第1章 助けたあの子に誘われて

 昼休みだってのに、めずらしく俺は一人じゃなかった。


「昨日は本当に、ビックリしたんだよ」


 横に座ったるる子が、弁当の包みを広げながら微笑んだ。


 五月もなかばのカラッと晴れた上天気。

 中庭のベンチに並んで座って、女の子と二人きり。


 人生はじまって以来の快挙と言っていい。

 今の状況でなかったら、そう思っていたことは間違いない。


「あのときは本当に、もうダメかもって思ったんだよ。猫を助けたら、すごい速さで車が来ちゃって、気がついたら立ち上がれなくなって……」


 一部始終を見ていたから、よく知っている。

 それなのに、るる子は胸元で手をギュッと握りながら、必死で説明してくれた。


「でも、こうして生きているわけで……とにかく、助けてくれてありがとうね」

「どういたしまして」


 面と向かって他人から礼を言われるなんて、何年ぶりだろうか。


 恥ずかしかったので、ポケットからヤキソバパンを出して齧りついた。


 それにしても、謎は深まるばかりだ。


 結局、彼女の記憶を操作することはできなかった。

 っていうか、昨日の段階であきらめた。

 最初の無効化から三度目にあった反撃まで、あれだけたしかめれば十分だろう。


 るる子に何かしようとすると、あの現象が起きる。

 そのことは間違いない。

 かといって、彼女自身が意識して俺に攻撃している様子はない。


 よくわからないので、こうしてるる子に誘われるまま一緒に飯を食うことになったわけなのだ。


「それにしても意外だったよ」

「何が?」

「久垣くんって、教室ではいつも静かにしてるよね。黙って窓から空を見てたり、誰とも話さないでしょ。だから、おっかない人かと思ってたんだもん。でも正直、ちょっと見直したんだよ」


 他人の日常をよく見ていやがる。

 ということは、やはりるる子には俺の能力がまったく効かないか、あるいは効果が薄いのかも。


 周囲にいる人間が俺を見ようとしただけで、自動的に注意力が鈍くなる。

 能力を使って、そういう設定にしてある。無意味に注目されないよう、人前では常にステルス状態を保っているのが、俺の日常。


 軍隊の用語で説明するなら、レーダーに対するジャミングあたりか。

 俺の場合は、視認に対して妨害を行う効果が、ゲームでよくあるパッシブスキルみたいに常時発動している。

 なんかの本によれば認識阻害とか、そんな言葉があったような。

 その効果のおかげで、教室に俺がいるということを知っているやつはまずいない。


 逆に言うと、教室にいる俺を認識できるなら、探知に対する妨害を無効にすることができる、ということになる。

 るる子には、そういうことができている。


 なぜできるのかはわからない。

 わからない以上は、本人に聞いてみるしかあるまい。


 さて、まず何から話すべきだろうか。

 まずは軽く、俺についてどこまで知っているのか、さぐりを入れるのがいいかもしれない。

 どういう質問がベストか考えていたら、むこうが先に来た。


「久垣くんは、超能力が使えるの?」


 いきなり直球ですよ。


 どう答えたらいいのかわからないので、素直に答えておこう。

 正直は最良の戦略だって、誰かが言っていたような気もする。


「守でいいよ。名前で呼んでくれて構わない」

「じゃあ、守くんは超能力が使えるの? それとも魔法?」

「あー、まあ、そういうのだね」

「そうなんだあ。すごいねえ」

「んー、まあねえ」


 自分で言っててなんだが、会話のセンスがなさすぎて気分がへこむ。


 落ち着かないから、ポケットからタマゴサンドを出してパクついてみた。


「昨日みたいに、時間を止めたりできるの?」

「あれは止めたんじゃない。進み方を遅くしたんだ」

「いいなあ。遅刻しそうになったときに便利だよね」


 るる子が小さな弁当箱からミートボールを口に運ぶ。


「他にもできるの? 空を飛んだり、あと……テレポートだっけ。そういうの?」

「できるけど、そんな難しい用語じゃなくて、なんていうか……もっと雑、っていうか適当。思っただけで、たいがいその通りになる。何ができて、何ができないかは、やってみようと思った時点で直感的にわかる仕組みだ」

「それって適当すぎるんじゃないかな。かなりアバウトだよ」

「まったくだ」


 ポケットからジャムパンと牛乳ビンを出して、ベンチの上に並べた。


 るる子がちょっと横にずれる。


「ごめんね。そこ空ける?」

「いや、いい。そのままで」


 今度は制服の内側に手を入れて、コロッケパンを出す。

 チェロキーとチョコドーナッツ、それから蒸しパンに食パン。

 そんでもって、皿に乗ったイチゴ山盛りのデコレーションケーキを出してみた。


「いっぱい食べるんだねえ」


 そう来たか。


 普通もうちょっと驚くところだろ。

 出したものを並べるために、ベンチの長さもこっそり変えているんだが、そこに気がついた様子もない。

 鈍いのか鋭いのか、よくわからん女だ。


「ところで、これ。どこから出したの?」

「どこからでも出せる」


 腕を軽く振ると、袖の中から出てきたチョコエクレアが手に飛び込んできた。


「超能力で言うと、瞬間移動の一種でアポーツとかいうのがあるらしい。遠くにある物体を引き寄せる能力のことをそう言うみたいだが……まあ俺のは、ちょっと違う。ほしいと思えば、だいたいなんでも目の前に現れる」


