第6話小麦
「おそいっ。なんでこんなにおそいのよっ」
小麦のこぶしが、ドンッ、とテーブルを叩く。
す、すいません、と強面のスキンヘッドが、テーブルにビールを置きながら謝る。
「あ、いや・・・遅いってのはその、ビールのことじゃなくて、すいません。ぼくがその、彼女を待たせちゃったって話で・・・」
「あやまってる。くっくっ。ぶゎか、ぶゎーか」
小麦が、きゃらきゃらっ、と笑う。スキンヘッドはオレをにらみつけ、カウンターの奥へ戻ってった。音質のざらついたパンクロックの遠吠えが、バカでかいスピーカーからがなり立ててる。
今夜何杯めだかのグラスワインを小麦が突き出してきたので、ジョッキをカチンと空中でぶつけた。アワ花火が散る。そのまま黄金の液体をチビリと口に含んだ。原稿のことより、今は眼前の女の処置が先だ。いつものようにクダをまかせ、悟り顔にうなずいて納得させ、もう一、二杯だけワインを飲ませて昏睡に落ち入らせたのち、さっさと部屋に連れ帰らねばならない。
ごん、とジョッキをおろすと、しかしオレはうかつにも、目の前の光景に見惚れてしまう。グラスを煽る小麦。その形よくめくれ上がった唇から、長い頸に伝い流れてく赤ワインのしずく。その一条の筋は鎖骨に向かい、筋肉束の密集するくぼ地にころりとおさまる。なんというその筋骨の端正さ。張りつめた肌のなまめかしさ。
形よく横に走った鎖骨と、ギリシャ建築の柱のように立ち上がった首筋に囲われたカラ池に転がり入ったしずく。それはやがて上腕の運動の終了とともに再び移動を開始し、えり元からささやかな胸の稜線を伝い、浅い谷底へと消えゆく。気がつくと、店中の客がその一滴のしずくに注目してた・・・ってことはないが、一瞬、店内の音という音が途絶えたかと思えたほどだ。小麦の仕草は、そんな野蛮な優雅さを持ってるのだ。つまり、かっこいいのだった。
ソフトな愛撫のショーを鑑賞するような気分。しかしそんな視線を、小麦はまったく気にする風もない。ワインのしずくがたどったシュプールを、手の平で豪快にぬぐう。いや、ぬりたくる。そして上唇の真ん中にちょこんと乗った小さなホクロを開いて、いつもの天真爛漫な笑顔をこぼした。
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