その12 犠牲

 午後六時過ぎ。

 私の感覚では、少し早い時間の夕食が始まりました。

 避難民の中に、どこかの社員食堂で働いた経験のあるおばさんがいたお陰か、カレーは安定感のある味わい。

 ご飯は、ご老境におられる方々に配慮して柔らかく炊かれていました。

 じゃがいもが入ってる、ただその一点のみ不満でしたが、福神漬を大盛りにしてもらえたので満足です。


「ハッフ! ハフ! ウマ! ウマ!」


 気がついた時には、三杯目のおかわりを平らげていました。


 自分の身体の変化に確信を持ったのは、この瞬間。

 私、本来は食が細い方なんですよ? ホントに。

 ご飯なんて、お茶碗の半分もあれば十分なくらいだったんです。

 それがこの変わりよう。

 そんな私を、みなさん珍獣でも眺めるように見ておられましたが……。


 もういいんです。


 これからは食いしん坊キャラとして生きていきます。


「やっぱり、運動する人ってよく食べるんですか?」


 私の食べっぷりを見て、リカちゃんがくすくすと笑います。


「さあ?」

「うふふ、……センパイったら、自分のことじゃないですか」


 どうなんでしょうね、実際。

 男子でも、カレー三杯もおかわりする人なんてあんまり見かけない気がしますが。


「やっぱ、剣道は子供の頃から続けてるんですか?」


 続いて興味津々に尋ねてきたのは、康介くん。

 私はなんとなく目を逸らしながら、


「あーいや、どうでしょう。たぶん三年くらい?」


 と、答えます。


 そんな風に尊敬の眼差しで見られても、こちとら大した努力もせずに得た技術な訳で。

 ちょっと気まずい感じです。


 昼食は、終始朗らかな雰囲気のまま終わりました。

 みなさん、ほんの少しだけ笑顔が戻ってきているように思えます。

 特に元気そうに見えたのは、奥様方。

 やはり女は強しといったところでしょうか。共同作業を経験したことで、避難民同士打ち解けることができたのかもしれません。


 朝起きた時は、地獄の釜の蓋が開いたのかと思いましたが。

 案外、大した問題も起こらず、みんなで事態を乗り切ることも不可能じゃないかな、と。

 そんな風に思っていました。



 もちろんそれは、救いようがなく甘い見通しだったのですけれども。




 次の日の早朝。


 人気のない3年3組で目を覚まします。

 ここは避難してきた人数に対して、部屋数だけはたくさんあります。ので、夜はみなさん、家族ごとに分かれて、教室を貸し切りにしていました。

 もちろん、天涯孤独の身の上である私は、一人で教室を占有する形になっています。


 教室から外を眺めると、まだ日が昇り始めたばかり。


 顔を洗うついでに散歩でもしようと思って、刀とペットボトルを持って下の階へと降りていきます。

 二階から下は、すでにバリケードが完成していました。生存者のみなさんの中に、そういう作業が得意な方がおられたのかもしれません。針金とガムテープでがっちり固められた机と椅子で、階下からの侵入は完全にガードされています。恐らく、人間でも正面から昇ることは難しいでしょう。

