スプラム・ランシュだ。一度ハマってしまうとその魅力から抜け出すことは困難とも言われるほど名高いプリンである。

 店の立地が学校からの帰り道にあるということもあり、俺も妹に頼まれてスプラム・ランシュを買って行くことがある。抜群に美味しいというわけではないのだが、ブルーベリージャムの独特の風味が不思議な魅力を醸し出していて、確かにクセになるのも頷けた。

 そんなプリンを高槻は保健室でこっそり食べていたというわけだ。こいつ、意外に甘い物好きなんだな。自分でもその『意外』という言葉をどういった意味で使用しているかよく分からないが、それでも決して間違っているだろうとは、残念なことに微塵にも思わなかった。

 高槻は続けて俺に語り掛ける。

「どうして私しか知りようのないはずの、私が食べたプリンの種類まで知っているんでしょうね?」

「お前が気づかなかっただけで、実はその場に誰かがいたんじゃないか?」

 俺の提言に対して、高槻はいつにもなく冷静に首を横に振る。

「もちろん私だってその可能性は考えた。けど、ただ食べているところを見つけただけなら、『プリン』としか言わないはずだわ。それなりにじっくり見ないと、普通そんな小さな部分まで気が付かないでしょ?」

「まあ……確かにそうかもしれないが」

 高槻の言うことは一理ある。例えば突然横からサッカーボールが飛んできたとして、そのボールのメーカーだとかボールのサイズがどれだけだとか考えることは、まずないだろう。『突然サッカーボールが飛んできた』というその事実に驚くだけである。高槻の言いたいことはきっとそういうことだ。

 高槻が説明を続ける。

「疑問に思った私は、知らないうちに誰かに付けられていたんじゃないかと仮定した。私がそれなりに有名人だったってのもあるけど、私がまた問題を起こさないように、監視役として後ろから誰かが付けていたんじゃないかって」

 確かに、その可能性は十分にあり得る。学内一の問題児である高槻がこれ以上の問題を起こさないように、生徒会あたりが監視を送り込んでいたとしても、あながち不思議ではない。どちらかと言うと、それだけ高槻が問題を起こしていることの方がよっぽど不思議で不可解なくらいだ。

「でも、どうやらその予想は外れだった。だって、私以外の女子生徒も被害にあっているというんだもの」

「え、そうなのか?」

 俺の驚きに、高槻は深く頷く。全く知らなかった……いや、流行に疎いのは自分でも感じているけど。

「私も直接聞いたわけじゃないんだけどね。でも、実際にそういう声は何度か耳にした。廊下で女の子たちが何人か集まって話しているのを聞いたの」

「……何て?」

「『最近、学校内でいつも後ろを付けられているような気がする』って。そしたらその周りにいた子たちも、みんな一斉に『分かる―っ!!』って共感してた。問題を起こしてばかりの私に監視が付くのは分かるけれど、普通に生活をしている女の子たちに監視が付くとは思えないでしょ?」

「まあ、確かにそうだな。普通には考えにくい」

「だからその話を聞いて、私は考えを改めたの。もしかしたら、私だけじゃなくて、女子生徒全員がターゲットとして狙われているんじゃないか、って」

「……それが盗撮、ってことか?」

 高槻は深く頷く。

「そう。だから、さっきカマをかけてやったの。階段を登りきったところで、わざとスカートの中が見えるように、絶好のシャッターチャンスを作ってやろうと思って」

「……やらせのシチュエーションを作った、ってことか?」

「自分の後ろに誰かが付いてきているのを確認して、登りきる直前に振り返ってやったわ!」

「そしたら見事あいつが引っかかった、と」

 高槻は眉間にしわを寄せて、コクリと頷く。

「スマホを出して、しっかりそのレンズを私の方に向けていたわ。だから私も、こんな風に全力の笑顔で応えてあげたの」

 高槻は美少女ランキング上位ランカーとして名を馳せることとなった、その可愛らしい笑顔を俺に見せる。……悔しいが、人気があるのも確かに納得できるんだよなあ。外見だけは。

