その269 ワンパンウーマン

 目を覚ますと、見知らぬ天井がありました。

 しばらくの間、それをぼんやり眺めて……ふと、その模様の中に隠れニャッキーマークを発見します。

 ちょっとだけ得した気分。


 意識は驚くほどはっきりしていました。

 自分でも、寝起きだとは思えないくらい。


 さっと全身をまさぐって状態確認。

 異常なし。怪我なし。身体をまさぐられた痕跡も、……たぶんなし。

 服は着せられたまま。

 枕元にメガネを発見。

 嘆息混じりにそれをかけて、むくりと半身を起こすと、まず”転生者”百花さんが、下着姿でソファに座っているのと目が合いました。


「おはようございます。”先生”」


 彼女は少し、緊張した面持ちで私を見ています。

 たぶん、まだ百花さんにとっての”私”が何者か、判別できていないのでしょう。


「核ミサイルは?」

「あと、五日ほど余裕がある」

「気を失ってから、何日経ちました?」

「丸二日、かな」


 そっか。

 私の主観では、とてつもなく長い時間が経っていたような気がしましたが。

 これあれかな。邯鄲かんたんの夢っていうやつ。

 「めちゃくちゃ長い夢見たと思ったら、お粥が炊き上がる間のことだったよ」っていうアレ(うろおぼえ)。

 関係ないけど、すごいお腹減ったな。お粥でいいから食べたいぞ。


「ところで、明日香さんたちはどこに?」

「…………。それを確認する前に、一つ、いいですか?」

「ん?」

「あなたが、――何者かを、……どうしても知りたくて」


 百花さんの表情に、剣呑なものが混じっています。

 これは恐らく、彼女の小さな陰謀が功を奏したかどうかの確認でもありました。

 その対応は実のところ、前世の”私”であっても、今を生きる私であっても、とくに変わらなかったことでしょう。


「それを確認して、どうするつもりです? 私が何者であろうと、私は私のやるべきことをやるだけです」

「……うん。その冷たい目は、ちょっと”先生”っぽい」


 百花さんは、ぴょんとソファの上、ヤンキー座りになって、


「でも、本当に大切なことなんだよ。……強くないと、みんなを護れないから」


 ああ。

 彼女のその考え方、――前世の”私”のよう。

 この子は本当に、”私”が大好きだったんだなあ。


 そして百花さんは、折り曲げた両足をバネにして身体を跳ねさせました。

 私はというと、その動きを欠伸が出るような気持ちで見上げています。

 同時に彼女の右腕が輝き、そこから、一匹の大蛇の如き魔法のムチが繰り出されました。

 《ネビュラ》。それも、首元を狙った一撃。

 人の反射速度を遙かに超える攻撃を、――私はほとんど、結末を知っている推理小説のように受け止めます。

 どじゅううううう……と、皮膚が焼ける音がしますが、気にしない。

 魔力によって強化された私の《皮膚強化》は、もはや彼女の攻撃力を遙かに上回りますので。


「――なッ!」


 百花さんの目が、驚愕に見開きました。

 ことほどさように、”プレイヤー”同士の戦いにおいて、「このスキルを使うとどういうことが起こるか」の知識は、凶悪な強みになります。

 私は、数秒の逡巡の後、――そのまま、ムチを思い切り引っ張りました。


「う、わあ!」


 彼女に、……侮られてはいけない。

 恋河内百花さんはきっと、弱い”私”を許さないだろうから。

 であれば私は、そういう自分を演じましょう。

 私は渾身の力を込めて、空いた左拳を彼女の顔面に叩き付けます。

 ぐぎ、と、骨が砕ける音が、豪奢なホテルの一室に響きました。

 私の鉄拳に、鼻っ柱を完全に粉砕された百花さんは、


「…………アヒッ、ハハハッ」


 と、お気に入りのギャグを聞いたような笑い声を上げます。

 紅潮した顔に涙をにじませて、鼻からは血がどばどば。

 私は「さすがにちょっとキモいな」と思いました。


「――次に私を試そうとしたら、容赦なく殺します」

「うん……! ……うん!」


 あのその。エッチな顔しないで。なんか怖いから。

 《ネビュラ》の消滅を確認し、空いた手で《治癒魔法》を唱えてあげると、さっと彼女に背を向けます。


「――ではまず、私は仲間たちと合流します。彼女らの居場所を教えてください」

「仲間? ……仲間ってあの二人?」

「もちろんです」

「連中のことは、――下位のヴィヴィアンたちに聞かないとわからないかなあ」

「わかりました。私はひとまず、”アビエニア”に戻ります」


 百花さんはそこで、プレゼント箱の中身を疑うような、そんな表情を作りました。


「でも、あの二人は、……いや、君野明日香は……」

は知っています」


 すると、私の倍ほども生きているはずの女性は、安心した幼子のように嘆息します。


「じゃあ、なんで? ”先生”にはあと五日間、ここで不自由なく暮らしていてほしいんだけれども。こっちにはそうする準備もある」

「……――私には、私の考えがあってのことです」


 私は、冷たく言い放ちました。

 それくらいの方がむしろ、この人を喜ばせるとわかっていたためです。


「あ、――”先生”。シャワーと食事の準備があるけど」


 一瞬、私は、その魅力的な提案に足を止めそうになりました。

 丸二日放置された私の身体は……ぶっちゃけ、寝汗やらなんやらでべとべとでしたし。


 しかし私は、短くこう応えます。


「結構」


 私がこんななりなら、きっと仲間たちはもっとひどい状態に違いない。

 そう思えたためでした。

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