その13 生かすも殺すも
なんでこんなに気分が悪いんだろう、と、自問します。
田中さんを殺した時や、祖父を亡くした時でさえ、こんなに嫌な気持ちになったことはありませんでした。
もやもやする気持ちを整理していると、ポケットの中から、昨日手に入れたばかりのアイテム、”どくけし”があることを思い出します。
ああ、そうか。
今回のこの事態。――私がもう少ししっかりしていれば、防げたんだ。
そう思い至った瞬間、胃の中から酸っぱいものが逆流していることに気が付きます。
それは、マグマの激流のように食道を焦がし、――
「ふおえ、――おげえぇええッ」
次の瞬間には、口から乙女汁をぶちまけていました。
「ふえぇっ、……ごほっ……」
我ながら、情けないったらありゃしない。
まあ、過ぎた話でぐじぐじ悩むのも私らしくないことです。
同じ過ちは繰り返さないと、心に誓いましょう。
「あの……」
見ると、リカちゃんがドアの前に立っていました。
「なんです?」
「水谷さんの件、みんなで話し合うって。……それで、センパイの意見も聞きたいからって、お父さんが」
ミズタニサン?
と、疑問に思った後、”ゾンビ”と成り果ててしまった二人の男性と、その一家のことだと思い出します。
「わかりました。すぐ行きます」
慌てて、私はペットボトルの水を口に含み、窓の外に向けてべーしました。
道中、少しだけ気まずくなって、私は言います。
「みっともないとこ、見せちゃいましたね」
するとリカちゃんは小さく笑みを浮かべて、こう応えました。
「でも、良かったです」
「良かった? 何が?」
「センパイだって人間ですものね。弱いところありますよ。うん、うん」
「そりゃまあ。私だって人並みに悩んだりもしますけど」
「みんな酷いんですよ。センパイのこと、『ロボットみたいに悩まない子だ』みたいに言うんです」
「あー。……そんな感じなんですか」
こちとら、なるべく目立たないよう頑張ってるつもりなんですけど。
まあ、この法治国家日本において、平然と真剣振り回してる時点でその辺はお察しと言ったところでしょうか。
今回の話し合いの場、――二年三組に到着したのは、それから間もなくのことです。
▼
その場に集まっていたのは、水谷さん(母)を含めた大人の皆々様。車いすに座ったご老人も一人。総勢十七人の方々が、丸く並べた椅子に座っています。
「危険過ぎる!」
甲高い声で口角泡を飛ばしていたのは、英語の佐々木先生でした。
「しかし……」
青白い表情を向けているのは、リカパパこと麻田剛三さん。
「水谷さんとは、長い付き合いなんです」
「そりゃ、気持ちはわかりますけどねえ。胸に包丁が刺さっとるのに生きてるんですぞ。ありゃもう、人間とは言えんでしょうが」
「しかし……」
「だいたい、映画じゃ、一度変わっちまったやつは元に戻れないと相場が決まっとる」
ここで、鈴木朝香先生が口を挟みます。
「ちょっと待って下さいよ。別に、映画と同じやって保証はどこにも……」
「いーや、こうなったら、映画の話は全部本当だったって信じる他ないじゃないか。どうせ、アメリカの細菌兵器か何かが今回の一件の発端だろ。そーに決まっとる」
なるほど、アメリカの兵器。
平時であれば突飛な話だと鼻で笑ったことでしょうが、実際、窓の外には歩く死体が跳梁している訳ですし、ありえない話ではないです。
そういえば私、「なぜこうなったか」についてはあんまり深く考えてきませんでしたね。
なんとなーく、どこかの誰かの陰謀だろうな、とは思っていましたが。
「ずっと。……あそこに閉じ込めておくことは……できませんか……?」
他の奥様方に肩を抱かれた水谷さん(母)が、蚊の鳴くような声で言います。
それには、苦い表情で佐々木先生が反論しました。
「ご主人には申し訳ありませんがね。……ああなっちまった人間は、危険なんです。皆さんも見たでしょう? 連中、動きは鈍いが、力は我々よりも強い。ワタシぁ、奴らに身体を引き裂かれている人をたくさん見ました。素手で、ですぞ? 今だって、いつ教室の扉を破って逃げ出すかわからん状況なんです」
へえ。そんななんだ。
”ゾンビ”の膂力が人並み外れていることには薄々感づいていましたが、そこまでとは。
これまでもなるべく掴まれないようにしてきましたが、これからはもっと気をつけるべきでしょうね。
「逃したり、遠ざけたりする案は?」
「どうやって? 連中の動きは不規則ですぞ。何かの間違いで、子供たちや、ご老人がいる方へ行かないと、誰が保証できます? 私は……いいですか。私は、万が一にも、これ以上誰かが傷つくようなことがあってはならんと言ってるのです」
気まずい沈黙が流れます。
反対意見は、誰からも出ませんでした。
どうやら、会議は佐々木先生の意見が優勢のようです。
私も、この一件に関しては、佐々木先生の言葉が正しいように思えました。むしろ彼は、率先して人が嫌がる立場(憎まれ役)を買って出ている訳で、そういう意味では勇気ある行動だと言えます。
ただまあ、英語の教え方はクッソ下手でしたけどね。
お陰で英語がものすごく嫌いになりましたけどね。
「それでは、……やはり」
リーダー格の麻田さんが、重々しい口調で言います。
結論が出ました。
「何の救いにもならんことがわかっとりますが。……ご主人だってきっと、あんな姿になってまで生きながらえたいとは思ってませんでしたよ」
水谷さん(母)のすすり泣く声が聞こえます。回りの奥様方まで、さめざめと涙を流し始めました。
みんなでのり切ろう、みんなでのり切ろうと、奥様の一人が必死に慰めます。
「それで……その。水谷さんたちの始末だが……」
そこで、大人たちの視線が、一斉に私に集まりました。
「その……言い難いんだが。……その……」
まあ、そんなことだろーな、とは思ってましたが。
「ただもし、やりたくないというなら、それも構わない。君はまだその、学生だし。……だが。……その。……うまくいえんが。……君はどうやら、
麻田剛三さんは、必死に言葉を選んでいるようでした。
別に、慣れてる訳じゃないんですが。
ただ、ここに来るまでで”ゾンビ”を始末してきた人間は、どうやら私だけらしく。
死刑執行の適格者は、自然と私だということに決まっていたようでした。
私は、小学生の時、誰もやりたがらなかった黒板消し係を無理矢理引き受けさせられた時のことを思い出しながら、
「べつに構いませんけど」
と、応えます。
「ただ、みなさんも今のうちに慣れといたほうがいいと思います。きっとこれから、やる機会が出てくると思うので」
反論は、誰の口からも出てきません。
その場を取り繕うように、麻田さんが口を開きます。
「もしこの後、殺人罪で君が起訴されるようなことがあったら、私に相談してくれ。私が君に命じてやらせたと、そう証言する。約束しよう」
その言葉は、残念ながらなんの慰めにもなりませんでした。
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