「……ある意味鬼畜だな」

「きっと、あいつのスマホには、私の笑顔の写真がきっちりと残っているはずだわ」

 高槻が悪魔のような微笑みで、俺に語り掛ける。その裏側には、秘められたとてつもない憎悪を感じた。俺の本能が、こいつだけは敵に回してはいけないと諭す。

「ま、誰かさんのせいで、捕まえられなかったのが誤算ではあったけどね」

「いや、やっぱり俺のせいなのかよ……」

 未だ俺を恨む高槻の発言に、俺は軽くため息を吐く。

 いずれにせよ、自らの体を張った高槻の決死の行動により、盗撮男の存在が判明したというわけだ。そういう点はさすが学内一の問題児、高槻である。普通の女の子なら身構えてしまうような事案でも、高槻は自分の意志で見つけ出そうとしてしまう。その男らしさは、俺も少し分けてほしいくらいである。

 俺はそんな高槻に質問をする。

「あの男と接点はあるのか?」

「知らないわよ、あんな奴。あんなキモオタメガネ、見たこともないわ」

 高槻の悪口はさておき、接点のない人間から盗撮行為を受けるのは、いくら高槻とは言えど、気持ちのいいものではないだろう。もちろん接点があったとしてもダメだけれど。いずれにせよあの男を捉えるまで、高槻の苛立ちが収まることはないはずなので、俺はとりあえず高槻の後を付いて行くほかなかった。



     ×     ×     ×


「さて、着いたわ。ここが漫画研究部の部室ね」

 高槻は部室のドアの前で、腰に手を当てて仁王立ちする。その表情は、バトル漫画に出てくる自信満々の主人公が強い相手に立ち向かっていくときのような、勝負を楽しみにしている顔だった。今にも鼻を擦りながら「へへっ」とか言い出しそうである。

「じゃあ、入るわよ」

 そう言って高槻がドアに手をかけた瞬間だった。

「そこの2人、待ちたまえ!!!」

 廊下の右側から野太い男の声がした。

 2人ってことは、俺たちのことか?そう思いながらそちらを見ると、ガタイの良い体躯をしたメガネの男子生徒が立っていた。俺たちの方を見ながら、のそのそと近づいてくる。

「……そこの2人って、俺らのことか?」

「もちろん!」 

 男子生徒が高槻の前に立つ。この男、近付いて分かったが、想像以上にかなりの筋肉質な体である。その分厚いメガネとは裏腹に、しっかりと鍛え上げられた肉体。学校指定のワイシャツがはち切れそうなくらい、腕の辺りもパンパンに膨れている。

 小柄な高槻と比較することで、より一層その図体の大きさが明確になる。スリッパを見る限り、どうやら俺たちと同じ学年の生徒らしい。到底同い年とは思えないが。

「ああ?何よ?」

 その大きさに全く動じることなく、高槻は男を威嚇する。高槻のすごいところは、体格や見た目に恐れることなく誰とでも同じトーンで会話をすることができる点だ。そういう意味では人を差別することのない人間だと言っていいのだろう。残念ながら、威嚇することに関しては、決して擁護することはできないが。

「落ち着けって……」

 今にも食い掛かろうとする高槻の肩を軽く押さえつけ、軽くなだめながら、俺はまた男子生徒の方を見る。

 威嚇された男子生徒は、太い首をゆっくりと左右に動かして、高槻と俺を交互に眺める。

「どうやら新入部員……というわけではなさそうだな」

 男子生徒は大きなため息を付き、がっかりとした様子でうな垂れる。

「ああ、悪いな。新入部員じゃなくて。でも、そうやって言うってことは、あんたこの漫研の部員なのか?」

 俺がそう尋ねると、男子生徒は腕を組んで、深々と頷く。

「その通り!!俺は漫研部の部長、黒金 悠斗(くろがね ゆうと)だ。ご存じの通り、ガチオタだ!!」

 気持ち悪いほど暑苦しい笑顔で俺に微笑む。

 ……ご存じの通りって、知らねーよ。というかそのガチオタの部分より、そのガチムチの部分が気になって話に集中ができない。

「ごめん、聞きたいことはたくさんあるんだが、俺の中でどうしても先に解決しないといけない問題がある」

「ほう、なんだ?」

 黒金は気前よくうんうんと力強く頷く。

「漫研部なのに、なんでお前はそんなにガタイが良いんだ?」

 俺の質問を聞いた瞬間、黒金は抜群の笑顔を見せる。おそらくこいつ自身が持っている最上級の笑顔であろう。もちろん俺の勝手な推測だけどね。

「よくぞ聞いてくれた!いいだろう、説明しよう!!!」

 こちらから質問しておいて何だが、いちいち暑苦しい。……ちょっと全体的に声のボリュームが大きすぎない?適度な音量とかできないものだろうか。筋肉があると体全体で共鳴して声の通りがよくなるとか、そういう人体の仕組みがあるんだろうか。この空間だけ、盆地の真夏くらい暑苦しい。

