その260 泡沫に目を覚まして

「起きて」


 その言葉で、目を覚まします。

 

「”ある理由”により、あなたは生き残らなければなりません」

「むむむ……」

「起きなさい」

「……んーむ」

「目を覚まして。……ほら」


 ぽんぽん、と、何者かに身体を揺さぶられ、


「――みゃ!」


 布団をがばり。

 同時に、なんだか甘い匂いがしました。

 よく嗅ぎ慣れた、私自身の身体のにおいです。

 そしてホッと一息。

 だったらきっと安心だ。なぜならここは、私が世界で最も安心できる場所。

 オフトゥンという繭の中なのですから。


「それじゃ、二度寝しまーす♪」


 誰に聴かせるわけでもなく、気軽に言いますと、


「さっさと目を覚ますのです、”私”。さもないと……」


 ざん、と音を立て、私の鼻先数ミリほど手前に、祖父の形見の刀が突き立てられました。


「きゃあ!」

「――刺し殺してしまいますよ」

「なにごと、なにごと!?」


 私は驚いて、ベッドから転げ落ちます。

 そして、このような蛮行を働いた恐るべき闖入者に目を向けました。

 ん、で。


「え、ええええええええええええええ……」


 目を丸くします。

 肩まで伸びたぼさぼさ髪に、ぼんやりしたジト目。

 雅高の校章が入った赤いジャージに、黒色のインナー。

 そこにいた彼女は、まさしく私とうり二つ。完全なるドッペルゲンガー。

 鏡合わせの、私自身だったのでした。


「おはようございます、”私”」

「あ……どうも、”私”ッぽい人」


 そこで、ようやく記憶が繋がってきます。

 ”渡り鳥の羽根”によって大空に飛びたち、あの巨大なお城を見下ろしたこと。

 そして、恋河内百花さんの術をもろに受けたこと。


「お聞きしていい?」

「どうぞ」

「これ、どういう状況?」


 すると彼女は、どこか面倒くさそうな表情で、


「百花さんの《時空魔法Ⅷ》を受けた影響ですね。この場所はなんか……イメージの世界とか、そういうやつ」

「イメージの世界……」


 言われてみれば、どこか夢を見ているような気分。

 私が寝ていたベッドも、見慣れた部屋も、目の前の彼女も……なんとなく現実感がない、と言いましょうか。

 ふわふわな気持ちで、目の前にいる、私とうり二つの彼女を眺めたりして。


「腋の下とか、背中とか、後頭部とか良く見せてもらってもよろしい?」

「――あと、誰かの顎が肩に乗ったらゾワゾワするあの感じを研究してみる、とか」

「いいですねえ! やりましょうやりましょう。自分がもう一人いたら、是非試してみたかったんです」

「残念ながら、そんな暇はない。……ので、やりません」

「へ? 暇はない……?」

「はい」

「どういうことです?」

「こうしている今も、ミサイルの発車時刻が迫っていますので」

「なんじゃそりゃ」

「……詳しくは、場所を変えて話しましょう」

「そりゃ構いませんけど」


 我ながら、この台詞を自然と口にしたのは、奇妙な感覚でした。

 自宅以上に腰を据えて話をするのに適した場所など、あまりないでしょうに。

 しかし、もう一人の”私”の言葉は、夢の中ならではの不思議な説得力があったのです。


 私は立ち上がり、彼女の後ろに続きました。

 なんとなく、地に足が着かない感じでよろよろ歩いていると、階段を降りた記憶もないのに”雅ヶ丘高校”の校庭に到着しています。

 そのすぐそばには、幼い頃を過ごした祖父の家が見えていて、その隣には行きつけのラーメン屋さんがあります。その隣はバーキソ。そしてもはや正確な場所も定かでない、父と歩いた商店街。おもちゃ屋さん。お祭りの屋台。ベビーカステラ。イカ焼き。リンゴ飴。小学生のころ、短期間だけ仲良しだった友だちの家。

 この感覚には、なぜか少し覚えがありました。

 時折夢に見る、私の”理想の街”。

 私の短い人生の中の、楽しい想い出だけが詰まっている場所です。


 何もかもが朧気なその空間にいて、唯一まともな返答を期待できる”もう一人の私”に問いかけます。


「根本的な質問、いいですか」

「はい」

「あなたは何者?」

「私は、――まあ、単純に説明するなら、”前世のあなた”かな」

「前世……というと、」


 ”転生者”、百花さんが話していた(らしい)、”先生”としての”私”ということでしょうか。


「そう。それです」


 彼女は、重々しく頷きました。


「ほほう。あなたが。噂の」

「ええ。私が。噂の」

「人づての話によると、いろいろと活躍されたご様子で」

「ええ。しかし最期は悲惨でした。何も成し遂げられず、無駄死にです」

「なるほど」


 私は納得して「赤いジャージが似合っているな」と関心します。


「ところで、――なんで私、あなたとおしゃべりしてるんです? 百花さんの《時空魔法》を受けたのなら、記憶喪失が治っているはずでは?」

「そこなんですよ」


 ”彼女”は、苦いものを含んだような顔をして、


「その、百花さんですが、――やってくれちゃってるんです」

「やる?」

「ええ。《時空魔法Ⅷ》には厳密に、”記憶喪失を治す”効果はではないのですよ」

「へ?」


 私は耳を疑いました。


「しかし、彼女の魔法で、何人か記憶喪失が治ったという報告が」

「それは、……端からだけの話、と申しましょうか」

「それって、どういう……」


 彼女は、私のそれに比べれば、ほんの少しだけ憂鬱の色が深いため息を吐いて、


「あれの正体はそもそも、――””するための魔法なのです」

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