その255 四人の姫

 ホテル一階、――今は封鎖されているフロントと外部への出入り口を通り過ぎ、綴里と明日香は、どこかアトラクションめいた(もっともこのホテルは一事が万事そういう調子なのだが)公衆浴場の前に立つ。


「バスタオルとケープはサイズ別に無料のものをご用意しておりますので、ご自由にお使いください。また、ミネラルウォーターは無料です」

「やったー♪」


 綴里は、ホテルマンがすぐその場を立ち去ってくれることを望んでいたが、――この人、どうやら監視の役目を仰せつかっているらしい。優しげだが、油断ならない表情のまま直立不動の姿勢を取っていて、一向にそこから動く気配がなかった。


「あの、ちょっと、実は私、お腹痛くて……トイレに……」

「トイレはテルマエの中にございますので、そちらをご利用くだされば」


 有無を言わせぬ口調である。

 落ち着け。他に策は……と、考えている暇もなく、


「ほーら、綴里さん、さっさと行きましょー♪」


 と、仲間のはずの明日香に窮地へと陥れられた。

 気がつけば『女』という朱色ののれんの中へと押し込まれていて。


――いけない。これはいけない。このままでは、お色気ものの少年マンガみたいな展開に……。


 そう思いつつも、もはや引き下がれない領域に達していた。

 というのも、入ってすぐのところにある脱衣所で、四人の女性の着替えを目の当たりにしてしまったためだ。


「ん?」

「おや?」

「あらら」

「………ッ?」


 想定外の闖入者だったらしく、彼女たちは揃って不思議そうにこちらに見ている。

 その顔には見覚えがあった。

 先ほど『クーちゃんの日間ランキング』とかいう放送で見かけた少女たちだ。

 この国の言葉を使うなら、


「ランキング上位のヴィヴィアンが勢揃いですよ……ッ!」


 明日香の耳打ちに、綴里もこくりと頷く。


 ”歌姫”、千駄ミズキ。

 金色に染めた髪が、ぱっと華やかな大輪の花を思わせる女性だ。四人の中では最も肉付きがよく、歳は恐らく、二十歳すぐ手前くらいだろうか。


 ”語り姫”、遠峰カズハ。

 濡れた烏羽のように艶やかな黒髪の女性で、少しつり上がった目が切れ者を匂わせる。いかにも真面目そうな印象の彼女は、四人の中では最も”完成された”美人だ。


 ”笑い姫”、根津ナナミ。

 彼女は狐のような糸目の少女で、笑顔の仮面を常に被っているような印象だった。

 よく見ると身体のあちこちに青あざが見られるのが少し残念だが、それを補って余りあるほどに、健康的な体つきをしている。


 ”実況姫”、トラ山トラ子。

 一見、身長130センチほどの童女に見える。だがその理知的な顔つきは間違いなく大人のそれで、彼女が尋常の者でないことをうかがわせた。


 タイプに差こそあれ、皆が皆整った容姿で、さすが”姫”と並び称されるほどではある。

 しかし、それとは別に一点、彼女たちに共通していることがあった。

 四人ともその肉体が、極限まで鍛え抜かれているということ。

 ”プレイヤー”。――それも恐らく、《格闘技術》系を上級まで取得したものの特徴である。


「――…………」


 天宮綴里は、四人のうち一人、――”アビエニア”入国よりもっと前に出会った彼女に声をかけようとして、あえて止めた。

 これ以上、話がややこしくなるのはゴメンだと思ったのである。

 それにしても……、


――まいったな。さすがにもう「ごめんなさい」ではすまない。


 この時点で「はーい、実は私、男でーす♪」と白状して困るのは自分だけではない。仲間の、今後の活動にも影響があるだろう。

 神園優希の蘇生のためにも、それだけは避けねばならない事態だった。


――こうなっては、意地でもウソを突き通さなければ。


 頭の片隅に『無謀』の二文字が浮かんで消えたが、やるしかない。

 しかし勝算がないわけではなかった。

 自分の身体は、ある一部分を除いて実に女性的な作りになっている。

 脱衣所で陰部を見せ合いっこするような事態にはならないだろうし、やれるという自負があった。


「アラアラ」


 ”語り姫”が、バスタオルを腰に乗せただけの格好で籐椅子に座り、妖艶に足を組む。天宮綴里の脳裏には、『氷の微笑』という映画でシャロン・ストーンが取り調べを受けるシーンが浮かんでいた。


「……お前さん達も、百花に呼びつけられたクチか?」


 天宮綴里は一心に想った。高一の秋、友人の先光亮平が誤って脱糞してしまった遠足のことを。

 幸い、おしゃべりは君野明日香が担当してくれている。


「別に、呼ばれたわけでは……」

「じゃ、ただ湯船に浸かろうってぇ腹で来た、と」

「いえ。我々は、百花さんにいくつか質問があるだけで」

「ハハア。……だが、聊か今は事情が善くないネェ。いま浴場に向かえば、余計な事情を耳に入れる羽目になる。世の中を巧く渡りたきゃ、無駄を省いて生きてくことだ」

「いいえ」


 アニメ声の仲間は、ちょっと首を横に振り、


「でももし、それがセンパイにかかわることなら、私たちも聞く権利があります」

「センパイ? ――ああ、あのセーラー服の娘か。……ふん。何奴も此奴も、あの娘の事ばっかり云うじゃあないか。そんなに大した女なのか、あれは」

「少なくとも、私にとっては恩人です」

「ふーん」


 ”語り姫”は、少しつまらなそうに視線を逸らす。


「ま、いいや。もし聞かれちゃ拙いって話になったら、別室に移りゃあいいだけだし。……ここの風呂、無闇矢鱈にでかいからサ」


 そして彼女はバスタオルを手に、ゆったりとした足取りで浴室に消えた。


「……………………あっ、まって……カズハちゃん……」


 それを、”歌姫”がペタペタと足音をさせて続く。


「ふーむむむ」


 ”笑い姫”は、何ごとか言いたいことがあるようだったが、その笑顔を面のように崩さないまま、少し会釈しただけで浴室に向かった。


 残されたのは”実況姫”と、まだ服を脱がずにいる明日香、綴里だけ。

 そこでようやく、少年は彼女に声をかける。


「ごぶさたしてます」


 トラ山トラ子。……その、いかにもな偽名を名乗る少女に。


「”実況姫”……いえ、”賭博師”さん」

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