Ⅵ.龍宮に嵐来たりて

1

 ユウェル王子とシーナ・ナツキの不在は夜明けとともに知られることとなり、すぐさまウィルとエルヴァは王の執務室に呼び出しを受けた。

 ふたりを迎えた龍の王は、卓に高く積まれた書類の山の間で今にも埋もれそうになりながら、深いため息をついた。

「うちの子にも困ったものだねえ。よその娘さんを連れて姿をくらますなんて、無作法にもほどがあるよ」

 緊張感のない口調で嘆く王に、宰相が苛立つ声を上げる。

「そのようなことを仰っている場合ですか。やはりあの小娘は龍にあだなす者だったのですよ。この緊急事態に殿下までかどわかすとは、なんと厚顔な振る舞いか」

 彼の忌々しげな口調に負けず劣らず冷ややかな声音で、ウィルもやり返す。

「お言葉ですが、彼女は城に来て日も浅い、閣下の仰る通りの非力な小娘です。殿下はその彼女にあっけなく騙され連れ去られるような、愚かな方なのでしょうか?」

「……なんだと?」

 睨み合う彼らを、王とエルヴァがそれぞれにたしなめた。

「どちらもこんな時に、妙ないたずらを仕掛ける子ではないよ。何か理由があるんだろうと思うんだけどねえ。まさか、王妃に続いてあの子たちまで捕らわれた、なんてことになっていないといいんだが……」

 気遣わしげに眉を下げる王に、エルヴァが首を振って見せる。

「その可能性は低いでしょう。今、人質を増やしたところで何かの利があるとは思えません。むしろこちらの怒りを買い、士気を上げることになる。加えて、こうして一夜明けても犯人からの要求があるわけでもない。ふたりは自分の意志で姿を消した、と考えた方が良いのではないでしょうか」