 黒金は真っ白な歯をキラリと光らせて、自身の歴史を語り始める。

「実は俺は、中学自体は元々ラグビー部だったんだ!これでも関東選抜に選ばれるくらいの選手だったんだぞ?」

「へえ……それでそんなにすごい筋肉質な体してるのか」

「よせ!そんなに褒めるな!!照れるじゃないか!」

「いや、ごめん。全然褒めたつもりないんだけど……」

 なんだこの典型的な体育会系のボケ方は。真面目に言ってるのかワザと言っているのか分からないが、いずれにせよ今話している相手が漫画研究部の部長だということを忘れそうになる。外見って大事だな。

「で、そんな人間が、どうして今こんなところで部長をやってるんだ?」

 俺は当然誰もが思う質問をぶつけていく。これは通称ミスターアベレージでもある俺ならではの特技である。

「ああ、俺は根っからのオタクでな。ラグビーをやっていたときも、いつも自分の中で葛藤があったんだ。俺はこんなことをしていていいのか?本当の俺は何なんだろう、ってな。そして高校に入り、部活の勧誘時に漫研の先輩に言われた一言で、俺の人生は未来が開けたんだ」

「……なんて言われたんだ?」

 黒金は当時の思い出をしんみりと思い出すように、目を閉じて一呼吸間をあけると、その直後目をグワッ!と勢いよく開いた。

「『なぜ自らを開放しない?!何を迷うことがある!!』ってな。……その時俺は思ったんだ。ああ、何を悩んでいたんだろうって。自分に素直になる。それだけで今の俺には十分じゃないかって!」

「…………」

 そりゃ確かに漫研部の奴らは、言うまでもなく自分の好きなことに全力で取り組んでいるんだろうし、説得力はある。学校内でも最も欲望に忠実なメンバーと言っていいかもしれない。

「俺は自らの欲望に従うことにしたんだ!紛れもないオタクの道から逸れることなく、オタク道を歩んでいくことに決めたんだ!!」

 目頭を抑えて、今にも泣きそうになりながら話をする黒金。そんな熱い話を聞きながら思う。こいつ、オタクではあるけれど、結局根本はやっぱり体育会系の血が流れまくってるよな……こんなにむさ苦しい漫研部って聞いたことないぞ?

「そう言えば、さっき自己紹介の時、部長って言ってなかったか?」

 俺の質問に、黒金は再度全力の笑顔で頷く。笑顔の度に、白い歯がキラリと光るのがいちいち腹立たしい。

「ああ、今は俺が漫研部の部長だ!もともとこの漫研部には3年生しかいなくてな。しかし、先輩たちが先週から受験勉強のためにみんな部を抜けてしまって、今は俺を含め1年生部員が5人の小さな部活だ。だから俺がそんな先輩達の思いや伝統を引き継ぐべく、部長という役割を買って出たというわけだ!」

「ふーん、そういうことね。だから最初、俺たちが入部希望者か聞いたんだな?」

「ハッハッハ!!やはりバレてしまっていたか!まあ、そういうことだ!!」

 黒金の大きな笑い声が反射して、廊下の一番奥まで淘汰するかの勢いで音波が伝わっていく。外じゃないんだから、そんなに大きな声出さなくても、全然伝わるんだけどな……

 まあとりあえず、最初に黒金を見て俺の中に浮かんだ疑問は解決した。基本的には黒金のその外見と部活のイメージのギャップが一番の気になっているポイントだったから、今の説明を聞いて一応はスッキリした。

 ただ、この部長で漫研部は上手くいっているのだろうか?他の部員がどんな奴らがいるのか全く知らないが、おそらくラグビー部と漫研部ではまるでテンションが違うだろうから、黒金の体育会系の勢いに参っているんじゃないかと心配になる。もちろんそんなの外部の俺が心配することでは無いのは分かっているが。

