その36 彼女彼女の事情
「じゃ、いくぞー」
まるで修学旅行における引率の先生のように、日比谷紀夫さんが先頭に立ちます
彼の後ろに続くのは、私を含めて七人からなる“雅ヶ丘高校”生徒と、三人の大人の男性。
「くれぐれも油断しないようにな」
厳しい口調で紀夫さんが言うと、みなさんの表情が引き締まります。
いくら“キャプテン”周辺の”ゾンビ”はあらかた始末しておいたといっても、何が起こるかわかりませんからね。
ちなみに今回、物資調達班は二つに分かれています。
裏門からすぐそこにあるコンビニに残った物資を調達する班。
ここから少し離れた場所にある“キャプテン”から物資を調達する班。
私が向かうのは、もちろん危険なほう。
”キャプテン”に向かう班です。
誰かに必要とされるというのは、悪い気持ちではありません。
ですけども。
うーん。
きっと私、ここにいる十一人全員の命を守る責任があるんでしょうね。
「大いなる力には大いなる責任がともなう」なんて言ったのは、リメイクされる度に殺される『スパイダーマン』の伯父さんでしたっけ。
うう。
なんだかそう考えると、急にお腹の調子が……。
「センパイ。……大丈夫か」
心配そうに声をかけてくれたのは、多田理津子さん。
「ええ、まあ」
「…………あまり抱え込まないで。私もいるから」
言葉少なにそうに言って、それきり彼女は口を閉じました。
なんか、気を遣わせちゃったのかな。
“キャプテン”に向かう調達班の中で、“ゾンビ”との立ち回りに馴れているのは、私と理津子さん、それに紀夫さんだけです。
十一人の中には、この雅ヶ丘高校に避難してきて以来、一度も学校の敷地内から出ていない人も多くいました。
彼らにとって、外の世界は地獄と同義であるらしく。
みなさん、生きた心地がしていないのが、その表情から読み取れます。
「あそこだ」
紀夫さんが”キャプテン”を指差し、
「これは……すごいな」
感嘆の言葉を口にします。
スーパーマーケット前には、”ゾンビ”どもの死骸の山が出来上がっていました。
数は、二十数匹ほどでしょうか。昨夜は夢中になってて気づきませんでしたが、私、結構滅茶苦茶やってたんですね。
その場にいたみんなが、一斉にざわめき始めます。
「これをぜんぶ、キミ一人で?」
「ええ、まあ」
応えると、紀夫さんは、「頼りになる怪物だ」と、小さく呟きました。
「しかし、妙な死体だな。ところどころ焼けているようだが」
「それは……えーっと、死骸をまとめて、火にかけようとしたんですけど、うまくできなくて。結局、中途半端な感じになっちゃったんです」
用意してきた答えを言います。
「ふーん。そうかね」
都合のいいことに、紀夫さんはあっさり納得してくれました。
まあ、誰も魔法の剣で”ゾンビ”を焼いたなんて思わないでしょうし、無理もありませんけどね。
「なんにせよ、不死者の死骸は焼いておくべきだな。どんな疫病の温床になるかわからん」
「ですね」
「では、手はず通り作業をはじめよう。まずはこの厄介な……軍用トラックからだ」
紀夫さんは、自身が乗ってきた軍用トラックに近づき、タイヤにこびりついた”ゾンビ”の死骸を見て、深くため息を吐きました。
▼
「センパイ、こっちです!」
「イヤーッ!」
「あ、来ました来ました! センパーイ!」
「イヤーッ!」
「あそこから、次は三体!」
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
「センパイセンパイセンパイ! こっちへ! 結構来てます! えっと、六体もっ」
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
と、まあ、ずっとそんな具合で。
数十分に一度くらいの間隔でのろのろ寄ってくる“ゾンビ”を片っ端から始末していくうちに、気づけば昼過ぎになっていました。
「お疲れ様です、センパイ」
そう言ってペットボトル入りのお茶を差し出してくれたのは、リカちゃん。
彼女も“キャプテン”物資調達班の一人です。
「“ゾンビ”の襲撃も落ち着きましたね」
「ええ……そっちは?」
「かなり積み込みは終わりましたけど……。あとは、もう少しだけ物資を吟味するって。もうすぐ、終わります」
「そりゃ良かった」
500ミリリットル入りのお茶を一気に飲み干して、一息。
「あの……その……」
「ん?」
「ええっと……」
リカちゃんは少しもじもじしながら、言いたいことを言い出せずにいるご様子。
小動物的にちんまりした彼女がそうしていると、無性に頭を撫でまわしたくなる衝動に駆られますね。
「あたし、ずっとセンパイに話したいことがあって……」
「ほう……」
遂に、私も後輩の相談を受ける日が来ましたか。
「でもそれ、戻ってからではダメなんですか?」
ここらへん一帯の“ゾンビ”はあらかた倒し終えたとはいえ、ここはまだ、安全地帯とは言えません。積もる話なら、学校ですべきだと思いました。
「だ、ダメ、なんです。それじゃ、遅いんです。できれば、今……」
なんだか、差し迫った相談事のようで。
「せ、セセセ、センパイは、その、コウちゃんのこと、どう思います?」
「? どう、というのは?」
「ええっと。……その。そのままの意味で……」