 エルヴァの端的な見解には、ヴェレも一応の納得をしたようだった。それでも不満は収まらないらしく、吐き捨てるように言った。

「なんにせよ、余計な仕事が増えたことに変わりはない。このうえ殿下の姿まで見えないとなれば、いらぬ混乱を招くことは必至。公にするわけにはいくまい」

「それには賛成だねえ。おそらく、あの子たちも王妃や宝に近づこうとしているはずだよ。だとすれば、捜索を続けるうちにふたりも見つかるかもしれない」

 それに、と王が微笑む。

「もしかしたら、あの子たちが最初に宝を見つけてくれるかもしれないし。だとすれば、私も肩の荷が下りるんだけどねえ」

 随分と楽観的な言葉だ。確かに、そうなれば王妃も宝も戻り、次代の王の座も正統な血筋をもつ王子が継ぐことになる。だが、そううまく事が運ぶとは思えない。

 同じことを思ったらしく、エルヴァが苦い顔で王に言った。

「しかし、陛下。それでは子どもたちを危険にさらすことになります」

「……うん、エルヴァの言う通りだね。失言だったよ。あの子たちが犯人と出くわさないことを祈るしかない」

 肩を落とした王は、いつも以上に小さく見える。

 ヴェレが咳払いし、とにかく、と一同を見まわした。

「殿下たちの件も公にはせず、軍や騎士の上層部にのみ通達を出します。よろしいですか、陛下」

「ああ。よろしく頼むよ」

「お二方も、お分かりとは思うが、安易な口外はなさらないように」

「心得た」

 エルヴァとともに頷いて応え、退室の挨拶を込めて王に一礼する。扉に向かい背を向けると、王から声がかかった。

「……そういえば、君はコルナリナの息子だったね」

 驚いて振り向く。まさか、王が自分のことまで把握しているとは思わなかった。

「はい。その通りです」

「そうか。彼女には世話になっているよ」

 藤色の瞳を和ませる王に、戸惑った視線を向ける。

「しかし、母はずいぶん前に城の任務から辞しておりますし」

 随分と遠い場所を旅しているらしく、もう長いこと息子である自分でさえ顔を見ていない。その母に「世話になっている」というのはどういうことなのだろう。

 王は首を振り、好々爺然として笑う。

「いいや。今もコルナリナには助けられているんだよ。本当に、彼女への恩は尽きない」

 どこかとぼけた表情や柔らかい言葉に、何かの含みを感じて戸惑う。底が知れない。直感的にそう思った。

「それは……ありがたいお言葉です」

 王を問い詰めるわけにもいかず謝辞を述べ、その会話を最後に執務室を出る。

 歩きながら考え込むウィルに、エルヴァが気遣うように声をかけた。

「大丈夫かい、ウィル。昨夜は眠っていないんだろう?」

 彼に応え、小さく笑みを浮かべた。

「ええ、まあ。……ナツキの置き手紙を預かってしまいましたからね」

 周囲に人目がないのを確認して付け加えると、エルヴァは眉を曇らせた。

 彼女が残した手紙と首飾りについては、見つけてすぐにエルヴァに伝えてあった。彼の他には誰にも言っていない。王や、宰相にもだ。

 今のこの城で信頼できる相手が限られていることは、事情をよく知らないはずのナツキにもわかるほどに明白だった。ウィル自身でさえ、絶対に信用できると思えたのはエルヴァただひとりだ。

「君は、ナツキがいなくなったとなればもっと取り乱すと思っていたんだが。意外と冷静だね」

 エルヴァの指摘に苦笑した。

村長むらおさにどう見えているのかはわかりませんけど、結構無理はしてますよ? 彼女がどこで何をしてるかわからないし、いつ危険なことに巻き込まれるかと思えば気が気じゃない。まあ確かに、自分でも思っていたより慌ててはいないですけどね」

「へえ。何故だい?」

 面白そうに尋ねられ、改めて何故なのだろう、と考える。無意識に胸のあたりを触って、思うままに呟いた。

「嬉しかったから、ですかね」

「嬉しい?」

 置き手紙に書かれた、夏妃の拙い文字を追った時。強い不安とともに、やっぱり、という思いがあった。そして同時に、彼女が手紙を残した相手が自分であることが嬉しかった。

「ナツキは、気楽に誰かに頼ることができる子じゃない。それは、夏の時のことで痛感したんです。俺は、彼女に頼られないことが悔しくて、悲しかった。そんなの、俺の勝手なんですけれどね」

 今でさえ、夜中に声を殺して泣いていたナツキを思い出すと胸がつぶれそうな気分になる。いつも彼女の部屋のドアの前で、どうすることもできず悲鳴のような泣き声を聞いていた。

 ひとりで抱え込む彼女が哀れで、同時に腹も立っていた。頼ってくれたら、一緒に考えることもできるのに。少なくともひとりきりにはしないと言えるのにと。理不尽だとは思うけれど、それも本音だった。

「でも今回、ナツキは信用できる相手として俺を選んでくれた。もちろん、村長も含めてってことでしょうけど。それでも、俺に託してくれたことが嬉しかったんですよ」

 エルヴァは、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。彼自身もとても嬉しそうに。

「そうか。だからウィルも、ナツキを信用することにしたんだね」

 たぶん、そうなのだと思う。

 いつもナツキ自身が言っていたように、彼女は守られているだけの子どもではない。ウィルが彼女に信頼してほしいと望むなら、彼女のことも対等な相手として信頼しなければならないのだ。

 それは恐ろしく難しいことで、不安が途切れることはないけれど。それでも、今は待つことが、彼女を本当の意味で守るためには必要なことなのだろう。

 歩くうちに女官や衛士の姿が目立つ場所に差し掛かる。ウィルは声を低めて、ずっと考えていたことを呟いた。

「それに、なんだか俺の苦手なひとの気配も感じますしね。あのひとが動いてるなら、滅多なことにはならないと思うんです」

 エルヴァの問うような視線を感じる。彼の方に顔は向けないまま、続けた。

「あのひとが誰の味方をしているのかは知りませんけど。少なくとも、敵にはまわらないはずです」

 そう願う。敵にまわしてあれほど厄介な相手もいないだろう。そして、敵ではないのならこれ以上心強い相手もない。その意味では、エルヴァの次に信用していい相手かもしれなかった。

「とにかく、心配はいらないんだね? なら、ウィルはこれからどうするんだい。ただ黙って待つつもりはないんだろう?」

 エルヴァは、どこまで悟っているのかわからない深みのある声で言った。あるいはこのひとは、心の底まで見透かしているんじゃないかと思うことがある。

「……そうですね。ナツキの伝言を信じるなら、すべてはこの城の中で片が付くはずですから。まずは、情報収集からはじめましょうか」


   ◆◆◆


 夜が明けても空は黒い雲に覆われて暗く、城の中では足りない光源をランプで補っているので夜と変わりなく見える。窓から向かい側の建物の明かりを眺めていた夏妃は、強い風に乗って叩きつける雨の激しさに眉を寄せて、顔を引いた。