 横にいた高槻が、俺にグーで小突く。高槻からの合図に、そちらを振り向くと、高槻は眉間に縦線を入れて俺を睨み付けていた。

「……ちょっと、なお。あんた自分の今やるべきこと忘れてるんじゃない?」

「いや、忘れてはいないぞ?ただちょっとこいつ自身の生い立ちとか背景に興味があっただけで……」

「私はそんなのどうだっていいの!!っていうか何こいつ、漫研部のくせに体大きすぎて気持ち悪いっつーの。素直に運動部入ってなさいよ」

 高槻は目の前にいる黒金に対して、わざとデッドボールを投げるかのように直接いちゃもんをつける。

「いや、お前今の話聞いてたか?」

「聞いてない!私はとっとと盗撮男を捕まえに行きたいのよ!!」

 やっぱ聞いてねーのかよ……高槻があまりに正直すぎて、少し清々しささえ感じる。

「まあ、気持ちは分かるが焦るなよ」

「焦るわよ!!!」

 イライラしている高槻が今にも暴れださんとしているので、俺は高槻の肩に手を置き抑制する。

「……盗撮?」

 話を聞いていた黒金が、必死に高槻をなだめる俺に尋ねる。

「そうよ!この漫研部に盗撮男がいるの!!!」

 何を隠そうとするわけでもなく、高槻は自分が思っている脳内想像や偏見をさも事実かのように話す。

「まだ可能性があるってだけだろ!しかもお前の勝手な偏見から来てる推測だけなんだし!いいからとりあえず落ち着け……」

「うーっ……離しなさいよっ!!!」

 段々とエスカレートしてくる高槻が腕の中で暴れる。こいつ、ホント見た目に反して力強いな……この華奢な体のどこにこれだけのパワーを秘めているのか知りたくなるほどだ。

「うちの部に盗撮してる男がいるだと?」

 俺と高槻がもめているのを目の前で見ていた黒金が、怪訝そうな顔で俺たちに話しかける。

「いや、可能性があるってだけで……まだ断定できるとこまでは全然来ていないんだけど」

 少し苛立った様子の黒金を、俺は慌ててフォローする。

「分かった。お前たちがそこまで言うなら、直接その目で見ていくといい。それでも俺はこの部活に盗撮するような奴がいるとは思えないがな!」

 ……なんか悪いことをしてしまった気がする。高槻の勝手な決め付けだけで、この部に犯人がいると疑っているわけなのだから、漫研部の部長である黒金としては決して良い気持ちはしないだろう。

 これも全てこの高槻のせいである。その高槻は俺の隙をついて、腕からサッと抜け出し、振り返って俺をギロリと睨み付けた。手は出さずとも、この威圧感である。さすが校内一の問題児という名はダテじゃない。

 黒金がガラガラと大きな音を立てて、力強くドアを開ける。

「よう!」

「あ、部長。おつー」

「おつっすー」

「ああ、おつだ!」

 黒金の挨拶に反応して、中から男達の気怠そうな声が発せられる。「おつ」というのはお疲れ様の略だろうか。そのコミュニティ独特の挨拶というものはどこにでもあるはずなので、とりわけ驚くような珍しいことではない。

 部室の中は通常の教室が2つに分けられたくらいの広さで、部の人数が少ないせいもあってか、かなり広く見えた。男子生徒が3人散らばって、それぞれが自分のやりたいことをやっているようだった。

 入口に立った黒金が部室全体をきょろきょろと見渡す。

「まだ全員揃ってはいないみたいだな。村主はどうした?」

「あー、村主だったら今日はもう来ないよ。一番最初に来てたんだけど、なんか今日は用があるみたいで帰るってさ。さっき急いで出てったよ」

「そうか。ふむ、入れ違いということか」

 部員と思われるそのヒョロ長の男が、PC前の椅子に座ったまま顔だけを黒金の方に向けて話す。

 俺は黒金の後ろに続いて、2人の会話の邪魔をしないように、静かに出来るだけこっそりと部室の中に足を踏み入れる。しかし、高槻はそんな俺の気遣いなど全く気にすることも無く、部長の横をすり抜けてズカズカと部室の中心へと入っていく。

「……え!?ちょ、はあっ?!た、高槻綾っ……さん?!なんで高槻さんがここにいるんだ?!?!」

 高槻の姿を見た途端、その生徒はガタガタと椅子から立ち上がって、あからさまに動揺する。各々マンガを読んだりしていた周囲の部員もその名前を耳にした途端、作業をやめてバッと一斉にこちらに注目した。

「あれ?あんた前に私が潰したオタクグループの一員じゃない」

 高槻は伝説となっている事実をいとも軽く話す。噂では周囲が恐れおののくような話でも、高槻本人にとってはただの事実でしかないのだろう。さしずめそんなところが、問題児足る最大の所以かもしれない。

