その2 さよなら田中さん

 数キロほど向こうで、黒い煙がもうもうと立ち込めているのが見えます。


 うちのマンションはボロいけど、そこそこ見晴らしは良くてですね。

 すぐ目の前の公園が一望できるのですが。


 公園をフラフラっとうろついてる人たちが、……なんというか。

 ……。

 …………うーん。

 これって、言っちゃっていいのかな。

 笑わないでくださいよ?


 ……………”ゾンビ”、的な?

 そのもの、というか?


 ムシャムシャやっとる訳です。(グロ注意!)なシロモノを。


 へえ? アンタら、わりと共食いとかしちゃうタイプ?


 ハロウィンって、そこまで十八禁仕様になっちゃってました?

 とまあ、最初の感想はそんな感じで。


 あっ、そうそう。

 ちなみに、私が見たのって”ゾンビ”だけじゃなくてですね。

 ……。

 …………うーん。

 これ、言ったら絶対笑われると思うんですけど。

 笑わないでくださいよ?


 “ドラゴン”……的な?

 なんか、そんな感じの、……ファンタジックな生き物? が、ですね。

 数十匹ほど大空を羽ばたきながら、ウンギャーウンギャー喚いてるのが見えるんです。


 破天荒すぎますよね。

 映画の宣伝もここまできたか、と。

 現実逃避すること、数十秒。


 とりあえず、思い切り眉間を揉みます。


 ええ、わかってます。

 いくら私が脳天気だといっても、映画の宣伝と現実の見分けがつかないわけがありません。


 ……それにしても。


 この手の危機って、どっちか片方なモンじゃないんですか?

 だってそうじゃないとホラ……困るじゃないですか。

 人類が。

 “モンスター映画”と”ゾンビ映画”。

 どっちか片方だけでも、軽く人類絶滅しそうなモンだってのに。

 両方て。


 少なくとも”ドラゴン”の方はずいぶん遠くに見えるので、当面の危機はなさそうなのが救いというか。


「うふ、…………うふふふふ…………」


 よくわからないんですが、ちょっとだけ笑みがこぼれました。

 大丈夫。イカレませんよ? たぶん、まだ。


 いったん深呼吸。

 ずいぶん寝た後なので、それを夢だと思い込むことはできませんでした。

 ゲームの世界にでも迷い込んだかな?

 とも思いましたが、振り向くと見慣れた我が家がそこに。


 サテ、ドウシタモノカ。

 思考を巡らせていると、ごとごとと、近くで大きな物音が聞こえます。

 隣を見ると、マンションの隔て板越しに、お調子者の隣人、田中さんの姿が見えました。

 田中さんは御年五十になる単身赴任のサラリーマンで、少し頭がハゲ散らかしてはいるものの、とても紳士的で素敵なおじさまでした。

 何度か、田中さん主催で、バーベキュー大会を開いていただいたこともあります。

 そんな中年紳士の首元には、……ああ、なんということでしょう。

 がっつりと歯型の残るかみ傷が。

 

 ”ゾンビ”は、相手に噛みつくことで増える、と。

 聞いたことがあります。有名ですよね。


 へーえ。

 なるほどー。

 そこまで映画通りとは。

 そういえば、私がさっきまで遊んでたゲームにも、そんな感じの描写がありましたね。


 目の前にいる中年紳士の口元には、べったりとダレカサンの血がこびりついています。

 小太り気味だけど、食事の時はいつも節度を保っていた田中さん。

 そんな彼は今や、虚ろな視線をこちらに向けて、女子高生(私)の柔肌にむしゃぶりつこうと、必死に両手を差し出しているではありませんか。


『かぁあああああああああああごあああああああああああああああッ!』


 生前、決して声を荒げる事のなかった田中さんが、今では獰猛な唸り声を上げています。

 一緒になろうよ楽しいよ、と。

 そう言っている気がしました。


 さて。

 そんなこんなで、少々困ったことが起こってしまいました。


 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、マンションの隔て板というのは、「非常の際はココを破って隣へ避難して下さいネ☆」という但し書が書かれています。

 ようするにこれ、根性あれば軽く破れる強度なのですよ。

 そして見たところ、今の田中さんったら根性だけは人一倍、といった感じで。


――武器を手にとって下さい。


 そこでまた幻聴。


 やれやれ、と、思います。


「厄介な事件に巻き込まれたモンだぜ」


 口に出してみます。

 ここに女版やれやれ系テンプレ主人公が爆誕しました。

 これからの私は、隠された力を持つ一見平凡な男子高生として、ツンデレ系天然ヒロインをはべらせたりと、モテモテの人生を送る予定です。

 私は田中さんを尻目に、とりあえず室内に戻って、大きくため息をつきました。


――武器を手にとって下さい。


「あー、ハイハイ。わかりましたよっと」


 なんとなく幻聴に応えながら、祖父の形見の日本刀(ちゃんと国の登録証付きのやつですよ?)を拾い上げます。

 すると、


 ――付近の“敵性生命体”を駆除して下さい。


 幻聴さんの言っていることが変わりました。

 その頃には私も、これはただの幻聴ではなく、言わば幻聴(仮)的な存在で、なんらかの意志のもとでしゃべってるんじゃないかという推理がありましたが、


 ずどんっ! ばきっ!


 という背後からの物騒な音で、のんびり考察している暇はないことに気づきます。

 振り返ると、田中さん(死)が青白くて物騒な顔をこちらに向けていました。

 それまで隔て板に遮られて気づきませんでしたが、その腹部に内蔵されているはずの内臓(鉄板爆笑ギャグ)がごっそり無くなっています。


 これで歩いてるんだから。

 こりゃ、あれですね。

 これまで良好だったはずの二人の関係は、未来永劫に修復不可、というか。


 閉め切ったベランダのガラスを叩く田中さん。

 その力は想像以上に強く、ベランダのガラスはいともたやすく破られてしまいました。

 散乱したガラスのベッドに倒れこむように、田中さんは我が家に侵入してきます。


「これが何かの悪い冗談なら、即刻中止を願います」


 すらりと日本刀を抜き、私は警告しました。


「少しでも近づいたら、あなたを殺します」


 再度の警告。

 割れたガラスで傷つくのも厭わずに、田中さんったら這いずりゾンビ。痛みという感覚は、遠い何処かに置いてきてしまったようで。


「これが最後の警告です」


 私は呟きました。念のため。


 そこで、田中さんとの想い出が心にふとよぎり、――

 彼の死を、なるべく厳かに受け入れます。


「では、さよなら」


 何よりも妻子を愛していると豪語していた田中さん。

 私、休日の夜中にこっそり女性を連れ込んでたの、気づいてました。

 愛と性欲は別腹なのでしょうか。


 いつか、本人から直接聞きたかったのだけれど。


 ずぶりと切っ先を田中さんの額に突き刺します。

 肉と骨を断つ感触が手のひらに伝わって。

 田中さんは、永遠に動かなくなりました。


「彼の魂に、――」


 安らぎのあらんことを的決め台詞を口にしようとした、次の瞬間です。


 ぱんぱかぱーん、と、ラッパの音が頭に鳴り響いて、


――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!


 と、幻聴。


 ……あ、このゲーム、レベル制なんだ。


 くらくらする頭で、私はそんな風に考えていました。

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