マイと地底とオベリスク

井坂倉葉

序章 ハロー・マイ・ワールド

始まりは些細に



 1



 阿修羅にも似ている。それはあくまでもその、三面性についてのみではあるが。

 一〇〇年程前から、世界は三つの顔を持ち合わせるようになった。そんな世界の一つ、《表層》。その路地裏から、この物語は幕を開ける。



 †††



「死ね害虫どもがッ!」

 大戦前の話だが、その言葉は主に、三下の台詞として使われた。

 そしてそれを叫ぶように言った三下な男は、必死に右手を横に振り抜く。

 刹那。

 ゴパン、と重たい音がして、僕の背後のビルがその周りの空間ごと切り裂かれた。ビルの三階から七階部分が切り取られて、消滅する。だるま落としのように、急に支えを失った八階より上が落下した。

 ズズン……と、腹の奥底に響くような震動、そして舞い上がる埃。

 廃ビルが瓦礫の山へ、粗大ゴミが普通ゴミに姿を変えた瞬間だった。

「うっわ、危険物」

「黙れ! お前らに魔法なんて使う必要ねぇ、こいつで全員ぶち殺す。まずはお前、お前からだ」

「……あのな、お前バカだろ」

 あまりに脳内お花畑な考えに僕は思わず呆れた。

 男の右手に握られているモノ、空間切断機。実に名前の通りの性能で安心する。やはりこの学校のエンジニアは嘘を吐かない。報告通りの『危険物』。

 でも、所詮機械科がお遊びで作った兵器一つでは、学園の生徒一人も殺せまい。万が一にも。

 そんなものに頼って、しかも強く成れた気でいるなんて、お笑い種も良い所だ。

「貴様ら人間が、私ら魔法使いに勝てると思っているのか? いいや、《天空》の住人に貴様らは成す術も無く這いつくばるのだ!」

「それだよ。魔法なんて不規則な力に頼って、地上を征服せんとするその高慢ちきな態度。気に入らないね。それと、」

「それと?」

「魔法使いじゃなくて『魔女』だろう? お前らは男も女も、みんな『魔女狩り』の対象だ」

 ただし、と付け加える。

「それは中世に起きたような虐殺じゃない。これはれっきとした戦争だ」

「ガキが。舐めてんじゃねえぞコラ」

「もうひとつ。お前は、その魔女ですらない。そんな『人間』の道具に頼っている時点でな。お前はただのコソ泥だ」

「死ねぇぇえ!」

 もう一度男が武器を振ろうと構える。

 しかし僕は落ち着いて、耳元に手を当てた。チチチ、と少しだけ発信音を鳴らして、耳元の機械はすぐに相手と繋がった。

『やーほー。お困りー?』

「中継を見てるな? あの武器の弱点は」

『もっちろん、さっきサッキーがエンジニア達のチャットログから盗んだよん』

「誰だサッキーて」

『アニーとも云う』

 男が右手を振るう。僕は少し身を低くして、それをやり過ごした。僕の数十センチ上の空間が、正確にはそこにあった空気が切り取られて、消えた。

 僕はそれを意に介さないままに、話を続行する。

「最初からそう言え。それで弱点は」

 えーとね、と通信相手は少し間をあけてから、

『そのオモチャ、試作機だからグリップ部分の装甲が凄く薄いんだってー』

「ということはそこを抜けば良いな?」

 ジャキ、と魔装を腰から外そうとして、

『だからそこを壊すとー、レプリカ_ブラックホールが出てくるから要注意』

 レプリカ_ブラックホール。模型のブラックホール。それは機械の制御を外れれば、一気にこの地域を喰う厄災に成りうる。

「なぜそれをエネルギーに使った!?」

 頭を抱える。機械科はバカなのか?

『さあねー。パワーを追及した結果じゃなーい? それと、弱点は無さそうねー』

 他人事風な返事を聞き流しつつ、すぐさま別の策を考える。出来るだけ最小限の被害で、最低限の力で男を取り押さえる方法を。

 だが。

「……全く良い策が思い付かないぞ?」

『やっぱ一番楽なのはその魔女本体を狩ることだねー。空間切断機を壊すよりよっぽど』

「それはそうだが、またお前の罪が一つ増えるぞ。良いのか?」

 いつの間にかこちらに背を向けて逃走を始めている男の背中を追いかけながら、僕は訊く。

『構わないよー。そもそもその罪はこの世界の徳だ』

 それから少し間を置いて、通信相手ははっきり告げる。


『私は一つ目の世界を捨てているから』


 最早その言葉を聞くのは何度目だろう。何度目になっても、訊かずにはいられない。そんな自分にいい加減うんざりしながらも、走りながら魔装を目の前に翳す。

「オーケー。それでも出来るだけ、穏便に行かせてもらうがな」

 印は『cocoon』にセット。後は何も必要ない。この距離なら外さない。警告も要らない。

 魔女は、徹底的に排除する。

 間を置かずして。

 前を走る男の口から膨大な量の白い糸が吹き出して、男自身の身体を拘束してしまった。


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