 つまり高槻の口ぶりから察するに、目の前にいるこのヒョロ長の男子生徒は、以前高槻が潰したという高槻のファンクラブの一人だということだ。こんな形で再開することになるとは、お互いに思いもしなかっただろう。

「あんた、漫研部の部員だったのね?ほら、やっぱりそんな奴しかいないじゃない」

 ふふんと自慢げに高槻は鼻を鳴らす。いや、まだ盗撮男がここにいるなんて全く決まっていないんだけどな。

「……た、高槻さんが何の用?」

 高槻の存在に気が付いてからというもの、明らかにヒョロ長は困惑している。その様子を見ていると、こちらも少し可愛そうな気分になる。ファンクラブ壊滅にあたり、彼らは高槻からどんな仕打ちを受けたのだろう。少なくとも、軽く注意された程度でないことは簡単に想像が付く。

「この部に盗撮男はいるかしら?」

 高槻はストレートに問いかけた。

「……は?」

 ヒョロ長を始めとした漫研部の部員たちは、ポカンとした表情で高槻の顔を眺める。

「だから、この漫研部に盗撮男はいるかって聞いてるの!」

 大事なことだから高槻さんは2回言いました。しかし、そんな高槻の言葉も虚しく、部員たちは高槻の言っていることが何一つ理解できていないようだった。

「高槻、もういい、俺が説明するからお前は下がっててくれ」

 高槻の肩に手を置き、一度下がるように合図する。

「……分かったわ」

 高槻も自分の言葉が伝わっていないことを感じたのか、素直に俺の指示に応じて、一旦引き下がる。

 一歩下がった高槻に代わって、逆に俺は一歩前へと踏み出す。漫研部の視線が俺へと集まる。

「いきなり驚かせてすまなかった。まずは自己紹介からさせてくれ。俺は香山直。みんなと同じ一年生だ。で、こっちはみんなも知っての通り高槻綾。こいつについては紹介はいらないかもしれないが」

 部員の疑心の眼差しが俺に突き刺さる。まあ、いきなり校内一の問題児が部室にやって来て騒ぎ始めたら、そりゃ何か疑いたくなるのも当然だよな。けれど、そんな彼らの心情には気が付かないふりをして、俺は説明を続ける。

「実はついさっき、この高槻が盗撮の被害にあったんだ。俺たちは犯人の顔もこの目で見てる。それで犯人の男を捜しているところなんだ。もしかしたら何か情報を知っている奴がいないかと思って、この部活に話を聞きに来たんだけど……」

 ヒョロ長たち漫研部員は顔をしかめて、お互い不安そうに顔を見合わせる。

「……悪いけど、そんなの知らない。俺たちは放課後が始まってから、ずっとこの部室にいたんだ」

 実際のところ今見る限り、俺たちがさっき見た空から落下してきたあの盗撮男はこの部室にはいない。

「残念だけど、ここにはいないみたいだな……いきなり押しかけてすまなかった。じゃあ今日はこの辺で……」

 俺がそうやってクロージングに入った瞬間、横から高槻がスッと割って入ってくる。

「ねえ?あんた達、この部活で何をやってるの?そもそも、漫研部って何をする部活なの?」

 隣にいた高槻が、突然部員たちに質問を投げかける。

「その質問には俺が答えよう!」

 横から黒金が大きな声を出す。問いかけた別のところから返事が返ってきて、当の高槻は頭をすくめて驚いている。

「ちょっと……びっくりするじゃない……」

 高槻はお世辞にも大きいとは言えないその胸の辺りを手で抑え、早くなった鼓動を整えながら黒金の方を見る。あんなに人に対しては強気に出る高槻も、意外な所で弱点があるようだ。これだけ見ると、なんだか普通の女の子みたいじゃないか。勘違いしそうになる。危ない危ない。

 そんな高槻の様子など全く気にすることも無く、黒金は部室全体に響くくらいの明らかにオーバーな声量で俺たちに説明を続ける。

「うちの部活は、各々が興味のあることなら自由にやっていい部活なんだ。アニメ、マンガ、ゲームなど、いわゆるオタク活動に部類するものであれば、何をしててもいい!それがこの部活の昔ながらの伝統だ!」