「フツーにいい子だと思いますけど」
「そうじゃなくて。一人の男の子として」
「はあ?」
眉をひそめます。
これ、ひょっとしてアレですか。
コイバナってやつですか。
「NO THANK YOU」
まさか、一日に二度もこのセリフを言う羽目になるとは。
今頃、くしゃみしてるかもしれませんね、康介くん。
「そうですか……。良かった……」
リカちゃんが、ほっと安堵のため息をつきます。
「でも急に、なんで?」
「えっと。コウちゃんのお父さんが、センパイのことすっごく気に入ってて。コウちゃんがセンパイと付き合えば、日比谷家も安泰だとか、そんなこと言うから……」
「あのオッサン、そんな余計なこと言ったんですか」
「でも、コウちゃんも少しまんざらでもない顔してて……もうっ」
今度はぷりぷりと怒り出すリカちゃん。
「ひどくないですか? あたしだって仕事がんばってるのに!」
確か、リカちゃんは備蓄している食品の管理をしてくれていたはずです。
「……そりゃ、センパイみたいに戦えないし。センパイの方が頼りになるのはわかってますけど」
「そんなことはありません。食品の管理も大切な仕事ですよ」
すると、少女は唇をへの字にして、ぴょんぴょんと跳ねました。
「世の中には、そう思わない男の人が多いんですっ」
うーん。
この娘、怒ってる時が一番可愛い気がする。
これがハムスター系女子というやつでしょうか。
とりあえず頭なでなでしてあげたい。
などとぼんやり考えていると、リカちゃんが意を決したように、がしっと私の手を掴みました。
「せ、センパイ……っ」
「アッハイ」
「それで……さっき……その。コウちゃんに、え、えっえっえっ」
「えっえ?」
「えっちしないかって、さ、誘われちゃって……!」
「……なんと」
私の脳裏に、昨日、ゴムをポケットに突っこんでいた康介くんの姿が浮かびます。
「でもあたし、どうしたらいいかわからなくて……」
突如、リカちゃんのぱっちりとした目から、大粒の涙が二つ、ぽろりと零れ落ちます。
「ふぐ、……うう。ご、ごめんなさい……」
「あわ、わわわわわ……」
困り果てるしかありません。私の乏しい人生経験においては、かつてない出来事でした。
リカちゃんは素早く涙を拭って、平然を装います。
が、その声は震えていました。
「センパイ……あたし、どうしよう……」
「ど、どど、どうしようと言われても……」
「コウちゃんのことは好きだけど……。でも、やっぱりそういうの、怖いです……」
「……アハハ。ですよねー。私もそう思います」
まず根本的な問題として、あなた、相談する相手を間違ってますよ。
……とは、とても言えず。
「や、やっぱり、嫌なら断った方がいいのでは?」
「でもでも……それで、コウちゃんに嫌われたりしたら……あたし……。それに、コウちゃん、センパイのことも嫌いじゃないみたいだし……もしそれで、コウちゃんがセンパイのこと好きになっちゃったりしたら。……うっうっ。ぐすっ……」
ウ、ウ、ウ、ウワー。
なんですかこの展開は。
これなら“ゾンビ”百匹を相手に立ち回った方が気楽です。
と、その時。
「…………話は聞かせてもらった」
ふらりと私たちの前に現れたのは、多田理津子さん。
彼女は、慈母のようにやさしい目をして、リカちゃんの肩に手を置きます。
「だいじょうぶ。コースケに振られても、女の子同士があるから」
それ、何が「だいじょうぶ」なんでしょう。
リカちゃんは、涙を拭き拭き、
「それって、どういう……」
「いまにわかる。狂ってしまったこの世界で、本当の意味で理解し合えるのは同性だけ。……そうでしょう? センパイ」
この娘、やっぱりガチレズじゃないか(絶望)
「せ、センパイもその、ひょっとして、えっと、百合の人なんですか?」
「ちがいます」
即答。
「そ、そうだったんだぁ……」
リカちゃんの頬が、少し朱に染まります。
あれ? 私、確かに否定しましたよね?
なんか知らないけど、さらにややこしい感じになってません?
「……新世界への門戸は、いつだって開かれてる。もう少し、気楽に考えていいんだよ」
かつてない饒舌さで、理津子さんが説き伏せます。
普段無口だからか知りませんが、理津子さんの言葉って、妙に重みがあるんですよね。
リカちゃんまでなんか「一考の余地アリ」って顔してますし。
戻ってきてください。
混乱ここに極まれりといった状況下で、
「ふおーい。おまえらー。そろそろ行くぞぉ」
のんきな口調で、紀夫さんが登場。
「ん? どうかしたか?」
あなたが余計なことを言った結果、今、一人の少女が道を踏み外そうとしているんですけども。
「まあいい。そろそろ、トラックを動かすぞ。座席は物資で埋まってるから、君らは歩きだ。来なさい」
どうやら、この話題はここでうやむやになりそうでした。
これ幸いとばかりに紀夫さんに続こうとすると、くいくいっと、私の袖が引っ張られます。
見ると、リカちゃんでした。
「あたし、まだそーいうの、よくわかんないですけど……」
「はあ……」
「こんどからセンパイのこと、“お姉さま”って呼んでもいいですか?」
……勘弁してくださいよ。ほんと。
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