 わかる範囲では、どこかで何かが減ったということもない。

 もしかすると、何もないところから作り出しているんじゃないかと思うのだが、はっきりしたことは不明。

 質量保存の法則を無視しきっているので、物理学者が聞いていたら怒られそう。


 るる子は弁当を食べる手を止め、口を丸くしていた。


「なんか……ちょっと、怖いね。あはは」


 そう言われると立場がない。

 お詫びのつもりで、チョコドーナッツを渡してやることにした。


「食うか」

「ありがとう。あとで食べるね」


 食べるのかよ。

 意外である。怖いとか言ってたくせに。


「好きなだけ食べ物が作れるなんて便利だねえ」

「食べ物だけじゃない。なんでもだ」


 持ってたエクレアごと両手をあわせて、パチンと鳴らす。

 すると今度は、手の中にフォークが現れた。

 るる子が弁当を食べるのに使っているフォークと、そっくりそのまま同じものだ。


「あれ……? おそろい?」

「なんでも、たいがいのものは作り出せるんだ。火とか水、それから電気みたいなエネルギーでも作れるし、あとは……」

「お金とか」


 開いた手のひらの間でメラメラパチパチと火花を散らして実演して見せていたら、笑顔でとんでもないことを言いやがった。

 せっかくなので期待に応えて万札の束を取り出した。百枚ぐらい。本物そっくりのオモチャなんだけどな。


「いるか?」

「やっ……!? そ、そそそ、それは……ダメだよっ。犯罪っ、犯罪だからっ!」


 るる子は膝の上でこぶしを握り、ギュッと目を閉じた。


「そ、それは受け取れないよっ。そういうのは……そういうのは、ズルだから。ダメなんだからねっ。もらえませんっ!」


 なんだ、こいつ天使か。


 普通なら、そこは大喜びで受け取るところだろ。

 クラスの人気者ぐらいだと思っていたけれど、この女もしかして本当にただのいい人なのかもしれない。


「うう~。やっぱり……やっぱり、もらってもいい?」


 前言撤回。


 こいつ、普通。

 何のひねりもないくらい、まるっきり普通の反応だ。


「やらん。冗談で出しただけだ。ドーナツだけで我慢しろ」

「えー。そんなぁ。イジワルだよぉ……」


 そんな未練がましい声を出すなと言いたい。


 ひとまず危険な代物である札束は消しておく。

 すると、るる子の気分はようやく落ち着いてきたらしい。


「あー。また驚かされちゃった。昨日からビックリの連続だよ」

「すまん。説明するだけのつもりだったんだが、どうもうまく言えなくてな。とにかくなんでもできすぎて、不可能なことはほとんどないんだ」

「それは、たしかに説明するのがたいへんそうだねえ」

「わかってくれて、ありがたい」


 便利すぎるのも困ったもんだ。

 なにしろ自分でも、この能力で何がどこまでできるのか完全には把握していない。

 むやみやたらと強力すぎて、素人の俺ではうかつに限界を調べるなんて不可能。それが実際の状況、ってなもんですよ。

 うかつに地球を割ったりなんかしたら、さすがにまずいだろ。


「まあ、だいたいこんな感じだな」

「いろいろできるんだねえ。ごちそうさま。これ、食べるね」


 怖いとか言ってたくせに、ドーナツは食うんだ。


 よくわからん女だな。

 だけどまあ、悪いやつではなさそうだ。


 これまでにも何度か、俺の能力を他人に見せたことがある。

 だいたいどんなやつでも反応は同じで、すぐさま欲望丸出しの願いをつきつけてきやがった。


 そうでないときは、もっとひどい。

 最初は善人ぶって、いらないと言う。そして、あとからなんやかやと理屈を並べて、望みのものをせしめようとしてくる。

 忍者でもないのに汚い。人間って本当に、えげつないことを平気でする生き物だ。


 るる子は、どちらかと言えば後者のパターンに近かった。

 でも、それほど執着している様子はない。

 断ったらスッパリあきらめてくれたところは、たいへん良心的と言える。


 あまり見ないタイプ、といった感じがした。

 そういうのは、ちょっと新鮮な気分になるもんだ。


「あ、あのさ……」


 るる子が照れくさそうに言った。


「紅茶、飲みたいな。暖かいやつ。出せる?」


 ドーナツと一緒に、飲み物でもほしいといったところか。

 ご希望どおりに、手元にティーカップとソーサーを出した。

 そんでもって、空いている手で鼻の穴をふさぐと、反対側の穴から紅茶をじょぼじょぼ出してカップに注いでやった。


「飲まないのか」

「いらない」


 さし出された紅茶の匂いも嗅ぎたくないとばかりに、るる子が後頭部で返事をする。


 この女が物を受け取るか、受け取らないかの基準が、どうもよくわからん。


 ひとつだけ、はっきりしたことがある。

 俺に対して、すくなくとも悪意は持っていないようだ。

