アイドル哀歌

 10



 ティアが捕まった、という情報は、比較的大きなニュースとなって日本上空に浮かぶ全ての《天空》世界を駆け巡っていた。

 よくも同胞を、と街角では『人間ヘイトスピーチ』が絶賛放送中だ。地上波でも衛星でも絶対に流せないような危ない用語が飛び交っている。中から一部をピックアップして紹介してみると、

 曰く、奴らは人の皮を着た悪魔で。

 曰く、奴らは神に楯突く不届き者で。

 曰く、奴らはケツの穴に有刺鉄線を詰め込まないと祓えない。

 …………エトセトラエトセトラ。

 悪魔崇拝に喧嘩を吹っ掛けた上で自らを神格化しているあたり、いかにも頭の悪そうな感じが丸出しだ。せめて『神の国』にすべきだった。しかも最後はなんだ、ただの拷問じゃないのか?

 とにかく、そんな感じで《天空》中が《地底》ヘイトな雰囲気一色に染まっていた。

 そんな中ただ一人、ざまあみろ、と思いながらコーヒーを口に含む少女がいた。どうしようもない苦味が舌に広がり、同時に慣れない芳香が鼻を抜けていった。

 何も一人で抱え込む案件では無かった。というより、一人で抱え込める案件ではなかった。

 そんな事を考えながら魔女は――、土曜日に取引を控える少女は、閑散とした公園のベンチに一人で座っていた。

 もっとも、その取引が無事遂行されるかは定かではない。しかし、多分マイ達は来るだろうと、少女は確信していた。女のカンとかなんとか、そういう名前で呼ばれるヤツだ。そして丁度良いことに、少女のカンはよく当たった。

 ただ、来たからといって素直にほいほいとマイを渡してくれるかというと、多分それはない。こっちもカンだ。カンだが、悲しいことによく当たる。

 やっぱり戦闘しかないか。

 殺人狂には辛い話だ。どうも、ついつい手加減を忘れてしまう。もちろん、自分にマイが殺せるかというと多分ノーだ。が、万一にもお兄さんたいちょう達、マイの仲間を殺してしまえばマイは黙っちゃいないだろう。仲間に取り込めないどころか最悪、一つ二つ《天空》が爆破される危険性すらある。

 するとこう、上手く、マイの仲間を人質に取る必要があるかもしれない。まあ、実際戦闘になったら多分そんな事忘れてしまうだろうけれど。

 少女はそういう『魔女』だ。

 ふう、と少女はため息をついた。

「なかなか、思った通りには行かないものだな」

 ところで、さっきの案件というのは実はマイの事ではない。マイを手に入れたその先の事だ。マイを求めるのにはもちろん、目的がある。

 少女の故郷は――――――。

 少女はそれゆえに、マイを欲しているのだ。

 ここでふと、少女は思い立った。そういう話であるならば――、



 あるいは自分が魔法使いになる手もあったんじゃないか、と。



 だがもう遅い。フラグは嫌というほど立ててしまっていて、ルートはほとんど確定しているに等しい。

 微妙に自責の念が芽生えるが、強大な意志がそれを無理矢理押し潰す。

 ルート完全確定イベントまで。

 既に七十二時間を切っていた。



 11



「やっぱり心配だよ!?」

 翌日、木曜日、放課後。

 僕はやはり先に来ていたアニーに言った。昨日もマイは来なかった。そして今日も、まだ来ていない。来ないかも知れない。

「信じて待つべきですわ」

 アニーは冷静に言葉を返すだけだった。

 マイのクラスメイトに訊いたところ、どうも、今日も昨日も登校はしているようだ。ただ、一時間目の途中くらいにふらりと教室から出ていき、そのまま帰ってこないらしい。

 タチの悪いことに、マイはそういう行動を取ることが珍しくない。しょっちゅう授業を抜け出しては機械科(のアニーのところ)に遊びに行くものだから、クラスメイトとしてはマイが授業中抜け出すことを特別視する理由が無いのだ。

 参ったなあ、と頭を掻く。もちろん心配なのだが、それより何よりマイがいないと妙に調子が狂う。一年と半年、マイはずっと僕の相棒だった。それがこうも突然雲隠れしてしまうと、むずむずしてしょうがない。例えるなら、携帯電話を無くした気持ちとでも言おうか。

