その254 悔恨とすれ違い
天宮綴里は、ひどく腹を立てていた。
このような非道が許されて良いはずはない。
何の説明もなく”彼女”に術をかける、などと。
しかも、恋河内百花によると、
――次に目覚める時には、彼女は完全に以前の彼女に戻る。
という。
これはつまり、先週記憶を失ってから今までの”彼女”の記憶は、綺麗さっぱり消失する、ということだ。
百花が問答無用に《時空系魔法》を使ったのは、それを”彼女”に説明すると逃げ出してしまう可能性があったから。
だが、綴里にははっきりと断言できる。
きっと彼女は、どのような真実を告げられたとしても逃げなかっただろう、と。
だからこそ、
――お別れを、言えなかった。
どうしてもそれが、悔やまれてならない。
今思えば、自分の何気ない一言が彼女を傷つけていたかも知れない。
それでもあの人は、平静を装ってここまで歩んできた。
きっとそれが、彼女にとって”正しいこと”だから。
今になって気付かされる。その行動が、いかに誇り高いものであったか。
最後に一言ぐらい、彼女の想いを聞いてあげるべきだったのに。それができたのは多分、”アビエニア”に入国した者の中では自分だけだったのに。
その機会は、――永遠に失われてしまった。
「はあ……」
ニャッキーの服をあしらったベッドの端に腰掛けて、頭を抱える。
とはいえ半分は、自分の迂闊さにも怒りを覚えていた。
最近どうも、他人を無条件に信用する癖が身につきつつある。――雅ヶ丘の避難民といい、練馬のコミュニティといい、航空公園の仲間たちといい……善人と接しすぎたのだ。
――人は、嗤いながら他者を踏みつけることができる生き物だ。
それが本質だと、知っていたはずなのに。
”終末”後、”プレイヤー”となってから自分は、あまり人間の醜い側面を目の当たりにしていない。他を圧倒する強者に変貌してからというもの、世界はそれまでよりずっと優しくなった。
なんなら、”ゾンビ”が大量発生する前の方が、世の中は差別と偏見に満ちていたようにすら思えていて。
――気持ちを切り替えろ。他者は信頼ならない。一昔前の私に戻るんだ。
▼
今、天宮綴里と君野明日香は、ディズニャーシーの園内に存在する、セレブ御用達の超高級ホテルの一室にて待機させられている。
”上位クラス”のヴィヴィアンだけが出入りを許されているというそのホテルは、ありとあらゆる調度品が入念な手入れをされていて、埃一つ落ちていない。
綴里のような庶民は一生泊まることがなかったであろうそのホテルは、そのものが小さなテーマパーク化しているといっても過言ではない造りになっていた。
ホテル従業員はみんな”終末”以前のスタッフが運営しており、ここだけは昔とほとんど変わらないサービスを受けることができるらしい。
「ううううむ……」
君野明日香が忙しく室内を探し回り、ホテル内のあちこちに隠されたニャッキーを探索している。
「あっ! この絨毯の模様! 三つ目の隠れニャッキーだ!」
ずいぶん緊張感に欠ける彼女は、どうやら百花のことを100%信用している様子。
それがどうにも、天宮綴里には気に入らない。
二人の感じ方、……そのすれ違いの原因は、道中、”彼女”と過ごしてきたか否かの差異であろう。
天宮綴里にしてみれば、以前の”彼女”と記憶を失った”彼女”とでは、むしろ後者の方が過ごした時間が長い。
綴里は、少々苛立たしげに立ち上がって、
「ねえ、明日香さん。やっぱり心配なので、”戦士”さんを観に行きませんか」
「ん。そうする? でも、いまさら素人があーだこーだーしたって、どうしようもないからなあ」
「…………。そうでなくても、百花さんとは話すべきでは?」
「ああ、そりゃそうね。今後のことで話もしたいし。コラボとか」
ということで、綴里たちは与えられた部屋を後にする。
扉を開けると、無線機を腰につけた初老のホテルマンが立っていて、
「おや。お出かけですか?」
「はい。……その、恋河内百花さんに会いたくて」
「少々お待ちくださいませ」
その男は、二、三、どこかに連絡を取った後、
「百花さまは、本ホテルの屋内にあるテルマエで湯浴みの途中だそうです」
「テルマエ、――公衆浴場ですか」
なら、仕方ない。今回は出直すか……。
そう言いかけた次の瞬間だった。
「それってあの、古代ローマ風のお風呂ですよね?」
「はい」
「うわすご! テレビで見たことあるー! 入ってみたい! 入ってもいいんですか?」
「ホテルの入居者であれば、ご利用は無料になります」
「やった!」
明日香さんは、その場でぴょんと跳ねて、
「それじゃ、綴里さんも行きましょ!」
「へ?」
「ここは女同士、裸の付き合いとしゃれこみましょーぜ!」
「は?」
「そーいや私たち、ちゃんとおしゃべりしたこと、なかったし!」
「えっと……」
天宮綴里は、目を丸くして驚いている。
それまで感じていたのとはまったく別種の焦りが、胸の中に産まれつつあった。
――さっき、上着をまくり上げて下乳みせつけてきたときも思ったけど、まさかこの人……。
自分のこと、女だと思ってる?
いや、そういう風に思われるのは正直、とても嬉しいんだけど、――いまは状況が状況で。
とはいえ、第三者がいる手前、真実を告げるわけにもいかず。
「では、ご案内します」
と、にこやかに告げるホテルマンの背を、ゆっくりと追いかけることしかできないのだった。
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