「すごい雨。しかも、なんだか冷えてきたし」

 薄着の腕をさすりながら室内を振り向くと、より深く眉間にしわを刻むことになった。

 外から見とがめられるわけにはいかないので、部屋の中は明かりもなく暗い。しかも、ふだんは使われない部屋であるらしく、埃こそ積もってはいないものの、どこか湿って肌寒い。

 その片隅のソファの上で、どこからか引っ張り出してきたらしい毛布にくるまったユウが、ぬくぬくと本を開いていた。

「……ちょっと、自分だけずるいんじゃない?」

「ナツキも好きに部屋のものを使えばよかろう。誰もとがめだてする者などおらぬぞ」

 そういうことではなく。一応の気遣いくらい見せてほしかったというか。

 まあ、根っからの王子様に期待することではないのかもしれない。夏妃は諦めて、すぐ近くにあった棚の上に積まれていた大判のタオルのようなものを羽織り、ユウと同じソファに腰を下ろした。

「真っ暗なのに、よくこんなところで本なんか読めるね」

 じっと目を凝らしても、夏妃には紙に何かの模様が描いてある程度にしか見えない。

「この程度なら夜目くらい利くだろう」

 こともなげに言われて、種族の基本性能スペックの違いを再認識させられた。ちょっと夜目が利く人間だって、この暗さですらすらと本が読めるわけはない。

 ページをめくりながら、ユウが視線も向けずに「そういえば」と口を開く。

「ナツキ、お前なにか持っているだろう。甘いにおいがする」

 ……嗅覚も高性能ハイスペックなのだろうか。

「なに、お腹減ったの?」

「その言い方だと私が意地汚い子どものようではないか」

 不満げに言われても、その通りなんじゃないかとしか思えない。渋々とポケットから包みを取り出すと、嬉しそうに覗き込んできた。

「焼き菓子か」

「いつ戻れるんだかわからないから、非常食として持ってきたのに」

「いらぬ心配だ。この城の厨房は広いし、大勢の者が立ち働いて騒がしいからな。そこに紛れて少量の食べ物を持ち出すくらいはわけない」

 王子様とは思えない爆弾発言。つい凝視してしまった。

「……いつもそういうことしてるの?」

「失礼な奴だな。いざというときはそれも可能だと教えてやっているのに」

 絶対、常習犯だ。包みを抱えて彼から遠ざけ、小さく睨む。

「それなら、これを食べなくてもいいでしょ。後で厨房に行けばいいじゃない」

「それとこれとは別だ。私は今、小腹が空いている」

 偉そうに宣言すると、腕を伸ばして包みを奪い取ってしまった。行動はまるっきり子どもだというのに、力も体格も敵わないのだから口惜しい。

「もう、大事に食べてよね!」

「わかったわかった」

 と言いながら、すごい速さで菓子が彼の口に消えていく。のれんに腕押し、ぬかに釘。今度こそ諦めて、夏妃はソファの上で膝を抱えた。

 嘆息しながら、薄闇の中に浮かぶ自分の膝小僧を眺めた。

「ねえ。ユウは、どうして私を連れてきたの?」

「なんだ急に。納得して付いてきたのではなかったのか?」

 首を傾げる気配に、むっと眉を寄せた。

「そんなわけないでしょう。ユウの考えなんか聞かなきゃわからないよ」

「なら、ナツキは何故私に付いてきた?」

 いつの間にかこちらが訊かれる側になっていることに不満を覚えつつも、きっぱりと答えた。

「迷ったから。ユウが正しいのか、大人たちに任せるべきか、私にはわからなかったから」

「……妙な理由だ」

 戸惑う口調のユウに視線を向けると、彼もこちらを見ているのが分かった。

 闇の中でも彼の髪の色はよく見えるし、アイスブルーの瞳はほのかに光が宿っている。猫の目のようにぎらぎらしたものとは違う、淡いともしびのようなそれはどこかほっとする。

「そうかもね。でも、迷ったら飛び込んでみるのが私の信条だから。やってみたら案外、なんとかなるものなんだよ」

「……ほう。意外と向こう見ずだな」

「ユウに言われたくないなあ。まあ、私もそう思うけど」

 苦笑して、膝の上に組んだ腕に顎を乗せた。

「でもねえ、確かめようのないことは悩んでも仕方ないもの。私はユウを疑うより、信じてみたかったの」

 夏妃が異世界だの人間だのと突拍子もない話をしたとき、ウィルやエルヴァはそれを受け入れてくれた。

 知らないから、確かめたことがないから、本当だと言う夏妃を信じる。そう言ってくれたウィルの言葉は、実のところ本当に嬉しかった。今も、あの言葉が夏妃を支えてくれていると思う。