 このままほっといても、別に害はなかろう。


 唯一、気になるのは、るる子に俺の能力が通じないところだろうか。

 今日はっきりしたことと言えば、彼女に直接なんらかの影響がなければ、何も起きないということだ。

 こうやって、近くにいるだけなら問題はない。

 無効化なのか反射なのか、どっちかわからんが彼女を的にしなければ、それでいいだけの話。

 つまり、俺の人生にそれほど大きな影響はなさそう。


 あとは誰にも言うなよ、とでも念押ししておくだけで大丈夫そうだ。


「守くんは、その力で何かしないの?」


 ドーナツをはむはむ齧りながら、またずいぶん大雑把な質問をしやがる。


「何かってなんだ」

「だって、その気になればなんでもできるんだよね。こう、世界を……」

「世界征服?」

「そういうのじゃなくってさ」


 茶化されたとでも思ったのか、彼女はちょっぴり怒り顔。


「世界を変える、っていうか。う~ん……なんて言えばいいのかなあ」

「もし世界を変える力があるなら、水取はどうするんだ」

「るる子でいいよ。私だったら……えっと」


 なんか考えてるような仕草してる。


「えぇとねえ……やっぱり、パッとは思いつかないね」


 さすがに、これは苦笑するしかなかった。


 実際、変える力があっても、何も変えない方がいいことだってたくさんある。

 俺としては、世の中なんて今ぐらいでいいんじゃねえかなって思うところも多い。


 確実に言えるのは、ひとつ何かを変えたら、他にも変えなきゃいけないところが出てくる、ということだ。

 そうやって、また次から次、と繰り返しが必要になる。

 そんなことをちまちまやるなんて、面倒なことこのうえない。


 などと考えていたら、ふいに彼女がキョロキョロとあたりを見回した。


「中庭って、こんなに静かだったっけ。今日、誰も来てないよね」

「誰も近づかないようにしてある」

「……ほゅ?」

「俺の能力で、周囲にいる人間の注意力を操作できる。教室なんかではみんなの注意を鈍くして、俺に気がつかないようにしているんだ。今はそれの範囲をちょっと広くして、中庭に意識が向かないようにしているから、ここには誰も近づかない」

「そうなんだ」


 るる子が緊張した顔でたずねてきた。


「たとえば今、私が悲鳴をあげたらどうなるの?」

「ああ。誰も気づかないよ」


 返事をしたら、彼女は無言。


 なんだ、この微妙な空気。


 俺のせいか。俺が悪いのか。

 大事な話をするんだから、人払いをするのはエチケットだろう。

 むしろ気がきいてるね、とホメられる場面じゃないのか。


 いや、そんなことはないか。

 どう考えても俺が悪い。

 年頃の女性に対して、デリカシーを欠いていたことは認めよう。


 だから、そんなベンチの端にむかって、ちょっとずつ移動するなって。

 バレてるんだから。この女、こういうところはわかりやすいな。


 そこでありがたいことに、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。


「戻っても、いい?」


 そんな怯えた目を俺に向けないでくれ。


「もちろんだ。でも、ひとつ約束してくれ。俺の能力については、誰にも言うなよ」

「い、言わないよ! 絶対。約束するもんっ」

「まあ、どうせ誰に言っても信じないだろうけどな。言ったら、おまえの頭がどうかしたと思われるだけだし。変な誤解されないようにするんだぞ。じゃあな」


 それだけ言って、瞬間移動テレポートで教室に移動する。


「あ。待って────」


 最後まで聞く前に移動してしまった。

 自分の席で午後の授業の準備をしていたら、ようやくるる子が戻ってきた。


「守くん。あ、あのね……」


 教室の扉を開けるなり、まっすぐ俺の机にやってきた。

 どうやら走ってきたらしく、肩で息をしている。

 悪い予感がしたので、すぐさま俺の周囲で発する音が誰からも聞こえないようにしておいた。


「なんだ」

「さっきは、その、心配してくれてありがと」

「何が?」

「だから、誰かに言ったら誤解されるとか、そういうのだよ」


 別にるる子を心配して言ったわけじゃない。


「誰にも言わないから、安心してね」

「できれば、教室でそういう話題を出すのも、やめてくれるとありがたい」

「し、しないよ」


 と言ってから、彼女は手でパッと口を隠した。


「大丈夫だ。まわりには聞こえないようにしてある」

「ごめんなさい。それじゃあ、またね」


 るる子は軽く手を振って、自分の席があるほうに行く。


 素直に謝られてしまった。


 水取るる子は、いいやつだ。

 本当に、ただのいい人であることだけは間違いない。

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