その319 話のテンポこわれる

 嫌な予感は次の日の朝、現実的な暴力として目の前に顕れました。


 それは、前日キツく言ったお陰でさすがに早起きしてくれた浜田さんと、避難の段取りについて話し合っていた時のことです。


「おまえーっ!」


 がらんとした建物内に、感情的な声が響き渡りました。

 声が、すぐそばの寝具店から聞こえているのを耳にして、私たちは驚いてそちらに向かいます。その辺りには、すでに小さな人集りができていました。


「おまえがなーっ! おれの女をなーっ! ゆるさーん!」


 語彙力を失ったその言葉に眉をひそめていると、ショー・ウインドウが割れる音。

 頭を血で濡らした男性三人が、お互いの胸ぐらをつかみ合いながら喧嘩しています。


末位まついさん、吉武よしたけさん、宇目うめさん……っ」


 目を丸くした浜田さんが、彼らを止めようとして仲間をかき分け、


「な、何してるんです! せっかく脱出できるって日にッ」

「う、うるせえ! こいつが、こいつらが俺の女を……っ」

「女?」


 寝具店奥をのぞき見ると、可愛いパジャマ姿のナナミさんが欠伸をしていました。


「ふわぁ~」

「ナナミさん。こんな時に何をしてるんです」

「何をって……ナニを?」


 私が抗議のつもりで彼女をにらみつけると、


「ってか、なんでこの人ら、喧嘩してんの?」


 と、本人は知らん顔。


「いやこれ、部外者の私でもなんとなくわかりますよ。――あなたを取り合ってるんでしょ」

「へぇ」

「へえって……んもー。どうするんです、この始末」

「っつっても、いったんこーなっちゃ、男なんて猿と一緒さ。喧嘩で勝ったやつが私をモノにできるって思い込んでやがる。へっへっへ。私、彼氏いるんだけどなー?」


 ナナミさん、そう言ってシニカルな笑みを浮かべます。


「あなた、彼氏がいるのに、男くわえ込んだんですか」

「そだよぉ」

「……いずれ刺されますよ」

「ひひひ。私らもう、ナイフで刺されたくらいじゃ死ねない身体さ」

「それはそうかも、ですが……――」


 仮に暴力によって死ぬことはなくとも、毒殺ということがあります。

 前世の私が、そうして命を奪われたように。


「とにかく今は、人との信頼が大切な時期で、――」


 私が、老婆心ながらそう忠言したその時でした。

 ナナミさんの唇が耳元に近づいていて、


「うっさい。こいつらが勝手に惚れただけじゃん。私は悪くない」


 そう、はっきりと拒絶の言葉を口にします。

 とはいえ私にも、意地というものがありました。


「長生きをしたければ、倫理に反することは控えるべきです」

「倫理、ねえ……」

「悪意はなくとも、誰かが傷つくことはあるものです。――あなただってそれくらい、ご存じのはずでしょう?」

「……ふん」


 そのまま二人、険悪な雰囲気のまま数秒ほど見つめ合っていると、――


「…………ちっ」


 やがてナナミさんは、再び大きく伸びをしました。

 慣れない私にも、こういう時のルールはわかっています。

 目を逸らしたということはつまり、彼女が折れたということ。


 そしてナナミさん、いまだにポカスカしている(とても柔らかい表現)三人の首根っこを引っつかみ、ぽいぽいぽいっとその辺に放り投げて、


「――あんたら、昨夜に言ったろーがッ。私にゃあ本命がいるってさあ!? それでもいいからってんで遊んでやったのに、一発ヤった程度で我が物顔すんな!」


 なんと堂々たる糞ビッチ宣言でしょう。

 そして彼女は末位さんを指さし、


「○○○○の、○○○ッ!」


 次に吉武さん、


「イク時の顔が○○○○ッ! ○○○○野郎!」

 

 最後に宇目さん。


「オマエは、――単純に○○○○! あと臭い!」


 どうもそれは、男性三人の戦意を喪失されるに十分な一言だったらしく。

 彼らはあっさりと感情を失って、よろよろとふらつく足取りで(むしろその瞬間からお互い助け合うように手を取り合いながら)逃げていきました。


「はい。一件落着」


 ナナミさん、彼らを見送った後、ふんと鼻息一つで背を向けて、


「あの……どこへ?」

「二度寝ッ」


 そのまま寝具店奥にあるベッドの上でひっくり返ります。


 いや、二度寝て。

 これから打ち合わせがあるのに。


 とはいえ、いまの彼女を叩き起こしたところで、きっと話し合いは上手くいかないでしょうけど……。

 やむなく、私たちは寝具店を後に、集まってきた野次馬の皆さんを散らしていきます。


 その時に私、一つのことに気付きました。

 人集りの中に、あの高谷興一くんの顔があったこと。

 そして彼が後生大事に、フルフェイス・タイプのヘルメットを抱えていたことに。


「――?」


 どうして彼、そんなものを持っているんでしょう。

 とはいえその時の私には、それが何を意味するか、検討もつきませんでした。



 ……と、いう一幕があったのが、午前六時ごろ。

 脱出計画の延期が決まったのは、その日の午後五時過ぎでした。


 というのも、


「いやー、ははは。すまないね。みんなの話を聞いていたら、どうもこんな時間になってしまって」


 浜田さんによると、どうも話が少し、ややこしいことになりつつあるそうで。

 それは正直なところ、昨夜の時点で私が危惧していた問題でした。


「まさかここに来て、――ここに残りたい、なんて派閥ができるとは」


 と、大きく嘆息します。


「連中、少なくとももう、一、二週間ほどの滞在を希望しているが、ありゃあ嘘だなぁ」

「ええ。一週間もここでのんびりしてしまえば、あと一月、一年とさらに先延ばしになることは間違いありませんよ」


 うう。

 胃が重たい。

 この状況、多分ですけど、救出班である私たちに、大人たちを納得させる威厳のようなものが欠落しているためでもある気がします。

 例えばここに、夜久さんみたいな男の人がいてくれれば、きっともう少し違った展開になっていたのかも。


「と、いうわけで、明日こそは始まるであろう脱出計画のために。――乾杯」


 私は、これで三度目になるみんなの乾杯を聞きながら、ウンザリした気持ちでいます。


 もう少し、話のテンポというものを考えていただきたいのですけど……。


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