「ナツキは、彼らを信頼しているのか」

 話を聞いたユウがじっと夏妃を見てそんなことを言った。

 信頼。どこか嘘くさくて、口にはしづらい言葉だ。でもたぶん、彼らに寄せる気持ちに一番近い言葉がそれだろう、という気がした。

「うん。だから、ウィルたちは恩人なの」

 その恩人に、また迷惑をかけている現状には気分が沈むけれど。あのまま何もしないで待っていられるとは思えなかったから、結果は同じだと思うことにする。

「なら、私はナツキに悪いことをしたかもしれんな」

 急にぽつりとそんなことを言われ、夏妃は目を丸くした。

「……え?」

 青白い対の光を夏妃に向けて、彼は淡々と言った。

「私がナツキを選んだのは、お前が一番無関係だからだ。なにしろ龍ですらないのだから、今回の件で何かの利を得られるとは到底思えない」

 ひやりと背筋が冷える心地がした。

「……知ってたの?」

「黒龍なんてそうそういる存在ではないだろう。お前に会った後、父上の部屋のあたりに隠れて聞いていたら、シルウァ島の村長との会話が聞こえてな。お前はこの世界の者ではなく、ニンゲンという珍しい種族なのだと聞いた」

 ぽかんと口が開いてしまう。

「え、盗み聞き? 大丈夫なのそれ」

「私が隠し通路やら隠し部屋やらを使っているのは、父上も承知している。だとすれば、あれは聞かれたのではなく、私に聞かせた会話だ。問題はない」

 そういうものなのか。やはり城と言う所は、ややこしい場所であるらしい。

「でもそれって、余計に私怪しいじゃない。それでなんで私を選ぶことになるの?」

「そうか? 私にはむしろ、お前以外はみんな怪しく見える。お前の恩人たちのことも疑っている。外から来た長たちはもちろんだが、父上の動きもおかしい」

「陛下が?」

 意外すぎて思考が付いて行かない。まさか彼は、父親まで疑っているのだろうか。

「考えてもみろ、王妃と宝を見つけた者が次の王だなんて乱暴にもほどがある。狙いが分からない」

 確かに、それには夏妃も違和感を持っていた。

「あの宣言の後も犯人側の動きがないしな。そもそも、母上と宝を盗んでいったい何がしたい? 王が邪魔なら王を狙えばいいのに、回りくどすぎる。……この通り、何から何までおかしいのだ、今回の件は」

 そう語るユウの横顔は大人びていて、整然とした考え方はとても年相応とは思えない。気圧されていると、彼は夏妃に視線を戻してにやりと笑った。

「そう考えると、このややこしい事件にナツキが関わっているとは思えなかったのだ。無鉄砲で、すぐ顔に出るし、目の前のことに気を取られやすいお前に、犯罪者役は無理だ」

 随分な言われ様に顔が引きつるが、自分でも図星だと思えるだけに反論できない。意外とよく相手を観察しているのだ、この王子様は。認めたくないけど。

 敵ではないと認めてもらえたのだから良しとしよう。無理やり自分に言い聞かせようと悪戦苦闘していると、口元に何か押し付けられた。

「むあ、何!?」

「譲ってやるから機嫌を直せ」

 彼が手を離したので慌てて手を添える。甘いにおいで、それが彼に取られた焼き菓子だと気付く。

「譲ってやるって、もともとは私のだし……。っていうか、それ、包みが空なんですけど?」

「行くぞ。そうゆっくりもしていられないしな」

 彼は夏妃の抗議を無視してさっさと立ち上がる。彼が歩み寄る暖炉の奥に、この部屋に入るときに使った隠し通路があった。

 最後のひとつの焼き菓子を口に放り込んだ夏妃は、空の包みをくしゃくしゃにしてポケットに突っ込み、タオルと毛布をテキパキと畳んでソファの隅に置いた。せっかくの非常食を味わう気にもなれない。

 ユウに歩み寄って不機嫌に訊ねた。

「で、行くってどこへ? あてはあるの?」

 彼は振り向くと、どこからか取り出した例の封筒をひらひらと振って不敵に微笑んだ。

「行き先は決まってる。まずは手紙にある通り、『ガルデニアの葉陰』を探しに」

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