 いつも側に居るから、いざ居なくなると不安になる。昨日のアニーの話でマイが独りで暴走する事を危惧する気持ちは消えた。だが、心配な事に変わりはない。

 日常の消失。それはとりもなおさず、非日常の襲来である。マイが居る日常の消失とは、一体どんな非日常の顕現に繋がっているのか、僕には想像もつかない。

 と、そんな時。ノックも無しにガチャリと背後のドアが開いた。また中川か。ノックするクセをつけさせた方が良いのかも知れな――――、


「久しぶりー。と言っても、たったの三日ぶりかなー?」


 扉のところでマイが手を振っていた。

 待ち望んでいた人が、そこにはいた。



 12



「マイ! お前は……」

「いやいやー、ほんとごめんねー、連絡もせずに勝手に何日も休んじゃって。心配したー?」

「そりゃあな」

「そっかー、なんか嬉しいな」

 マイは楽しそうに言う。こうして見れば、やはり体調が悪かった訳ではなさそうだ。

「それでさー、アキラ。これまたいきなりで悪いんだけどー……」

 そしてマイは親指でぐいっ、と外を指差すと、

「少し散歩に付き合ってもらえるー?」




 マイは散歩に、閑散とした小山を選んだ。自然公園という形で管理されている小山で、その実、機械科の生物関係の奴らの大規模飼育実験場になっている。

 まあ、だからといって危険な生物が放し飼いにされているかというとそんな事はまるでなく、ただ普通の公園でしかない。そういう生物や植物が飼われている所はきちんと立ち入り禁止になっている。

 それでも、僕はこの公園に踏み込むのに躊躇いがあった。というのも、この公園の夜はヤバイからだ。

 複雑に入り組んでいる事と、夜間は滅多に見回りが来ないのを良いことに、一夜限りのアバンチュール、片栗粉やら氷砂糖、売春ウリだって横行すると噂は流れる。つまりは無法地帯だ。一歩茂みに踏み込めば何が落ちているか分からない。使用済みゴムかも知れないし、注射器が転がっててもおかしくない。

 ここは、そういう公園。

 ゆえに昼間は閑散としている。人っ子一人いない。それはやはり、夜の悪趣味な饗宴の臭いが残っていて、誰も近寄りたく思わないからなんだろう。

 マイに連れられて僕は、そんな公園に足を踏み入れた。

 何だろう、実際に臭うか気のせいなのかはともかく、イカ臭さが鼻につく気がする。隣のマイを見ると、右手で鼻をつまんでしかめっ面をしていた。なるほど、実際に臭っている訳か。最悪だ。

 アニーは小隊室に置いてきた。マイが『アキラと二人きりでしたい話が有るんだ』とか言ったからだ。

 告白のシチュエーションに思えなくもないが、表情と場所からすれば恐らくは違う。それこそ、何か相談を抱えているんだろう。

「アイドルって辛いよねー?」

 そしてしばらく歩いて。マイは突然、小山の頂上近くでそんな事を言ってきた。

 だから僕はこう返した。

「…………頼んでもないのに追いかけ回されて、プライバシーもへったくれもあったもんじゃない。そりゃあ辛いだろうな」

「うんー、アイドル哀歌エレジーなんて歌があってもー、私は驚かないと思うー」

「なあマイ、何か悩み事でも有るんじゃないのか? 急に休んだりして……」

「アキラはさー、覚えているかなー?」

 僕の言葉に被せるように、彼女は質問してきた。

 そして、マイは僕の目をしっかりと見据えた。二〇センチ以上もある身長差のせいで、大分マイが見上げてくる格好になっているが。

「何をだ……?」

「小さい頃の事は良いさー。そっちは、今から私が教える事だー……。きっと、アキラは忘れているんだろうから。私が訊きたいのはー、りあちゃんが復帰した日、その昼休みー…………」

 それは、先週の金曜日の事。その日の昼休みに何かあっただろうか。

 頭に疑問符を浮かべた僕をそのままに、マイは次の言葉を紡ぐ。まるで、ようやく言える日が来たと安心するような表情で。

 その時僕は、不意に世界が大きく反転するような錯覚に襲われた。頼りなく足元が揺らぐ。世界の色が、変わる、変わる。

「あの日から私はまだー、アキラに伝えたいことを伝えられていないままなんだよねー?」

 僕はその変化を、純粋に美しいと思った。今まで見てきた全てが間違いであると、その変化は言外に告げているにも関わらず、だ。



 聞いてくれるかな。私の秘密。



 それきり僕は、一心不乱にマイの話に耳を傾けていた。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る