その7 生存者たち

「あ……ああ。大丈夫っす」


 正直言って、あんまり大丈夫そうには見えませんが。

 顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだし。

 よく見るとおしっこ漏らしちゃってるし。

 内心、手を差し伸べたことを後悔していると、


「一人で立てるっす……」


 空気を読んでくれたのか、彼は自力で立ち上がりました。


 びしょ濡れの股間にはなるべく目を向けないように、周囲を見回します。

 敵影なし。


「そーいやこの学校って、入り口いくつありましたっけ」


 三年もこの学校に通っておいて言う台詞じゃありませんが。知らないものはしょうがありません。


「……裏手に門が二つ」

「鍵は?」

「片方は……休みだったから、施錠されてたみたいっす。もう片方は、開いたまま」

「じゃ、そっちも閉めてきますね」


 言うと、少年は驚いた様子でこちらを見て、


「待って。一人じゃ危険すぎますよ」

「ふむ」

 もっともです。


 今“ゾンビ”たちを楽に無双できたのも、奴らが目の前の獲物、――オシッコ漏らし太郎君(仮)に夢中だったからでした。

 一対一ならあまり負ける心配はありませんが、一対多の状況になってしまった場合は危険です。今の私の腕では、さすがに捌き切れないでしょう。

 そうなると、尻尾を巻いて逃げる必要が出てきます。


 ただ、もし誰かが”ゾンビ”の注意を引きつけてくれていれば、話は別。

 連中は、同時に二つの目標に気を配ることができないようなので、安全に”ゾンビ”を始末することができるでしょう。


「でも、その足、痛むんでしょう?」

 視線を彼の右足に向けると、

「……ええ。俺じゃ、ついてくのは無理そうっす」

 彼はあっさりと認めました。

「でも、他の人に頼めば……」

「他の人?」


 首を傾げて、彼の指差した先に顔を向けると……あらまあ。

 たしかにいました、他の人。

 学校の二階、二年生の教室がある場所から、少なくない人々の視線が向けられています。


 ひょっとして、今の活劇……見られてた?


 ちょっと照れますね。


 老若男女入り混じった、少なくとも二、三十人ほどの人々。

 みな、不安げな表情でこちらを見ています。

 ちょっとだけ檻の中にいるゴリラの気分。


「正門前にいたのは?」

「ああ。洋次郎と高田君っす……」


 名を呼んだ瞬間、彼らはもうこの世の人ではないことを思い出したのか、オシッコ漏らし太郎君(仮)の眼にうっすらと涙が浮かびました。


「俺ら、正門閉めようとして……でも、連中に囲まれて……。助かったのは俺だけっす」

「ふむ」


 彼の言葉を要約すると。

 避難した人々の中から勇気ある三人の生徒が名乗りでて、開きっぱなしの正門を閉じようとした、と。

 それに失敗した結果、さっきの二人は”ゾンビ”の餌食になったようです。

 彼らの魂に安らぎあれ。


「行きましょう。こっちへ」


 向かったのは、下駄箱が並んでいる玄関口でした。

 ぴったりと施錠されているガラス張りの扉。その向こうに人影。

 背の低い、どことなくハムスターっぽい印象の女の子です。


「コウちゃん……っ」


 少女が、か細い声を上げました。

 オシッコ漏らし太郎君改めコウちゃん君は、ほとんど倒れこむようにして現れた少女の肩を借ります。


「助けようとしたの……ッ、助けようとしたの……ッ、でも、父さんが……」

「いいんだ。最初からそういうつもりだったんだから」


 その次の瞬間でした。

 私の存在など路傍の石だとばかりに、二人が熱烈なキッスを交わしたのは。


 ワオ。

 リアルが充実している人だ。

 みんなーっ、にげろーっ。ばくはつするぞーっ。


 私は周囲を警戒するふりをしながら、目をそらします。


 二人が抱き合っている時間は、およそ十秒ほどだったでしょうか。

 少女は、いったんこちらを向き直り、


「あなたは……ええっと、その。三年生ですか」

「はあ」

「コウちゃんを助けてくれてありがとうございます」

「まあ」

「早く、中にはいって下さい」

「へえ」


 促されるまま、校舎の中に入ります。

 ちょっと一息。

 リュックの水をごくりと飲みます。


「私、麻田梨花。リカって呼んで下さい」


 リカちゃん。なるほど。


「ああ、忘れてた。俺、日比谷康介っす」


 コウちゃん。なるほど。


「あなたの名前は?」


 私はその質問を無視して、


「おしゃべりは後にしましょう。それより安全を確保するのが先決かと」


 すると、下駄箱の向こうにある階段から、どやどやと数人の大人が姿を現しました。

 見知った顔もいます。一年の時、英語の担当だった佐々木先生。男性ですが女性のように甲高い声でしゃべり、隙あらばヒステリーを起こすタイプのウンコ野郎だったと記憶しています。


