その353 ちょうどいいハンデ

 身体のふくよかな人がよちよち走る姿というのはなんとなく、コミカルなイメージがあります。

 しかし、その時に我々が目の当たりにしたそれは、――とてもではありませんが、笑って語れるようなものではなく。


 それらはまず、”ゾンビ”を見慣れた我々ですら吐き気を催すほどの強烈な臭いを放っていました。

 彼らの腹部は腐敗ガスによって風船のように膨張しており、頭髪はほとんど抜け落ち、眼球と舌はそれぞれ水を吸って膨張、四方に突き出たような、おぞましい姿となっています。


 こうして改めて観ると、”ゾンビ”ってやっぱ筋肉の動きを利用して動いているわけではないっぽいですねー。

 その腐り果てた身体は、どう考えても物理的な法則とは無関係に動いているように見えました。


「おげ、……げ、ぼぉ……」


 何人かの避難民が、こらえきれず胃の中のものを吐き出します。

 反吐を吐きつつ、それぞれの生存本能に従って、走り出しました。


「交差点の方角へ!」


 柴田さんが素早く指揮を執ってくれたのには助かります。

 今の私には、もうそれができそうにありませんから。


「…………………」


 ぺち、ぺち、と。

 もう一度、自分の左足を叩いてみたり。

 やっぱりこれ、ほとんど動きませんねー。


 遅効性の術がたまたま今、この瞬間に効果を顕したのか。

 それとも、何もかも計算尽くで術の威力を調整したのか。

 なんとなーく、後者な気がするのは気のせいかしら。


――真の勇名は、悪行によって成し遂げられる。


 浜田さんは息絶える前、犬咬くんに対してそう言っていました。

 なんかメッチャ悪いことしたったから覚悟しとけよ、と。


 今起こっていることの全てが彼の計画のうちなのならば、――我々はどうにかして、その算段から抜け出さねばなりません。


 そして、全ての片がついたら、綺麗さっぱりこのことを忘れてしまうんです。

 それが彼の言葉に対する、一番の反証になるでしょう。


「”名無し”さんっ」


 犬咬くんが、悲鳴を上げるように私を呼びました。


「どうですか。無理ですか。逃げられませんかっ」

「逃げはしません」

「えっ」

「予定は何も変わっていませんよ。君が殿で、私がみんなを先導します」

「先導……? その足で?」

「ええ」


 私は片足一つで、ぴょんと地面を斜めに蹴りました。

 強烈な脚力によりウサギのように跳ねた私は、全力で走る避難民たちにあっという間に追いついていきます。


「わっ。”名無し”どの……」


 から傘おばけスタイルの私を見て、コウくんが目を丸くしました。


「ね? 肩を借りる必要なんて、なかったでしょ?」

「アッハイ」


 ふふん。今の私がオリンピックに出たら、金メダルでオセロができるぜ。

 ……と、余裕ぶっこいている暇はありません。

 こうなってくると、ある程度は覚悟していたのものが、やっぱり出ました。

 

『ぐあ、ぐあ、ぐあ、あ、あ、あ、げえええええ………ッ!』


 我らが前方に、もう一群。

 水死体”ゾンビ”の群れです。

 どうやら、親玉の叫び声に反応して、地下に潜んでいた連中が一斉に飛び出してきたみたい。

 最初にここを通った時、地下まで探索してこなかったのが災いしましたか。

 まさか、鋼鉄のシャッターをぶち破ってくるやつらがでてくるとは想像しなかったからなぁ。


 我々の目の前には、数十匹ほどの太っちょさんがズラリ。コミケでもこんな光景にはお目にかかれませんぞ。


「う、ううう……ここまでか……?」


 すっかり意気消沈している柴田さんの肩を、私は気安くぽんと叩きます。


「ご安心を。みんなやっつけますので」


 こういう時、みんなに希望の光を示してこそ、スーパーヒロインというもの。

 ……とはいえ、与えられたミッションは厄介でした。

 腹の中に腐敗ガスをたっぷり溜め込んだ水死体”ゾンビ”の群れを抜け、避難民全員を無事スクランブル交差点の真ん中にある”扉”に送り届けること。


 さて。どこまで頑張れるかな……。

 私は、片足立ちのポーズのまま、ぴょんぴょんと前に出て、


「みなさん、私が血路を開きます。目と耳に連中の血が入らないよう、注意して」


 そして、大きく深呼吸。

 浜田さんの誤算は、かなり単純なところにありました。

 それは、――そう。

 完全に、私の実力を見誤っていたことです( -`ω-)


 片足を使えなくした程度で、私が使い物にならなくなると思われては困ります。

 まだまだ私、じゅうぶんに暴力を振りかざせる自信がありますよ?


 私は十徳ナイフの、もっとも長い刃を引っ張り出し、身構えます。


『う゛ぁあああああああああああああッ!』


 死人の群れの動きは幸い、それほど機敏ではありません。

 だいたい、クラスで一番マラソン苦手な女生徒くらいの早さでしょうか。

 今の私に言わせれば、――片足一本使えないくらいで、ちょうどいいハンデってところでした。


 彼我の距離は、およそ百メートル。

 こちらに接触されるまでにかかる時間は、およそ二十秒ほど。


「そんじゃお試しに……、――《火柱》ッ!」


 私はまず、奴らの先頭にいる個体に向けて《火系魔法Ⅴ》を放ちます。

 見慣れた魔方陣が彼らの足元に出現し、――ぼんっ! と、火炎が上がると同時に、その腹の中のガスに引火し、何匹かが誘爆しました。


「うわ、汚ッ!」


 驚くべきことに、一部の血や肉片などは遠く離れた私の足元にまで飛び散っています。

 走る”ゾンビ”型爆弾ってとこですか。始末には細心の注意が必要ですねー。


 頭の中で、次にするべき動きを思い描きつつ。


 私は、――征きます。

 奴らが集まる、ど真ん中に向かって。

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