エピソード05 「そして知らない内に僕は美少女に懐かれていた」

翔五:「何なんだ、この傷…」


僕は、まるでTVの中の出来事か、他人事であるかの様に 鏡に映った「粘り気の有る黒い血」を見つめ続けていた。


見る見る内に、寝間着がわりのTシャツが真っ赤に染まって行く。





そして、主寝室の扉の開く音がする。



男性:「帰ってるのか?」


グレーのトレーナーを着た大柄な男性が 洗面台の前で固まったままの僕に声をかけてくれる。



その男性、

身長180cm。体育会系のテニスで鍛えた身体はあくまでも控え目な筋肉質。決して派手な美男子とは言えないが、物事に動じない落ち着いた雰囲気、大抵の我侭わがままなら真正面から受け止めてくれそうな優しい眼差し。女性ならずともついつい頼りにしてしまいそうな「爽やか兄さん」。



男性:「おい、一体どうしたんだ、その傷。」


爽やか兄さんが駆け寄って来て、僕の傷口を 真っさらなタオルで優しく押さえてくれる。



翔五:「岩城サン… いつ、着いたんですか?」


男性=岩城:「それはこっちの台詞だよ。」



岩城:「昨日は、カラオケの帰りに急に姿をくらますから心配してたんだぞ。」


岩城サンは、僕の傷口を押さえたまま、

肩を支える様にして僕をリビングのソファへと導く。



…昨日? カラオケ?

…何だか、記憶が、はっきり、しない。



岩城:「確か、買い置きのクスリがどっかに置いてあったよな。」


岩城サンは台所の戸棚から「古い木の救急箱」を取り出して来て、抗生物質入りの軟膏とガーゼで僕の額の傷を手当する。



岩城:「何処で怪我したんだ?」

翔五:「判りません。 朝、気がついたら…切れてた。」


岩城:「転んで、何処かにぶつけたって感じでもないな。 こう、何か刃物ですっぱりと切られたみたいな綺麗な傷口だぞ、これは。」


絆創膏でガーゼを押さえ、アルコール消毒液で、顔にこびり付いた血を拭き取ってくれる。 …大きな手で優しく顔を撫ぜられると、何だかこっちは小さな子供に戻った様な、 …妙な気分になってくる。




岩城:「まさか、昨日の夜、何か有ったのか?」


「兄さん」が、心配そうに僕の顔を覗き込む。



翔五:「良く、覚えてないんです。」


「兄さん」は、僕の頭を軽く「ポン」と叩きながら小さな溜息をいた、



岩城:「念の為に、持ち物が無くなってないか調べて見な。 まさかとは思うけど、酔い潰れてる間に強盗にでも遭ったんだとしたら 一大事だからな。」




岩城:「全く、羽目を外すなとは言わないが、危険な事にだけは関わらない様にしてくれよ。 くれぐれも此処は日本じゃないって事を忘れない様にな。」


翔五:「スミマセン。」



それから、お説教はもう御仕舞い…と言った風に すっくと立ち上がると、あくまでも爽やかに微笑んだ。




岩城:「まあ、ともあれ お前が「無事」で良かった。」

岩城:「朝飯食うか、簡単なハムエッグと缶詰のミネストローネだけど。」


翔五:「頂きます。」


僕も、ほんの少し気分が和らいで、られて少しだけ笑う。



岩城:「そのシャツ、洗濯してやるから脱ぎな。」

翔五:「あっ、…大丈夫です。 自分で出来ますから。」


岩城:「早く洗わないと(血)落ちなくなるぞ。 今日は俺の洗濯日だから、一緒に洗ってやる。 ほら、貸しな。」


思わず、自分が赤面している事に赤面する。

男同士なのに、この人の前でシャツを脱ぐのが 何だか恥ずかしい…気がする。


…って、そもそも160cm有るか無いかの身長に ちょっとメタボ気味の体型の僕が そんな風に「何か」意識する事自体 何処から見てもチャンチャラ可笑おかしいのだ。 そう、岩城サンは 唯々優しい「爽やか兄さん」なのだから。



翔五:「スミマセン。 じゃ、あ、 お願いします。」







岩城サンは仕事もできるし、だらしなく無いし、生活力有るし、人格者だし、なにより人間的にとても魅力の在る人だから、女性からは勿論、同性からの人気も高い。


中にはやっかみ半分で「BL疑惑」を持ち出す者さえ居る程だ。


…しかし


仮にもし、本当にそうだったとしても、

僕には「一つ屋根の下」で拒み続けられる自信が…もしかしたら無いかも知れない、



岩城:「処で、今日は何か予定有るのか?」


手際良く朝食の支度をする「兄さん」の背中をポーッと眺めていたトコロに いきなりの「予定の確認」だから、僕は否応無しに「ドキッ」としてしまう。


…だから! 一体僕は、何を意識しているんだ??