「おい大丈夫か、二人とも大丈夫か? 噛まれてないか? 引っかかれてないか?」


 佐々木先生が例の口調で訊ねました。


「大丈夫です」


「リカ! 軽率な真似はするなと、あれほど……」


 リカちゃんを叱りつけたのは、洒落っ気のあるチョッキを身にまとった中年紳士。

 その口ぶりから推測するに……、


「じゃあ、父さんはあのまま二人を放っておくつもりだったのっ?」


 親子ですか。


 残った一人はスポーツウェアを身にまとった女性です。歳は二十歳半ばくらいでしょうか。どうやら彼女もこの学校の先生のようですが、授業を受けたことがないため、よくわかりません。


 みなさん、そもそも正門を締めるために外に出るべきじゃなかったとかどうとか、そんな感じの話題で揉めているご様子。

 もちろん、私の知ったことではありませんでした。


「じゃ、私、裏門閉めてきますので、誰か案内して下さい」


 話の流れを完全に無視して、そう言います。

 一発ギャグを壮大に滑った時みたいな、気まずい沈黙が生まれました。

 重々しい口調でリカパパが言うには、


「正門を閉めるだけで、二人もやられている。危険過ぎる」


 きょとんとします。


「しかし……このまま裏口を開けっぱにすると、どんどん入ってきますよ」


 正直、それが得策とは思えませんでした。

 まだ”ゾンビ”の行動パターンが完全には読めていないため、なんとも言えませんが、今のところ連中は、外の死体漁りに夢中のようです。

 が、いつまでそうしているかはわかりません。

 少なくとも、映画に登場する”ゾンビ”は、生者の気配をどこからともなく嗅ぎとって集まってくると聞きます。

 そうなると、校舎のあちこちの窓から“ゾンビ”が侵入してくるはず。

 どう考えても、今のうちに奴らの侵入ルートを遮断した方が良いように思われました。


「みんなで考えたんだがね。教室の机と椅子を組み合わせて階段にバリケードを作って、学校の二階で息を潜めていようと思う。知っての通り、やつらは静かにしていればこちらに気づかないからな」

「しかし……これからずっと、校舎に引きこもっている訳にもいかないでしょう」

「昨日一晩耐えられたんだ。これからもなんとかなる」


 甘い見通しだと思いました。


「そーだ。それに、案外早く救助が来るかもしれない」


 英語の佐々木先生が言います。これには私も反論しました。


「そうは思いません。ある程度は腰を据えて生活する覚悟が必要だと思います」


 こういう時は、何ごとも最悪に備えるべきじゃないでしょうか。

 なにせ、敵は”ゾンビ”だけとは限りません。

 マンションの窓からは空飛ぶ“ドラゴン”のような生き物が多数見えました。ここまで不可解な状況が重なる中で、助けを当てにするのは危険に思えたのです。


「しかし……」


 みなさんの言いたいことはわかります。

 今、二人も犠牲を出したばかりなのです。

 誰も次の犠牲者にはなりたくありません。


「そんじゃ、だいたいの場所だけ教えて下さい。私、一人で行ってきます」

「馬鹿を言っちゃいけない。危険過ぎる」


 と、リカパパ。


「俺が行く」


 男気を見せたのは、日比谷康介くん。


「ダメよ!」


 リカちゃんが真っ青になって言います。


「その足で来られても足手まといになるだけです」


 私も、努めて冷静に言いました。


「しかし……」

「そ、それなら、あたしが行く。行きます」

「馬鹿をいうな、リカ。父さん許さんぞ」


 あー。

 なんか正直、言い争っている分、時間を無駄にしている気がしてきました。


 黙したまま、三十秒ほど待ちます。

 それで結論が出なければ、リカちゃんから無理やりに鍵を奪って、さっさと玄関から出ていこうと思ったのですが……。


「それじゃあ、アタシが行きますわ」


 手を挙げたのは、これまであまり発言してこなかった人物。

 天然物っぽい関西弁でしゃべる、謎の女性教師Aさんでした。

 責任感の強そうなキリリとした眉に、ロングの黒髪。大人の女性にしてはかなり筋肉質に引き締まった身体をしています。


「そ、そうか……」


 勇敢な女性教師の申し出に、反対意見は出ませんでした。

 結局、なんだかんだ言って、自分が行きたくない理由を探していただけなのかもしれません。気持ちも十分わかるので、批判はしませんけどね。


 だいたい、私が強気でいられているのも、”ゾンビ”に対抗できる手段があるからに他なりません。

 いくら頭を潰せば殺せるからといって、ヒトの頭蓋を割ることがどれほど大変か。

 その点この刀は凄い。ほとんど力を入れずとも、すっと”ゾンビ”の頭部に突き刺さります。

 刀を遺してくれた祖父には、頭が上がりません。


「では、すぐに行きましょう。リカさん、鍵を」

「は……はい」

 少女が鍵を差し出します。

 その手は、少しだけ震えていました。

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