その354 ゴール地点

 その時に見た少女の働きは、――結果、柴田啓介に強烈な印象を残すこととなった。


 火を放ったり。

 水を生み出したり。

 電気を点けたり。

 ”プレイヤー”と呼ばれる人々がそういう、”魔法の力”を行使するところは何度も目にしている。


 だが、――そんなものよりもずっとずっと、あの少女の戦いは、すごかった。


 といっても、その動きに目を見張るような派手さはない。

 彼女が繰り返し行ったのは、最も単純な”ゾンビ”の対処法。

 ”脳を破壊する”。ただ、それだけ。


 単純に、起こった事象を順番に説明しよう。


 まず彼女は、地を嘗めるような態勢でぴょんと跳ね、こちらに向けて突撃をしかける”ゾンビ”軍団の中央に、たった一人で飛び込んでいった。

 「ああ……」と、仲間の何人かが悲鳴を上げる。無理もない。それは見たところ、完全な自殺行為、――自己犠牲的な特攻に見えたのだ。実際、柴田もそう思い込んだ。だからこそ”ゾンビ”の群れから大きく迂回するようなルートをとって、例の”扉”があるという場所を目指したのである。

 事情が少し違うことに気付いたのは、それから数瞬後。

 確かに少女は、自己犠牲的に突撃していった。

 だが、まったく勝算がないわけではなかったのである。


 それがわかったのは、数匹の”ゾンビ”の頭頂部から、ぴゅーっと、噴水のように血が噴き出した瞬間だった。


 ”名無し”の少女は、あの腹の膨らんだ”ゾンビ”たちを猫のように翻弄しながら、それぞれ隙を見てさく、さく、と、二度、脳にダメージを与えているのである。


 避難民の誰か、――恐らく若い者がぼそりと、こう呟いた。「ゲームキャラの動きみたい」だと。


 柴田はあまりその手の趣味を嗜むタイプではないが、なんとなくわかる気がする。

 彼女のその動き、……どうにも少し、重力を無視しているように思えるのだ。

 ぱっと右に跳んだかと思えば、次の瞬間には左に現れているその姿は、まるで瞬間移動を繰り返しているかのよう。

 どうやら彼女、くるくると渦巻き状に立ち位置を変えながら、”ゾンビ”を翻弄しているらしかった。

 思わず、舌を巻く。

 一人の人間が、どこまで研鑽を極めれば片足一本であれだけのことをできるようになるのだろう。


 見たところ彼女の身長は160センチほど。体重は50キログラムほどだろうか。

 寝惚け眼。

 ほとんど筋肉のない手足。

 ぼさぼさ頭。

 全体的な印象は、自堕落な生活を好む文系女子、といったところ。

 運動会などでは、きっと活躍できないタイプ。


 そんな彼女が今、鬼神の如く戦っている。

 あの、強烈な腐臭を放つ怪物どもと肉薄し、紙一重の戦いを演じている。

 その全身を、返り血と泥で汚しながら……。


 柴田啓介は、――いや、その場にいた避難民は一人残らず、心のどこかで思った。

 自分たちの誰が、ここまで他者のために尽くせるだろうか、と。


 自分たちは間違いなく、彼女や、彼女の仲間たちにとって”良い大人”ではなかった。


 自堕落なところを多く見せ、仲間割れを見せ、その末の自滅を、そして責任転嫁を見せた。

 にもかかわらずあの娘は今、――何故、命を賭けていられるのだろう?


 真に驚嘆すべきは、彼女の強さだけではない。


 彼女がいま示しているのは、意志だった。

 務めを果たさなければという、高潔な義務感だった。


 柴田はそこで、仲間の足が止まりかけているのに気付いて、


「おい……みんなボーッとするなっ、はやく行け! 行け!」


 叱咤激励。

 もちろん柴田も、痛いほど彼らと気持ちを共有している。


 大人として、いや一人の男として、……彼女を手助けしないわけにはいかないのではないか?


 だがそれは、現時点においてはまったく無駄な感傷に過ぎない。

 なぜ彼女が、針の糸を通すように、丁寧に”ゾンビ”たちを始末しているかを考えろ。


「走れ……! もう少しだ……ッ」


 もちろん危険なのは、前方から迫る危機だけではない。

 殿を勤めている”勇者”、――犬咬くんが相手にしている、親玉の”ゾンビ”とその一群に追いつかれるわけにもいかないのだ。


 とはいえ見たところ、”勇者”くんはかなりうまく動いている。

 以前も一度観たことがある、”スピード重視”だとかいう鎧を身につけて、”ゾンビ”軍団の意識を上手にこちらから逸らしてくれていた。

 ”名無し”の少女のように敵を減らすことはできずにいたが、少なくとも遅延には成功している。


「あそこだ! 見えた!」


 仲間の一人が叫んだ。

 少し見上げると、闇色の電光掲示板。

 忙しく眼球を動かして目的のものを探すと、――あった。

 スクランブル交差点の中央に、ぽっかりと空いた不思議な穴。


 ”異界の扉”。


 敵チームは遙か後方。

 ボールは自分たちがキープしている。

 あとはゴールを決めるだけ。

 そんな感じだった。


 仲間のうち、もっとも足の速いものがその中に飛び込む。

 続けて、何人かがそこへ。

 子どもたち、そして、”勇者”の友人、興一くん。


「大丈夫か、そっちは……ッ」


 柴田が念のため訊ねると、中から、


「特に問題は……っと、ぅわあ!」


 悲鳴が聞こえた。

 ゾッと背筋が凍る。

 まさか、向こう側にも”ゾンビ”が……?


 そう思っていると、避難民を押しのけるような形で、妙なやつが飛び出した。

 子供達の人気者、この世で知らぬ者はないお馴染みのキャラクター、――ニャッキー・キャットのマスクを被った変人である。

 敵か味方かもよくわからないその者は、扉の外で待ち受けていた柴田を無視して、


「ったく。世話が焼けるな、ねーちゃんは……ッ」


 そんな、腹立ち紛れの言葉を吐き出していた。

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