 黒金がこれ以上ないほどに自信を持って言う。さすがわざわざ関東選抜に選ばれているにも関わらず、この部活に入部した男。それだけの誇りを持って部活に励んでいるのだろう。絶対的なプライドを感じる。

 教室に響き渡る黒金の声が落ち着いたのを見計らって、ヒョロ長が話を続ける。

「そう、今部長が言った通りだよ。もともとうちは自由な部活だし、何をやっていても特にお互いに干渉したりはしないからね。だから、個々がどんな活動をしてるかってのは、結構知らないことが多いんだ」

 確かにそういう意味では、さっき黒金が言っていた『自らの解放』という言葉は、間違っていないのかもしれない。その方向については触れないにせよ、一応部活らしいことはしているようである。

「ちなみに、もう一つ聞いていいか?」

「……何?」

 突然高槻を連れてきたことで、明らかに疑心暗鬼になっているヒョロ長に、俺はなけなしの誠意をアピールしつつ質問をする。

「本来はこの部活って、もう一人部員がいるんだよな?さっき黒金部長との会話の中で出てきた人が」

「あー、うん。いるよ。村主って奴がいる」

「その村主って奴のことも良かったら教えて欲しいんだけど。特に外見とか」

 ヒョロ長はあからさまに面倒くさそうな表情を見せた。が、その瞬間に間髪入れず高槻がヒョロ長に対して、大蛇のような睨みをきかせる。その殺気を感じたヒョロ長は、一瞬寒気を感じたかのように姿勢を正した。

「は、話します!!!ちゃんと話すから!!!!」

「んー?そんなにビビっちゃって、どうしたのー?私は別に何も言ってないけどー?」

 高槻はクックと不敵な笑みをヒョロ長に投げつける。自分がファンだった女の子に脅されるってどういう感覚なんだろうな……その生きづらさを想像すると、ますます可愛そうになってくる。

 ヒョロ長はコホンと咳払いをして、改めて俺たちに話し始める。

「外見……俺らが言うのもなんだけど、あいつはこの部の中でも一番見た目がオタクっぽいと思う」

「オタクっぽい……」

「そう。小太りでメガネをかけてる。コミケに行けばごまんといるような、量産型オタクの類だな」

「いやごめん、コミケに行ったことがないから、その例えが全く分かんないんだけど……」

 コミケに行っているのが当然という前提で話を進めるのはやめてほしい。まあ確かにネットなんかで流れてくる画像を見ることもあるので、尋常じゃない数の人が集まっているその光景はイメージできるが。

「簡単に言うと、オタクの外見って言うのは、大きく分けて2種類いるんだ。いわゆるデブか、極端に痩せているか、ほとんどがその2つのうちどちらかだ。うちの部長みたいなガチムチ体型だったり、俳優みたいな爽やかイケメンなんてのは、基本的にまずいない」

 黒金がオタクの中でも例外に部類するというのは、何となく俺でも理解ができる。そもそもオタク云々の前に、あれだけの肉体になるほどスポーツに力を入れていて、それでも自らの本能のためにその大切なスポーツを捨てる人間は少ないんじゃないか。

 そんな黒金はと言うと、ヒョロ長の話を聞きながら深々と難度も頷いている。本人の中で何か思い当たる部分があるのだろうか。……面倒くさそうだから触れないでおこう。

 ヒョロ長が話し終わるのを見計らって、俺は高槻の方を見る。高槻は右手の甲を顎に当てたまま、真剣な表情で彼の話を聞いていた。

「ねえ、それって、さっきのあいつの特徴とピッタリじゃない?」

「うん?ああ……まあ、そうだな」

 もちろんまだ断定することは出来ないが、高槻の言う通り、今のところは確かにあの男の容姿と一致していた。小太りでメガネの量産型オタク。盗撮男が落ちてきたときのことを思い出す。他に何か手がかりになるようなことはなかっただろうか。

 これといった決め手があれば、一気に盗撮男に攻め入れられるのだが……

「なあ、もう少し村主のことを教えてくれないか?」

 俺がそう言うと、ヒョロ長は高槻の方を一瞥する。高槻は微動だにすることなく、ひたすらにヒョロ長の方をジッと見ていた。というか、睨んでいたという表現の方が正しいのかもしれない。

