その32 お夜食の時間

 夜、零時すぎ。


 雅ヶ丘高校は、静寂に包まれます。

 ろうそくを灯すことすらはばかられました。


 誰が言い出したわけでもありません。


 ただ、”ゾンビ”は光や音に引き寄せられる性質があります。

 で、あるが故、生者である私たちは、息を潜めるのでした。

 少しでも、あの歩く死人どもの目に止まらぬように。


 がばっと。


 数時間ほど眠った私は、測ったかのように予定通りの時間に目を覚ましました。


「…………」


 一言も発さず、余計な物音も立てず。

 私は、そっと刀と懐中電灯を抱えて教室を出ました。

 寝息一つ聞こえない廊下を抜けて、階段を降り、バリケードを乗り越えます。


 そっと一階の窓を開け、外に出て、壁伝いに校舎を進み、正門へ。

 運動場を横切らないのは、屋上で見張りをしてくれている人(竹中くん)の目に止まらないためでした。

 正門の前に辿り着いた私は、躊躇なくその鉄門をはしごで昇り、道路に出ます。


 ”ゾンビ”の姿はなし。


 慎重に道路を歩きます。

 満月が、ぽっかりと頭の上に浮かんでいました。

 月明かりに照らされて、舗装された道路を歩くのに不便はなさそうです。


 道中、


『おお………おおおおおおぉ………』


 どこか哀しげに立ち尽くしている”ゾンビ”を発見。

 せっかくなので、ちょっとした実験を。


 私は息を潜めて、その”ゾンビ”に接近します。


 りーりー、りーりーりー。


『……………………………ヴァ……?』


 思った通り。

 ”ゾンビ”は人間に比べて夜目がきかないみたい。

 その分、光や音には敏感になるようですが。

 これなら、こっちがライトを付けたり、物音を立てたりしない限り、あまり襲われる心配は……、


『ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 うわ。

 ちょっと調子に乗って近寄りすぎましたか。


 さすがに、五メートルも近づけばバレますね。


 私は、素早くその”ゾンビ”から距離を取ります。

 そして、


「――《火系魔法Ⅲ》」


 覚えたての魔法(名称未設定)をば。


 しかし、


「えいっ……えいっ! ……あれ?」


 何も起こってないっぽい?


 《火系魔法Ⅱ》である《ファイアーボール》が結構な火力だったから、《Ⅲ》はさぞかし派手な呪文に違いないと思っただけに、肩透かしです。


「ん? んんん?」


 いや。正確には何も起こっていない訳ではありませんでした。

 暗闇なのでよくわかりませんでしたが、人差し指と中指の先から、ぴゅーっと謎の液体が出ているようです。

 なにこれ、ものすごい手汗とか出す魔法ってこと?

 もしかして、なんかの手違いで《水系魔法Ⅰ》を取得しちゃったとか? いやいや。でも、さっき確かに私、《火系魔法Ⅲ》って言いましたよね?


 よくわかりませんが、とりあえず保留。


 やむなく、私は次の一手に切り替えます。


「――《ファイアーボール》」


 同時に、ボッと私の手のひらに火球が生まれました。


「てやっ」


 その火球を、ふらふらとこちらに歩み寄る”ゾンビ”に投擲。


 ぼおっと、彼の服に火が着きます。


『おぉ……おご、おぉおおおおおおおお……』


 “ゾンビ”は一瞬だけ怯んだように見えましたが、その歩みは止まりません。

 うーん。

 予想通りというか。

 やっぱり連中を仕留めるのに、《ファイアボール》程度の威力では心もとないですねえ。


「ご協力、感謝感激雨あられです」


 呟いて、私はその”ゾンビ”の頭の上半分を斬り落としました。

 こうしてみると、祖父が遺してくれた刀ってとてつもなく強い武器だったんですな。


 実験を終えて、先を急ぎます。

 私は何も、魔法の試し撃ちをするためだけにここまで来た訳ではありませんでした。

 学校から、歩いて十分弱。

 そこに、”キャプテン”と呼ばれるスーパーマーケットのチェーン店があります。


「…………ふひひ」


 少女漫画のヒロインであれば決して浮かべないような不気味な笑みを浮かべつつ、私はその建物の前に立ちました。


『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……』


 その建物の周囲には、十数匹の”ゾンビ”の姿。

 一時期はずいぶん多くの”ゾンビ”が集まっていた”キャプテン”ですが、今やブームは去った後。数はかなり減っています。

 一匹ずつ相手にしてやってもいいですが、別の手を考えてみました。


「――《ファイアーボール》」


 手のひらに火球を生み出します。

 そしてそれを、明後日の方向へ放り投げました。


『おぉおおおおおおお……』

『こぉおおおおおおおおおお』

『おおおおおおおおおおおお』


 数匹の”ゾンビ”が、光を追って”キャプテン”前を離れます。

 そして、その数匹に導かれ、その他の”ゾンビ”も姿を消しました。

 残った”ゾンビ”は一匹だけ。

 きっと空気が読めない子なんでしょうね。


 私はその”ゾンビ”の背後に忍び寄り、音もなく始末します。


 これで、”キャプテン”前の”ゾンビ”はいなくなりました。

 私は、半開きになっている自動ドアに入って、念のためドアを閉めます。電気が通ってないのでちょっとだけ難儀しましたけど。


 振り返り、店内を見渡すと、何かの拍子で入り込んでいた”ゾンビ”が五、六匹。


「邪魔くせえ」


 汚い言葉で失礼。

 ですが、もうすでに限界が近づきつつありました。

 何の限界かって?

 それはもちろん、


――くきゅるるるるるるるるるるるるるるるるるっ。


 ……あっ、お腹が勝手に応えてくれましたね。


 そうです。

 昨日の晩から、私は軽く理性を失いそうになるレベルの飢餓に襲われていたのです。

 もちろん、学校では人並みの食事にはありつけてはいます。しかも、食糧を管理してくれているリカちゃんのはからいで、人より多くもらっているくらいです。


 でも。

 それじゃあ足りないんですよ。これっぽっちも。


 ハラヘリに耐えられず死地に飛び込むとか、どうかしていることはわかっています。

 それでもご理解いただきたい。

 伝統的に、人類は飢餓を避けるために争いを続けてきました。

 その時の私は、原始の時代に立ち返っていたのです。


 それでも、学校の食料庫を襲わなかった点に文明人の片鱗を見ていただきたい。


「うふ。うふふふふ。うっふっふっふっふ……」


 笑うという行為は本来攻撃的なものであり 獣が牙をむく行為が原点だそうですが。


『うぉおおおおおおおおおおおおっ……』


 数匹の”ゾンビ”が、自分たちの縄張りに現れた闖入者に気が付きます。

 私は、ゆっくりと刀を構えました。

 もちろん、楽園に忍び込んだ悪魔どもを、徹底的に駆逐するためです。


「むーざん、むーざん♪」


 自分でもぞっとしないような、か細い声で歌いながら。



 虐殺が始まりました。


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