第21話メリー・クリスマス
「せっかくお金があるなら、飲みなさいよ。ね、いいですかあ?」
小麦が、背後のスキンヘッドに目配せをする。どんな図太い神経がそのセリフを言わせるのか理解できない。が、なんと従順なことに、スキンヘッドは無言でグラスを持ってきた。まるで、お姫様にかしずく家来のようだ。小麦はそこに、かたわらに置いてたボトルからシャンパンを注いでくれた。
「ご苦労かけますね」
「な、なんだよう・・・」
虹のような液体を、チビリと口に含む。気の遠くなるような芳香がする。うまいんだかなんなんだかよくはわからないが、その一杯で気分が落ち着いてしまった。これも小麦のあやつる妖術だ。警戒をほどいてはならない。しかし小麦のこういった振る舞いは、不思議とオレを穏やかな心持ちにさせる。まるでまじないのように。
水面をたゆたうような浮遊感。こんなとき、この女とはしみじみと心を許し合える。思いきって、以前からずっと気になってたことを訊いてみることにした。それは、小麦への最大にして最シンプルな疑問だった。
「・・・あのさ」
「なに?」
「・・・小麦はさ、なんでオレと、一緒にいるんだ?」
「あんたといるとたのしいもん」
浮遊する気分をたちまちハッとさせるほど、およそよどみのない答えが帰ってきた。その響きはあまりに清潔すぎて、意外の極点を一周したような説得力があった。
泡まみれの手で小鉢をガチャガチャと洗いながら、小麦は超然とたたずむ。オレはキョトンとするしかない。
「オレといると・・・たのしいの?」
「たのしいよ。なぜ?」
「・・・」
言われてみれば、たのしいのだった。イライラさせられたり、むずむずさせられたり、じりじりさせられたり、くらくらさせられたり・・・なのに、小麦といるとたのしいのだった。
「へへっ、たのしいよねぇ」
「・・・そう・・・かもな」
「なら、いいじゃない。あたしもたのしいもの」
そうか、それでいいのか。振り返ってみれば、どんな苦難(それはまったく極端な苦難なのだが)に遭遇しようと、小麦と一緒だと、どういうわけか切り抜けられるのだった。乗り越えてしまえるのだった。
「それにあんたは、命の恩人だし、ね」
シャンパングラスをカチンと合わせた。毎度の間抜けなメリー・クリスマスだが、平穏すぎるよりはマシなのかもしれない。
「そうだ、もらったコレ・・・手編みの・・・ありがとな・・・」
首にぐるぐる巻きになった、奇妙な色のマフラー。あらたまって言うと照れくさいものだ。こんもりとした毛糸の中に、鼻先を突っ込んだ。親しみ深い匂いがする。
「ああ、いいのよ。それ、あんたのセーターの毛糸を使ってつくったやつだから」
はた、と正気にもどった。
「・・・なんだって?」
「何着かほどいて、ごっちゃに編んだから、ヘンテコな色でしょ?」
「ほどくなっ!つか、なぜわざわざヘンテコにするっ!」
どうも今年の冬は寒いと思ったら、タンスの中のセーターが二、三着足りなくなってたというわけだ。
「これが、大事なセーター何着ぶんも使わなきゃならないようなシロモノかっ!」
「だって、あたしのセーターを編むのにほしい色だったんだもん」
「じゃ、自分のセーターを編んだら毛糸があまったんで、ついでにマフラーをつくってやった、ってわけかっ!」
「そうじゃなくて、必要のない部分を使って練習したのっ。あたしのは、これから『ちゃんと』編むのっ」
物事をわきまえたスキンヘッドの家来が、ふたりにシャンパンを注ぎにきた。それは、ガソリンの味がした。
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