 バリケードの脇にはハシゴが置かれており、非常時はこのハシゴで一階と二階の間を昇り降りする、という作戦のようでした。


 おかしいな、と思ったのは、退路の下見を済ませた、すぐ後のことでした。


 少女と、その母親と思しき人が、ぽつんと教室の前で立ちすくんでいたのです。

 こんな朝っぱらから。

 何をするわけでもなく。

 二人の顔には見覚えがありました。


 昨日、

「おねえちゃん、つよいの?」

 という素朴な質問をぶつけてきたあの女の子です。


「どうかしました?」


 私は気軽に声をかけました。


「……なんにもありません。……なんにも……」


 と、五秒はたっぷり間を置いてからの返答。


 お母さんは、どこか茫然自失している感じで、あらぬ方向に視線を向けています。


 少なくとも、言葉通り「なんにもない」はずがないことだけはわかりました。


 私は教室に目を向けます。2年5組というプレートが掲げられています。

 我が母校の教室は、廊下から内部を確認することができません。

 やむなく、扉に耳を当てますと、


 ぐちゃ、ぐちゃ、もぐちゃ……。


 という音が聞こえてきます。


 あっ。これアカンやつや。


 そう思って扉に手をかけると、お母さんが私の手を掴みました。

 そして、まるで幼い子供のように「いやいや」と首を横に振ります。


「失礼します」


 私はそう宣言した後、女性をそっと押しのけました。

 するとどうでしょう。女性は、壊れた人形のように容易く後ろに転んでしまいます。


「ママっ!」


 それを見ていた少女が、お母さんに抱きつきます。

 なんだか、絵面的に押し入り強盗してるみたい。

 心の隅っこでそう思いながら、私は教室に入りました。


 そこに在ったのは、地獄絵図。


 見える人の姿は二ツ。

 恐らく、先ほどの女性の旦那さんと、その親族でしょう。


 一人は、白髪の年老いた男性。

 もう一人は、中年の男性。


 中年の男性の方が、何かから逃げるような体勢のまま、教室の中央に倒れています。

 彼に屈みこむようにしているご老人の口元は、真っ赤に染まっていました。

 その胸には、包丁が突き刺さっています。

 恐らくは、“ゾンビ”に変異したご老人に対し、中年男性が抵抗した末、包丁を突き立てた、と。そういうことのようでした。


 濁った眼をした老人は、本来であれば致命的なはずの傷を受けてなお、平然と口に肉を運んでいます。


「……あ」


 予測していた通りの現実を直視してなお、私の心は事実を受け入れきれていませんでした。

 ぽかんと口を開いたまま、

 昨日、確かに聞いた幻聴さんの、


 ――”安全地帯”


 という言葉を反芻します。

 確かにあの時、”安全地帯”という言葉を聞いたはずです。

 だからこそ安心していました。だからこそ油断していました。

 だからこそ、昨晩の私は、泥のように眠ったのです。


 いまになって考えてみれば、浅慮であったと言わざるを得ません。


 なるほど、この学校の裏門を閉じた時、少なくとも外部にいる”ゾンビ”の侵入を防ぐことはできたかもしれません。その瞬間、確かにこの校舎の中は”安全地帯”だったのかもしれません。

 ですがそれも、所詮は一時的なものに過ぎない。状況は常に変わっていきます。さっき安全だったからといって、今も安全とは限らないのです。

 そんな当たり前の事実を、私はすっかり失念していました。


「いつ……噛まれたんですか?」


 廊下の外にいる二人に聞こえるよう、私は訊ねました。

 返答はありません。

 もちろん私も、答えを必要としていた訳ではありませんでした。

 恐らく、学校に来る以前にガブリとやられたんでしょう。

 そしてそれを、ここの家族はひた隠しにしていた。


 肩に怪我を負った老人がいたことは、眼にしていました。

 転んだ怪我だと聞いていました。

 たったそれだけの言い訳で、安心していました。


「――義父は、」


 振り向くと、先ほどの女性が、泣き腫らした眼をこちらに向けていました。


「義父は、病気なんです……」


 なるほど、病気。

 人を喰らう病気ですか。

 まあ、間違ってはいないでしょう。


「始末しますので、お子さんを遠くへ」


「待って!」


 女性が金切り声を上げました。


「良くなる! 必ず良くなるから!」


 フーム。

 言葉に詰まります。

 反論するための材料がなかったためです。

 言われてみれば、これが何かの”病気”なら、”治療”が不可能だとは言い切れない気もしました。

 両手両足をぶった切られても生きていられる病気があったら、という話ですが。

 さて、どうしたものかしら。


『オオオオオオォオオオオオオオオオ……ッ』


 グズグズしていると、ご老人がこちらに気づいたのか、虚ろな眼をこちらに向けてきました。

 新鮮なお肉の匂いを嗅ぎつけたのでしょう。よろりと立ち上がった彼は、こちらに向かってゆっくりと歩き始めます。

 ため息一つ。

 鞘に入れたままの刀で、私は彼の胸を思い切り突きました。

 体勢を崩したお爺さん”ゾンビ”は、べしゃりと血の海へと倒れこみます。


 考えて。


 考えに考えて。


 考えに考えに考えた結果。


 この一件、私の独断で決定するのは危険だと判断しました。

 私は踵を返し、教室を出ます。


「そーですね。ただ、このまま放っとくのもリスクのある行為なので、みんなで結論を出しましょう」


 できるだけ明るく言ったつもりですが、女性の表情は暗いままでした。



 ほどなくして。

 どん、どん、という、閉めきった教室の扉を叩く、不規則な音が聞こえてきます。



 音は、二人分でした。


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