 そんな高槻の様子を伺いながら、その視線に怯えながらもヒョロ長は話を再開する。

「……さっき、うちの部活は何をやっても自由だって言っただろ?だからもちろんあいつも、好きなことをやってるんだ」

「好きなこと?」

 ヒョロ長はコクリと頷く。

「村主はスマホのアプリが大好きなんだよ。だからここは漫研部ではあるけれど、あいつは基本的にずっとスマホでゲームをやってる」

「スマホのゲーム、か……具体的にどんなゲームをやってるんだ?」

「いや、あいつはとにかく色んなゲームをやってるから、どれとは言えない。有名な物からマイナーな物まで手を出してる。だから、アプリに関してだけなら、学校中探しても村主以上に詳しい奴はいないんじゃないかと俺は思うぜ」

 アプリを知り尽くしている……確かに怪しさはあるが、それだけで犯人だと断定することは出来ないだろう。

「……そいつ、部室から出ていくことって多くなかった?」

 高槻が突然話し始める。相変わらずヒョロ長に対して睨みをきかせたまま、これまで聞いた中で、最も不機嫌なトーンで。

 いきなり与えられた高槻の質問に動揺しながらも、ヒョロ長は頭を悩ませながら必死に思い出す。

「確かに部活中によく出かけることは多かった……ような気はする。『気分転換してくる』とか言って」

 気分転換……なんだか部活中に使う言葉じゃないような感じはするが、どうなんだろう。

「それ、どこに行ってたか分かるか?」

「ごめん、さすがにそこまでは知らない。この部活はみんな自由だからね。誰も無理に関わりを持ったりしないのがこの部の良い所だから」

「そうか……」

 あのクソ暑苦しい黒金が部長とは言え、部内の関係性は想像以上に希薄なのかもしれない。俺たちはまた手詰まりになる。盗撮男の情報が途絶えてしまう。

「あ、そう言えば」

 俺たちの立っている黒板付近から最も遠い位置でマンガを読んでいる1人の男子生徒が、その肉厚な見た目通り脂肪をまとった声で、俺たちに向かって声を放つ。その漫画の拍子に描かれている女の子が、やけに肌色の割合が多いのはあえて触れない。

「おう、どうした西崎ィ!お前何か知っているのか?」

 黒金が腹から声を出してその生徒に呼びかける。その生徒はどうやら西崎と言うらしい。

「村主がゲームをするために、何度かこの部室にPC部の連中を連れてきたことがあるのん」

「……のん?」

 聞き間違いだろうか?聞いたことのないその語尾に、俺は耳を疑う。

「情報になるかどうかは分からないけど、あの様子を見る限り、村主はきっとPC部の奴らともかなり仲が良いはずだのん」

「…………」

 その語尾が気になって、話がうまく頭に入ってこない。……負けるな俺、集中しろ。ここは漫研部だ。そんな奴らがいてもおかしくないと、最初から覚悟していたじゃないか。

「一度PC部に話を聞きに行ってみるといいのん!」

 畳みかけるように、ここぞと言わんばかりにその男は俺たちに向かって『のん語尾』で話しかけてくる。

「あ、ありがとう……うん、その辺でもう大丈夫だ」

 俺はこの異様な生命体から早く離れたいという気持ちで、さっさと会話に切りをつける。

「のんのん!!」

 西崎と呼ばれるその生徒は激しく頷きながら、ボールが弾むように丸い体を左右に揺すった。『のん』は挨拶にもなるのか……全く知りたくもない言語だ。これもオタクあるあるというやつなんだろうか。

『のんのん』が離れていくのを見て、俺は心を落ち着ける。オタクのキャラってすごいんだな……俺は改めてオタク界隈の闇を知った。

 一呼吸置くために、俺は軽くため息を吐く。

 ま、これ以上ここにいても、もう新たな情報が出てくることはなさそうだな……ここにいると色々な意味で疲労が溜まる予感がしたので、俺はこの辺りで聞き込みを切り上げることにした。

「ありがとう。とりあえず参考になったよ」

 俺は黒金に感謝の言葉を述べる。

「そうか……また何かあったら言ってくれ!いつでも協力するぞ!」

「あ、ああ……うん。その時はまたお願いするよ」

 そう言って黒金はキラリと歯を光らせて、俺に力強く握手をする。その暑苦しい黒金の表情は、夢にでも出てきそうなほど印象的でやっぱり暑苦しかった。まだ初夏なんだけどなあ……

 真夏になったら、黒金はどんな暑さを周囲に感じさせることになるんだろうか。そんなある種Mっ気を含んだ知的好奇心を抱きながら、俺たちは漫研部の部室を去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る