その22 地獄に仏?
痛みを感じたのは、ほんの一瞬だけでした。
その次に身体を駆け巡ったのは、全身を舐め回されたかのような生理的嫌悪感。
一度、電車の中で痴漢と出くわしたことがあります。
その時に感じた気色悪さを、数十倍に拡大した感じ。
「――ひっ!」
憎悪と絶望で、気が狂わんばかりになりました。
脊髄反射的に”ゾンビ”を蹴り飛ばします。
同時に、例の大仰なファンファーレが鳴り響いて。
――おめでとうございます! 実績”犠牲”を獲得しました!
――おめでとうございます! 実績”死に至る病”を獲得しました!
なにもめでたくねえよ。
――実績”犠牲”の報酬を選んで下さい。
「うるさい! 後にしろ!」
気がつけば怒鳴っていました。
目には涙が滲んでいます。
私は駆け出しました。足がずきずきしますが、このままぶっ倒れている訳にもいきません。
ああ、嫌だ嫌だ。死ぬのは嫌だ。やっぱりこんなこと、止めとけば良かった。
何が救世主だろう。結局自分は、自分の身一つ守れないじゃないか。
泣き言をお許し下さい。
ポジティブなシンキングには定評のある私でも、さすがに心が負けそうな時もありますよ。
足を引きずりながらも走り、走りながらも私は、ポケットに入れておいた”どくけし”のキャップをひねります。
そしてそれを、一息で飲み干しました。
くっそー。
なんかしらんけどこれ、すっごい美味しい。いちご味。
空になった瓶を投げ捨てます。
素早く、ふくらはぎの傷口を確認。
結構ガッツリ、噛みつかれちゃってます。一度見たら二度見たくないほどには。
『雅ヶ丘商店街』というアーチ状の看板をくぐり抜けて、私は商店街に足を踏み入れます。
ここに来て、当初の予定を変更しなければならないことに気づいていました。
とにかく、出血が酷い。
正直、このまま”ゾンビ”から逃げ切るのは難しそうでした。
いったんどこかで休む必要があります。
《自然治癒(中)》のスキル説明には、「中程度の怪我」であれば一日で全快する、とありました。
とにかく、どこかで休めばまた走れるようにはなるでしょう。
どこか……どこでもいい。身を隠して、“ゾンビ”の追跡を逃れられる場所。
……と。
「こっちだ! こっちにこい!」
十数メートルほど前にあるドラッグストアで、初老のおじさんが手を振っています。
おじさんには見覚えがありました。スーパーで買うより菓子類が安いので、商店街のドラッグストアは時々利用するのです。おじさんはそこの店長でした。
話したことはありませんが、それでも、顔見知りというのはホッとするもので。
「いそげ! ほら!」
おお、地獄に仏とはまさにこのこと。
痛む足を抑えつつ、私はドラッグストアへと滑り込みます。
店内に入ると同時に、おじさんはガラガラとシャッターを閉めました。
「これでよし」
私は、その場でばったりと倒れこみながら、息を整えます。
「た、助かりました。……」
「うん、うん、そうだろ」
言いながら、おじさんはカチャカチャとベルト回りを緩めました。
「とりあえず、包帯を貸してもらってもいいですか?」
逃げ込んだ先が薬局とは、本当に運が良かったです。
幸い、ここには有り余る量の包帯がありそうで。
……ん?
一瞬見逃しかけましたけど、なんでおじさん、ベルトを緩めたんです?
っていうか、その、ズボンも脱いでるように見えるんですけど。
……へ?
「お前、噛まれたろ?」
「……はあ」
「どうせ助からんから……な? わかるだろ? な?」
首を傾げます。
「すいません、おっしゃる意味が……」
ぼろんっ。
その時、私の眼前に飛び出したモノに関する描写は控えさせていだきます。
「は……はあ?」
さすがに目を疑いました。
「すぐ終わるから……な?」
ウッソだろおいwwwwww
出会って即レイプとかwwwwwww
さすがに草生えるwwwwwwww
おじさんがのしかかってきました。
さすがの私でもこの、死地からの脱出→エロマンガ展開にはちょいと付いていけません。
我ながら手負いとは思えないほどの俊敏さで跳ね、おじさんと距離をとります。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだから……」
あらまあ。おじさんったら、どうみても正気じゃない。
今の今まで気づきませんでしたが、彼の手には包丁が握られていました。
「こっちは、いちど刺してからだっていいんだぞっ」
なんでか、少し悲しくなりました。
おじさんとは何度か顔を合わせていますが、悪い人じゃなかったはずです。
もし、世界がこんな風になってなかったら、一生悪事を働かなかったかもしれない人です。
私は、ほとんど焦点のあってない彼の心臓に向けて、真っ直ぐ刀を突き刺しました。
「ぐぶっ……」
おじさんが噴き出した血で、ジャージがどす黒く汚れます。
そのまま、名も知れぬ彼は、ほとんど何の抵抗もせずに息絶えました。
よく見ると、彼の二の腕には”ゾンビ”によるものと思しき噛み傷があります。
そこで、例のファンファーレ。
そして、
――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!
またファンファーレ。
――おめでとうございます! 実績”人殺し”を獲得しました!
だから。
なにひとつとして。
めでたくねえよ。
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