翔五:「あっ、日本の先輩に頼まれて、ちょっと買い物に…」


岩城:「別に急がないけど、お前ゴルフクラブ持ってなかったろ。 これからどうしたって取引先の人とコース回る事になるから、この土日で買いに行こう。 一緒に見てやるよ。」


形良く焼かれたサニーサイドアップのハムエッグが 行儀良くテーブルクロスの上に並べられて行く。



翔五:「有り難うございます。」


そう言えば、

僕はこれ迄 ゴルフなんか、全く興味が無かった。


というか、球技全般に興味が無かった。

小学校の頃に町の少年野球クラブに誘われて、「体育会系のノリ」で散々酷いメに遭って以来、スポーツ全般が好きでは無くなっていたのだ。 …たしかそんな風に「覚えて」いる。






玄関のベル:「リン、ゴーン!」



翔五:「誰だろう、こんな朝早く…。」


かく、「日本語を話す人」でない確率は極めて高いから…

自然と億劫おっくうになってしまうのは どうしたって仕方が無い。



岩城:「「彼女」じゃ無いのか? …早く行って開けてやりなよ。」


岩城サンが電気湯沸かし器のスイッチを入れながら悪戯そうに笑う。



翔五:「「彼女」…?」





玄関のドアを開けると、其処には、

ぬいぐるみを持った「可愛らしい女の子」が立っていた。


身長は150cm位。 小柄で華奢な体つき、白のワンピースに身を包み、肩に掛かるか掛からないの金髪を両サイドでツインテール風に束ねている。 そして、コノ子 何だか子猫の様な赤ん坊の様な 甘い?護ってあげたい?匂いがする。


日本で言う小学生くらいだろうか?



少女は何も言わず部屋に上がり込むと、

勝手にソファに腰掛けて…モジモジし始めた。


翔五:「あっ、君!」


…って英語で何て言うんだ?



岩城:「全く、翔五はモテモテだな。」


…モテモテ?

…いや、待てよ、僕はこの少女の事を「覚えて」いない。


喉を絞められる様な強烈な「違和感」が覆い被さって来て、冷たい汗が背中を濡らす。





紅茶を飲むかと進める岩城サンに、少女は無言のまま首を横に振っていた。



翔五:「えっと、岩城サン…

念の為に聞きますけど、この子って、…誰でしたっけ。」


岩城:「おいおい、本当に大丈夫か? まさか、昨日の夜 何処どこかで頭をぶつけて 記憶が飛んでる…とか 言わないでくれよ。」



岩城:「この子は隣(アパートの隣の部屋)の エマちゃん じゃないか。 何だか良く分かんないけど お前になついてる。」


岩城:「此処一週間、毎朝会社に行く前にまとわり付かれてただろ?」




翔五:「エマ?」


…そうだ、確かに「覚えて」いる。


月曜日の午後に、隣の部屋に引っ越しの挨拶に行って、この エマという子 に会ったのだ。 それ以来、エマは 何故か僕に懐いている。


両親の話によると エマは13歳でYear8(日本で言う中学校一年生)だが、 健康上の理由があってずっと学校を休んでいる。 昼間は共働きの両親が家を空けていて、エマは一人で留守番をしている。


エマの両親は、何故だか 引っ越して来たばかりの僕に エマと仲良くしてやって欲しい…と頼んできたのだった。(岩城サンの通訳によると、)




でも、…何なんだ、この「違和感」は。



僕は大急ぎで記憶を整理する。


そう、…今週の月曜日に、僕は「岩城サンと一緒」にイギリスに来た。 「ヒースロー・エクスプレス」と言う電車に乗ってパディントンの駅に着き、それからスーツケースを携えたまま リバプールストリート駅の近くにある協力会社「ライラック・オートモティブ・テクノロジー社」を訪れた。


僕と岩城サンは 「久保田精機の役員の知り合い」の別荘だと言う ボンドストリートの高級アパートに住む事になった。 白いお洒落な外装の由緒有りそうな建物で、中は近代的な3ベッドルームのリビングダイニングとキッチン、それにバス・トイレは2個付き。 家具類、家電類はどれも上品で高価そうなモノばかり、多分、僕の人生の中で 今よりも豪華な家に住める日が訪れる事はきっと無いだろう。


週中の水曜日に日本から「芽衣」が電話をかけて来て、僕はフェイスブックを始める事になった。 そして「芽衣」からの指示で「休日でも連絡が取れる」様にと、昨日金曜日の午後に「スマホ」を買いに行ったのだ。


昨日の夜は、「川中サン」が僕たちの歓迎会 を開いてくれる事になって、レセスター・スクエアの駅から「SOHOの居酒屋」に「焼き鳥」を食べに行った。 その後、ピカデリーサーカスの「カラオケ屋」に行って、僕は2時間半「2人の熱唱」を聞いて、…それから、店を出て、


…その後、何が遭ったんだっけ、

…記憶が、見当たらない。



翔五:「岩城サン、昨日の夜、僕はどうやって「此処」に辿り着いたんでしょう?」


岩城:「うむ、飲み過ぎだな。 俺もたまに有るよ。 どうやってベッドに辿り着いたのか全く心当たりが無い事。 でも、忘れてしまっているだけで「大抵上手く」やれているものさ、後になって「思い出せない」だけでね。」




エマは、足をぶらぶらさせながら、じっと2人の日本語の会話を聞いていた。

ぬいぐるみは ちょこんと自分の隣に大人しく座らせてあった。


時々、パイレックス製のコーヒーテーブルの上に開いた「週刊ジャーニー」のページを捲っては、チョット難しい顔をして…

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